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道東もだよ 荒間 宗太郎 - 2008/09/28(Sun)17:44 No.7140
平取アイヌに代表される胆振地方のアイヌと道東アイヌとの間には軋轢があり、けっして仲の良い状態ではなかった、近年は知らないが。
ワシが住んでいた頃の昭和五十年前後は「あいつらとは言葉からして違う」とのたまっていたし(笑)。
少なくとも明治前後の蝦夷ではアイヌ語同士なのに通訳が必要だったと言う話さえあった、言葉の陰陽が日高アイヌは強弱が強調されるのに対し道東アイヌでは音の高低が強調されていたらしい(逆だったかな?)。
ユーカラは「旋律を伴う叙情詩」という位置づけなのに、日高アイヌ語ではその旋律がよくわからない。何でや?
ま、そりはともかく、たかだか七百年前後でしかないアイヌの歴史で「北海道の原住民」ではない「明治以後の和人達に比べての先住民」ではあるが。明治以前の道南での先住権は彼らにはない(渡党の存在)、それは波浪さんの指摘通りの意味。
また、道東での先住権もない、それはコロボックル伝説に代表されるように彼ら自身がラワン蕗を知らなかったことからも解る。蕗よりも小さい人=小人ではなく、人の背丈よりも大きい蕗の存在=ラワン蕗を(日の本)知らないからだ。
結局のところ、彼らが先住権を主張できる地域は道央と道北に限られる。ま、それでも露助などには元々シベリア以東の地域に領有権を主張できる謂われがないのに不当にも占拠しているから、その意味ではアイヌに先住権がシベリア以東にあるとは言えよう(笑)。なんと言っても北方の習風を受け継いでいるのだから。
まったくです 波浪規定 - 2008/09/28(Sun)17:11 No.7139
>荒間さん、ありがとうございます。
アイヌの成立は、おおよそ鎌倉時代ですからね。アメリカ先住民、オーストラリア先住民と同じレベルで論じるわけにはいきませんね。
鎌倉時代の諏訪大明神絵詞には、蝦夷地には日の本、唐子、渡党がいると書いてありますね。
渡党というのが、漂流者やら流刑者やら落武者の子孫(アイヌと混血した人もいたでしょう)と考えられていますね。道南地方についていえば、アイヌの世界と言い切れない状況にありますね。
そのとおり!>7137 荒間 宗太郎 - 2008/09/28(Sun)14:55 No.7138
産能大学の安本美典教授に依れば、下記のようにまとめることが出来るらしい。
 クマ送り儀礼(イオマンテ)は近世アイヌの文化体系のなかで、民族文化の核心として最も重要視されてきた文化要素である。クマ祭文化複合体ととらえる主張もある。クマの骨塚・祭壇は現在のところ擦文文化からは発見されておらず、アイヌ文化がオホーツク文化から継受したものとみられている。
また、近世アイヌの平地式住居チセも中央に長方形の炉があり、擦文式のカマドは消えて、オホーツク文化の影響が感じられるという。 衣服や器物に施されたアイヌ文様も、また隣接する北方諸民族のそれに類似していることが指摘されている。これらのことなどから、大陸的な北方の狩猟文化要素を受容・融合するなかで形成されたものであることが次第に明らかになってきている。のみならず、人間同士の混血も同時に進んだとみるべきだろう。

 また、早稲田大学の菊池氏も論文の中で下記のように言う。
「熊送り儀礼(イヨマンテ)は、アイヌ文化複合のまさに核心をなすものだが、こうした伝統はオホーツク文化の『骨塚』にはたどれても、擦文文化にはなぜか見られない。」とし、「現代アイヌ文化に特徴的な住居形式、葬墓制、ユーカラなど、擦文文化よりもむしろ、オホーツク文化圏の方に系譜をたどれる要素」が多いとの見解を示している。

 これら研究者によれば、ユーカラやクマ送り儀礼(イオマンテ)のような、近世アイヌ文化の中核のように思える文化要素が、オホーツク文化から継承したものとみられるというのである。
 つまり、彼らが「アイヌは異民族」と称する場合の「異なる」とは、縄文人という祖先を共有するところを重視せず、むしろ、北方種族(オホーツク文化人を含む)との文化的な混血、肉体的な混血の方を重視していると言うことになる。
 確かに縄文人を共通の祖先として、その後の展開に差違があるのなら「異なる」ものとして認識することも可能であろう。だが、それでは、彼らは「遅れてやって来た先住民」と言う事になることに気がついていない。

ワシは民族定義を.
  共通の言語習慣等の伝統を共有し.帰属意識で結ばれる意識共同体
とします。

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 異民族見解の考古学的な研究成果が無いわけではないのですが疑問符も付くのです。そこで、当ページでは文化人類学上の見解である「帰属意識」の方を重要視します。
「北海道チャシ学会」編の「アイヌのチャシとその世界」(北海道出版企画センター)によれば、アイヌの民族としての成立は、およそ700年くらい前に求められるように推測されていて、これは、上記の考古学上の説とほぼ一致している。
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藤井の馬鹿 波浪規定 - 2008/09/28(Sun)14:43 No.7137
民主党の藤井(自由党出身の人、5人を北に返せと言っていた人)は、日本単一民族を批判して、自然人類学の本を読め、薩摩と長州は別の人種と書いているとか言っているが、民族と人種の区別がついていないようだ。(笑)
民族というのは、文化人類学とか民族学の問題だろう。言語や文化の共通性が優先するのである。自然人類学上の差異の問題ではない。
あれ? 波浪規定 - 2008/09/27(Sat)22:56 No.7136
中山氏が辞任するみたいですね。
残念。
小沢と差し違えからでも遅くないのだが。
これからは、野盗偽員の言葉尻をつついて辞職に追い込んでやろう。
【散歩姿は】麻生政権に期待【怪しい人】 苹@泥酔 - 2008/09/27(Sat)20:13 No.7135
 昨夜はジュリアナ農協で股引姿の踊りを披露する夢を見た気がしたものの、ボディコン姿の辻元清美女史が出てきたのだけは余計だった…(それゆえ〜朝生が始まってから十数分後に熟睡しちまったのが返す返すも残念orz)。

 …閑話休題(汗)。
 簡繁両用の件は諒解。「趙」が繁体なのは仕方ないのかも(「逍」などと違って何故「走繞にメ」なのか…もしや勘違い?)。「橋」の簡体は旁の下半分を省略か。「口」の部分は書写体の梯子状(高→髙)を挟めば簡化原理は理解可能だし、チョ遂良の哀冊に出てくる「橋」は「槁」と似た形(ノ・一・梯子状)だから、「介」に見える紛らわしい書き方も見方次第では簡体行書と云えるのかも(こじつけが過ぎるか…)。三水の変化は一種の蘭亭シンドローム(?)かな。〜善意に解釈すればそうなります(苦笑)。
http://web.mac.com/saito_sy/iWeb/SAITO%20Yoshihasa%20Website/6E7C54B2-C370-11DA-BCA3-000A95D44250.html
 以下はヒマネタ。〜荒間様んとこで見かけた斎藤吉久氏について検索してみた(↑)。…で、なんかありそうなんで覗いてみたら↓が出てきた。
http://www004.upp.so-net.ne.jp/saitohsy/shodoukan.html
 三つ目の画像はどう見ても「寿福」でなく「春禧」だろ。そりゃあ草書なら「寿」と「春」は上半分が同じだし、下半分も似た形になる事はあるけれど、「寿」は最低でも一度はクルッと巻くから判別容易な筈。理詰めで小一時間は問い詰められそう(笑)。
 でも…基礎指導ヲタの私の方がむしろ神経質に過ぎるのかも知れない。社中に絡んでた頃はよく展覧会の釈文の間違いを指摘しまくってたから、あたしゃ嫌われる素地は元々てんこ盛りだったんだよなぁ…。「福」は上の字と示偏から類推したんだろうけど、旁の何処をいじればそうなると(泣)。巷間には「百福」の掛軸が出回ってるから「その中のどれかだろう」とでも思ったのかな。草略原理を理屈で考えずに経験本位の稽古方式で捉えれば大抵そうなるみたい…と書いたら今、急に安藤股引…じゃなくて安藤百福(台湾出身、呉百福)の日清チキンラーメンが食べたくなってきた(台湾と云えば、先日は李登輝沖縄訪問もあったっけ…)。
うぇっぶ論考() 荒間 宗太郎 - 2008/09/27(Sat)10:32 No.7133
阿倍潰しを彷彿とさせる「麻生潰し」なんだろうな、売国派の福田の時とは大違いじゃ...

で、レイアウトがキャバクラと見間違えてしまうような 編集 | 削除

半日売国派の福田の時とは手のひらを返したようなマスゴミの麻生潰しにウンザリしたので別に話題を探してみた(笑)。
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ニュース!美人スタッフが指名できそうな歯科医のサイト! / 提供:トレビアンニュース
写真{http://news.livedoor.com/article/image_detail/3835870/?img_id=505515}
ミルキーデンタルクリニックとても歯科医とは思えない面白いサイトを発見。
その歯科医とは北海道中央区にある『ミルキーデンタルクリニック』という歯科医だ。
ホームページでは、“スタッフ紹介”で女性スタッフの画像を閲覧することができるのだが、その画像の加工方法とレイアウトがキャバクラと見間違えてしまうようなデキ映えなのだ。しかも女性スタッフ全員がカワイイので、本当に歯科医のサイト?と思ってしますほどだ。スタッフ個別の紹介(名前はイニシャル)もあり、診察時に指名したくなりそうだ(実際はできないだろうが)。
この『ミルキーデンタルクリニック』は、歯の治療だけでなく歯のエステも行っている。またインターネット端末も用意するなど、女性スタッフだけではなく設備やサービスも充実している。
アメリカではStar Trekな歯科医が話題になったこともあるが、歯の治療を渋るお客さんにはこのようなサービスが効果あるのかも?子供用の歯医者なら戦隊モノ歯科医で……。
参照:ミルキーデンタルクリニック{http://www.milky-d.jp/index.html}
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札幌なら行ってみるかな(笑)
単一民族の他にも 波浪規定 - 2008/09/27(Sat)09:07 No.7132
>荒間さん、キルドンムさん、ありがとうございます。
大分県教育委員会の問題は日教組と関係ありますし、何が問題なのか解らない。
問題を産み出した人には、問題発言なんだろうが。(^_^;)
うぇっぶ論考() 荒間 宗太郎 - 2008/09/27(Sat)08:45 No.7131
発言内容は「また、来月1日に観光庁が発足するのに関連した観光行政の課題について「日本はずいぶん内向きな『単一民族』というか、内向きになりがちで、まず国を開くというか、日本人が心を開かねばならない」と発言した。
発言内容自体の発想は「一億層懺悔」と相似ているのでワシは(中山大臣の考えを推し進めていくと一千万人移民説に同調しやすい思想なんだもの)評価しないが、それでもキョーサントーに(少数民族云々で)問題視される内容とは思えない。
しかも キルドンム - 2008/09/26(Fri)23:24 No.7130
 「単一民族である」とはっきり言い切ったわけでもないのですね。「といいますかね」というからには、単なる比喩として使ったに過ぎません。
 そもそも発言全体の文脈からして、なんで疑狸協会(「少数民族」と自称するのは別にかまわないが、荒間様の説かれているように根源的同一民族の中の一支肢に過ぎない)が騒ぎ立てるのか理解できない。もし中山さんに批判すべきところがあるとするならば、発言を撤回したことにあるのでは。
同根の一民族として、それがあった 荒間 宗太郎 - 2008/09/26(Fri)21:47 No.7129
その話題は今日ブログに書いた(^^;;
http://blog.livedoor.jp/aramar88/
話題からずれますが(^_^;) 波浪規定 - 2008/09/26(Fri)21:42 No.7128
中山氏の発言は何が悪いかさっぱりわからん。
日本は公用語が二つあるわけでもないし、民族自治区や国会の民族枠があるわけでもないし。
少数民族が人口の1%もいないのですから、単一民族といっても問題ないでしょう。
野盗やマスコミの真の標的は、中山氏ではなく、ご婦人の方だろう。
神はどんな形に見えていてもよい 荒間 宗太郎 - 2008/09/24(Wed)23:20 No.7127
自律の心の目で見るのだから、神がどんな形で見えていてもよい。
そして、他人にそれを強制しなくてよい。そこのところがどうも斉藤さんたちとは異なるようにワシは感じている。
八木さんと新田さんとは異なるのだろうと思う、女系をはっきり言いそうになっている八木さんはなぅ(苦笑)
【股引の古き寄場を…】礼野狂犬呈 キルドンム - 2008/09/24(Wed)21:49 No.7126
 江サンの真っ赤な行書の題辞、碑前で記念写真を撮った記憶があるがまだ貰っていない。そこでネット検索してみても「ないな」と思っていたら、ふと気がついて現地で買った本(趙州歴史文化研究会編『趙州橋 吉橋肇建一千四百年紀念特刊』)を取り出して見ると、その本の題箋になっていました(書中には2001年に江氏が来た時の記録も)。ええと、簡繁両用というのは、「趙」が繁体なのに、「橋」が簡体で書かれているということね。しかも、最後が明らかに独立した「介」の形になっているのは標準的な簡体字ではないし、偏の第三画も変。「江」「澤」の偏も二つともまったく同じ大きさ・形で(行草では普通、避けるのでは?)、ローマ字の「i」そのもの。
 「民」の十字というのは、ご明察どおり末二画の交叉のことだけど、苹さんの探して下さった例とは違い、こちらはつながっているのですが、その筆つかいが怪しげ。再分析してみるとこんなところになりますが、さて、どんなものでしょう(画像を出せないのがうらめしい)?
 近年の我が国の総理の中で比較的まともな字を書いたのは宮澤サンだったと記憶するが(人間、ひとつくらい取り柄があるでしょう)、「澤」をどう書いていたっけ。江サンとどちらが…^^;
 「信仰」「信心」のことについては、西尾先生がいつぞやの御講演で仰っていた「不定の神」というのとも関聯があるような。実は前から考えていたのだが、同じく「神道」を標榜していても、その辺の神観念が新田さんたちとは大きく異なっているのかも知れない。いや、勿論先生がアメーバ状の神を崇拝しているという意味ではなく…^^;
私の他に信ずるものがあってはならない 荒間 宗太郎 - 2008/09/23(Tue)09:26 No.7125
ってことは「他にもある。フツー」と言うことだから、信仰以外では一神教は成立しない。
比して、ワシ等の多神教(って、すでに信仰はないから宗教ではないけど)は信心なんだな。
正当な日本人で信仰にまで行き着く者は少数だと思うよ、だいたい五パーセントくらいだな。

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