脱ゴーマニズム宣言裁判を楽しむ会議室
1998/02/27(16:48) from 133.205.135.102
作成者 : 上杉  聰(CYI00373@niftyserve.or.jp)
記者会見でのコメントを紹介します
裁判の始まりにあたって
                                                  上杉 聰

 今回被告とされたことを、むしろ私は大変名誉なことと思っています。
 「慰安婦」とされた被害者に対して小林氏が行ってきた名誉毀損にたえかねて私は『脱ゴーマニズム宣言』(東方出版)を書きました。彼に抗議するにすでに深い傷を負っている被害者が前面に立つのは忍びないことであり、日本人がこれに立ちはだかるべきと考えてきました。今回被告となることによって、私は「慰安婦」問題で当事者になれたことを誇りに思うべきと考えるのです。
 また、並み居る小林氏に対する批判本の中で私の本だけが告訴されたのは、私の批判が少なくとも「慰安婦」問題では小林氏の核心を突いていて、本格的に反論する内容を彼の内に見いだせなかったことと、私の本が流布することで小林氏が若者をマンガで洗脳してきた事実が暴かれることを恐れ、この地上から抹殺したかったに違いないと思うのです。
 小林氏のマンガによって、被害者も傷ついたし、彼女たちに思いを寄せてきた多くの人々の気持ちも深く傷つけられました。それを回復するには、痛めつける武器となったマンガそのものを引用することによって人々の眼前に引き出し、その画像がいかに虚構に満ちているかを具体的に示すこと以外、インパクトの強いマンガが作りだした社会的効果を打ち消し、無化することは出来ないと考え、漫画の引用は許されるべきと考えてきました。
 しかし、漫画を引用することが現行法で可能かどうか私にはわからず、執筆に着手することを躊躇していました。また訴訟になる危険性の前で多くの雑誌社や出版社も及び腰に見受けられました。そんな中で、東方出版の今東社長が英断してくださったことと、マンガの引用は可能であるという日本著作権協議会のアドバイスに支えられて執筆ー出版にこぎつけることができました。
 多数の読者が、私のささやかなこの本を褒めてくださり、小林氏の「言論弾圧」に屈するな、と応援してくださっています。東京と大阪では、さっそく「裁判を楽しむ会」が発足し、裁判はもちろんのことですが、内容ですでに勝っているこの小林氏との闘いを、明るく余裕をもって、若い世代に広めようと活動を開始してくれています。
 マスコミ関係者の方々も、ぜひこの裁判に注目し、マンガが重大な人権侵害の凶器になる恐ろしさに警告を発していただきたいと思います。
 なお、小林氏の「著作権侵害」の訴えについては、マンガの引用に関して明確な判例がない状況で起こされました。しかしーー

  1. 『新ゴーマニズム宣言』の出版元である小学館が告訴に加わらなかったこと。
  2. 『教科書が教えない小林よしのり』(ロフトブックス)はじめ『週間金曜日』(12/19)『インパクション』(106号)『ル・モンド』紙(1/30)もマンガの引用を行っていて、とくに『 教科書が・・』には50点もの引用がなされているにもかかわらず、小林氏は全く問題にしていません。
  3. 絵と文章が一体化したマンガの批判のためには、絵を引用する必然性があるのは当然の理です。漫画を批判する権利(表現の自由)がここにはかかわっています。
  4. 『ドナルドダックを読む』(晶文社)や『ルモンド』紙などが漫画を引用しつつ批判を行ってきた国際的常識に日本社会も適合せざるをえないでしょう。
などから考えて、勝訴することは確実と考えています。
 また小林氏は、私が川田君の顔などに目隠ししたことを「同一性保持権侵害」と訴えていますが、これは小林氏の漫画を引用した私自身が新たな肖像権侵害や名誉毀損を引き起こさないための措置であり、小林氏自身もそうした措置を他の場合に行っており、一般的にも認められる行為です。
 本のタイトルや装丁を「不正競争防止法違反」とする訴えについては、私の本の表紙に「これは、漫画家小林よしのりへの鎮魂の書である。」と大書しているのですから、小林氏自身の本と間違えるなどということは考えられません。この理由で私をとがめることも無理でしょう。

 私も、小林氏にマンガで醜く描かれ、あるいは侮辱されたことで、法的には肖像権侵害、名誉毀損などにより小林氏を訴える権利があると考えています。それによって小林氏の本を出版停止することは、この裁判で小林氏が私に勝つよりはるかに容易なことです。しかし、私の目的は表現活動における自由と公平な論争であり小林氏の著作活動そのものを妨害することにはありません。その手段は可能なかぎり控え、言論活動を通じて小林氏への批判を続けたいと思います。ただ、小林氏の悪質な表現活動が今後も継続するとき、この限りでないことはここに宣告しておきます。
 裁判をづつけるということは、注ぎ込む労力や時間、費用を考えるとき、決してなまやさしいものではありません。しかし、私の背後には無数の支援者や、そして「慰安婦」とされた被害当事者の方達の支持と激励があることに励まされ、ここに長い裁判の歩みを始めたいと思います。

                         1998年2月27日  


前の発言へ 次の発言へ List Index