脱ゴーマニズム宣言裁判を楽しむ会議室
1998/03/04(03:58) from 133.3.8.214
作成者 : 大塚 恒平(kyohei@saesparam.com)
とりあえずはおめでとうございます。
大塚@従軍慰安婦情報室(もうすぐ消える可能性大)管理人です。
とりあえず設置おめでとうございます。

でもこういうやり方をとる事に一抹の不安あり...。
お遊び感覚でちゃかすやり方もいいですが、こういうのってマジで「イケ」てないと単なる内輪の盛り上がりだけで外の「イケてる」連中には敵味方問わず馬鹿にされるだけですからね...。
私自身以前メイルで「やるのならばこういう方法は?」みたいなのを送りましたが、それは(今回の訴状の件に関して)自分達が絶対正義と思い込んでおり、そのことをゴー宣上で喧伝している小林氏の主張を、裁判上で客観的視点から問題になるであろう小林氏側の問題点(無許可でのビジュアル作品の引用は小林氏も昔からしている事ですからね)を逐次明らかにしていって彼の主張をどんどん相対化していく事が有効な手法だろうということで、こういうことではなかったつもりなんですけど...。

私自身は、以前のメイルにも書きましたが脱ゴー宣の引用は「やり過ぎ」だと思っています。
ビジュアル作品自体の引用は当然認められてしかるべきであると思いますが、脱ゴー宣では上杉さんが言う程全ての引用が「絶対必要であったもの」とは思えない。
また傷付けられたから目線、という「同一性保持」の問題ですが、これもアリ派側の人間にはそういって目線を入れておきながら、対立する西部氏あたりなんかにはひどく小林氏がひどく書いているカットにも目線を入れていない。
この辺の対応に「敵味方」と線引きをして、ダブルスタンダードな対応をするのはあまり好きになれません。
今回の件に関しては、上杉氏側に十分な問題点があったと思う(確信犯的にやったのならしりませんが)。
しかし、これは小林氏側の戦術的ミスとしか思えませんが、小林氏はその解決に客観的な法的手法を導入してきた。
自分達が絶対正義、問題はないと主張するならば自分の土俵の上だけにしておけばよかったものを、客観的判断が行われる司法の場に解決をゆだねてしまっては、小林氏自身の問題点も暴き出されてしまいます。
私は上杉氏側にも多分に問題はあると思いますが、もちろん小林氏側にも問題はある、その辺を「我こそ正義」と自分で主張する限りにおいてはついてくる人間もいるでしょうが、客観的判断の場に引き出されると自分の側の問題点には目をつぶるというわけにはいかない、その辺の相手側の戦術ミスをどうせなら最大限利用してはどうか、という意味で言っただけで、私は上杉さんに問題がないとは思いません。
その辺の自分達の側の問題点については、裁判をすすめる上で謙虚に受け止めてほしいと思います、何となれば日本の過去の責任についてそれを見つめて認めよと主張している側なのですから。

上杉氏本人にすれば、この裁判は振りかかった火の粉でしょうからどのような形であれ対処しなければならないのでしょうが、慰安婦問題全体としてはこの裁判の経緯がどうなったところで、小林氏の一種の「無謬性」のようなものに一石は投じられるかもしれませんが問題に大した影響はないだろうし、どうも寄り道のようにしか思えない、こんなものに必要以上の労力を使うのが慰安婦のばあさん達の望んでいることなんかなと思うし、ましてそれを「楽しむ」となると私の感覚からはちょっと違うような気がします。
訴えられたのが自分じゃないから他人事のようなのかもしれませんが...。
というわけで私は好意的傍観者の立場にいさせてもらいます。

後、ホームページの内容についていくつか苦言を少々。
「漫画に洗脳される...」という記事がありますが、これはあまりにも読者を馬鹿にしているように思えます。
もちろん、中にはゴー宣をそのまま信じて鵜呑みにする人もいるでしょうが、それは左の側とて同じことです。
そして、インターネット上で議論している人間の多く、その中でも特に真摯で誠実な人達は、自分で資料に接していますし、自分なりの論理で主張しています。彼らは自分の責任の元で発言しています。
それは逆に言えば、もしこの論争が結果アリ派に有利に終わったとしても、彼らがその主張をした責任は小林氏ではなく彼ら自身に帰属します。
私自身、アリ派の主張をしていますが、もしこの論争がナシ派有利に終わったとしても「上杉に洗脳された」等と言う気はありません、私個人の責任です。
そしてまた、仮に「ゴー宣をそのまま信じて鵜呑みにする人」が居たとしても、いや確実にいるでしょうが、その選択すら個人の責任の範囲内の事です。
それを、「ゴー宣に洗脳されている」というのは、あまりに受け手である読者の個を馬鹿にしていないでしょうか。
また、森口さんは「自由主義史観に反する漫画を!」と主張して居られますが、これも安易だと思います。
「蝙蝠を打て!」が面白くない漫画である事は議論するまでもないですが、ゴー宣がここまでの人気が出たのは別に漫画だったからというだけでなく、小林よしのりという希代の才能によってのものです。
(もっとも、私もファンでしたが、彼自身が言うほどすごい才能ではないようには思いますが。彼よりおもしろい漫画家はいくらでもいる。)
漫画で来られたからこっちも漫画で対抗すれば支持者を取り返せる、というのはあまりに安易です。
また、漫画という表現の手法は、その手法自身の特徴として多かれ少なかれ物事の省略化、そして自分が主張したい部分だけの単純化がつきまといます。
そのようなものを極力廃止しようとすれば、今度は単なる主張の絵解きになり、漫画としておもしろいものではなくなります。(「蝙蝠を打て!」がまさに好例ですね。そして、その「蝙蝠を打て!」ですら省略化、単純化からは逃れられなかった。)
その漫画独自の手法に翻弄され、まさにその辺を問題として脱ゴー宣が出され、そして裁判でも争っていこう、と言っているのに、自分達の側でもそういった手法が使えないか、と言うのは本末転倒のような気がします。
相手の側はプロパガンダ、自分達の側は論理で主張する、というのならばそれに徹してほしいと思います。

最後になりますが、吉田証言の問題点と秦教授の済州島調査、吉見教授の資料集刊行辺りに関する事実確認について質問を出していた件ですが、このホームページを読んで大体判りました。
まあ予想していたような形でした。
私は納得しましたが、ナシ派の人間は納得しないでしょうね。
まあそれは小林氏の結論に対し、ナシ派は納得するがアリ派は納得しないのと同じでしょうから気になさる必要はないと思いますが。

以上です。


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