脱ゴーマニズム宣言裁判を楽しむ会議室
1998/03/15(22:39) from 133.205.76.108
作成者 :上杉聰(CYI00373@niftyserve.or.jp)
「信者」さんへー道徳と法律はまったく別か?
 もし、道徳と法律がまったく別のものならば、「法律の不備」なんていう言葉は存在しないでしょう。法律は、なるべく道徳に近いものであるべき、という考えがそこにあります。
 逆に「法は最低限の道徳」という考え方もあります。つまり強制力をもつ法律は、高度な道徳よりレベルは低いが、道徳の最低限の基準になる、というものです。
 裁判で問われるのは、おそらく、こうした道徳と法律の絡み合いの中での総合的判断でしょう。どちらか一方が欠けた論議は、現実性を持たない議論です。法律と道徳はまったく無関係でよい、とは誰も思わないからです。「信者」さんは、私と小林氏との争いに関して、この法律と道徳の絡み合いをどのように考えているのでしょうか?
 ちなみに、あなたの「教祖」さんは、著作権法という法律は、マンガの絵部分の引用を許さないと解釈すべきであり、そのことは漫画家の努力や労苦の成果を守ることにな、したがって道徳的であるという意味の主張をしています。したがって、もし彼が裁判で負ければ、「法律の適用が不当であり、その結果、不道徳(「マンガのドロボー」)を容認した」という意味の批判をする筈です。
 逆に私も、「記者会見でのコメント」に書いたように、「不道徳なマンガを批判する際、それを引用することは許されるべきだし、それが許されないならマンガによる犯罪ないし不道徳(「慰安婦」の被害者への名誉毀損や虚偽の宣伝など)がまかりとおることになる。私は、犯罪・不道徳を黙認し、加担したくないので『脱ゴー宣』を書いた」という立場です。
 ところで、「信者」さんも、私の文章を三行引用しています。私はそれについて許可していません。それは、あなたの言う「転用」であり「無断転載」ではないのですか? それは道徳的かつ法律的に有罪ではないのですか? もしそれが問題ないということをあなたが論証できるのであれば、その次には、マンガの引用と文字の引用と、どこがどう違うのか、答えてください。大いに論争しませんか?
 それから、誤解ないようにお願いしたいのは、このページは私が作ったものではありません。「楽しむ会」のみなさんが作ったもので、私のアイデアでさえありません。
 そしてもう一つ、私は小林君を憎んだりしていません。ただ、彼が「慰安婦」の人たちを傷つけた罪を憎んでいます。かつては彼個人が好きでしたが、弱いものいじめをマンガでするようになって嫌いになりました。個人的には、憎んでいるというより、むしろ無関心です。社会的重圧の中で方向を誤った人、と考えています。そして漫画家としての創造力を失った、つまり漫画家としての生命はすでに終わったと考えています

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