脱ゴーマニズム宣言裁判を楽しむ会議室
1998/03/19(07:01) from 143.90.207.195
作成者 :スグル (series@anet.ne.jp)
「脱ゴー宣」の論理について話し合いましょう。
今度は「脱ゴー宣」の論理について話し合いましょう。
上杉聰氏は忙しい身ですし、皆さんの意見、聞かせて下さい。
今井さん、信者さんとの議論、横ヤリですいません。ちょっと気になる部分があるので。

(今井さんの文章から)
>僕が不思議でならないのは、上杉さんはきちんと礼儀を守って、小林さんの作品を完全な形で引用しているのに、ぎゃくに小林さん自身が、自分で自分の作品をおとしめるようなこういう主張をしていることです。ほんと不思議でならないので、これからもこの謎を解くために、裁判の進展に興味津々で関心をもっていくつもりです。

「完全な形で引用している」つまり「よしりんの主張を正確に引用している」という事でしょうか。これには僕はどうしても疑問を持たざるを得ないですね。それは何故かと言いますと、以下のような感じです。

まず相手の論を批判する場合、要点を絞って出来るだけ短く略して引用するのは物書きなら誰でもする事で、それには別に文句はありません。あまり長くなると読者も疲れますしね。しかし批判する相手の「文脈」を変えてしまうほど省略してはいけないのでは…と思うのです。
あの引用の仕方では全体として「よしりんの言葉が正確に読者に伝わる可能性」が極めて低いと思うんです。途中のよしりんの論理に対する省略があまりに極端で、文脈が完全に殺されてしまっている感じなんですね。

例えば「『強制連行あった』『なかった』は順序が逆!」と題した第5章。吉田清治氏に関する云々はすでに「新ゴー宣」の55章で指摘されているのでここでは触れない事にします。この章で上杉氏は「捜査のプロなら、被害者の訴えを受け止め、それが犯罪として立証できるかどうかを確かめるものだ」とした上で、よしりんが

>「やっぱり証言はどうにでも作れるのだ。あっちに元慰安婦の証言、こっちに元兵士の証言、これでお互い相殺だ」

と言っているコマを引用し、これに対して「被害者の訴えを聞いた警察官がすぐ加害者側に『あんたやったの?』と尋ねにいって、『やってない』と答えられたら『これでお互い相殺だ』と言うのかい?」と反論し、被害者の訴えに耳を傾けろ、肝心のことから逃げるなと憤慨しています。

「被害者の証言は加害者の証言で相殺できる」…確かにこれは非常識ですね。ではよしりんがその「非常識者」に当てはまるか?と言えば答えは「NO」です。
このコマのセリフはあくまで前の文章の流れを受けての言葉である、ということです。前文でよしりんは秦郁彦氏の論文の中から故金学順氏の訴状・証言を抜粋し、裁判所、韓国、来日時、全て場所が変わるごとに証言がコロコロ変わっている事、確実に証言にウソが含まれている事を指摘しています。
「慰安婦の証言には証拠能力が無い」と主張しているのです。同様に兵士も然り。証拠能力の無い証言には全く意味はありません。これはよしりんに限らず、自由主義史観派の言論人が常々主張している事です。つまりこの引用の仕方だと、よしりんの人間像が誤解されてしまうのでは…と心配になるんです。まるで「論理も人情も無い人」のような印象に仕上ってしまっています。

そしてここで問題になってくるのは、上杉氏が兵士及び日本軍を完全に「加害者」と断定している事です。なぜ断定できるんでしょう。実に不思議です。
これは上杉調に言えば、「警官でもない人間が被害内容を勝手に決め、人を犯人よばわりする行為に等しい」のではないでしょうか。
細かいですが、今の段階なら(あくまで「上杉氏の立場」としてならば)「容疑者」ぐらいにとどめるべきだったのでは、と思います。もちろん僕自身は日本軍が「加害者」だったとは思っていません。
いかがでしょう。皆さん、どう思います?

P.S
ちゃちゃちゃの方にも来て下さいね。アドレスは
http://www.dix.or.jp/~kaien/nihon/index.html
です。それでは。


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