脱ゴーマニズム宣言裁判を楽しむ会議室
1998/03/28(11:44) from 133.205.79.116
作成者 :上杉 聰(CYI00373@niftyserve.or.jp)
スグルさんへーーすぐに返事しないことの大切さ
 いやぁ、素早いレスですネ。私の場合、すぐお返事する余裕がないというのもありますが、なるべく時間を置いて穏やかな気持ちでメールを送りたいと、仕事の合間に少しずつ書きためては読み直し、文章の完成までに時間を置くようにしています。そのため返事が今日になって失礼なのですが、あなたと議論し始めて、改めてそれも大切だと思うようになってきました。

(>以下はスグルさんの文章から引用)
>「『プロの描いた絵』を無断で多数引用して金を稼いだ事」がはたして合法なのか?
>というのが裁判の焦点ですから。

 残念ながら、裁判でそれは「焦点」にならないと思いますよ。まず、「プロの描いた絵」であれ、「アマチュアの描いた絵」であれ、著作権法で守られているという点では「等価」なのです。たとえ私の下手な絵であっても、文章であっても、それを無断で「転載」したら違法です。あなたの文章もそうてす。
 しかしーー繰り返しますがーー「引用」の範囲内であれば、それがたとえプロの手になるものであっても著者の許可は必要ないし、完璧に無断でやってよいのです。ですから、あなたのいう「無断で多数引用」は表現自体に矛盾があるのです。無断でできるのが引用なのです。
 また引用の点数が、あなたのおっしゃるように「多数」であっても、引用する文章の側と引用される著作物との間に主と従の関係など(前回のメール参照)がしっかり守られていれば問題ないのです。そして主と従の関係があるということは、すなわち引用する側の文章がその著作物のメインであるということですから、”他人の著作物で金を稼いだ”という非難は成り立たないのです。
 それは、私の『脱ゴー宣』はもちろん、誰かさんが書いた『朝日新聞の正義』も同じ事です。”れっきとしたプロの新聞社が作った記事をネタに本を書いて金を稼いだ”という批判はどなたもやっていませんね。
 ですからこの裁判の争点は、引用が適法の範囲にあるか、あるいは逸脱していて違法なものであるか、ということになる筈です。
 ただ、おそらくスグルさんは、引用に画像は含まれないのではないか、絵ならば引用する場合にも著者の許可を取ることが必要ではないか、と考えておられるのだと思います。そう考えるのは、きっと自然な疑問でもあります。私にもその疑問があったので、『脱ゴーマニズム宣言』の執筆にすぐかかることができず、日本著作権協議会に相談したことは、このコーナーの開始直後に入れた記者会見でのコメント「裁判の始まりにあたって」に書きました。その結果、現行法で画像の引用はできる(もちろん無断で)ということを知ったのです(詳しくは「信者」さんに対する今井さんとハンスさんの書き込み参照)。
 スグルさんも他人を批判するというのであれば、お互いにどんぐりの背比べ程度なのですから、もう少し慎重になって、まず少しは自分でも調べて、根拠となるものを持ってから私を批判するか、それが持てないのであれば、調べてみたがこういう疑問がある・・というのが、人としての発言のモラルだし、最低限のルールだと思うのです。ところが、小林君のマンガを読んだだけですぐ他人の批判を始めることができるというのが、私は不思議で、理解できないことなのです・・・。私が「マンガに洗脳されてしまう若者」と批判するのはそういったことなのです。なぜ自分で調べもせずに他人を批判できるのか、正直な気持ちを教えていただければ幸いです。

>吉田証言について。残念ながら僕は実物を所有していませんので、全文を見てはいないのですが、吉田氏は「週刊新潮」のインタビューで「本に真実を書いても何の利益も無い」「カモフラージュした部分もある」などと答えたと聞いております。つまりフィクションですよね。

 ちょっと待って!「聞いております」ということは、第三者からの伝聞ですよね。つまり、あなたが自分自身で吉田さんに当ったり、彼が書いたものを読んで確かめたことではないのですね。それでは、内容ある文章や発言になりません。また、「・・と聞いております」までと、結論の「つまりフィクションですよね」との間には、論理に飛躍があります。まず、スグルさんが私にレスを送る前になすべきだったのは、その「週刊新潮」を捜し出すことではなかったでしょうか。(わからなければ、あなたに話した人に尋ねればよいでしょう。号数さえ分かれば、週刊誌を専門に置いている図書館もありますし、出版社に尋ねてもよいでしょう。)
 その上で、上のような発言が本当にあったかどうかを、それを読み込んで確認し、本当に本人が「フィクション」と認めているかどうかを判断することが、第一の作業ではなかったでしょうか?(済州島に吉田証言をウソだと言う人がいることには他の理由が考えられる<『私は「慰安婦」ではない』東方出版206〜207頁>)ので、それだけでは「フィクション」とする根拠になりません。)
 私への返信はそれからでけっこうだった筈です。ここでは内容ある議論をしたいですから、伝聞の上に論を立てるなんてことはやめませんか。

>上杉さんはプロで、僕は単なる素人学生の一読者ですからねえ…。

「私はアマチュアだからそんなことは必要ない」とは言えません。自分が書いて公表することには、自分自身で責任をもつべきです。文章が人を傷つけることもあるのですから。そしてあなたが学生ならばなおさらのこと、一番大切なことは、他人の言説や噂に左右されないで自分の判断を確立する方法を会得することではないでしょうか。他人の主張を受け売りすることから抜け出す力を、どうか今のうちに養ってください。
 そのためには、「時間」が大切な要素だということを考えておいてください。事実を確かめ、その事実に思いをめぐらせ、そこから沸いてくる考えを発酵させ、やがて上澄みのように透明な自分の考えが形成されます。そうするには、ある程度の時間が必要なのです。つまり表現を急いではならないのです。正確に考え、判断するためには、事実を確かめ、考えを整理するために相応な時間が必要なのです。文章も同じです。発酵のための時間をもたない文章は、壮大なゴミの一部になる危険性があります。
 最後に、「慰安婦」問題のプロなんていませんよ。みんな正業が他にあって、ボランティアでこの問題をやっているのです。より多くの時間が割けるあなたの方がよほどプロと言えるかもしれません。ただ、誰かの考えにしたがってでなく、自分の目で確かめ、自分の頭で考える人だけが、いつの場合も本当のプロになる資格を持つのだと思います。


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