脱ゴーマニズム宣言裁判を楽しむ会議室 |
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1998/03/28(12:29) from 133.205.79.65 |
作成者 :上杉 聰(CYI00373@niftyserve.or.jp) |
小林君と心中しないで! |
スグルさんと悟のぱぱさんから、『脱ゴー宣』での私の引用方法について書き込みがなされました。批判の趣旨は、拙著の29ページに小林君の漫画のコマを引用したのは、彼の主張を歪曲するものだ、ということだと思います。引用するな、というところから、今度は引用の仕方が悪い、あるいは少なすぎる、というお叱りのようです。 ある文章が、次のような構成になっていたとします。 (1)AはBである。 (2)BはCである。 (3)だからAはCである。 たとえば引用する際、(2)だけを抜き出して単独で引用することは当然できます。私が当該のコマを引用したのはそうしたもので、何ら問題ないと思います。お二人は、(1)あるいは(3)と切り離して(2)だけを独立させて引用すると、文脈と矛盾した理解を生む、とおっしゃっているようですね。だとすると全部を引用せよ、ということでしょうか? そんなムチャは言わないで下さいよ。それでは引用ではなく転載、つまり小林君のマンガをそのまま何頁も引っ張って来るしかないじゃないですか。それを小林君に無許可でやったら違法行為です。どうか私に犯罪を教唆しないで下さい。 「文脈を無視してはいけない」という意味は、文章やマンガの各単位が独立しつつ、文脈として相互に結び付いているので、前後と矛盾した理解をそれぞれの単位に対して行なってはいけない、ということであって、前の文脈との関連「だけ」で、あるいは後ろとのつながり「だけ」でその単位を理解せよということではありません。独立して一つの単位となっている主張は、そこにしか見られないものであり、その主張の独立性までを否定するのは、逆に歪曲になります。 上で言えば、「BはCである」という主張は、そこにだけあるものです。ただし、その「B」を、その前の「AはBである」という主張と対立するものとして理解してはいけないし、「C」を「AはCである」という文脈と相矛盾するものと解釈してもいけない、ということにすぎません。ですから、引用においても、そうした曲解を行なわない限り、「BはCである」という箇所だけを抜き出して引用することに何ら問題ありませんし、今回の場合も、「あっちに慰安婦の証言・・こっちに元兵士の証言・・これでお互い相殺だ」という主張を小林君が行っていること自体はスグルさんも認めておられるのですから、全く同じ事です。物理学徒さんが、引用で他の箇所を「取り上げなかったこと」=「無視」ではない、とおっしゃっていることに尽きると思います。 お二人の今回の問題は、むしろ別のところにあるように思います。それは次のようなことです。上のように、それぞれの独立した論理の単位が、相互に関連しつつ全体の主張をなしているということになると、もし、その中の一部、たとえば(2)が成り立たないとしたら、(3)も成り立たなくなる可能性があるということです。お二人が感じられた危機感は、私の引用方法への批判の姿を借りながら、実は、小林君がデタラメな論理を主張しているコマを私が指摘したために、彼の論理全体の破綻を予感させたということにあるのだと思います。 そのため、お二人は、その「問題のコマ」を前の文脈の中に解消させようとしたり(スグルさん)、それと関連する別の主張に目を移させよう(悟のぱぱさん)としておられるのではないでしょうか。しかし、一読して分かるとおり、このコマは、他の部分と関連しつつも独立した論理を保つ一単位となっています。これを他と切り離して、その前後の文脈と矛盾しない範囲内で引用することに、なんら問題ありません。 むしろ問題なのは、この「問題のコマ」をなんとか隠そう、あるいは別の解釈を付けて論理破綻を見えなくさせようとするお二人の姿勢です。スグルさんは「よしりんがそんなズサンな論拠で話を進めるわけがありません」と書き、悟のぱぱさんは「小林よしのりのしたかったことは」と、「彼はそんな人ではない」とか、彼になり代わって弁護していることです。「小林君はこんな人だ」という思い込みが強すぎはしないでしょうか? お二方のような小林ファンにとって、あこがれの対象を批判している私は、ファンをも傷つけていると感じておられるのでしょうか。確かに人を信じることも大切です。しかし、人への評価は、本人が自分をどう表現しているかではなく、「何をやっているか」で判断すべきです。事実から出発する必要があります。 私も以前は、小林君が平気でムチャを言ったりデマまで描く漫画家とは思っても見ませんでした。しかし、彼のマンガを隅々まで検討して、私は愕然としたのです。嘘や歪曲に加えて他人の借り物でしかマンガを描けなくなっている事実を知り、漫画家としてすでに死んでいることに気付いたのは、わたしにとって大変なショックでした。 スグルさんは小林君が「慰安婦の証言を実際に『検証』した」と書いておられますが、すべて秦郁彦さんからの借り物ではないですか? 彼がもし「検証」を自分でやったのなら私も評価します。彼のマンガには、彼の独自性がほとんど無くなっているのです。それは辛いけれど、受け入れるしかない現実なのです。どうか真実を見る勇気を持ってください。 そして、彼をファンが批判しなくなったとき、ヒイキの引き倒しが起こります。本人が反省して引き返す道を閉ざすのです。ファンであれば、彼の誤りは誤りとして指摘し、暖かく忠告し、批判してあげるのが筋です。あなたたちまで彼をいっそう腐敗させたり、一緒に彼と心中してはいけないのです。 なお、先程のコマの「前」の部分については、『脱ゴー宣』の第6−7章で、「後ろ」の部分については第19章で、それぞれ章単位に独立させて詳しく批判しています。「引用」というのは、引用する文章が主、されるほうが従の関係になければなりません。私は、私の文章が持つ行論の必然性の中に彼のマンガを位置づけて引用しているのです。ただし、削り過ぎて彼の主張を歪曲しないように、絵も引用しつつ・・ |
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