脱ゴーマニズム宣言裁判を楽しむ会議室 |
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1998/03/28(21:54) from 133.205.76.81 |
作成者 :上杉 聰(CYI00373@niftyserve.or.jp) |
証言は証拠なのです! |
スグルさんと悟のぱぱさんから私へのご質問に、証言の価値に対する疑問がありました。「証言はあやふや。客観的な根拠を示せ」というわけです。 私は歴史の研究者です。歴史と裁判にはよく似ている面があります。それは、事実の認定方法です。その根拠となるものには物証、書証(文献)、人証(証言)の三つがあります。通常、一番確実なのは物証だと考えられています。なにしろ動かしがたい証拠ですから。ところが、これだけだと、そこから浮かび上がる事実は極めて乏しいものになります。たとえば、文字のなかった縄文時代や弥生時代の社会のありさまは、土器や石器。墓や建物の遺構などの分析から推測するしかありません。まして、その時代の人々がどのような思いをもって生きていたかなんて、だれも想像しかできないのです。 文字が生まれると、文献を手掛かりにして社会の仕組みが分かってきます。裁判でいえば書証に当たります。これで税の仕組みとか複雑な政治のあり方まで解明できるようになります。邪馬台国がどこにあったか、婢弥呼がどんな女王であったかなんていう、今も続いている大論争も、日本における考古学の物証だけからでは、問題にすらならなかったはずです。それらの記録が中国の文献に出てきたから初めて問題になっているといってもよいでしょう。「魏志倭人伝」を読まなければ、日本ではそうした問題意識さえ持たないままに、今も別のことを考えながら穴を掘り続けていたかも知れないのです。 逆に、邪馬台国当時、日本列島の内部にもし文字があったら、こんな大論争が起こる余地もありません。出土する弥生時代の遺跡に「あそこが邪馬台国」と書かれた文献がないのがなんとも悔しいのです。このように、物証は確実である代わりに、文献(書証)と比較するとき極めて限られたことしか語ってくれないのです。 しかし、文献(書証)にも大きな限界があることが次第に自覚されてきました。それは、文字で表されるのは人々の生活全体や社会全体のごく一部分だということです。文書の多くは、行政機関による法令に関するものであったり、定式的な手続きにもとづいて書かれたもので、主に為政者側の必要性と関心に従って作られたものです。一方、行政から把握されない民衆の生活や思いが文字にされるのは、極めて稀です。 文献にも限界があるという自覚は、とくに、文字を知らない人、文字の記録による把握からまぬがれている貧しい人たちーーむしろこの人たちの方が数としては圧倒的に多いのですーーに関して、「記述がない=歴史がない」として、歴史家がその存在すら抹殺してきたことへの反省があるのです。とりわけて、社会の半分を構成する女性が、自ら文書を残すことはほとんど稀でした。文字に残された歴史も、全体のごく一部しか表していないのです。 ここから、証言による歴史構成、つまりオーラル・ヒストリーの重要性が近年叫ばれてきたのです。証言は、物証のように、それだけで確実とばかりは言えませんが、物証や書証が語る側面が圧倒的に狭い範囲に限られているのと違って、人々の心理もふくめて、証言ははるかに多くの情報を含んでいるからです。証言が歴史の大きな空白を埋める可能性を持っているのです。 証言とは、このように、それ自身が証拠の一つであり、そこには勘違いや嘘などが入り込む弱さもありますが(その点は、書証でも偽文書などの問題が起こります)、もしそれが表す豊富な事実や人々の秘めた思いなどが欠けてしまえば、歴史は巨大な空白を残してしまうという大変に重要な位置を持っていることが自覚されてきたのです。裁判においても証人は、書証・物証などと並んで位置づけられる証拠の一種類に数えられています。「証言は証拠にならない」という主張は、こうした歴史学や裁判での証言の価値の大きさを無視するものです。「証言は証拠」なのです。 またスグルさんも悟のぱぱさんも、証言は書証や物証で裏付けられなければ有効ではないと考えておられるように思いますが、ある証言が他の物証・書証・証言と矛盾や対立しない場合は、それ自体が一つの証拠となります。さらに、その証言者と異なる立場にいたり、証言者と無関係な位置にいる人からはっきりと同じ証言が得られる場合、その証言は決定的な証拠となります。 その点で、元「慰安婦」として名乗り出た方たちが、現在は相互に全く無関係な場所に居りながら共通の発言をしていることは、十分な証拠となります。「騙されて連行された」という証言は海を超え、国境を超えて無数に出てきているのです。これを事実と認定することにほとんど問題はありません。 さらに、その証言者と立場や利害が対立する人から同じ証言が出れば、さらに有力になります。「慰安婦」問題をこの社会から抹殺したいと願っている人たちが、吉田証言や元兵士の証言を、「証言は証拠にならない」と言い続けている理由はここにあります。(客観的に見て)加害の立場にいた人と被害の立場にいた人との証言が一致すれば、事情をよく知らない第三者の目撃証言より証拠能力は高いのです。小林君が元「慰安婦」と元兵士の証言を相殺しようとした「問題のコマ」がいかに重要なトリックとなっているかは、これでおわかりでしょう。 では、被害者の証言が変わる場合、その証言を信用できるのか、という問題があります。「確実にどれかはウソじゃないか」というわけです。そうです、どれかはウソですが、しかし逆に、どれかは真実の可能性が残されています。歴史の空白を埋め始めようとしている貴重な証言というものを、「だから証言は証拠にならない」と言って切り捨てたら、もとの空白が残るだけです(まさにそれを目的にしている人がいると思うのですが)。 証言の中には確実に何らかの真実が含まれているのです(『脱ゴー宣』第6章)。それが何かということを、他の証言、物証、書証と突き合わせて浮かび上がらせていくのです。体験者だけが語りうる言葉というものもあります。こうした手続きが、裁判や歴史で行われる事実の認定方法なのです。 吉田証言について言えば、このHPの「続・脱ゴー宣」のコーナーにも書いたように、彼の本には、事実を並び変えたり、他の人の体験を加えたりしている面があると考えられますが、個々の事実を嘘と断定できるような矛盾が、他の書証との間にはないのです(他の証言との間に対立はありますが、どちらが嘘であるかまだ断定できません)。もし、「その事件は私の村で起こった」という新たな被害者側の証言が出てくれば、吉田証言のその部分は確定的なものとなりますし、まだその可能性が残されている証言と考えられるのです。 金学順さんの証言の変化については、吉見義明さんが『「従軍慰安婦」をめぐる30のウソと真実』(大月書店)の73頁以下に書いていますのでそれをご覧下さい。私も『脱ゴー宣』の第6〜7章で書いています。批判する人は、最低限、これらを読んでからまた書き込みをお願いします |
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