脱ゴーマニズム宣言裁判を楽しむ会議室
1998/04/01(23:23) from 133.205.79.42
作成者 : 上杉 聰(CYI00373@niftyserve.or.jp)
「悟のぱぱ」さんに まいりました!
 「悟のパパ」さん、引用に関しての先回の私の説明に、ある程度納得していただけたでしょうか。つまり、ーー

(1)AはBである。
(2)BはCである。
(3)だからAはCである。

という三つの独立した論理の単位から構成される文脈があったとすると、たとえば(2)を、文脈と矛盾しない意味内容で抜き出して引用することに問題はないと、先に私は書きました。
 それを「悟のぱぱ」さんは、「論理的には」納得しつつも、ーー

>でも、主張を歪曲しないということの説明としては、全然意味が違ってきます。

とおっしゃる。
 これまでは、小林君が描いた例の問題コマ<「慰安婦と元兵士の証言は相殺できる」とするコマで、上の(2)にあたる>を私が単独で引用したことが、彼の論旨を歪曲することになるかどうかという議論をしていたのですよね。
 それを、今回あなたは、問題を小林君の「主張」へと話をずらした上で、少しずつその「主張」の意味を、通常の使い方と異なって「結論」を指すものへと強引に切り縮めながら、ついに「もし主張の引用をするのでしたら、別に(2)なんか必要ないんで、(3)だけ引用しなさい、って」とおっしゃる。それは、ちょーーっと強引すぎるのではないでしょうか?
 独立した論理をなしていることが認められる(2)を、なぜ単独で引用してはいけないのでしょうか? 結論に至るには、論理の「過程」というものがあります。その「過程」そのものに論理破綻があるとすれば(小林君の場合、もちろん「前提」にも「結論」にもそれはあるのですが・・)、それを単独で問題にしてはいけないのですか? 
 それをしてはいけない理由を、あなたは、次のようにおっしゃっていますーー

>(1)この男性には子供がいる。
>(2)子供がいる男性はお父さんである。
>(3)だからこの男性はお父さんである。
>ここで「子供がいる男性はお父さんである」には論理的矛盾はないですが、それが私の主張でしょうか?そんな主張をするやつは単なる馬鹿ですね。当然、私の主張したいことは、「この男性がお父さんである」ということではないでしょうか?ま、これが普通の解釈ですわな。

 このようにして、あなたは、(2)を引用することには意味がない、(3)というあなたが「主張したい」結論だけを引用せよ、とおっしゃるわけです。
 まいった! まいった! なんと、この場合の(1)〜(3)はすべて同じ意味内容ですね。(2)と(3)は(1)を言い換えたものに過ぎません。(1)があれば、(2)がなくても、必然的に(3)という「結論」がでてきます。これらを、論理でつながった「文脈」とは、とても言えませんね。
 これでは、(2)どころか、結論の(3)さえ、本来、論理的にはまったく書く必要はないのではないですか。ただ、言い換えによって、表現だけは変わってきますから、「この男性はお父さん」と、ご自身のことを語りたい気持ちをはよくわかります。しかし、ふつう、これは、詭弁と呼びます。
 たとえば「悟くんのパパ」を例にとると、上はーー

(1)悟にはパパがいる。
(2)パパは悟を子供にもっている。
(3)だから悟は悟のパパの子供である。

くらいの内容の文章です。(1)さえあれば(2)(3)は、書くだけ無駄な部分ですよね。これが、もしーー

(1)パパには悟という子供がいる。
(2)悟と聰は兄弟である。
(3)だからパパは聰のパパでもある。

とでもして、論理の内部に新たな展開を含めば「文脈」と呼ばれるものになります。この場合、「悟と聰は兄弟である」という命題は、それ自身で大問題として議論する価値がありそうですよね。私が引用した例の小林君による「相殺の論理」の問題コマとその前後は、まさにこのような文脈になっているのです。
 さらに言えば、この中で、たとえ小林君の「主張したいこと」が(3)であったとしても、もし(2)が成り立たなければ(3)は成り立ちませんね。「主張したいこと」が(3)にあるからといっても、その前提になっている(2)が間違っている時、結論の「(3)だけ引用しなさい、って」と言うのでは、本当にその人の主張を批判したことになりませんね。
 あなたは、「小林よしのり氏のしたかったこと」(3月24日のあなたの書き込み)という言い方で、彼の意図を強調して弁護してきましたが、問題は客観的に彼が何を主張しているかであり、それが正しいかどうかです。意図は別としても、客観的に間違った主張まで擁護するというのは、同じように間違っています。それは彼の論理破綻をインペイすることです。ファンとして彼を守りたい気持ちはよく分かりますが、成り立たないことまで主張すれば、物理学徒さんの言う「強弁」にあたります。
 あなたからすれば「理屈はめちゃくちゃでも、言いたいことは**だ。だから小林君の気持ちを分かってやれよ!」といった話なのかもしれませんが、その「めちゃくちゃな理屈」が歴史の事実を見えなくさせるカラクリになっているのですから、それはそれとしてキチンと批判する必要があるのです。
 パパさんは一方で、こうした「強弁」をしながら、他方では自分は「懐疑論者」にすぎず、そうした者に対しては、「支持者に対する以上に懇切丁寧に説明をし、その正しさを論証するべき」とおっしゃいます。
 ごまかしてはいけませんね。甘えてもいけませんよ。あなたも人のパパであればなおさらでしょう。私は忙しい中で全ての人と議論をするなんてできません。だから、本を書くことでそれを果たそうとしてきましたし、他にこんないい本もありますから、それを読んでなおかつ問題があれば、その上で批判してください、といっているのです。これでも精一杯、あなたたちに答えているつもりですから、質問する前に勉強してほしいし、そうした姿勢がなければ、あなた自身にとっても時間と電力の浪費になります。そして、問題を整理して議論しなければ、この狭いスペースで全部取り上げることなんてできません・・。  3/31記
 
P.S.これを一旦書き上げた後、スグルさんが朝の4時とか5時に書き込んでくれているのを見つけました。これも、まいった!まいった!です。本文をもう一度書き直すのは大変なので、内容的に関連のある部分に限定して触れておきますと、スグルさんがおっしゃるように、ある箇所を引用する場合、もとの著作の前後の文脈を「要約」して載せる必要が必ずしもあるとは言えません。それは、引用する側の文章の流れをそぐ場合が起こりうるからです。そこをどうするかは執筆者に決定権があると思います。スグルさんも、このHPでの私の書き込みを引用するとき、まったく前後の文脈説明を付けていませんね。

P.S.2私は、これから大変忙しい一週間に入ります。悟のぱぱさんやスグルさん、森永さんに証言の評価の問題と国家賠償の問題について返事を書きたいのですが、すぐにはかないません。なんとか一週間後には書き始めたいと思いますが、それまでに、関心のある方は、このホームページの「続・脱ゴー宣」のコーナーにあるリニューアルした「マンガに洗脳されてしまう若者たち」を読んで、賛成・反対どちらでもけっこうですので、みなさんの感想を、この会議室に書き込んで下さいませんでしようか? 私は次回に、基本を「マンガに洗脳・・」をもとに説明したいと思っていますので、感想・疑問があれば、それも加えて書きたいと思います。私の都合で勝手なお願いになりますが、どうかよろしくおねがいします


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