脱ゴーマニズム宣言裁判を楽しむ会議室
1998/04/05(00:45) from 202.211.65.83
作成者 :悟のぱぱ(ymaeda@ps.inforyoma.or.jp)
こばさんへ
こばさん、こんにちは。
最初に、

>悟のぱぱさんが言う「誰からも批判されない」立場から味方に弓を射るような行為ではなかったかと恥ずかしく思っています。

との事ですが、私のあなたへのお返事の真意は、あなたのような方ならば私の気持ち、心の変化について正確に把握してくださるだろうという期待からで、あなたが誰からも批判されない立場で発言したという非難の意図では全くありませんし、そんな事思ってもいませんでした。
あなたは、十分、ご自分の立場を表明した上で上杉さんへ正直な批判をなさっていますし、今回のあなたの投稿も大変素晴らしいものだと思います。私もかなり考えさせられるところがありました。

と、いうのは私の身の回りには在日韓国人の方はいらっしゃいませんし、血縁上のつながりもありません。でも、もし、私の身の回りや近親者に在日韓国人の方がいたら、果たして、”日本国による強制のありやなしや”で「ない」という選択を取ったであろうか、という疑問を感じたからです。
こばさんの文章を読むと、上杉さんや、その「運動」に対し、全く私が感じている疑問とほぼ同じ感想を抱いておられます。ですから、私とあなたとの違いは単に「当事者意識」だけなのかもしれません。

こばさんは、スグルさんや私が、

>慰安婦をさらに傷つけたり、嘲笑するような態度は一切とっていない。
>慰安婦の心情については深く察していらっしゃる(と思える)

と表現してくださいました。無論、その気持ちは持っているつもりですが、あなたが思っているほどでしょうか?実は、私はそういう気持ちを持っている「つもり」だけなのかもしれません。
あなたはほめてくださいましたが、私にとっては、このあなたの言葉がもう一度私自身の「心の持ち方」を初心に戻って見つめ直すよいきっかけとなりました。

>「広義の強制連行」は「国による強制」の後にさらに明らかにすべきことと位置づけておられます。
>これが自由主義史観の考え方であるなら、私も”慰安婦支持派”などという造語でなしに”自由主義史観”の者です、と表明した方が正しいと思います。

これは、お断りしておかねばなりませんが、「広義の強制連行」は「国による強制」の後にさらに明らかにすべきことと位置づけているのは、私個人の考えでして、自由主義史観のみなさんがそうだというわけではありません。
というか、私の中で自由主義史観というのは、イデオロギーを排除し、禁忌を排し(ほら、戦争って考えるだけで不道徳って雰囲気あるでしょ)、実証的に歴史をとらえ直そうという「姿勢」ではないかと思います。そういう意味で、私は自由主義史観論者です。まあ、よく考えれば、実は当たり前の事なんですよね。
ですから、あなたの文章を拝見すると、やはりあなたは自由主義史観論者です。敢えて立場を表明なさるまでもなく、ね。

>長い、くずエッセイみたいになってすみません。
>前回の投稿はかなり背伸びして書いたので。これが本心であり、表現能力の限界です。

とんでもありません。
正直、私はあなたとまたお話ができたらいいなと思っています


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