脱ゴーマニズム宣言裁判を楽しむ会議室
1998/04/04(00:25) from 202.211.65.84
作成者 : 悟のぱぱ(ymaeda@ps.inforyoma.or.jp)
Re: 吉田証言についての見解
あれくさん、こんにちは。

>恐らく吉田さんもそういった事は予想していたものの、あまりにも反発がきつく……と言ったところを私は考えていたのですが、想像にすぎません。本当にウソだったのかもしれ
>ません。

私も彼が、何故語らなくなったのかは想像するしかありません。その想像をここで述べる意味はあまりないと思います。もっとも重要なのは、「吉田証言に含まれる真実を探し出したいという点」でしょうね。やはり。

>読み方の違いだと思います。間違っているかもしれませんが、上杉さんは「矛盾しない書証があるぞ」ではなく「吉田証言の個々の事実と矛盾する書証は『ない』」とおっしゃりたかったのではないでしょうか。矛盾する書証とは例えば当時吉田さんは済州島にいなかったとか。そう言う証言を否定する書証です。それが見つからないので、まあ、可能性としては残せるだろう。と言う話ではなかったのでしょうか。そう読めませんでしょうか?

うーん、もう一度上杉さんの文を読み返してみましたが、私にはそうは読めませんね。

>ある証言が他の物証・書証・証言と矛盾や対立しない場合は、それ自体が一つの証拠となります。さらに、その証言者と異なる立場にいたり、証言者と無関係な位置にいる人からはっきりと同じ証言が得られる場合、その証言は決定的な証拠となります。

> 証言の中には確実に何らかの真実が含まれているのです
>『脱ゴー宣』第6章)。それが何かということを、他の証言、物証、書証と突き合わせて浮かび上がらせていくのです。体
>験者だけが語りうる言葉というものもあります。こうした手続きが、裁判や歴史で行われる事実の認定方法なのです。

裁判や歴史の事実の認定方法としての証言や、物証、書証が、「そこに吉田氏がいなかったと証明できない」ということだけで事実、或いは決定的な証拠として認定されるでしょうか?
あなたの論旨では、吉田証言には他の証言の裏付けはないが、ウソであるという裏付けもないという意味程度になるわけですが、そうなると、秦教授の調査結果が反証となり、ウソであるという裏付けがあるじゃないか!という事になります。上杉さんは私とスグルさんの「吉田証言の根拠を提示してください」という言葉に対する返答として、「証言は証拠」だとおっしゃっているわけですから、吉田証言を裏付ける、もっと積極的な証言、書証が存在すると考えるのが妥当でしょう。

>本当はちゃんと本人に出てきて欲しい……(;_;)。

ま、最後はそういうことですが。ただ、2度のやりとりの中で核心のこの部分を提示してくれないことに疑念を持つのは私とスグルさんだけではないでしょうね。 こばさんもそうおっしゃっていましたし。

>わざわざ引用ありがとうございました。

あ、いや、これはスグルさんが引用してくださっていたのをそのまま使わせていただいただけです。お礼はスグルさんに。

>したがって彼らを「カムフラージュ」するために彼は日時を偽り、話をまとめたのではないでしょうか。ということです。

日時がカムフラージュで場所はカムフラージュではないという事ですね。
うーん、これもどうでしょう?秦教授の調査結果では「その日時にそれが起こっていない」ではなく、「そのようなことはここではなかった」というものですからね。吉田氏の発言は場所をぼかすためでなくては、秦教授に対する反論にはなり得ない。

>反面嘘をついたへたの言い訳にも読めますね。確かに。

ま、それが妥当な線かと思います。普通に解釈すれば。

>やはりこれ以上の議論は不毛でしょう。

そうかもしれませんね。まあ、いずれにしても、結論は上杉さん待ちということで。

>う〜ん、どうでしょう。吉田証言は確かに「従軍慰安婦」の問題を提起するのに役立った
>証言ですが、それは「従軍慰安婦問題」の歴史的に見てそう言った役割を果たしたに過ぎない、と考えています。現在従軍慰安婦問題は様々な証言が出てきており、多角的に見る事も可能になっています。(証言が多く特に旧日本軍の書証が少ないのが難点ですが)したがって吉田証言にこだわると「木を見て森を見ず」になるのではないかと思います。ですので、様々な資料に当たり自分なりの見解を持つ事が重要だと思います。

いえ、それは違うと思います。まず、この証言は日本軍側の唯一の軍命令による奴隷狩りの証言です。
前にも述べましたが、これが事実であるとすると、日本はとんでもない性犯罪国家であり、当然謝罪しなければいけないからです。広義の強制や、それ以外の証言など消し飛んでしまうほど重大な意味を持つわけですから、この証言がウソとは言えないというスタンスをとるならば、或いは事実である可能性があるならば、徹底的に検証するべきです。
「様々な資料に当たり自分なりの見解を持つ事が重要だという点」はまったくおっしゃる通りですね。まあ、その中でも吉田証言は内容的に重要度が比較にならないと私は思っているということです。

>また、韓国では……、とか、日本の名誉が……とか言う話が出てきますが、「日本の名誉は……」と言う発言は「証言が信じられない人は人間じゃない」の裏返しであり本質的に歴史研究とは無縁な政治的イデオロギーの問題です。歴史とはその時、そこで何があったかを純粋に見極めるものでイデオロギーを入れたり「物語」にしてしまうものではないと思います。もしも、悟のぱぱさんが、純粋に歴史的に何があったのか見極めたいと感じたらそう言う考えは捨てた方がよろしいと思います(サヨク的に考えろと言う事ではないです。それはそれでまずいのは森永さんのおっしゃる通りだと思います)。そう言う意味で私は自由主義史観や小林よしのり氏には賛成できないのです。(もともと真ん中より左にいる事ももちろんありますが(^^;)

これはおっしゃる意味がよく分かりません。私が申し上げたのは、単に、日本という国が今言われているような性犯罪国家でなかったら「セックススレイブを持つ国日本」という汚名を返上し、国際信用の回復を当然図るべきだということですが。国際社会では当然の事です。どうしてそれがイデオロギーとつながるのでしょうか?
国家概念を持ち出しただけでイデオロギーのにおいを感じるのは、むしろ、左翼イデオロギーの悪影響ではないでしょうか?
歴史の検証とイデオロギーとが干渉しあうべきでないというスタンスには賛成です。
それと、自由主義史観はむしろイデオロギーを排除して歴史の検証をしようというスタンスだと思っていましたが、私の認識は間違いでしょうか?「教科書が教えない歴史」シリーズも非常に検証を重視しており、イデオロギーのにおいなど感じませんが?あれくさんの感想では、どの史観がイデオロギーを排除して歴史を検証しようとしている史観なのでしょうか?

>ありがとうございます。でも、私、本職は理系の院生なので日ごろは牛馬のように教授のもとで働かなくてはいけないのです。今日は学会明けで勝手にサボっています。日ごろは忙しくてなかなか出られないと思いますが、出たらよろしくお願いします。

>ではでは!

本職の方もがんばってください。お暇なときには、また議論しましょう。では。


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