悟のぱぱさん、はじめまして。とりあえず手近に資料のあった2番目の質問から。
私も歴史に関しては素人の理系大学生ですので、資料解釈の誤りなどありましたら遠慮なくご指摘下さい。
>在インドネシア日本軍の数は、藤岡氏は「インドネシア(ジャワ島)」と表現していますので、ジャワ島に限定していることは確かですが、「インドネシアのジャワ島だけに限ればある時期には2万人程度だった時がある」という表現は、二万人程度だった時があるが、それ以外の時はもっと多かったという意味でしょうか?それとも、ジャワ島の兵員数は二万であるが、それ以外の島に二十三万の日本軍が駐留していたということでしょうか?
厚生省援護局が1964年に作成したデータによりますと、(桑田悦・前原透「日本の戦争 図解とデータ」原書房,1982)
昭20(1945).8.15時点でのインドネシア周辺における日本軍の現存兵員数は
陸軍 海軍 総計
ジャワ 40400 9700 50100
スマトラ 59500 100 59600
小スンダ 17500 3000 20500
ボルネオ 18600 10900 29500
セレベス 17700 8800 26500
モルッカ 51900 19400 71300
ニューギニア 30200 3600 33800
であり、少なくともこの時点ではジャワ島に五万、それ以外の島に二十四万の日本軍が駐留していたという事になります。これら全域が現インドネシア領というわけではないので、実数は若干少なくなると考えられるものの、それを差し引いても藤岡氏の二万という数字とは差がありすぎますし、わざわざ地域をジャワ島に限定した理由も不明確です。
#二万二千人のほとんどが「ジャワ島で」被害にあったと証言しているのならば納得がいきますが。
補足:
この問題に関して、インドネシア史に詳しい村井吉敬・上智大教授は韓国紙のインタビューに答えて以下のように分析しています。
>慰安婦と名乗りでた人の中には、日本軍によって性的暴行なり虐待を受けた人たちも含まれており、そういう意味では数は多い。
> 『日本軍は2万人もいなかった』という数字の根拠は、旧日本陸軍で参謀だった宮元静雄氏の『ジャワ終戦処理記』だろう。宮元氏は終戦時、ジャワ島に約2万人の日本軍兵士が残っていたことを推測 しているが、これには海軍や軍属は含まれておらず、さらに日本軍はスマトラにもニューギニア方面にも多数いた。また、アメリカ軍 がオーストラリアから反攻してきた時は、東インドネシアだけで数万から10万の間の軍がいたと推定される