脱ゴーマニズム宣言裁判を楽しむ会議室
1998/04/05(11:17) from 130.158.104.180
作成者 :あれく(QYZ04726@niftyserve.or.jp)
Re:吉田証言について()
こんにちわ。悟のぱぱさん。
お返事ありがとうございます。


>というか、論理的に言って、
>A:「調査の結果、ここではこんなことはなかった!」
>B:「まあ、ちょっと人に迷惑かけるから誤魔化してるんよ」
>この場合、Bは「日時」ではなく「場所」を誤魔化していると判断するのが普通ではないかというのが私の主張です。つまり、「ホントは場所が違うんだよ」>とBは言っていると言いたいわけです。ちょっとわかりにくかったですね。すいません。

いえいえ、そうともとれますね。そうであったかもしれませんし。ただ、吉田氏が済州島以外のどの地域にいたのかはっきりさせなくてはいけませんね。

ただ、前にも申しました通り、言葉じりを捕らえて「あれはこうだった」とか「これはこうなのだ!」とかいうのは、私の意見を含めて消耗なはなしです。主観だけで物事を判断するのは危険ではないかと思っています(普通…と言うのは主観ですね)。そう言うのは歴史的考察ではないです。その点を踏まえた上で悟のぱぱさんが「私はこう思う。だからそれを(公平に主観を排除できるよう)立証したい。」と申されるなら大賛成です(^^)。
私も歴史考察でない自分の主観を述べたまでですから、あまりお気になされずに自分の信じられる事を、立証していけば良いのではないでしょうか?


>確認したいのですが、あなたは、歴史的事実を知りたいだけなのでしょうか?
>もし、強制連行が事実としたら、日本は断固謝罪をするべきですよね。国家財政が今以上に大赤字になっても国家賠償もしなくてはいけない。それはあなたとは関係ない事でしょうか?
>もし、強制連行が事実でないとしたら、「日本はそんなことしてなかったよ!」
>と世界に宣言することをどうでもよいと思っているのでしょうか?

え〜とこの点については、スグルさんも同じような事をおっしゃられていましたのでそちらの方にも書きましたが、少し詳しく書きたいと思います。確かにいきなり参入したにもかかわらずその辺をはっきりさせていませんでした。一言でお応えいたしますとそんな事は思ってりません。

まず従軍慰安婦問題は2つの側面を持っている、と分析しています。一つは純粋に歴史学上の問題としての「従軍慰安婦はあったかなかったか?」と言う問題。もう一つは国際政治の問題として「元従軍慰安婦に対する保障をどうするか」です。歴史的経緯を見てみるとこの問題は純粋に歴史的問題として浮上したのではない事はスグルさんもご指摘の通りだと思います。各国の政治的思惑、政治運動における思惑が絡んで一般の人々に知られる事になりました。現在もその色彩は強く「かわいそうじゃないか」とか言う謝罪派、「各国の言いなりになるな!」と言う反対派がお互いを非難しています。大まかではありますがそんなものだと思います。

ここで、感情的側面から発言する事を許して頂けるのなら、私は「謝罪派」です(ついでに言いますと人権派です)。各国では名乗り出ているだけで数百人の元慰安婦の方が広義、狭義の強制連行の犠牲になったと名乗りをあげておられます。これらがすべて何らかの誤解のもとで間違いであったとは到底思えません。その背景には強制連行が「あった」のだと言う、あくまで感情的な判断があります。

また、「日本の誇り」が失われる事に関して言えば、日本はそれだけの事をしていると思います。「あくまで先の大戦は自衛戦争」「何らかの誤解」という主張もありますが、その虐殺や強制連行の犠牲になった韓国や、中国の一般民衆からすれば本質的な問題ではありません。日本が虐殺や強制連行を「しなかった事」ではなく「した事」が彼らにとって問題なのです。「吉田証言はまだ真偽ははっきりしてないので公式には言わないでください」と言ったところで政治的思惑も絡み「ああそうですかすいませんでした。」で終るわけはないと思います。

しかしながら、「日本がぬれぎぬを着せられる」事が良い事だとは思いません。誤解は解くべきだと思います。いつまでも曖昧なままで終らせるわけにもいきません。そこで真偽をはっきりさせる必要がある事は悟のぱぱさんに同意いたします。一つ加えるならば私は元従軍慰安婦の方々がご存命の間にきちんとした結論をつけてあげたいと思っています。
これもご理解いただけると思います。

その為の一番近道でかつ一番重要な事は従軍慰安婦問題のもう一つの側面である純歴史的に「従軍慰安婦強制連行があったか?なかったか?」を白黒はっきりつける事だと思っています。きちんと、「誰」の目にも見ても公平で客観的な判断があれば、例えば「吉田証言がデマでした」と言うのが仮に本当であったとしても受け入れてもらえると思います。
様々な思惑と絡んで出てきた従軍慰安婦問題ですが、その思惑を絡めたままでこの「強制連行があったかなかったか」を判断する事には疑問を持ちます。「かわいそうだから認めてあげよう」「日本の誇りが失われるから認めない」これはどちらも公平な判断を欠き一般には受け入れられないもの(特に反対の側には)だと思います。

したがって私は意識して感情やイデオロギーを入れないようにつとめ吉田証言の問題点について純粋に洗い出そうと思いました。また、「あり派」であれ、「なし派」であれ、真実を知りたい事に関しては一致していると思います。そこが理解の接点かな?と思った背景もあります。

私が上で述べた「感情的発言」にご批判も多々あるかと思います。しかしながら、イデオロギー論争は私の望むところではないです。絶対に泥沼試合になるからです。実はした事があります。本当に懲りました(^^;)。今にして思えば、世の中には多趣多彩な価値観があって当たり前で多趣多彩なイデオロギーが日本をなしています。しばしば見るイデオロギー論争は「この世で自分の価値判断が一番公平で客観的だ」という思い込みから生まれるみたいですが、そんな事はないのですよね。世の中の人はみんな偏っていると思います。
ですので特にイデオロギーが自分と離れているかもしれないと思えば努めてなるべく客観的に冷静に話そうと思っています。そして理解できるところは理解し納得いくところは納得し自らの糧にしたいと思っています。


以上だらだらと書いてしまいましたが、私は従軍慰安婦問題が単に純歴史的問題だけであるとは認識していませんが、無用な論争によって焦点がぼけるのを避けるためにあえて、
純歴史的に考察したいと思っている事をご理解ください。

答えになっていますでしょうか?何かありましたらまたご指摘くださいm(_ _)m

また、自分のスタンスをはっきり提示しておらず、悟のぱぱさんとスグルさんにご不快な思いをさせてしまった点をお詫び申し上げます。m(_ _)m


ではでは。

(引用におきましてはかってに改行させて頂きました


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