脱ゴーマニズム宣言裁判を楽しむ会議室
1998/04/10(12:41) from 202.211.65.163
作成者 :悟のぱぱ(ymaeda@ps.inforyoma.or.jp)
Re: 暴力的な強制連行の存在について
上杉さん、お久しぶりです。

>「吉田証言は根拠のない嘘とは言えないものの、『時と場所』という歴史にとってもっとも重要な要素が欠落したものとして、歴史証言としては採用できないというのが私の結論」と、以前書きました。この文書に対して「悟のぱぱ」さんは、この会議室への初登場の日、開口一番、語気鋭く、「根拠というからにはもちろん、証言以外の何かがあるはずですよね。証拠をお示しくださいませんか・・私が申し上げているのは客観的な根拠です」(3/23)と詰問されました。

すみませんが、”開口一番語気鋭く”とか”詰問”とか、私の文章に対して勝手に解釈したニュアンスを追加するのは止めて下さい。たしかに最近、私は語気鋭くなりましたが(それについては後述します)、それは、これ以降のあなたとのやりとりの中でですので。少なくともあの時点では、そのようなニュアンスを持ってあなたに質問したのではないことは明言しますし、私が敵意を持ってこの掲示板へ書き込みをしたかのようなニュアンスを追加するは止めて下さい。

> このHPの「証言は証拠なのです!」(3/29)で私は、「スグルさんと悟のぱぱさんからのご質問に、証言の価値への疑問があります。『証言はあやふや。客観的な根拠を示せ』というわけです」として、お二人に対して証言も証拠であることを示しました。証言を安易に否定するのは間違いで、物証や書証がフォローできる範囲はきわめて限られていて、証言を組み合わせることによる立証も大切だ、ということでした。
> これに対して悟のぱぱさんは、ご自身が「書証、物証を求めているというのは上杉さんの拡大解釈ですね。私の文意を歪曲しないでください(笑)」と、少し苦しそう(?)に笑っておられましたが、それでも「『根拠』というものの中には証言というものが含まれることは認識しております」との立場をここで新たに表明し、「吉田証言の根拠となる書証、あるいは他の証言」(4/2)を提示せよと、「証言」を加えてくださいました。

この部分に関して私は、上杉さんふくめ、みなさんに私の質問の言葉足らずをお詫びしたいと思います。私は吉田証言の根拠をもとめ、「証言以外の何かがあるはずですよね。」と申し上げました。この場合の証言というのは、私は吉田証言という意味で使ったのであり、つまり、本人の証言以外の何かがあるはずだという意味です。上杉さんのこの書き込みを見て初めて、私が非常に紛らわしい表現を使って誤解を与えていたということに気がつきました。この点、上杉さんはじめ、みなさんにお詫び申し上げます。
私が、「証言を証拠として認めている」と言うのは、「証言相殺」問題において、第三者の証言を重視したスグルさんの意見を支持したことでも明らかだと思いますし.....そんなことは当たり前のつもりでした。ですから

>「書証、物証を求めているというのは上杉さんの拡大解釈ですね。私の文意を歪曲しないでください(笑)」と、少し苦しそう(?)に笑っておられましたが、

という部分は、苦しかったのでもなんでもなく、上杉さんがどうしてわざわざ「証言は証拠なのです!」などという論点を持ち出したのかなー、当たり前じゃんと思ったからだけなんです。
ともかくもこの点に関しては深くお詫び申し上げます。以降、なるべく誤解のない表現をするよう心がけます。

>「吉田証言について言えば、このHPにも書いたように、彼の本には、事実を並び変えたり、他の人の体験を加えたりしている面があると考えられますが、個々の事実が嘘と断定できるような矛盾が、他の書証や証言との間にないのです」(3/28)と書いたことに対し、悟のぱぱさんは、「吉田証言の個々の事実と矛盾しない『他の書証』というやつ」を「提示してください」とおっしゃいました。

いや、むしろ私が重視したのは、あなたのその3/28の引用した発言の後の()の部分なのです。

>(他の証言との間に対立はありますが、どちらが嘘であるかまだ断定できません)

他の証言との間に対立があるということは、具体的な吉田証言への反証でありましょう。更には、秦教授の調査結果、それに対して吉田氏が言い訳ともとれる発言をしたことを考えますと、それに対して、個々の事実が嘘と断定できる矛盾がないという他の書証が、例えば、あれくさんがおっしゃったように、済州島にいなかったという証言はない、とか、そこで強制連行をしなかったという証言はない、とか、そういうものであるはずがないと思ったのです。
しかし、3/28の上杉さんの発言と

>「あれく」さんには、きちんと正確に読んでいただいて感謝です。

という点とを考え合わせると、3/28の上杉さんの発言の真意は

「数多く存在する当時の証言、書証の中で、”対立するもの以外”には、吉田証言に矛盾する証言、書証はない」

とおっしゃっているということですよね。これが「証言は証拠なのです!」と力説するに足る証拠でしょうか?これは当たり前のことではないでしょうか、ひょっとして?そして、その「対立する証言」の証拠としての価値は吉田証言に比してどうして低いのでしょうか?無論対立するものの中には秦教授の調査結果や、吉田氏自身が、事実をボカしている(=証言内容には事実のスリカエがある)という点も含まれます。
とりあえず、その対立する証言というものがどういうものかをお教え下さいませんでしょうか?

>まず、暴力的な強制連行の存在を否定するということは、そんなに簡単ではないということから考えてください。何でもそうですが、「・・がなかった」と証明することは大変なことです。

そうです。それ故に、「あった」という側がその証明をするのが当たり前ですよね。釈迦に説法でしょうが、「挙証責任」という概念ですね。それ故に、むしろ

>「吉田証言は嘘だ」と言えます。

ではなく、「吉田証言はホントだ」といわなければいけないのではないでしょうか?

>こうした、全体を網羅する調査を意図した方法が学問的と呼ばれるもので、そうした吟味は、まだ吉田証言に対してできる状態にないのです。

では、そういう、学問的な吟味をしないままの証言を「根拠がない嘘ではない」と断じた理由はなんなのでしょうか?対立する証言、書証以外には矛盾がないというその一点だけなのでしょうか?
あれくさんもおっしゃっていましたが、純粋に歴史学的なアプローチからこの問題を考えることは非常に重要であると私も思います。つまり感情やイデオロギーに流されずに真実を追うこと、これは非常に重要な点のはずです。

以降の証言も興味深く読ませていただきました。

>これらは、いずれも韓国における「慰安婦」の軍命令による暴力的強制連行を積極的に証明するものではないのですが、あったとしても不思議でないし、それらと矛盾しない書証、証言の類の一部です

これらの証言の中で、軍命令として強制連行が証明されているものはありますか。
というのは、この点がまず、日本という国にとってもっとも重要だと思うのです。
あれくさんとの論議の中でも私は明言しましたが、もし、吉田証言のごとく、日本軍の命令による暴力的強制連行が行われていたとすれば、それは日本はとんでもない「性犯罪国家」であるということです。まず、この点をはっきりさせなければいけないと思います。無論、業者による騙しの連行も軍の責任だ、廃業の自由が無かったなどの論点があるのも存じておりますが、こういった「広義の強制」という議論はその定義をふくめ、軍命令による強制連行があったかなかったかという最重要点が明らかになった後にするべき議論だと考えます。議論の拡散を防ぐためにも有効でしょう。

それと、これは、上杉さんのスタンスに関しての疑問なのですが、まず、こばさんのご発言をもう一度お読みになってくださいませんか?議論の第三者、なおかつ慰安婦に対して同情的な立場の方の視点からあなたが、

>そして吉田証言などから「加害者である日本国民が事実を明らかにしなくては」といいながら、その日本国民の一員であり自分も容易に加害者になりえたという自覚が伝わってこないのです。なんだか言いたいことがうまく表現できませんが、「自分だけを正義の高みにおいている胡散臭い人」といえばいいでしょうか。

と見られているというのを真摯に受け止めて下さい。
私が、前回、あなたに最後に申し上げたことがありますよね。

>私があなたにちょっとした怒りを感じているのは、あなたの間違いや引用の仕方ではなく、自分がいい加減な思い込みで人の台詞を作りながら、スグルさんには「聞きました」ではだめだ、きちんと確認して引用しろと批判し、なおかつ、指摘しても、それに対し一言の弁明もないっていう姿勢です。こちらとしては上杉さんの議論をする上でのモラルを疑わなくてはならなくなります。それでは議論になりませんので、まず、姿勢を正されることをお願いします。

これに対するお答えは今回も得られませんでした。(この問題は私に対してのみではなくスグルさんに対しても弁明するべきだと思います)
細かいことをしつこく言うと思う方もいらっしゃるかもしれません。しかし、そうではないと私は考えます。
というのは、議論というのは、お互いにお互いの意見を聞き、自らの意見が間違いであると気づけば、その点は認め、その上で次の段階へという作業を繰り返して行くものだと思います。しかし、こういった明らかな間違いを指摘された人が、それに対してなんの明言もしないという事が続くと、この人は自分の過ちを認めることが出来ないのだろうか?議論する意味があるのだろうか?と疑問を持つのは当然の事です。そういう態度が第三者に対し、こばさんの指摘のような感想を抱かせるのではないでしょうか?
更にあなたは、私やスグルさんに被洗脳者のレッテルをはり、自分が正しいということをしきりに主張されます。あなたが、もし、自分の主張が明らかに正しいと認識されるならば、なにも私たちに被洗脳者のレッテルをはって批判する必要などないでしょう?(発言の捏造までして!)
今回など、私は勝手なニュアンスまで追加されて如何にも強硬な慰安婦問題に対して理解の無い人間であるかのような演出をされてしまいました。(そのような演出をすることが議論に何か有効ですか?)そういうあなたの文章が、「自分だけを正義の高みにおいている胡散臭い人」と受け取られるんじゃないですか?
あなたがもし、私の前回の文章に対して立腹していらっしゃるのならば、このようなやり方などせず、はっきり、直接そうおっしゃって下さい。私は自分が間違ったことを言っているとは思っておりませんが、書き方に問題があるとすれば具体的に指摘して下されば改めます


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