脱ゴーマニズム宣言裁判を楽しむ会議室
1998/04/18(11:37) from 130.158.104.180
作成者 :あれく(QYZ04726@niftyserve.or.jp)
Re: 悟のぱぱさんへ(証言について)
こんにちわ、悟のぱぱさん。あれくです。
長くなってきましたね。また適宜に切ってしまいますが、なるべく文意を損なわないようにいたします。不足の点はご指摘ください。


>大切なことは強制連行は国際法違反であるという以前に、当時の刑法上も犯罪行為であったということです。日本においては昭和12年、「国外移送目的略取・誘拐罪」で慰安所業者が有罪判決を受けたという判例がありますし、朝鮮においても、妻をだまして中国へ移送した朝鮮人男性に国外移送罪を適用した判例もあります。つまり、日本は強制連行をした業者を裁いていたのです。

そう言うきちんと裁かれた例もありますが、それを持ってそれが違反のすべてであるという保証はないわけで、その例に漏れた例がある事が予想されるために、きちんとした決着をつける必要があるわけです。その一つが白馬事件です。これは結局終戦まで関係者の処罰を行なわないという杜撰なものでした。結果終戦後の裁判によって解決はしていますが、結局のところ日本が裁いたわけではありません。こういう事実もあるのです。


>当たり前ではいけないのでしょうか?非難に値するというのは確かにその通りです。しかし、それはどういうレベルの罪なのかが問題だという事です。国家予算をなげうって、謝罪をするに値する罪なのでしょうか?私達の日本という国が、世界から「セックススレイブを持つ国」として非難されるに値する罪なのでしょうか?強制的に開設された慰安所は閉鎖したが、関係者を処罰しなかったということが、性犯罪国家の汚名を着るに足る事実でしょうか?

私は日本が性犯罪国家だと思った事は一度もありませんが、世界に与える印象はどんなものでしょうか?収容所から女性を連れ出して無理矢理慰安婦足らしめて、さすがに閉鎖の憂き目を見たものの、関係者は処罰なしで、女性は泣き寝入りです。そう言う事実が世界にどんな印象を与えるでしょうか?もっともこの点は解決していますので、これ以上の非難は浴びないでしょうけど、この事実は永遠に残りますし、その重要性を考えるべきではないでしょうか。ただ、私の目的は日本に性犯罪国家の汚名を着せる事ではありません。事実をきちんと見極める事です。


>すみませんが、その見解は完全に偏ったものではないでしょうか?少し怒りを感じずにはいられません。勝手な動機付けの解釈で、行為の正当性を歪めようという態度は問題ではないでしょうか?
>例えば、あなたが自動車で人身事故を起こしたとしましょう。で、救急車と警察を呼んで当たり前の処理をした。そのとき、「ひき逃げせずに救急車を呼び、警察に届けたのは、後で捕まることを恐れたからであり、相手の生命に対する配慮からではない」と他人から断ぜられたとしたらどうでしょう?
>それともその見解にはなんらかの根拠がありますか?

え〜とこれはこれはこういう見方もあるよ、と論を紹介しただけで容認、断定したつもりはありません。だから、「…と言う見解も『あります』」としているんですけど(^^;)。だから詳しい論拠も書かなかったのです。いいわけめいていますが、それはともかく、人権的見地ではなかったとする根拠として次のような論があります。これは既に書いてしまったのですが

1)関係者の処罰を行なっていない。
2)閉鎖の際、女性を元いた収容所ではなく別の「孤立した」収容所に移した

人道的見地で処罰が行われたのならこれらは行なわないはずですがどうでしょうか?それとも何らかの人道的理由があるのでしょうか?それからヨーロッパ人とアジア人の差別についてですが、これはちょいと長くなります。簡単に紹介しますと当時国際法には強制的に慰安婦とする事は禁止する旨の条約があったのですが「植民地には適用しなくても良い」という条項を利用して植民地・占領地に対してはその適用が甘かった節が見られます。何より多くの慰安婦が強制連行によって連れられたと証言している事はそれを裏付けるのではないでしょうか。この植民地には適用しなくてもよい、とするのは別の慣習によるもので、別に強制連行を奨励しているわけではないのですが、どうも拡大解釈をしていた節があります。しかしながら白馬事件が示す通りヨーロッパ人の強制連行にはことさら気を遣っていたような節があります。

もちろん、ちゃんと裁かれた例もあるのは悟のぱぱさんのご指摘の通りですが、それからもれたとする元慰安婦達の訴えがある事も忘れてはなりません。

以上の事はご賢察の通り「従軍慰安婦」を中心にしたものですが、「軍が強制連行による慰安所を認めていなかった」とします悟のぱぱさんにアンチテーゼを提供するつもりで紹介しました。かなりご不快に感じられたようですが、もちろん偏っている事は承知の上です。紹介しといてなんですが私もこの解釈はかなり苦しいと思います(^^;)。けど、要するに一番言いたかったのは一部を見て物事を断じる危険性です。白馬事件は確かに軍がきちんと閉鎖をもって応じております。これだけを見れば「軍が強制連行による慰安所を認めていなかった」とするのも納得はいきます。しかし「関係者の処罰をしなかった」などの事実や他の資料・証言と合わせてみるとまた違った見方も可能だという事です。その見方
が絶対正しいとは言いませんが、そう言った見方も吟味、考察の上「軍が強制連行による慰安所を認めていなかった」とするなら、それはそれで良い事だと思います。

ただ、私は単純に「軍が強制連行による慰安所を認めていなかった」根拠にする事にはあまりにも不自然な行動もあると思っています。それを説明するものとして上のような例を挙げましたが、そう断定するにはあまりにも根拠不足だと私は思います。したがって私はこれを持って断定はいたしません。さて、悟のぱぱさんはこの不自然な点にどう説明つけたら良いと思いますか?

どうも最近ご不快な思いをさせてばかりですね。いけませんね。もう少し文章を誤解の無いようにしたいです。


>−−−−−−−−−−−−−−−−−
>日本において勤務中にひとりの警察官が銃を乱射し、日本に来ていたアメリカ人を射殺してしまった。無論、本人は逮捕され、然るべき刑を受けた。首相はアメリカと遺族に対し謝罪した。しかし、心ある日本人も、アメリカ政府も遺族もそれでは納得しなかった。監督責任は日本にある。日本が国家としての責任を明確にし、国家賠償をするべきだと主張した。
>−−−−−−−−−−−−−−−−−

>個人が犯した罪の責任が、ある程度その個人が属する組織にあるというのは納得できますが、それは無制限にその組織の責任を追求出来るものなのでしょうか?1人の警官が銃を乱射したことを以て日本の警察は銃を乱射する殺人鬼の集まりだ、と言われてもやむを得ないのでしょうか?

重ねて申しますが、私の目的は別にレッテルをつける事ではありません。事実をきちんと<明確にし、きちんとそれに対応する事です。それをレッテルはりに利用する輩がいればそれは止めて欲しいと思います。それはともかくこの例では警察の対応に非はないと思います。もしも仮にこの事件で警官は乱射した警官が何の咎めを受けなかったらどうでしょう?
白馬事件とはそう言う例だと思います。何しろ当事者が処罰されていなかったのですから。
多分、警察全体の問題になり、国家間の問題に発展する可能性があると思いますがどうでしょうか?白馬事件は解決はしましたがそれが日本人の手によるものではないことに注意
すべきです。


>ちょっとリアルに想像してみましょう。長期間の拘禁が人道的でしょうか?
>そこでいくら緩やかな取り調べがあろうとも、そこは、自分の家ではないのですよ。嫁さんも子供も遠い日本にいます。「罪を正直に告白し、自主的に反省しなさいね」といくらやさしい声で言ってみても、カツ丼が食べられたとしても、拘禁されているという事実は、「圧力」ではあり得ないのでしょうか?
>「罪を認め、反省したら日本に帰してあげます」と言われたらどうでしょうね。
>「私は罪を犯していない」と主張することが出来るでしょうか?

あらら、私がスグルさんに挙げた例を使われましたね(--;)。ですから、私が言いたいのは「罪を認め、反省したら日本に帰してあげます」として反省を促したとするならそうした事実があるのか、そうならばきちんと証拠を持って教えて欲しいという事です。私は知らないのです。またそれによって虚偽が入りこんだ確信があるのかという事もそうです。もしないのなら偏見ではないのですか?という事です。中共ならやりかねんっていう……。(違ったらすいません)そうでないという証言については私はあげました。それが何らかの虚偽だとするならやはりきちんと証拠を示して欲しいと思います。

重要な事は、多分当時はこうだったのだろうとかってに憶測するのではなく、きちんと証拠を探して説明する事だと思います。それが歴史考察だと思います。いわんや悟のぱぱさんは先に私の「憶測文章」にお怒りになられました。ならば私の言いたい事を察して頂けると思うのですが。


>「三光」は三光作戦のことだと思いますが、この「三光作戦」というものも、実在しない作戦ですね。ご存じだとは思いますが。これは、かつて中共軍が日本軍を非難して使った言葉であり、中国語であって日本語ではないのです。(確か「皆を殺し、奪い尽くし、焼き払う」の意味)

あの…すいません。これはまとめると「三光作戦」は日本軍が用いた名称でないので、「三光」の資料的価値が高いと言えないという事になる気がするのですが……。それはかなり無茶な憶測ではないですか?(これも違っていたらすいません。読解力がありませんでした)もちろんその名称の由来は知っていますが本質的に中身とは関係ない気がします。重要な事は中身に信憑性があるかどうかであり本の題名ではないと思います。とにかく何らかの虚偽があるとするのなら、きちんとした内容に関する証拠を提示して頂きたいです。

例えば「南京大虐殺」をした日本軍だから、国際法を尊守したとは思えないのです。とされたら悲しいでしょう?

この後、中国に関する悟のぱぱさんの見解もありますがそれも、やはり証言の信憑性を疑う直接証拠にはなり得ません。


>そこまで考えなくとも、この資料はおかしいとすぐ気がつきませんか?どうして強姦集計表なんかあるんでしょうね?そのようなものが「ある」と堂々と言っている時点で、中身など見るまでもなく怪しさ大爆発です。そんなもの絶対にあり得ないから。そして、こういうめちゃくちゃな供述が出てきた場所(=戦犯管理所)は怪しいという推測に論理的な飛躍があるとは思えません。
>それとも、実際の資料を見てみるまでは、年齢入り強姦集計表が実在した可能性があるとお考えでしょうか?

悟のぱぱさんは主観で持って資料がおかしいと断じていますが、それは歴史研究ではないことは分かってもらえるはずです。可能性があるないは問題ではありません。どのような自明問題でもきちんと証拠を立てて調べる。これが一番重要な事なのです。でなければそれは憶測なのです。ですので、その強姦資料についてもきちんと目で見て、あるいは専門家の判断を聞きその上で判断を下したいと思います。おかしいでしょうか?


>さて、ここで、問題になるのは、吉田証言は否定材料がこれだけ多いのになんらかの事実を反映しているというスタンスになり、済州島での証言は本人すら否定している吉田証言以外には、対立する証言はないのに、疑問が残るとする点です。なぜ、なんらかの事実を反映しているというスタンスではなく疑問が残る、となるのでしょう?ムラで隠した可能性があるというのは、対立する証言ではありませんよね。言ってみれば可能性に過ぎません。

済州島調査に疑問が残るのは済州島調査が事実を反映しているとすることに事に疑問があるからです。もちろん可能性の問題です。ですから、私は確証が無い以上済州島調査が事実を反映していないとは断定いたしません。またその主張もいたしません。ただ疑問を残すとしたのはそうしたことです。仮に悟のぱぱさんが鈴木中将の証言を疑問を持つことに反対なわけではないのです。ただ、信憑性がないと主張することに対しては、やはり証拠が必要だと思います。

私も済州島証言が事実を反映していないことを「主張する」時にはきちんとした確証を持っていたしたいと思いますが、現時点においては済州島証言には疑問がある程度です。多いに主観によるものですから要するに乱暴な話「気のせいだよ」と言われれば何も言えないわけです(^^;)。


>これは、論外です。何故なら、「そういう考え方もある」などどいうそんな生やさしい問題ではないからです。
>これは絶対に真実を見極めるべきことなのです。
>韓国の公式見解では、日本の軍命令による強制連行はあったとされており、その根拠として吉田証言が含まれているのですから、はっきりさせずにどうしますか?ウソならウソとして正式に韓国に訂正要求をしなければいけません。それが日本の国の名誉の問題だからです。「そんな考え方もあるのかー」なんて悠長なことを言ってはいられません。それは当事者意識の欠如ですよ。

あれ、またイデオロギーが入りこんでいますね。こと歴史的事実の判定にはイデオロギーを入れるべきではないとしたはずですが。ちなみに白馬事件は事実に対する解釈なのでちょういとイデオロギーが入っていますが……。強制連行に関しては確定証拠が無いものの全くの白であるともいかないのは同意いただけると思います。裁判なら「疑わしきは罰せず」ですが、歴史検証は裁判ではありません。おあせりになる気持ちは分かりますが、全ての疑問が無いようきちんとした決着をつけるべきだと思います。とにかく歴史問題に当事者意識(これもやはりイデオロギーですね)を入れて論ずることは止めて頂きたいですが如何でしょうか。私はそれが一番解決を早くすると思います。


>とおっしゃいますが、これはある程度、私の主張を認めてくれたと考えてよろしいのでしょうか?その上で、あなたの価値判断としては上杉氏の吉田証言の見解を容認するわけですよね。(「分からないでもない」という懐疑的な書き方から見ると)
>その価値判断の基準とはどのようなものなのでしょうか?

歴史的事実を見極める際、証拠が十分であるとは言い難いことは多々あります、他ならぬ従軍慰安婦問題はその例だと思います。結果公平に見ても足りない部分を埋めるのは一人一人の「主観」です。主観は入れるべきではないのですが全ての証拠をそろえた後でなお入れざるを得ないこともあると思います。しかし主観を入れてしまうのですからその結果は千差万別になります。あれが正しい、これが正しいと言うのは非常に不毛です。更なる証拠を待つべきでしょうが、その時点での見解と言うものもあって良いと思います。そうすると従軍慰安婦問題の場合かくのごとくなると思います。同じ事象に対しても上杉氏、悟のぱぱさん、スグルさんそれぞれの見方があって「この点はそうだな」「この点は同意できないな」といろいろあるのです。その点から言えば悟のぱぱさんの主張も分かるし、上杉氏の主張も分かります。心情的には上杉氏に近いのですが、決してそれは悟のぱぱさんの主張が説得力が無いとか、分からないとかするものではないです。


お答えになっていますでしょうか?

ではでは。(引用にあたっては勝手に改行いたしました)


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