脱ゴーマニズム宣言裁判を楽しむ会議室 |
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1998/04/17(19:17) from 202.211.65.178 |
作成者 :悟のぱぱ(ymaeda@ps.inforyoma.or.jp) |
Re: 悟のぱぱさんへ(証言について) |
あれくさん、どうもです。 >これは私の政治的イデオロギーについて言及しなければなりませんね。軍の命令による連行が犯罪である事に間違いはないと思います。しかし、私はそれだけでは足りないと思います。それは私はもう少し広く当時日本が批准していた国際法や慣習に対してどのような違反を行なっていたかが問題になると思っているからです。元慰安婦の方の強制連行も含めて国際法に違反して事こそが「日本の恥」ではないでしょうか。国際法には時効もありませんし、これらについてきちんとけりをつける事が日本に求められていると思いますがどうでしょうか? 大切なことは強制連行は国際法違反であるという以前に、当時の刑法上も犯罪行為であったということです。日本においては昭和12年、「国外移送目的略取・誘拐罪」で慰安所業者が有罪判決を受けたという判例がありますし、朝鮮においても、妻をだまして中国へ移送した朝鮮人男性に国外移送罪を適用した判例もあります。 >先の白馬事件の例にとりましても、結局関係者の処罰を行なっていません。ちなみに当時の証言によりますと、このオランダ人女性は連行した軍人による強姦の被害を受けています。しかし悟のぱぱさんのおっしゃる「軍規違反による処罰」は行われず、戦後になってようやく「強姦」による有罪が下されています。 >慰安所の閉鎖はその中でせめてもの救いですが、良く考えるとそれは当たり前以上のものではなく、むしろこの場合、関係者の処罰を行なわなかった事は非難に値すると思います。 当たり前ではいけないのでしょうか?非難に値するというのは確かにその通りです。しかし、それはどういうレベルの罪なのかが問題だという事です。国家予算をなげうって、謝罪をするに値する罪なのでしょうか?私達の日本という国が、世界から「セックススレイブを持つ国」として非難されるに値する罪なのでしょうか?強制的に開設された慰安所は閉鎖したが、関係者を処罰しなかったということが、性犯罪国家の汚名を着るに足る事実でしょうか? >また、彼女たちが強制的慰安婦という奴隷状態から助かったのは人権的見地からではなく、戦後国際問題になる事を恐れたためとの見解もあります。現に彼女たちは元の収容所には戻されず別の孤立した収容所に移されています。確かに強制連行は認めていなかったようですが、それはヨーロッパ人のみを対象としたものでアジア人は対象ではなかったとする見方もあります。(吉見義明「従軍慰安婦」岩波新書) すみませんが、その見解は完全に偏ったものではないでしょうか?少し怒りを感じずにはいられません。勝手な動機付けの解釈で、行為の正当性を歪めようという態度は問題ではないでしょうか? >例えば、大蔵キャリア官僚が不正を働いたとします。これは完全に個人の暴走で、上層部の知らないところでこの個人は立場を利用して私腹をこらしたとします。それが発覚した際、上層部は監督責任を問われないのでしょうか?と、言う問題でもあると思います。私は監督不行き届きで責任を取らねばならないと思います。軍は個人について監督責任があるはずですから、個人が犯した罪は(特に従軍中は)軍に帰結してもおかしくはないと思うのですがどうでしょう? 対外的な要素が全く反映されていませんので、このたとえはちょっと不十分でしょう。 −−−−−−−−−−−−−−−−− 個人が犯した罪の責任が、ある程度その個人が属する組織にあるというのは納得できますが、それは無制限にその組織の責任を追求出来るものなのでしょうか?1人の警官が銃を乱射したことを以て日本の警察は銃を乱射する殺人鬼の集まりだ、と言われてもやむを得ないのでしょうか? >当時、各地の戦犯の裁判が行なわれましたが、その多くが報復的性格を持っていたのは否定出来ない事実であったと思います。東京裁判などはその最たるものですね。しかしながらその中にあって意外にも中国の戦犯収容所は周恩来氏の指導の下驚くほど人道的な対応をした事は当時収容された人々が証言しています。また、思想教育も強制的なものではなく、自主的な反省を促すに十分な環境だったとのことです。今の中国からは想像も出来ませんが。当時の戦犯達の証言だからかなり信憑性は高いと思います。 ちょっとリアルに想像してみましょう。長期間の拘禁が人道的でしょうか? >こうして自主的に書かれた手記に晩聲社の「三光」などがあります。この後書きに中国の捕虜管理所についての元戦犯の方の記述があります。この手記は彼らが帰った後に持ちよられ、出版されました。経緯から見てもこれらは非常に資料的価値が高いと思っています。 「三光」は三光作戦のことだと思いますが、この「三光作戦」というものも、実在しない作戦ですね。ご存じだとは思いますが。 >>「慰安所」が「強姦所」って書かれていたやつ。強姦集計表まであって、犯さ >これについては話は聞いていますが(ゴーマニズム宣言で)、実際に資料にあたった事が無いのでなんとも言えませんが、どこにあたれば良いかご存知ないでしょうか?是非経緯について調べてみたいと思います。 そこまで考えなくとも、この資料はおかしいとすぐ気がつきませんか?どうして強姦集計表なんかあるんでしょうね?そのようなものが「ある」と堂々と言っている時点で、中身など見るまでもなく怪しさ大爆発です。そんなもの絶対にあり得ないから。そして、こういうめちゃくちゃな供述が出てきた場所(=戦犯管理所)は怪しいという推測に論理的な飛躍があるとは思えません。 >中国には中国の罪があるのですが、それを持って判断の根拠にする事は出来ない事は同意して頂けると思います。特に戦犯の証言はそれらと関係ないですから。とにかく、中国の戦犯管理所の件に対しては、中国が当時建国したてであったことが幸いしたようです。文革以後は目も当てられませんが……。 うーん。これは大変な思い違いをしているのでは? >証言を疑うスタンスで疑問を提示する事は否定できない事は悟のぱぱさんのご賢察の通りです。ただ、証言を否定する根拠が無い限り何らかの真実を反映していると考えるのは当然だと思います。中国で思想教育を受けた事あるでしょうがそれによって何らかの虚偽が証言に含まれた確証が無い以上それは事実を反映していると考えて良いと思います。他にも検証は必要でしょうが、それが他の書証や証言と矛盾をきたさない限り単独でも信頼性は高いと思います。 さて、ここで、あれくさんの証言に対するスタンスを概観してみたいのですが、 吉田証言: 鈴木中将の供述: 済州島での証言: さて、ここで、問題になるのは、吉田証言は否定材料がこれだけ多いのになんらかの事実を反映しているというスタンスになり、済州島での証言は本人すら否定している吉田証言以外には、対立する証言はないのに、疑問が残るとする点です。なぜ、なんらかの事実を反映しているというスタンスではなく疑問が残る、となるのでしょう?ムラで隠した可能性があるというのは、対立する証言ではありませんよね。言ってみれば可能性に過ぎません。 >上杉氏の考え方に対しては「同意できないがそう言う考え方もある」という認識を持たれれば一番良いと思いますがどうでしょうか。世の中には色々な価値判断がありますから。 これは、論外です。何故なら、「そういう考え方もある」などどいうそんな生やさしい問題ではないからです。 また、私が、 >吉田証言は、「本人もごまかしがあることを認め、状況的にもそんなことする必要はなかったが、対立する証言以外は、矛盾する書証、証言がないので、根拠のないウソではない」となります。うーん。こうなると、もはや、根拠はない!と断言するべきものではないでしょうか? と感じているものに対し、あなたは、 >上杉氏の吉田証言の見解について同意できない点は分からないでもないです。 とおっしゃいますが、これはある程度、私の主張を認めてくれたと考えてよろしいのでしょうか? ご返答をお待ちしております。 |
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