脱ゴーマニズム宣言裁判を楽しむ会議室
1998/04/17(10:05) from 130.158.104.180
作成者 :あれく(QYZ04726@niftyserve.or.jp)
悟のぱぱさんへ(証言について)
今日は、悟のぱぱさん、あれくです。

先日は本当に失礼しました。時間が無いので慌てて何も考えずに書いたのは失敗でした。
これからは気をつけてアップするようにします。しかしながら、なかなか主観が抜け落ちない事もあろうかと思います。その時は遠慮なくご指摘くださるようお願いします。


>で、私が言いたいのは、軍が命令した強制連行が、より日本にとって恥であり、真実ならば、我が国は全国家予算をなげうって国家財政を破綻させ、国民を犠牲にしてでも謝罪すべきだと私は考えます(日本政府に謝罪を求める立場の方々はそれだけの覚悟、当然おありですよね)。
>もし、犯罪者を処分しなかったというレベルで日本が悪いとしたら、国家予算をなげうつほどの事だとは私には思われません。おなじ悪いにもレベルがあります。
>ですから、私は、軍の命令による強制連行にこだわりますし、広義の強制、不作為の罪というスタンスの議論にはその最重要点が明らかになってのち、議論したいと考えています。前にも申し上げましたが、論点を絞り込み、議論の拡散を避ける意味でも有効なはずです。この点、みなさん、ご同意いただけませんでしょうか?

これは私の政治的イデオロギーについて言及しなければなりませんね。軍の命令による連行が犯罪である事に間違いはないと思います。しかし、私はそれだけでは足りないと思います。それは私はもう少し広く当時日本が批准していた国際法や慣習に対してどのような違反を行なっていたかが問題になると思っているからです。元慰安婦の方の強制連行も含めて国際法に違反して事こそが「日本の恥」ではないでしょうか。国際法には時効もありませんし、これらについてきちんとけりをつける事が日本に求められていると思いますがどうでしょうか?

先の白馬事件の例にとりましても、結局関係者の処罰を行なっていません。ちなみに当時の証言によりますと、このオランダ人女性は連行した軍人による強姦の被害を受けています。しかし悟のぱぱさんのおっしゃる「軍規違反による処罰」は行われず、戦後になってようやく「強姦」による有罪が下されています。

慰安所の閉鎖はその中でせめてもの救いですが、良く考えるとそれは当たり前以上のものではなく、むしろこの場合、関係者の処罰を行なわなかった事は非難に値すると思います。
また、彼女たちが強制的慰安婦という奴隷状態から助かったのは人権的見地からではなく、戦後国際問題になる事を恐れたためとの見解もあります。現に彼女たちは元の収容所には戻されず別の孤立した収容所に移されています。確かに強制連行は認めていなかったようですが、それはヨーロッパ人のみを対象としたものでアジア人は対象ではなかったとする見方もあります。(吉見義明「従軍慰安婦」岩波新書)


>強制連行アリと主張する方々は、こういった個人レベルの問題も全て軍に責任ありとしていますよね。重要なのは、軍による命令なのか、個人のレベルで行われたことなのか、て事です。私が軍の命令で暴行をしたのならば(そんな想定自体変ですが)、「軍の責任だ!」と言うかもしれませんが、個人として犯した罪はやはり個人に帰するべきでしょう、というのが論点なのです。それを自分に置き換えて考えてみて下さいと言っているのです。

例えば、大蔵キャリア官僚が不正を働いたとします。これは完全に個人の暴走で、上層部の知らないところでこの個人は立場を利用して私腹をこらしたとします。それが発覚した際、上層部は監督責任を問われないのでしょうか?と、言う問題でもあると思います。私は監督不行き届きで責任を取らねばならないと思います。軍は個人について監督責任があるはずですから、個人が犯した罪は(特に従軍中は)軍に帰結してもおかしくはないと思うのですがどうでしょう?


>戦犯管理所ですよ?緩やかだったら、本当の事を言っていると?10年も拘束されて思想教育されても?(思想教育をされていたと言うことは疑いないです。朝鮮戦争時のアメリカの捕虜が洗脳と思想教育をされましたよね。同時期に日本の戦犯に対してはそれをしなかったのでしょうか?詳しい内容が必要なら調べますが。)

当時、各地の戦犯の裁判が行なわれましたが、その多くが報復的性格を持っていたのは否定出来ない事実であったと思います。東京裁判などはその最たるものですね。しかしながらその中にあって意外にも中国の戦犯収容所は周恩来氏の指導の下驚くほど人道的な対応をした事は当時収容された人々が証言しています。また、思想教育も強制的なものではなく、自主的な反省を促すに十分な環境だったとのことです。今の中国からは想像も出来ませんが。当時の戦犯達の証言だからかなり信憑性は高いと思います。

こうして自主的に書かれた手記に晩聲社の「三光」などがあります。この後書きに中国の捕虜管理所についての元戦犯の方の記述があります。この手記は彼らが帰った後に持ちよられ、出版されました。経緯から見てもこれらは非常に資料的価値が高いと思っています。
中国の戦犯に対する対応についてさらなる詳しい資料がございましたら、お教えください。
m(_ _)m


>「慰安所」が「強姦所」って書かれていたやつ。強姦集計表まであって、犯された女性の年齢が書かれてたりとか。あれも本当ならば、ものすごい証拠のはずですし、ここで上杉さんも挙げられてもおかしくないと思いますが、今や誰も見向きもしなくなっています。なぜでしょうか?

これについては話は聞いていますが(ゴーマニズム宣言で)、実際に資料にあたった事が無いのでなんとも言えませんが、どこにあたれば良いかご存知ないでしょうか?是非経緯について調べてみたいと思います。

中国には中国の罪があるのですが、それを持って判断の根拠にする事は出来ない事は同意して頂けると思います。特に戦犯の証言はそれらと関係ないですから。とにかく、中国の戦犯管理所の件に対しては、中国が当時建国したてであったことが幸いしたようです。文革以後は目も当てられませんが……。

証言を疑うスタンスで疑問を提示する事は否定できない事は悟のぱぱさんのご賢察の通りです。ただ、証言を否定する根拠が無い限り何らかの真実を反映していると考えるのは当然だと思います。中国で思想教育を受けた事あるでしょうがそれによって何らかの虚偽が証言に含まれた確証が無い以上それは事実を反映していると考えて良いと思います。他にも検証は必要でしょうが、それが他の書証や証言と矛盾をきたさない限り単独でも信頼性は高いと思います。

で、吉田証言に戻っちゃったわけですが(^^;)まず、上杉氏は「吉田証言は証拠として採用できない」としています。その上で「根拠の無いウソとは言えない」としています。これは「本人が否定したりしているため、他の書証とも矛盾はないから何らかの事実を反映してはいるとは確信できるが(ちなみに私(あれく)は吉田氏にお会いした事無いので確信できません)、証拠には全然使えないなあ。」とおっしゃりたいのではないかと思います。
つまり、証拠として使えないけど、それは別に証言が「真っ赤な嘘」だからではないという事を強調するために「根拠の無いウソとは言えない」としたのではないかと思います。
根拠が無いウソとは言えないが、説得力は全然ないというのが公平なところではないでしょうか。

言い換えれば現時点においてこの吉田証言に対しては証言を否定する確証的証拠「本人の否定」がありますので、事実を反映しているのだろうけど(ここはまだ憶測の部分が多く、コンセンサスを得られないので)事実とは出来ないというところではないでしょうか?上杉氏の吉田証言の見解について同意できない点は分からないでもないです。だからこそ、より正確な研究が待たれるところだと思います。上杉氏の考え方に対しては「同意できないがそう言う考え方もある」という認識を持たれれば一番良いと思いますがどうでしょうか。世の中には色々な価値判断がありますから。


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