脱ゴーマニズム宣言裁判を楽しむ会議室
1998/04/20(11:35) from 130.158.104.180
作成者 :あれく (QYZ04726@niftyserve.or.jp)
Re: あれくさんへ。国際法と証言の信憑性問題。
悟のぱぱさん。こんにちわあれくです。

>「官憲が直接、手を下さなくても、国に責任がある。」というのはどういうつながりで出てきた言葉でしょうか?国は裁いていたのですが...。
>(中略)
>このあたりから、私は強制連行問題、そして吉見教授のスタンスにかなり懐疑的になったと言わざるを得ません。

これは同じ資料によっても見方が違うと言う一つの例でしょう。
「取り締まりが行なわれた」
と言うことは、とりもなおさず、きちんと日本国政府が問題意識を持って対応していたことを示唆します。しかしながら、同時に当時朝鮮半島で
「犯罪があった」
事を示す資料でもあるのです。「犯罪があったから」、「取り締まりが行なわれた」と言うことに注意すべきです。ここで、この資料から読み取れることは以上です。ではこれから何が言えるのか考えてみます。確かに、これだけ見れば日本政府は問題意識を持って対応していたことが伺えます。「これだけ」からですが。もし日本政府が、「全ての」犯罪について対応していればそれはもう、文句を言われる筋合いはありません。完璧です。しかし、完璧に取りしまわれていたのならどうして、元慰安婦の方々の訴えがあるのか?と言うことです。この場合吉見教授は「取りしまわれたこと」より、「犯罪があった」事に重きを置かれていると思います。つまり、元慰安婦の方々の訴えに沿った事例が、この場合きちんと取りしまわれているが、「見つかった」と言うことです。資料の見方と言うのは通り一遍ではなく、その背後にどのようなことがあったのか推測することが重要です。
例え悟のぱぱさんから見て偏っていてでも、それが真実でない保証はないです。

官憲が直接下していなくてもと言うのは、業者が国家から委託を受けたためです。これだけだと委託業者かどうかまでは分かりかねるのですが、委託業者の場合とすると、軍の身分証を持っている以上、軍の行為と同様であるとするのではないでしょうか?その点についてのお考えをお教えください。


>戦後、白馬事件の関係者は国際法に基づいて裁かれたわけですから、その時点で基本的に国際法上、通常の戦争犯罪として処理は終了しているということになりますので、これ以上日本の責任を問える性質のものではありません。
>あなたの国際法上の違反を問うという姿勢に対しては、処理は終わっているというのが私の主張です。ことさらに今、それを蒸し返す必要はあるのでしょうか?
>そして、陸海軍刑法に則って処分を行わなかったのは、これは日本の責任であるということは言えます。

これもそうです。きちんと処理が行われています。この点について現在日本の問題、非はありません。問題は「白馬事件があった」事です。私が日本の罪としたのは当時の話です。この点は勘違いされたかもしれないのでおわびいたします。蒸し返すと言うより、「女性を強制的に慰安婦足らしめた」事実として認識する事が重要です。それだけです。
こういう事件が日本で発生する可能性が否定できない、と言う証拠であろうと思いますが如何でしょうか?


>日本の罪は、一部軍人による慰安婦の強制連行に対し、慰安所は閉鎖したが、その軍人は裁かなかったというものですね。しかも、それは戦後裁かれている(完全な処理済み)。それが、今なお、アメリカ軍将兵の戦死を減らせるために原爆投下は必要だったという論理を振りかざすアメリカの罪と同列に並びますか?
>あなたの提示した論をもし本当に振りかざす国があるとしたら、これは厚顔無恥としか言いようがないし、そのようなことを容認できる訳がない。

要するに感情論の問題だと言うことです。本質的に相手の非は自分の非を相対的に減らす材料にはなり得ないと言うことです。相手には相手の非、自分には自分の非があり、それを認める(もちろん白馬事件はきちんと解決していますが)。断ずる権利、厚顔無恥と言うのは悟のぱぱさんのお気持ちから出ているだけで、法的な拘束力はないですよね?国家間の問題はきちんと国際法をもとに一つ一つ解決すべきであると言うのが私のお話の骨子です。慰安婦問題もまだはっきりしていない部分が多いのですからその点を明らかにすることは日本の義務だと思います。決して他から強要されるものではないと思いますがどうでしょう?例えばアメリカだって戦時中日系アメリカ人を強制収容した非を認めましたよね。日本も(もちろん従軍慰安婦問題はまだ解決していませんが)実態調査をするなどしてはっきりさせる対応を取って欲しいと思います。いかがでしょうか?


>無論忘れてません。むしろ、あなた自身がお忘れかな?と思ってもう一度聞いたのです。それならば、あなたの言う、私の説に説得力がないわけではないけど心情的に上杉氏に賛成とか、済州島の調査に疑問が残るというのは主観であるとか、そういうスタンスって?

この点については前回すっかり忘れていた大事な部分がありますのでここに貼ります。

>それなら、事実を反映していないかもしれないという主張をしなければいけない理由はないですね。
>それこそ、そういう主張をするという必然性はイデオロギーの問題になっちゃうわけですね。これはあなたのスタンスから逸脱しています。

ですので、私は秦教授の調査が間違っている旨の断言はいたしません。主張はしないと前々回明言したと思ったのですが?私の思い込みを提示しただけですから。吉田証言は本人の否定もありますし秦教授の調査もそれを裏づけていると思います。納得はいきませんがそうすることに異論は唱えられません。よろしいでしょうか?それを踏まえた上で「疑問を残す」としました。断言したわけではありません。


>一般社会における自明ってのは「証明したり特に詳しく説明したりするまでもなく明らかなこと。」って意味です。
>つまり、強姦集計表など作って持ち歩かないのは特に詳しく説明したりするまでもなく明らかなことなんですよ。
>これを「自明ではないです。説明いただけますか?」と聞く人がいたら、私はその人の精神状態を疑います。

精神状態を疑うと言うのは主観による差別発言ですね。撤回謝罪を求めます。私はあくまで「自明ではない」といたします。悟のぱぱさんに言わせれば「精神状態が疑われる」人間なのでしょうが、前回申し上げましたようにそのような発言は厳に慎まれるべきではないですか?

学問における、「自明」は説明をきちんとできることです。ではお聞きしますが悟のぱぱさんの「自明」はどのような範囲に適用されるのでしょうか?また、それがどこでも通用すると言う保証がなされているのでしょうか?「それもまた自明なこと」なのでしょうか?

「自明である」「当たり前」と言うのは悟のぱぱさんがお生まれになって、成長する過程で培われてきた「常識(常識とはいっていないとおっしゃりますが、当たり前とすることとの差違は何でしょうか?お教え願えますか?差違が無いから一緒に用いたのですが)」
であろうと思います。と言うことは私や、この会議室に入る方々、全ての人々とはその「自明」の根拠は違って当たり前だと思います。ですので、歴史問題のような多くの人々が集い議論する場合一個人にとって自明であっても「自明」を根拠にすることは出来ないと言うのは初歩中の初歩だと思います。ちがうでしょうか?何か悟のぱぱさんは勘違いされていますが現在行われていることは一般社会の馴れ合いではなく、厳密な歴史考察の話です。ですので「自明」根拠に出来ないと思いますが如何でしょうか?


>それを言ったらあなたもなんにも言えません。あなたの済州島調査に対する疑問なんかその最たるものです。
>そして、あなたが、吉田証言になんらかの事実が含まれているとするのも、全く自明ではありませんので、証拠の提示を求めます。鈴木中将の供述の信憑性も自明ではないので証拠の提示を求めます。
>そういえば、吉田証言の反証はありますね。その時点で、吉田証言がウソであるということが自明になりますか?

吉田証言は本人否定があり、また反証もあります。「ウソ」と言うのは語弊がありますが、ともかくも吉田証言は真実であると「主張できない」とする立場です。よろしいでしょうか?


>私が、事実に対して「分からない」としたのは憶測をしても意味がないからです。見解をお聞かせしても憶測といわれるのは目に見えてますからね。無意味なことを要求しないでください。

いえいえ、事実に対して、憶測をする事自体は悪いことではないのです。ただ、「憶測である」事を明記し、確定できていないとしなければいけないなと思っているだけです。あたかも真実のように「これはこうだったのだ!」とするのは御法度であると言いたいだけで、その点をきちんと押さえていれば憶測をすることは悪いことではないです。私としても真摯に悟のぱぱさんのお考えを受け止めたいと思いますので是非お考えをお聞かせください。m(_ _)m


>そして、吉見教授の憶測に憶測で答えたとのことですが、これは言いがかりでしょ?私が言ったのは吉見教授のお説は無意味であると言っただけです。それが憶測ですか?

はいそうです。吉見教授のお考えに異論を唱えていますがそれに「こうすればもっと良かったから、有り得ない」とする「憶測」を持ち出しておられるからです。先に言いましたように「憶測」することが悪いのではなくて、憶測していることを明言せずにそれが事実であるかのように振る舞うことがいけないと言うことです。これは「憶測ですが」として悟のぱぱさんが先の主張をされるなら私としても「了解しました、そのようなお考えもあるのですね」とします。


>Bが憶測に憶測で答えたケース、Cが、憶測を否定したケース。
>Cも憶測でしょうか?地球上、全部探してみないとCの意見は憶測に過ぎない
>でしょうか?

そうです。この点はしっかりしておかねばならないのですが(実はこの問題以前やったことがあるのです)、「UFO」がないとか「ナチスはUFOを作っていない」とする命題を断定する(全称否定命題)と言うのは案外難しいものなのです。と言うか不可能なのです。そんなの常識ではないかとおっしゃるかもしれませんが正しくは「ナチスがUFOを作っていたとは到底『思えない』」とするのが一番正しいと思います。例えば「量子力学は絶対に正しい」「相対論は絶対正しい」とするのも「断定」はできす、厳密に科学的には「憶測」です(反例が見つかっていないと言う保証が無いため)。


>ええ?どうして!?
>「認めていなかったから閉鎖した」という事実はどこへ行ったのでしょう?
>少しでも不可解な点があったら、その事実すらも否定されるのでしょうか?

これは失礼しました。間違いです。正しくは「人道的立場から閉鎖した」でした。すいませんでした。軍は国際法の存在を認めていたと思います。逆にだからこそ問題にしたいと思います。国際法の存在を知りながら処罰しなかった「例」としてです。処罰が現時点で済んでいることは認めます。


>もし、吉田証言を抜きに「強制連行問題」を語ろうとすれば、それは慰安婦証言自体の検証を必要とします。
>つまり「強制連行問題」の最初を飾る吉田証言の検証の際には、慰安婦証言は証拠になり得ますが、それをなかったことにしてしまうと、「強制連行問題」の最初の証言は慰安婦証言となりますので、それは検証の対象です。(なかったことにしてしまうのもへんだけど)

いいえ、「強制連行があったのかなかったのか(これを強制連行問題を記しましたお間違いなさっていたらこちらの不手際を陳謝いたします)」とする場合、慰安婦証言は「あった」とする証拠です。よろしいでしょうか?


>この場合の国際法の適用は、ハーグ陸戦協定ではなく、ジュネーブ捕虜条約です。日本はこの条約を批准しておらず、当事国ではありませんでした。(ただし、条約の規定を準用していました)
>さらにこういった個人犯罪のケースでは、批准したとしても、その犯罪を知りうる立場の上官が処罰されたケースはあるとしても、それに基づく国家の謝罪義務は生じません。そもそも、国家の謝罪義務という考え方が国際法にはありません。すべて、ニュルンベルグ裁判以降、国際法違反はすべて個人の責任に帰する方向へ発展しました。発展といってよいのか解りませんが。(東京裁判におけるパル判事はそれに真っ向から異を唱えましたが)つまり、責任者を処罰するという考え方です。東京裁判を見ればわかるでしょう?つまり、白馬事件の国際法上の訴追を現在もしするとしても、個人に対して、というのが、国際法の現在のあり方です。

なるほど、これは知りませんでした。謹んでお詫び訂正させていただきます。こういった方面には疎いので(どの方面もそうですが)改めて勉強いたしまして、何かありましたら、ご質問させていただきたいと思います。申し訳ありませんでした。


>私はウソとは言っていなくて(この前と同じ!)、証拠がないと信用できないと言ってるだけです。そもそも、戦犯管理所から出た強姦所などの記述に関するあなたの価値判断がありませんが、現時点でも、やはり戦犯管理所から出た供述は、反証がない限りは無条件に信用できる供述とお考えですか?

特におかしい事が無い限り可能だと思います。強姦所につきましてはきちんと資料を見てからです。どの本を参考にされたか提示できませんか?証拠が無いと信用できないとするのは虚偽が入っている可能性があるとするわけですよね?ですのでその虚偽が入っている具体例についてご説明いただきたいのです。

それから、三光についてですが、これは収容所で書かれた戦犯の方々の個人個人の犯罪の告白手記を、帰還後個人個人が「自主的」に持ちよって出版されたものです。当時の犯罪の様子の証言としてみることが出来ると思います。以下後書きより引用です。

(引用開始)
私たちは1950年、対中国戦犯としてソ連から中国に引き渡されたのち、必ず酷い報復を受け、生きては帰れまい、と言うヤケクソの気もちで中国側に反抗的な態度を取り続けたのだった。ところが中国人民・戦犯管制所の職員は、私たちの予想に反し私たちにいささかの復讐的態度もとらず、一度も侮辱的言辞を使用しなかった。「罪を憎んで人を憎まず」と言う中央政府の戦犯処遇を厳守したのである。食事は職員は一日二回の食事であるのに戦犯である私たちは三回与え、病人が出ると徹底的に看護し、重病人は外の病院に入院させると言う状態であった。初め私たちはそうした中国側の態度を疑ったが、それが一年、二年と続くうちに、なるほど人間の取り扱いは本来こうあるべきで、かつて私たちが中国人を人間としてではなく虫ケラ以下に取り扱っていたのは間違っていたと自分の過去を見直す目が開かれていった。
(引用終了)

また、各手記には昭和57年前後のそれぞれの筆者からの一言が書かれています。仮に無理矢理書かされたのならば、そんなウソは持ちよらなければ良いし、否定すれば良いのですが手記が書かれたのが1955年頃です。それから、かなり経っているに関わらず手記が持ちよられている事から考えても何等かの強制が働いたとは考えにくいと思いますがどうでしょうか?

ではでは。
(引用におきましては当方で編集いたしました)


前の発言へ 次の発言へ List Index