脱ゴーマニズム宣言裁判を楽しむ会議室
1998/04/27(18:40) from 130.158.104.180
作成者 :あれく(QYZ04726@niftyserve.or.jp)
Re: そろそろ歴史的考察ではムリがあるのでは・・・。
スグルさん、こんにちわ、あれくです。

>そうではなくて、あれくさんが支持している「吉見理論自体」が憶測を根拠に「日本は犯罪をやった」と断定している理論だという事です。ここから話を発展させることは話を単に引き伸ばす事にしかならないのではないでしょうか。

ならないです。そもそも引き伸ばすと言うのが良く分からないのですが、スグルさんはもうこの問題は決着しているとお考えでしょうか?前にも書きました通り、私にとって重要なことは当時朝鮮半島で何が起きたか、と言うことを見極めることです。吉見教授の見方は確かに結果日本の犯罪を暴くものです。しかしながら、だからと言ってそれが「真実でない」保証はないし、日本は何もやっていない観点から見れば「真実だ」と言う保証もありません。様々な観点から見ることが大事なので、その見方によって非難を受けるべきではないと思っています。別に藤岡氏達が「日本は無実だ」と言う観点を持っても私はそれを非難する気はないですし。


>いえ、政治イデオロギー観点とかいう話じゃなくて、「常識的な観点から」って事です。まがいなりにも日本という「国家」を犯罪者扱いするなら、ちゃんとした確たる証拠と論拠をもってから訴えろ、って事です。そうしないと無意味に裁判が長引くだけですから。まあ言ってみれば僕の愚痴です(笑)。あれくさん自身下のように、常識と言うのは考え方ですからイデオロギーの一種なのですが?まあ、そういう愚痴があることは覚えておきます(^^;)。


>こう認めているわけでしょう。まずこんな無責任な状態で国家を訴えないで欲しい、と僕は考えています。実際裁判になってるわけですから。
>相手を犯罪者だと訴えて裁判を始めておきながら、いざ「確証は?」と聞かれると「確たる証拠は無い。断定できない。今後の検証に期待する。」なんて開き直る事が、果たして信用できる態度なのか?って事です(普通なら証拠不充分で却下されて終了のはずですから)。
>もしこの点にあれくさんも違和感を感じるなら、無批判に宣伝している上杉氏達の運動の在り方にも批判を向けて欲しい。と思います

ですので、興味無いと前に申し上げたはずですが?「確たる証拠はないが、断定できる、そうに決まっている」「確たる証拠無い以上、何も無かったに違いない」とするよりよっぽど信用できる言い方だと思いますが?それに私が違和感を感じるのはむしろ西尾、藤岡氏の論の方でして。


>それにもう1つ言うと、いわゆる「強制連行アリ派」が提示する証言に対する疑念。彼らは証言をただ「提示」するばかりで事実関係をハッキリさせないばかりか「ウソだと証明してみせろ」と立証責任を相手(日本、もしくは論戦相手)になすり付ける、という論法を取っています。これって基本的に卑怯な手段なんですよね。どんな場合においても自分の提示した証言を「本物」と主張するからには、立証責任が自分側にあるのは常識中の常識で、真偽の検証を相手に委ねるなんて事自体論外です。こういった態度を見る限り、真面目に検証しているとは言い難いですね。「日本軍=悪」という宣伝運動にはずいぶんご健勝のようですが(笑)。

まあ、正直言いまして私から見て「あり派」の一部には非常に作為的な部分があることは否めませんし逆に「なし派」もしかりです。確かに落ち着いてみれば「ウソだと証明しろ」なんて脅迫ですね。こう言っちゃ何ですが、どっちもどっちだと思いますよ。感情がもつれ合っているとしか思えませんし。私はそういうものとは無関係にいたいと思っています。
そのつもりだったのですけど、上杉氏とスグルさん、悟のぱぱさんのすれ違いレスを見て、ちょっとおせっかいの虫が出てきただけです。「日本軍=悪」もイメージですが例えば「日本軍=無実」とかもイメージですよね。スグルさんがどのようなイメージを抱いても、それ自体は非難に値するとは思えませんし、ただ、「日本軍=悪」として偏った結果しかでないのと同じように一定のイメージだけに引きずられても真実は見えないと思うんです。

それから、「ウソだと証明する」事は出来ますよ。まず、書証の場合、それが偽書、何等かの勘違いであることを証明する。証言は緻密に裏付けして矛盾点を洗い出す。これは証拠を出した側の責任だとおっしゃるかも知れませんが、別に否定派が能動的にやってもおかしくないと思います。証拠を受動的に批判するだけが能じゃないですよ。ばんばん反対の資料を探してみましょう!(私が言うのも変ですが)それにより更に歴史は見えます。


>「西にアウシュビッツ、東に南京事件」などという汚名に対し、誤解を解こうとする行為自体はおかしくないと思います。まずたった2ヶ月で、しかも爆薬を使わず、人力で30万人などどうやったら殺せるのか?明らかに誇張された史実に反する事柄を安易に認める必要はありません。

それはまたはじめて聞く理論ですね。ではスグルさんはこの点についてはご存知でしたんですね?ところで、私は誤解を解こうとすることを悪いとは一言も言っていませんよ?むしろとくべきだと言っています。それに私は30万人の事はこの際問題にしていません。
スグルさんが切られた私の引用に「事実ならばいいと言うものではない」と書きましたね。
ということはスグルさんは「誤解」をとくためには「作為」で対抗しても何ら問題はないとおっしゃりたいのですか?私は歴史的に問題を見ていると申しましたから、こういう作為は好きでないし、まして西尾氏、藤岡氏達の言うことに信用が置けなくなったのは事実です。

南京大虐殺の定義についてはこちらで思い違いがあったようなので、修正しています。詳しくは悟のぱぱさんの記事をご覧ください。


>おそらくマギー神父の場合は、蛮行の数々を言いまくったまでは良かったけど、弁護士に「自分で目撃したものはどれだけあるのか」とストレートに聞かれたために、ついポロッと「1人しか目撃していない」事を白状してしまったというところでしょう。

あのう、だから、私の言いたいのは自由主義史観者流に言えば「一人しか見ていない」と言うのは「検証の必要あり」とならないのかと言うことです。マギー氏の見た虐殺が「一人である」と確定したわけではないと思いますし。上記の事はスグルさんの何等かの考察で確証があるわけではないですよね?マギー神父の証言で重要なことは「実際に目撃した虐殺が一人」であったことではないのです。そもそもそういう風に問題を矮小化するように見るのがいいかげんと言うか作為だと思うのです。マギー神父が見た証言には当時の南京の様子が描かれています。その内容がすべて検証の対象だと言うことです。その事について藤岡氏を初めとする方々はきちんと問題にされているでしょうか?私は知らないので。
そうだとするといいかげんな資料のもちいかたをしているとは思いませんか?私はこういう資料の偏った見方も好きでないので。スグルさんはどう思われますか?


>そして強姦所資料の件ですが、あれくさんは個人の主観は事実と関係ないと言っていますが、例えば南京事件で「私が虐殺をしました」と名乗り出て「郵便袋に人を入れてガソリンをかけて火を着け、転げ回る火玉に手榴弾を結び付けて沼に放り込んで爆発させた」と主張して、かつての戦友から「私はそんな事やってない」と名誉毀損で訴えられ敗訴したという人がいます。転げ回る火玉に手榴弾を結び付けて沼に放り込むなど物理的に不可能だという「主観」が決め手になったそうです。そんな危険極まりない行為を人間が出来る訳が無い、明らかに作り話が入っていると(実際被告人は有効な反論が出来なかった)。
>あくまでこれは1つの例ですが。

ですから、これは法的なお話ですね。そもそも、スグルさんは「法的に話をしたい」私は「歴史的に話をしたい」としてますから、そもそもこの辺で話がかみ合うとは思えないのです。その私とスグルさんの前提の違いを踏まえておきましょう。さて上の例は別に常識で考えて「転げ回る火玉に手榴弾を結び付けて沼に放り込む」事が不可能、という判断が判定の理由になっていますが、それは繰り返して申し訳ないですが「裁判」のはなしですね。(私は裁判官が常識で判断したのではなく、ちゃんとした反論が選られなかったので証拠不充分でそう判断したように見えましたが、裁判資料はスグルさんのおっしゃったようにそうなっているのですか?それはまあ、おいといて)

歴史ではどうなるか?それは目撃者が有効な反論が出来ないと言うことは事実を反映しない何らかの「虚偽」であることがいえることから、この件はうそと思われる。とすべきでしょう。また「郵便袋に人を入れてガソリンをかけて火を着け、転げ回る火玉に手榴弾を結び付けて沼に放り込んで爆発させた」とする証言がなぜ出てきたのか?その点を突き詰めることも重要でしょう。何等かの事実が証言者の勘違い、誇張で歪められた事もありうるのですから。法的にはあれが精一杯でしょうけど、歴史的考察としてはやることはいっぱいあります。鈴木氏の証言にしても、同様にマギー氏の証言にしても信憑性自体は高いと思いますが細かい差違の「誇張」が入っていないとは断言できませんし、「検証」をして更に信憑性を高めて欲しいと思います。

それに、虐殺の証拠はまだまだあります。ゴー宣なではとてもフォローは出来ないと思いますし、藤岡氏達がすべてフォローしているわけでもないと思います。(南京大虐殺だけで本が一冊できるのですから)


>検証とかになったら主観は外せませんよ。僕は悟のぱぱさんの主張が妥当だと思いますよ。戦犯として捕えられるという状況で「強姦集計表」なんて残す人はまずいないでしょう(大体そんな物を作っていたと言う事自体怪しいですが)。
>中国が寛大政策しているなんて、その時はわからないんですから。仮に管理所で書かされたなら、ずいぶん記憶力のいい人だなと思いますが(笑)、拘禁状態という時点で裁判じゃ却下だし、事実関係を裏付ける役には立たないでしょう。

検証になって主観が外せないのはもちろん認めるのですが、だからと言ってそれが事実である保証はないと言うのが私の趣旨なんですが?常識で有り得ないから事実ではないと憶測するならまだしも、それをして他の証言を怪しいとする根拠には出来ない、というものです。憶測ならいくらでもできます。急に捕まったので、捨てられなかった。うっかり捨てるのを忘れていた。捨てたつもりが捨てていなかった…etc。いくら怪しくても事実かもしれないのですからそれから、裁判と歴史は…と言うのはしつこいからもう止めです。別に「私」は裁判で争っているわけではないので、関係ないです。全く理由になりません。
裁判で証拠にならないので歴史考察で考えてはいけないと言うのは理由になりません。そんな例があるのですか?歴史考察においてですよ??(歴史資料に獄中で書かれたのは結構ある気もしますが。)


>最後にスマラン事件ですが、「結局どうとでも言えます。」とあれくさん自身認めていると言う事は、つまり軍が売春を強要した違反者を放置したという不祥事はあったが、「軍本部の命令によって慰安婦を強制連行した事例はみつかっていない」でいいですかね?

「軍本部(ってどのレベルですか?)の命令」と限定するならOKです。軍の不作為による不祥事です。また組織的な犯罪とも言えると思います。ただ、当時の慰安婦に関する考え方を見る一つの材料にもなろうと思います。日本軍全ての兵員が国際法を知りながら尊守していたわけでないと言う例でしょう。


私の方もなるべく趣旨をご理解いただくため長くなっておりますがどうかご容赦ください。

ではでは!!


前の発言へ 次の発言へ List Index