脱ゴーマニズム宣言裁判を楽しむ会議室 |
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1998/04/24(12:18) from 130.158.104.180 |
作成者 :あれく(QYZ04726@niftyserve.or.jp) |
Re: そろそろ歴史的考察ではムリがあるのでは・・・。 |
スグルさん、こんにちわ、あれくです。 >あれくさんは歴史的考察と言ってますけど、あれくさんが持ち上げている吉見理論は法的考察が遥かに大きいですよ。しかも最初から推測で日本を犯罪者扱いしている上、断定形を前提とした理論ですよ。 私は別に断定はしていませんよ。思うとか憶測と言うのは断定を前提とした表現なのでしょうか?それから考察をしているのは確定したと認められる事実に対してで、考察はその範囲内においての話で、直接的証拠が無い限り「憶測」です。白馬事件も確定している事実に対して所感を述べたまでで、断定したわけではありません。別に吉見教授の事は個人的には存じ上げていないのですが、「あり派」の立場から、そのように受け取られる表現もあるのでしょう。重要なことはそこから「事実」とそれによる「憶測」を分けて、事実だけを持って自分の考えをまとめる事だと思います。
たまったものではない、とかそういう政治イデオロギー観点を歴史考察に持ち込むことをしていないだけです。結果日本はたまったものではないかも知れませんが、安易に否定しては元慰安婦の方はたまったものではありません。こういう考えは、歴史考察、事実とは本質的に関係ありませんから、加味せずに考えるべきだと思いました。
この点はご指摘の通りで、私はそれを前提としてお話しております。根拠は薄いです。むしろ根拠と言うもおこがましいと思います。別にそれを信じろとかそれを強要したわけではないです。そういう考え方もありますよと言う事です。別の視点からうがってみること自体が悪いこととは思いません。ただ、スグルさんもご指摘の通り断定的に使われるのは避けられるべきで、その点不振なありましたら申し訳なく思います。
まず歴史論争においてはこのご指摘の点をしっかり認識しておくことが重要だと思います。従軍慰安婦問題は現在においてまだまだ証拠が少なくて、断定できる状態ではないと言うことです。考察が出来たとしても「憶測」「可能性の話」しかできないと言うことです。
例を悟のぱぱさんのレスに2つほどあげておきました。よろしくご批判お願いします。
現時点におきましては無理です。まず、事実の洗い出しからはじめないといけないと思うのですが、その点において万人に納得をしていただけるような証拠はないと思うし、だからといってなかったと断定できるほどまっさらでも無い。この点を良く踏まえておくべきだと申し上げています。法的根拠と申しますが、ある事象があった、無かったかは純粋に歴史問題です。国際問題と絡んで出てきたことは認めますが、歴史問題に絡めるべきではなく、純粋に歴史問題から言えることを法的に解釈する、とする立場が必要と思います。 スグルさんはスグルさんでご自分の見解を大事になされば良いと思います。ただ、大事にしつつも他の意見を参考にしてご自分の説を膨らませておけば良いと思います。今のところ歴史的考察においてはそれ以上は出来ないと思っています。 大まかな事実認識におきましてはスグルさんと同じですので、レスが短くなりましたがこの辺で。
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