脱ゴーマニズム宣言裁判を楽しむ会議室 |
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1998/04/22(00:44) from 143.90.207.197 |
作成者 :スグル(series@anet.ne.jp) |
そろそろ歴史的考察ではムリがあるのでは・・・。 |
スグルです。あれくさんは「慰安婦問題は法的な問題にとどまっていない」とおっしゃっていますが、あれくさん自身、国際法・不作為の罪や吉見理論などを持ち出しており、あれくさんの論はすでに「法的考察」になってるのでは…?あなたはスマラン事件についてこう結論付けていますね。 >こういう事実があったことを認めることが目的です。つまり、当時軍にこのような「強制連行を不問にした(閉鎖はしました)」事実が存在し得た一つの証拠ではないかと言うことです。返せば、「強制連行が他でも行われた可能性を示唆する」ものです。見方の問題であり、偏っている偏っていないは問題ではないと思いますが如何でしょうか? >「中国・上海」で捕まったのだから、どうして「朝鮮」でそれが捕まらなかったのか「『朝鮮半島で』見逃していたのではないか」という吉見教授の見解はやはり断定でなく根拠が無い上での「推測」ですが、別に変なことは無い気がします。(4/21) あれくさんは歴史的考察と言ってますけど、あれくさんが持ち上げている吉見理論は法的考察が遥かに大きいですよ。しかも最初から推測で日本を犯罪者扱いしている上、断定形を前提とした理論ですよ。 >犯人と裁く側の考えが一緒だったらどうなるか?これが「慰安婦強制連行問題」の核の一つであり、現在真相究明が進められているものであると思います。 こう思うのは別にいいんですが、あれくさんが認めている通り、これは「推測」です。大体「一緒だったらどうなるか?」なんて言う偏見を前提にして問題の核にされて犯罪者扱いされたら訴えられる側(日本)がたまったもんじゃないんですがね…。まあそれは裁判の現実かもしれませんが。 >私の言いたい証拠とは広く「事実を示唆するもの」として考えております。その点から見て、証拠となりうるでしょうか?どうでしょうか?拘禁状態における証言はすべてデタラメでしょうか?それとも何等かの事実を有しているとお思いでしょうか?そのあたりのご見解を法的根拠からでなく、あくまで歴史的見地からお教え願えませんか? 「歴史的見地」という言葉だけでは結局のところ邪馬台国論争みたいに仮説・憶測しか生まれないですよ。こんな解釈もある、あんな解釈もある、この証言は何等かの事実を有している可能性がある、でもあの証言も何等かの事実を有している可能性があるかも…これではひたすら恣意的な論のなすり合いになってしまうし、話が進まないと思うんですが。 >藤岡氏や西尾氏の面々も結構いいかげんなことをおっしゃっているとききます。(別人さんからもご指摘がありましたね)その責任についてはどのようにお考えですか?もしよろしければでいいのですがお教え願えますか? はい、別人さんからインドネシアの慰安婦2万2千人の話がありましたね。この場合は僕は藤岡氏の論を鵜呑みにしていたわけですが、この点は不注意でした。もし間違いなら藤岡氏はトリックを使ってた事になるし、責任がありますね。イメージ操作にもなるでしょう。「藤岡氏や西尾氏の面々」のいい加減なこととはどんなものでしょうか。この他になにかあったら教えてください。僕はその他に姑息なトリックを使っていた例を知りませんので。 >信憑性が無いとおっしゃいますがそれはどのような根拠によるものでしょうか?ですので、私の申し上げたいことはどの部分が何故に信憑性が無いのかお教え願いたいと言うものです。拘禁状態の証言が信用にならないのなら、その理由を証拠を証拠をあげて説明いただきたいと言うものです(法的なものではなくて)。鈴木氏の証言ではありませんが、当時の中国の戦犯管制所は証言に虚偽が入るほど厳しい環境でなかったと思います。(この点は悟のぱぱさんのレスの最後の方をご覧ください)法的根拠はともかく、スグルさんの率直な感想を聞きたいのですがいかがでしょうか? 法的根拠なしに慰安婦問題は語れないと思うんですが。ファクトとして認められなければ何言ったって無意味でしょ。「世界」の供述書に信憑性があるかは検証の必要があるでしょう。しかし「世界」に検証する気があるかは疑問ですが。(できれば事実関係を証明してから載せて欲しかった。) |
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