脱ゴーマニズム宣言裁判を楽しむ会議室 |
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1998/04/21(14:26) from 130.158.104.180 |
作成者 :あれく(QYZ04726@niftyserve.or.jp) |
悟のぱぱさんへお返事 |
こんにちわ、悟のぱぱさん。 そろそろ論が尽きて堂々巡りをはじめているので、まとめてみたいです。 >ですから、発覚した場合には処罰してるってことでしょ?「見逃していたのではないか」という吉見教授の発言は、なんの根拠もありません。「元慰安婦の方々の訴えがあるので、発覚しなかったケースがあったと思われる」という指摘ならば妥当であると考えます。見逃していたと推測するに足る根拠はありますか? いえ、ありません。私も悟のぱぱさんと同じ認識です。推測するとは思われると言うことです。「断定」ではないですね。根拠無きゆえの推測です。「中国・上海」で捕まったのだから、どうして「朝鮮」でそれが捕まらなかったのか「『朝鮮半島で』見逃していたのではないか」という吉見教授の見解はやはり断定でなく根拠が無い上での「推測」ですが、別に変なことは無い気がします。これをして「悪意がある」とは、いくらなんでも深読みのし過ぎではないでしょうか?自明なのかもしれませんが、私は納得しかねます。
証言についてはきちんと理由を述べて、信憑性が高いとしています。憶測については、憶測である以上断定的に用いられるべきものではなく、確証が無い以上、主観的なもので却下されて当然の事であると言う認識のもとに、可能性を申し上げております。憶測はあくまで憶測とし、主張には理由をもって述べているつもりです。ご不審をもたれた点については申し訳なく思っております。真実でない保証をしたつもりはありません。憶測として真実である保証はない、と申し上げております。可能性として偏っていてもお考えくださいとしたまでです。対しまして鈴木証言についてのご指摘は、可能性として受け止めておりますが、納得する証拠が無いので憶測としてむしろ肯定的な証拠もありますので信憑性が高いと認識しております。
あの、確か「内地」っていうのは植民地を含まないのですけど、よろしいでしょうか?私の記憶によれば公文書で「内地」と言うのは日本を指すと思っていましたが?植民地を含むものでしたっけ?この場合日本の慰安婦にしか適用できないのではないですか?それはともかく、これが仮に「植民地にも適用されていた」ならば悟のぱぱさんのおっしゃる一つの証拠になるとは思いますよ。ただ、命令されていた事と、完璧に実施されていたことは別かもしれない…もちろん憶測です。憶測としてなんですけど、そうすると元慰安婦の方の証言と良く合う。それだけです。何にせよ確証はないですね。その点は理解しております。同意をいただく必要はありませんが、そういう考えがあることも含みおきください。
当時日本の罪と言うのは「白馬事件発生から戦後裁かれるまで国際法違反を放置していた。
了解です。
そうですね。確かに歴史的経緯を見てもヨーロッパのローカルルールだったことは否定できません。しかしながら双方の利害が対立したときにきちんと国際法にのっとるのが一番双方のコンセンサスを得られる方法ではないか?と思っただけです。その観点から国際法における日本の立場を理解しようといたしました。この悟のぱぱさんのご意見には特に異論を挟むものではありません。
まあ、表向きそうといって良いかもしれません。何等かの事実が含まれていることは今の時点において完全に否定された訳ではないですよね?まあ、ただ、ここで、ちょっぴり本音を言わしていただくと私自身「これは怪しいと思います」。心情的にはすぐにでも悟のぱぱさんに同意したい。しかしそれをやってしまってはいけないと思っています。これは受け売りなんですが、歴史をよむときに「あたりまえである」とするのは一番危険なんだそうです。事実は小説より奇なり、と申しますか。私が知りたいのは「なぜそのような(怪しいけど)史料が出たか」と言うこと、そして中身がどのような経緯を得て作られたものなのか、出来る限り調べること、その上で「怪しい」なら「怪しい」としますし、別に何等かの確信があっていっているわけではないのですが、きちんと始末を付けたいと思っているのです。それはまずいことなんですか?資料選定においては主観を入れないようにしたいのです。 そもそも、私は強姦表について良く知らないのです。悟のぱぱさんに「あやしいですよ」と言われても、やはり納得はしかねます。良く分からないことに勝手に結論を付ける愚は犯したくないと言うことです。本質的に真実の可能性の問題ではありません それからですね、私は自分が「精神的に疑わしい」と言われたことを怒っているのではなく、自分の主観で自分の意に添わない人をして「精神的に疑わしい」とするその軽率さに怒っているのです。前だってそうです。吉見教授を「大笑い」して何が楽しいのか?感じたことをそのまま述べればいいってもんではないでしょう?私だって人の事言えないかも知れませんが、もう少し選んだ文章をおかきになられては如何ですか?
私はそうは思いません。当たり前を入れてしまうと言うことは、資料を事実ではなく、自分の好きなように解釈してしまう事です。自分が好きな解釈=事実とするならば良いのですが、両者が一致すると保証はされていないと思います。私は幾つかの歴史会議室に出ておりますが、残念ながら、悟のぱぱさんのようにお考えになる方を見たことはありません。 それから、厳密に歴史は裁判ではありません。資料を見るときそれが偽書でも、どうしてそれが出来たのか、なぜそうなったのか、考察するのが歴史です。考察もせず憶測で判断するのは歴史でなく、思い込みです。偽書一つをとっても歴史は見えると思います。
ご自分でお気づきになっていないだけです。こんな人間はいないだろうなんてのがそもそも思い込みです。悟のぱぱさんの自明が「左右されないもの」である保証はどのようにしてなされたのでありましょうか?私は色々な人間がいると言う立場からこんな人間はいないと言う先入観は持ちません。「常軌を逸した」犯罪は現在でも世界中で行われています。 結局、どこまでが自明でどこからかが自明でないか明確な線引きをしないと使えないと思いますが、その線引きは誰がするのですか?そのボーダーライン上の議論のときどうやって決着を付けるのですか?その点をお聞きしたいと思います。そして悟のぱぱさんがそのラインをきちんと見極めている保証はあるのでしょうか? 時に判断に主観を用い、時に証拠を求める。こういうのをダブルスタンダードと言うのではないですか?これがイデオロギーを排除した自由主義史観ですか? どうも私は悟のぱぱさんの主観だけで資料の取捨選択をしているようにも見えるのです。
そうです。主観の部分は考慮されなくて結構です。きっぱりいってしまえば現時点で吉田証言は「うそ」です。済州島調査はそれに対する証拠であると思います。心情的には納得いかないけど、主観の問題であるので却下されても問題はありません。新しい資料を待ちたいところです。
私は中国の戦犯管制所の様子として三光の後書きをあげました。それによりますと、 1)当時の中国の戦犯管制所は今の中国から想像も出来ない思想教育を強制しない温和なものであった(中央からの司令である)。 と言う事実を踏まえまして、判断として「もともと事実を前提として書かれた手記」に何等かの虚偽が入る可能性は少ないのではないか。細かい描写に間違いは含むでしょうか大まかな点(事件)などは信憑性は高いのではないか?と判断いたしました。これから細かい事実関係について検証されることももちろん重要であると思います。対しまして悟のぱぱさんは 中国戦犯管制所から出たものだから疑問がある としています。なぜ中国管制所から出たものが怪しいのかとすれば一つの例として「釈放を前提に書かせた可能性がある」とされました。ですので、その証拠を見せていただきたいとしました。私は中国の戦犯管制所におきまして釈放を前提に書かされた、私は中国において釈放を示唆して書かされた事実など、悟のぱぱさんがおっしゃる状況を示唆する証拠を知りませんので、この点が自明ではありません。もしあればお願いします。ということです。話を整理してみましたが如何でしょうか。強姦所の書については仮に悟のぱぱさんのおっしゃる事実であったとしても、上記事実を否定する直接証拠にはなり得ません。
>例えば、人道的見地から言えば、レイプされた女性が他の収容された仲間から変な目で見られるのを防いであげようしたという発想もありですよね。割と日本的な発想でしょ? 申し訳ありませんでした。おわびいたします。これで結構です。悟のぱぱさんのお考えは良く分かりました。私がしたいのは反論云々ではなく、悟のぱぱさんがどのようにお考えになるか知ることです。それによってなるべくスムーズに議論を運びたいと思っているのですが私の文章のまずさでご不快になられていることを深くおわびいたします。
>これでどうでしょうか? 私は自明は証拠ではないとしているはずですが。そう考えられますとするのならまだ認められますが、自明であるとするのはただの思い込みと言うものでしょう。私には自明ではありません。憶測と自明をごっちゃにしてはいけません。だから、そういう判定は危険だと申し上げているのです。
強制的に慰安婦足らしめることを禁じた国際法「醜業を行なわしむる為の婦女売買禁止に関する国際条約」に強制的に慰安婦にしたものは「罰せられるべし」とあります。国際法を尊守する立場なら処罰も行なったはずだと思ったのですが。こういうのは国際法違反ではないのですか?国際法を尊守したと言えるのですか?私はそう思えなかったので。私は国際法の存在は「知って」いたが、「履行」はしなかった例と映りました。ですので、この例をして慰安所の閉鎖は善意に解釈しても「人道的見地」であったのではないかとしました。
言葉が足りませんでしたが、私も悟のぱぱさんと同じ認識です。軍命令で強制連行があったのかなかったのか?などと言う意味でありました。ただ、検証も大切ですが「強制連行があった無かった」の問題ですのでこの場合証言は証拠であると思いますが。例えば軍命令の明確な書証が別に見つかれば、慰安婦の方の証言を検証するまでも無く事実は確定すると思いますが。慰安婦一人一人の方が、強制連行されたのかとすると確かに純粋に検証対象ですね。問題の焦点をどこに持っていくかだと思いますが。
この点についてもどのような議論があるのかを知りたいです。是非お教えください。私は知りませんので。
きちんと検証することは必要ですが、現時点でも信憑性は高いと思います。その点は先に上げました。推測をされることは良いのですし可能性として有り得ないと保証されたわけではないですがそう主張されるなら明確な根拠が必要だとするものです。鈴木証言自体について私の根拠は先に挙げた4つです。
すいません、私はぎすぎすした議論は嫌いですので、朝生は見ていません。そう申したはずでしたが。「ゴー宣」はあまり信用していません。資料のもちいかたが作為的なので。 |
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