脱ゴーマニズム宣言裁判を楽しむ会議室
1998/04/27(18:55) from 130.158.104.180
作成者 :あれく(QYZ04726@niftyserve.or.jp)
Re: あれくさんへ(判例、戦犯管理所、南京、白馬事件)
こんにちわ、悟のぱぱさん、あれくです。


>この記事には、二つの判例が出ており、片方が日本において、日本人慰安婦を上海の慰安所に移送したというケース。もう片方が、朝鮮において妻を騙して、中国へ移送したというケース。この2件が出ているということです。つまり、朝鮮での犯罪は上海で発覚したとは書かれていません。それと、これは根本的な問題なのですが、渡航許可が出ず、渡航できなかったら国外移送罪には問われません。未遂です。つまり、渡航出来たが故に国外移送罪に問われたということです。朝鮮で発覚したケースは国外移送罪未遂となりますので、朝鮮で発覚した朝鮮からの国外移送罪というものは理屈上あり得ませんし、完璧な身元確認などというものも不可能な話です。

上海で捕まったかどうかは別にしてでも、渡航許可が出ていれば十分に朝鮮で発覚したのを見逃した可能性があります。まず、渡航許可を出すためには次のような条件を満たさなくてはいけません。以下「不良分子の渡支取締方に関する件」ですが

・日本内地や植民地から中国に渡航したい日本人、朝鮮人、台湾人は、地元の警察署長に身分証明書下付願いを出す
・これをうけて日本、朝鮮、台湾の警察署長は、本人の本籍、現住所、身分、職業、渡航目的、渡航理由、渡航期間や平素の言動等を調査する。不正行為を行なう恐れがあるものには身分証明書を交付しない
・「正当目的のため、至急渡支を必要とするもの」以外は渡航を差し控えるように指導する
・出発港の警察署長は、この身分証明書または旅券を持たないものについては、中国向けの船に乗船させないようにする

としています。特に2項目は警察署長が責任を持って、身元調査をしなくてはいけないとしています。徹底していれば「地元」の警察で一人一人調査を受けたはずでこの時どうして強制連行が発覚しなかったのかと言う疑問を持ちます。(まさか本人に会わずに発給する杜撰なことはやってないと思いますが)一言「助けてください」と言えばいいのですから。悟のぱぱさんは完璧な身元調査は不可能としていますが、この4つの規定はそもそも戦争で大もうけしようとする「不良分子」を取り締まるためのものでもとより身元調査には神経を使ったはずです。一つの解釈として違法行為を承知の上発給したとは考えられないでしょうか。ということです。

>「そのまま言ったとしたら悪意があるが、そんなことをしたとは思えない」という主張は心情的な肩入れに過ぎませんし(上杉さんの考え方を当てはめれば、吉見教授に洗脳されてる!ってことになります)、私が、吉見教授には悪意があるという主張をすることを否定する根拠とはなり得ません。それはあなた自身もお認めのようですし、結局、あなたとの議論の中で私の主張を覆すに足るあなたの言葉はありませんでしたので、私は、吉見教授には過去の日本に対する悪意があると結論づけます。少なくとも、あなたの考えは心情的な肩入れ抜きには、まったく意味のないものです。

別に私は吉見氏に肩入れしているわけでは無いですが。お会いしたこともありませんし、「もしかしたら悪意かもしれませんね」ともいっています。私としても悟のぱぱさんが、吉見氏の事をどう思おうが知ったことではないのですが、せっかくですのでコメントさせていただきました。それだけです。

>・4月5日報道の鈴木供述を初めとする自筆供述書は「強姦所」供述が出たところと同じ撫順戦犯管理所である。
>・「罪状」をつきつけ、「これを認めれば許す」と言って供述書を書かせ、殆どを無罪放免している。、「日本の軍国主義を追及す
・撫順戦犯管理所からの帰国者には、「虐殺した」、「人体実験した」「強制連行した」「三光作戦を実行した」などの証言をしる」という人達がいるが、中には、かつての戦友に真っ赤なウソだと暴かれた例もある。(この報告は実は私も読んだことがあるのです。三光が中国語だと知ったのも同じ記事でした。掲載されていた「正論」平成9年9月号を私は所持していたのですが、紛失してしまった上、記憶が曖昧だったので、明言を避けていました)
>・1950年、中国共産党はソ連から洗脳術のノウハウを入手。同時期にシベリアから約千人の日本人捕虜が撫順に送られる。
>・手記を読むと(おそらく三光のことでしょう)「認罪学習」を受けている。
>(小林氏曰く、「自己啓発セミナー」そっくりということですが、これは彼の文章からだけでは分かりません)
>・反戦軍人となって帰ってきた人の中には、ウソ証言がばれて、「批判追及はいくら受けてもよい。しかし私は中国共産党の指導には心から感謝し、日中友好に今後とも全身で当たっていきたい」と熱弁した人もいる。
>(これら該当する記事、論文が掲載されていたのは「正論」平成8年10月号、12月号、9年7月号、9月号、元日本兵による反論文は平成9年6月号です)

これ、私も読みました(悟のぱぱさんのレスを読んだ後ですが…。SAPIOを読む暇が無かったのでまさか言及しているとは思いませんでした)ただ、ちゃんとした元資料がしっかり提示されていないので確かめ様も無いですが(正論は別です)、仮にすべて本当だとすると信憑性に考察の価値があることは認めたいと思います。特に4月5日の記事におきまして「認めれば許す」とした事は重要だと思います。ここの例については「あるよ」だけではなくきちんとした例、具体的資料を挙げて欲しいと思います。それが証拠だと思 うのですが。

>これはつまり、あなたは、歴史研究においては、自分の判断力というものを否定してるってことですね。

悟のぱぱさんが過信しておられるように受け取られましたので。結局最後は必要ですがいくらなんでも「これは有り得ない」と言うのはちょっと、そういう判断はしない。そしてそれを他の論拠に持っていかないとしているだけです。

>で、この反証をも考慮すると、歴史認識の方法論は間違っていたかもしれないが、結果としては「強姦所と強姦集計表などウソだという主張は正しい可能性が高い」。そして、「撫順戦犯管理所からの供述書は信用できない」と結論します。

私は強姦表自体は前回肯定も否定もしないと申しました。正直言ってきちんと小林氏の言うことを確かめておきたいのですが(それこそ伝聞じゃなければいいのですが)、今はする術もありません。とりあえずこの点につきましてはきちんとこれから裏を取りたいと思います。しかしいいタイミングでしたね(^^;)。悟のぱぱさんがそのように結論されることに対してはまあ、異論はありません。

>これはとんでもない勘違いをなさっています。南京大虐殺の人数としていわれる30万人は、日本軍が1937年12月13日の南京占領以後に虐殺したとされる数です。それは、東京裁判の検察側の文書「南京地方法院検察処敵人罪行調査報告」に記されていた定義と数字で、そのまま、中国共産党の「侵華日軍南京大屠殺史料専輯」に引き継がれています。

あの、東京裁判における判決は確か「20万人」だったと思ったのですが?それで常々10万人はどこから来たのかと思っていたのですが(それで思われますと表現を変えているのです)。しかし、とりあえず今買ってきた笠原氏の「南京事件」を読んで調べて見ると、はっきりしました。30万人は中国の南京軍事法廷の判決ですね。「侵華日軍南京大屠殺史料専輯」は南京軍事裁判の資料です。この公開は1987年に行われています。引き継がれたと言うのは間違いでしょう。なんかごっちゃになってますね。確かにここでの定義は12月13日以降ですから本質的に、悟のぱぱさんのご指摘はあっているわけですが。

それはそうにしましても別の問題もあります。当時の南京大虐殺において当時の南京市の人口で一概に比較してしまうことは危険です。確かに当時22万人ともいわれていましたが、南京陥落前には南京城に逃げ込んできた人たちもいました。また、兵士もいます。もちろん逃げ出した人たちもいましたが、陥落当時の人口は22万人をはるかに超えていました。この数についてはまだはっきりした定説を聞いたことはないのですが、南京防衛軍だけで15万人、市民は40万人程度いたと言います(笠原十九司「南京事件」岩波新書・これにはちゃんと根拠が述べられています。ちなみにこの書における南京大虐殺の定義は12月4日から2月14日です。これは余談)結局22万人と比べることは本質的に意味が無い気がしますが?

>矛盾が生じているといえばその通りです。しかし、それは、あなた曰くの「別の証言」の際に、伝聞を目撃したと言い間違えたか、口が滑ったかでしょう。本当に目撃したのならば、反対尋問で、アイスボックスを盗んでいたことを言う前に、(それ以前に、一人の殺人より)もっとひどい殺人行為である機関銃による虐殺を最初に目撃したと言うべきでしょう?これだけ日本の罪を挙げながら、反対尋問の際に日本に有利になるようなウソをついたのでしょうか?機関銃による殺戮の記憶を証言の途中で忘れたのでしょうか?合理的な説明ができますか?

「実際に殺す瞬間」をして「マギー氏の見た虐殺」とするのならまだこの解釈でよろしいでしょう。

まず、「マギー氏の見た虐殺は一人である」とする語彙からどのようなものが取れるのか考えてみれば良いと思います。「実際見た虐殺」と「見た虐殺」には大きな隔たりがあるのです。後者は実際に殺人現場を目撃しなくてもそう言えます。しかし語彙が似ていますから、しばし混同され、読み手にもそれが移ります。このような論で気になるのは「マギー氏が実際に虐殺を見ないと虐殺があったとは言えない」としている風が見られることです。これはどういう事でしょうか?マギー神父の証言には直接に被害者から聞き及んでいる話も沢山あります(と言うかほとんどですが)。聞き伝えですが、体験者からの直接なので信憑性はかなり高いと思います。当時の南京の様子についても述べています。また、多くの死体を見、カメラに収めたのも有名な話です。それらは当時の日本の行動を見る上で検証の対象とはならないのでしょうか?

「マギー氏が見た虐殺は一人」とする論調からは「マギー氏は一人しか見ていない」と言うせりふの強調しか読み取られず、証言全体を見ている視点が故意にかどうかは分かりませんが欠けていると思います。こういうのはイメージ操作ではないのでしょうか?私には「マギー氏が見た虐殺は一人」にこだわる理由が分かりません。少なくともこの言葉から歴史は見えてこないと思います。

その点から見て先のように検証は必要ではないか?としました。

それから、「別の証言」ですけど、マギー氏の証言は二日にわたっており「殺されるのを見た」とするのは一日目「目撃したのは一人」としたのは二日目の話です。基本的につながった南京大虐殺についての話ですが途中でマギー氏個人についての別の話になったりもしています。そうだからと言う訳でもないが別の質問に対する証言ですから、「別の証言」としました。確かに時間軸は前後たがえています。この文章を作ったのは私ですが、勘違いを起こさせる意図は全く無かったことはここに明言致します。これからはもう少し気を付けましょう。

>ちょっと、無理がありますねえ。性被害を訴えられないのならば、別に同じ収容所でも一緒ですしね。
>隔離してたら戦後も発覚する確率は低いだろうって予想したわけですか?

そうですね。その収容所からは広がらない(と思った)し、元いた収容所で慰安婦反対運動を起こした女性達(彼女たちが直訴して事が発覚しますが)と接触したら事がまたややこしくなるとでも思ったのではないでしょうか。少なくとも元いた収容所に戻すのは恐かったろうと思いますよ。無理がある無いではなく、当時の兵士達が出来る(行方不明にしたら、それはそれでまた直訴されかねませんから)精一杯ではないでしょうか。

>だから、私が憶測合戦は意味がないって言ったでしょうに。どうとでも言えることを言い合いしてどうするんですか?

私の言いたいのは考察でどのように考えられるか見ることです。それを交換し合おうと思いました。しかし、さすがにわたしも疲れましたので了解しました。最近時間も無く暇があったら書いてはいるのですが、余裕も無いので、つきましてはそろそろきりのいいところで私は抜けましょう。主観のぶつけ合いが無意味なら話すまでもなく、また疲れるだけです。話し合いの根本的な部分ですら同意点が見られないですからね。私個人では本意ではないので議論を閉じようと思います。つたない文章でご迷惑を多々おかけしたことは深くおわび致したいと思います。

なかなか、こういう問題は主観の問題だけに理解点が見出しにくいですね。

今後は必要な部分に対し短めの反応をつけ、議論を拡大することはせず、収束させようと思います。

ではでは。


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