脱ゴーマニズム宣言裁判を楽しむ会議室
1998/04/26(08:50) from 202.211.65.174
作成者 :悟のぱぱ(ymaeda@ps.inforyoma.or.jp)
あれくさんへ(判例、戦犯管理所、南京、白馬事件)
あれくさん、どうも。レス遅くなりました。

一度レスを書いたのですが、削除されていました。どうしてでしょうか?
管理者の方、きちんと明言してください。私は、会議室の心得のとおり、メールアドレスも明らかにしていますし、反論にも最低限の礼義はわきまえた書き方をしているはずですが?以下の内容に問題があるとするならその理由をはっきりさせていただきたいです。

>なるほど、これは多分、この犯罪が上海で発覚していることを問題にしているのではないかと思います。つまり、朝鮮でこれが発覚せず、上海で発覚したと言うことです。朝鮮から渡航する際はきちんとした手続きを踏み、厳重な身元調査の上渡航許可を出しますからその気になれば十分この時点で発覚したのではないかと思われる、ということを踏まえての発言であると思われます。

ちょっと勘違いなさっています。この犯罪の発覚した場所は明記されていません。
この記事には、二つの判例が出ており、片方が日本において、日本人慰安婦を上海の慰安所に移送したというケース。もう片方が、朝鮮において妻を騙して、中国へ移送したというケース。この2件が出ているということです。つまり、朝鮮での犯罪は上海で発覚したのではありません。
それと、これは根本的な問題なのですが、渡航許可が出ず、渡航できなかったら国外移送罪には問われません。未遂です。つまり、渡航出来たが故に国外移送罪に問われたということです。朝鮮で発覚したケースは国外移送罪未遂となりますので、朝鮮で発覚した朝鮮からの国外移送罪というものは理屈上あり得ませんし、完璧な身元確認などというものも不可能な話です。

>ただ、新聞に載るときは記者がインタビューしてもかなり削り取って時にはこのように悪意のある文になることはままあると聞いております。(恐らく電話コメントでも求めたのではないかと思います)以上はやはり憶測ですが吉見教授がそのままを言ったとはちょっと思っていません。もし本当にそのままをワザと述べたとするなら、確かに「悪意」でしょうね。あるいは記者の悪意かとか。一つの考えとして考えていただければ幸いです。

記者に悪意があるのは明らかです。例えば、「従軍慰安婦の教科書記載をめぐる論争では、「官憲の暴力」のみを強制連行とする主張がある」という大ウソを書いていますからね。自由主義史観論者が主張しているのは、「強制連行が官憲によって行われたかのか、業者によるものかが問題だ」ということではないでしょうか?とんでもない主張の歪曲です。
その記事の論調に沿ったコメントをつけているのですから、吉見教授におなじ悪意がなかったとはとても思えませんし、そもそも、どう「削り取れ」ば、悪意のないコメントが悪意あるコメントになるのでしょうね?私には理解できません。記者がコメントを作ったのなら別ですが。
「そのまま言ったとしたら悪意があるが、そんなことをしたとは思えない(上杉さんの考え方を当てはめれば、吉見教授に洗脳されてる!ってことになります)」という主張は心情的な肩入れに過ぎませんし、私が、吉見教授には悪意があるという主張をすることを否定する根拠とはなり得ません。それはあなた自身もお認めのようですし、結局、あなたとの議論の中で私の主張を覆すに足るあなたの言葉はありませんでしたので、私は、吉見教授には過去の日本に対する悪意があると結論づけます。少なくとも、あなたの考えは心情的な肩入れ抜きには、まったく意味のないものです。

>非常に参考になるご意見を頂きましてありがとうございます。今後の考察の参考にさせていただきます。個々の論には少し異論はありますが、議論の拡大を防ぐためとりあえず今はおいておきましょう。

いえ、ここは、異論があれば述べて頂きたいところなのです。つまり、朝鮮人を日本人がどう考えていたか、日本が朝鮮をどう考えていたか、という視点は、強制連行を考えるときには欠くことはできないでしょう?
前回に付け加えれば、日本人の朝鮮人に対する差別は、欧米の人種差別政策に比すれば、「家柄による差別」程度のものであったと私は考えています。それ故に、法的には日本人と朝鮮人は平等であったし、お互いの結婚も奨励されていました。法的に平等で、結婚も奨励されていた状態で、慰安婦を強制的に連行することは許容したという考え方には私は違和感を感じます。

>ただ、もし悟のぱぱさんがおっしゃるようなお考えを、日本の陸軍省が持っていたとするならば、やはり「植民地」も「内地」と同様に入れるべきではなかったかと思います。受け取る方は確かにそのように感じたかもしれませんが、発した側は「植民地も同じだよ」と言う意志を持って発したのかは疑問があります。これは北支、中支の軍がどう受け取ったかではなく、陸軍省の方針を見る一つの材料ではないかと思います。

陸軍省の考え方はあなたの憶測です。反対に憶測すれば、いちいち持ち出すまでもないという捉え方も可能ですね。(「内鮮一体」というかけ声もありましたよね)根拠の全くない憶測はどうでしょうか?

>主観による、人格の否定的表現は無用の誤解を避けるために避けた方がよろしいと思います。私が謝罪を要求したのは受け止める人によっては悟のぱぱさんに対してもよからぬ感情、先入観をいだき、建設的な掲示板の存在を阻害すると思ったからです。

ですから、そのような考え方、つまり、「強姦集計表というものは存在した可能性がある!」って主張する方など存在しないという前提ですが....。その前提どおりならば、私に対してよからぬ感情を持つ方などいるはずはありません。しかし、あなたの主張はわかりました。「精神状態を疑われた!」とお感じになりました方がいらっしゃったらその方はそうおっしゃってください。その方に対して謝罪いたします。

>裁判は白黒をはっきり決着付けます。疑わしいだけだったら、無罪になります。しかし、歴史はそうではないと思います。第一歴史論争において誰が裁くと言うのでしょうか。裁判でも裁判官の判決が必ず一致するわけではないですよね。正直言いまして、現時点において従軍慰安婦問題に決着を付けることは不可能と思っています。それはあまりにも資料に乏しいからです。

しかし、これは前にもお話してご同意頂いたように、シロクロはっきりつけねばいけない問題であります。そう認識頂いていたと思いますが。
これは私たち日本人の住む、日本という国が「性犯罪」で有罪になるかどうかという裁判なのです。
それから、あなたがよくお行きになる歴史系の会議室を教えて欲しいですけど....。無論、その会議室の議論のスタンスと私のスタンスはかなり違うと考えられますので、混乱させないように、発言は絶対に致しません。のぞくだけですので是非教えてください。

>主観ですが反論のしようもないです。と言いますか、反論に意味があるとは思えません。なかなか説明が難しく、ご迷惑をおかけしています。その点はお詫びしたく思います。ただ、歴史観は入ると思いますが当時意外の政治情勢、国民感情、個人的政治イデオロギーなどは入れるべきではないと思います。

政治イデオロギーってなんでしょうか?私は別にそのようなものを持ち込んだつもりはありません。日本という国に住む国民として、日本という国の罪に対して敏感になる、というか当事者意識を持って当たるというスタンスは政治イデオロギーでしょうか?
この問題は、「どっちだかわかんねーなー」で曖昧に済ませられないのです。
むしろ、シロクロはっきりつけられなければ、裁判ならば推定無罪ですよ。

戦犯管理所での供述についてですが、5月13日号SAPIOのゴー宣でタイムリーに解説がありましたね。

あなたが信用しないという「ゴー宣」ですが、出典を明らかにしておりますので、その点に関しては信用してよいかと存じますが、孫引きになることをご容赦ください。(現在、出典元の「正論」の該当バックナンバーを手に入れるべく努力しています)
お読みになっていないことを想定して、重要な要点を箇条書きにします。

・4月5日報道の鈴木供述を初めとする自筆供述書は「強姦所」供述が出たところと同じ撫順戦犯管理所である。
・「罪状」をつきつけ、「これを認めれば許す」と言って供述書を書かせ、殆どを無罪放免している。
・撫順戦犯管理所からの帰国者には、「虐殺した」、「人体実験した」「強制連行した」「三光作戦を実行した」などの証言をし、「日本の軍国主義を追及する」という人達がいるが、中には、かつての戦友に真っ赤なウソだと暴かれた例もある。(この報告は実は私も読んだことがあるのです。三光が中国語だと知ったのも同じ記事でした。掲載されていた「正論」平成9年9月号を私は所持していたのですが、紛失してしまった上、記憶が曖昧だったので、明言を避けていました)
・1950年、中国共産党はソ連から洗脳術のノウハウを入手。同時期にシベリアから約千人の日本人捕虜が撫順に送られる。
・手記を読むと(おそらく三光のことでしょう)「認罪学習」を受けている。(小林氏曰く、「自己啓発セミナー」そっくりということですが、これは彼の文章からだけでは分かりません)
・反戦軍人となって帰ってきた人の中には、ウソ証言がばれて、「批判追及はいくら受けてもよい。しかし私は中国共産党の指導には心から感謝し、日中友好に今後とも全身で当たっていきたい」と熱弁した人もいる。
(これら該当する記事、論文が掲載されていたのは「正論」平成8年10月号、12月号、9年7月号、9月号、元日本兵による反論文は平成9年6月号です)

これは、あなたが信憑性が高いとした「三光」に対する明らかな反証でしょう。特に戦友の追及で、反論できなかったという点などは非常に重要だと思います。

>だから、「強姦所」で「年齢入り強姦集計表」を作ることが出来る人などどこの国にもいませんという基準をどうやって決めたのか聞きたかったのですが。では私は「悟のぱぱさんの自明の理論によって証明してもそれが事実である保証はない、これは自明である。」としましょう。

これはつまり、あなたは、歴史研究においては、自分の判断力というものを否定してるってことですね。
まあ、この辺は既に反論のための反論になってるような感じを受けますし、これ以上議論を続けても不毛ですので、あなたのスタンスを尊重することにし、歴史認識としては「強姦集計表というものは、作られた可能性もないとはいえない」とします。
ところで、あなたは、上の反証をどう受け止められますか?私が当たり前の事ではないかと主張したことと同じ証拠がそこに出てはいますけど。
で、この反証をも考慮すると、歴史認識の方法論は間違っていたかもしれないが、結果としては「強姦所と強姦集計表などウソだという主張は正しい可能性が高い」。そして、「撫順戦犯管理所からの供述書は信用できない」と結論します。

>ところで、こういう偽りの記憶は必ず発生するものなのでしょうか?それとも、そういう例もあると言うことでしょうか?鈴木氏は十分大人になってからの記憶と思われますので、そこで何等かの偽りの記憶が刷り込まれるのはちょっと思えないのですが、それも十分大人になった方が偽りの記憶を埋め込まれたそういう例はあるのでしょうか?

この事例と、私の知っているもう一個の事例、全て成人の方のケースです。それと、私は最初に「詳しくないのでまたの機会に」と申し上げており、これ以上聞かれても知識が足りませんので、正直責任ある返事ができません。あなたが是非にというから引用したのみですので。
ただ、これが、「洗脳術」というものと密接な関わりがあるというのは確かなようです。

>従軍慰安婦の話ではなく(その点は上杉氏に任せましょう)南京大虐殺の方について例示致したいと思います。

以降、期せずして南京問題になりましたが.....。

>例えば30万人虐殺説とかありますよね。それに対する反論として当時の南京の人口が22万人であったとする論旨があったと思いますが、これは南京大虐殺の定義を考えてないと思います。南京大虐殺は一般的に南京における掃討戦だけでなく、上海戦からの南京攻略戦における不法虐殺と考えられていますので、前者の30万人はそこから来ていると思われます。それと南京の人口を比べるのは本質的に意味はないと思います。有り得ないことを強調するイメージ操作の作為ではないかと思いました。また、南京城の周りにも人は大勢住んでいたそうです。もしご存知ならその辺の定義から言及して欲しいですしね。もっとも30万人説が崩壊したのはとっくの昔の事実らしいでが。事実ならいいと言うものではないですし。

これはとんでもない勘違いをなさっています。南京大虐殺の人数としていわれる30万人は、日本軍が1937年12月13日の南京占領以後に虐殺したとされる数です。それは、東京裁判の検察側の文書「南京地方法院検察処敵人罪行調査報告」に記されていた定義と数字で、そのまま、中国共産党の「侵華日軍南京大屠殺史料専輯」に引き継がれています。
あなたが、南京大虐殺の定義を「上海戦から南京攻略戦までの不法虐殺」としたのは、おそらく、岩波新書の「南京事件」によるものだと思いますが(違っていたらすみません。)、「上海戦から南京攻略戦までの不法虐殺」の定義に従って虐殺数が30万だとしたのならば、無論、南京市民の数は問題ではありませんが、南京入城後の虐殺者数として30万という数字が使われている以上、あなたの定義は無意味です。これは作為的な資料の用い方とは全く関係ありませんし、この点は撤回なさった方がいいです。明らかに間違った論拠と事実誤認で小林よしのりを批判しています。

>それからこの前藤岡氏と渡部氏が対談で使用していた例についてです。南京大虐殺において「マギー神父が見た虐殺は一人である」(これはゴー宣でも触れられていたと記憶しています)は事実を反映しておりません。作為的に資料を選定すればその通りだと言えるかもしれません。正確には自由主義史観の方々の言葉を借りれば「あいまいな証言」となります。まずマギー神父は極東軍事裁判の資料によると

>「私は自分の証言の中ではっきりと申してあると思ひますが、唯僅か一人の事件だけは自分で目撃しました」

>としています。この証言だけを見ればああ、一人だけなのだな、と思われますが、別の証言で

>「時々中国人が列を作つて引張られて行く、さうして殺されるのを私は目撃したのであります」

>ともしています。矛盾が生じてます。少なくとも「マギー神父が見た虐殺は一人である」とするのは無理があり、検証が必要と思われます。この点については何等かの見解があるのでしょうか?それとも、作為的に資料を用いたのでしょうか。ただ単に知らずに検証されていないだけでしょうか。そうすると「作為」とは強弁できませんけど。もう少しちゃんと調べて欲しいですね。

あなたこそ、もう少しちゃんと調べて欲しいです。あなたが読んだ書物がこのような書き方をしていたとしたら、まさに情報操作としか呼べないもので、その書物の著者に対し、強い怒りを感じます。あなたが、意図的にこのような資料の用い方をしたのならば当然その罪はあなたにあります。私は前者だと信じていますが。
以下、反論します。

まず、マギー神父の証言における、

(殺戮行為は機関銃によるものだった、という証言に続く)
>「時々中国人が列を作つて引張られて行く、さうして殺されるのを私は目撃したのであります」

という部分は、サトン検察官の訊問に答えての一連の証言の一部です。
そのほかに、彼は、多くの日本兵の虐殺、強姦について証言しています。
証言が終わったあと、弁護側は小磯國昭被告担当のブルックス弁護人がマギー神父に対して、反対尋問をします。
その中で「今まで証言した不法行為、もしくは殺人行為というものを証人自身がどれくらい見たのか?」と質問。
それに対する答えが、

>「私は自分の証言の中ではっきりと申してあると思ひますが、唯僅か一人の事件だけは自分で目撃しました」(強姦の現行犯については、一人の男が実際にその行為をしていたこと、二人の兵士が一五歳の女の子をベッドにつれて言ったこと、アイスボックスを盗んでいたこと、これらが直接に見た日本兵の不法行為の全てであると証言)

です。
矛盾が生じているといえばその通りです。しかし、それは、あなた曰くの「別の証言」の際に伝聞を目撃したと言い間違えたか、口が滑ったかでしょう。本当に目撃したのならば、反対尋問で、アイスボックスを盗んでいたことを言う前に、(それ以前に、一人の殺人より)もっとひどい殺人行為である機関銃による虐殺を最初に目撃したと言うべきでしょう?これだけ日本の罪を挙げながら、反対尋問の際に日本に有利になるようなウソをついたのでしょうか?機関銃による殺戮の記憶を証言の途中で忘れたのでしょうか?合理的に説明できますか?
目撃したというのは、実は伝聞に過ぎなかったという解釈が妥当です。そしてそう解釈をすることを妨げる何かが存在するでしょうか?作為的でもなんでもありません。無論、渡部昇一も、小林よしのりも、そのぐらい知っている上で言っているのですよ。私ですら知ってるんですから。
あなたの書き方では、「時々中国人が列を作つて引張られて行く、さうして殺されるのを私は目撃したのであります」を「別の証言」としてあたかも別の状況での証言かのように思えますが、実は、その「別の証言」の後に「私は自分の証言の中ではっきりと申してあると思ひますが唯僅か一人の事件だけは自分で目撃しました」と本人がいっているわけです。
これは、むしろ、あなたが作為的な資料の用い方をしていると言わざるを得ません。あなたではなく、あなたの読んだ書物にそう書いてあったのだと信じたいです。

最後に白馬事件ですが、あなたの憶測はやはり説得力を持つものではありません。

>「女性を隔離した」のは噂が広がり戦後国際問題になることを恐れたのではないかという見地です。(結局しゃべれば同じとしますが性被害を受けた女性が必ず被害を訴えるとは限りません。
>隔離して情報を制限しておけばそれだけ発覚する確率は少なくなると思います。完璧ではないがなるべく自分達にとってベターな方向で処置したと思います。もっともこの目論見は逆効果を生みますが。そこまで思い付かなかったとすることも可能でしょう。儒教の影響を受けているがゆえに、女性に「一人では性被害を訴えることは事は出来ない」という先入観が無かったとは言えないでしょう。

どう見ても無理がありますねえ。性被害を訴えられないのならば、別に同じ収容所でも一緒ですしね。
隔離してたら戦後も発覚する確率は低いだろうって予想したわけですか?
「そこまで思い付かなかったとすることも可能でしょう」って、つまり、現地の日本軍は全員アホだったと。全員が思いつかなかったのですね。

私は主観込みが悪いとは言いませんけど、説得力は大切にします。
あなたの説は説得力がないですよ。

>結局どうとでも言えます。

だから、私が憶測合戦は意味がないって言ったでしょうに。
どうとでも言えることを言い合いしてどうするんですか?

もういちど最後に管理者の方にお聞きします。私の発言が削除された理由は何でしょうか?

では。


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