脱ゴーマニズム宣言裁判を楽しむ会議室 |
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1998/05/09(09:40) from Anonymous Host |
作成者 :上杉 聰(jwrc@mua.biglobe.ne.jp) |
「慰安婦」証言を全面的に証拠として採用 |
先に関釜裁判の判決要旨をご紹介しました。今回は、元「慰安婦」の証言を山口地裁下関支部の裁判官がどのように評価したかをご紹介したいと思います。(文字化けが続いたため、ここしばらく投稿できませんでした。) これまで、自由主義史観の人たちや小林君は「証言はどうにでも作れるのだ」(『新ゴーマニズム宣言』第3巻、177頁)と、被害証言の価値をおとしめることに力を注いできました。「証言を裏付ける『証拠』がいる」(同前、20頁)「確実な書証を出せ!」「目撃者はいるのか?」などと批判していたので、このHPで私は、「証言は証拠なのです」を書き、証言の意義を述べました。 証言が一般的に裁判や歴史学において重視されるものであることに加えて、「慰安婦」問題の場合は、名乗り出て証言すること自体に、再び辱めを受ける危険性や社会的なプレッシャー、思い出すことによる精神的な苦痛などが重くのしかかり、大変な困難がつきまといます。被害者を支援してきた多くの方々は、その事実をもって、逆に証言の信頼性を高いものとしてきた面があります。しかし、どなたかは、原爆の被害者の認定には2人の証言が要ると書いて批判しておられましたし、証言の価値を低く見る傾向はまだあります。 これまでの日本の裁判では、レイプなど性暴力による被害の場合、目撃者や物証・書証がほとんど残らないという特徴もあるため、被害者の証言は重要な証拠となってきたました。 今回の関釜裁判で、被害者は法廷で何度も失神しつつ証言し、国の側は反対尋問をほとんどできず、書面でも反証はしませんでした。その結果、裁判所は自身の評価にもとづいて被害証言を証拠として全面採用しました。以下、被害証言の評価部分をここに紹介します。 これらは、証言が裁判でどのように扱われるかを示す、大変興味深いものです。また今回、だましによる強制連行と慰安所での性暴力を認定したことも、現在の議論の水準をよく示しています。(省略)とあるのは引用者によります。長文になるので割愛しました。 2 慰安婦原告らの被害事実反証はまったくないものの、高齢のためか、慰安婦原告らの陳述書やその本人尋問の結果によっても、同原告らが慰安婦とされた経緯や慰安所の実態等については、なお明瞭かつ詳細な事実の確定が殆ど不可能な証拠状態にあるため、ここでは、ひとまず証拠(甲一、甲三ないし甲六、原告朴頭理、原告李順徳)の内容を摘記した上、末尾においてその証拠価値を吟味し、確実と思われる事実を認定することとする。 |
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