皆さん、こんにちは。萩原です。今回から、本文に入っていきたいと思いますが、内容は初回に投稿したものとほぼ同じです(若干の加筆あり)。ですから、文字化け削除前に開いて読んでいただいた方には、重複内容となりますので、その点ご了承ください。なお、関係者の肩書きは取材当時のものです。 原点
1996年1月、東京・神田のある書店で、「近現代史の授業改革」という雑誌体裁の本を手に取った。執筆者は藤岡信勝・東大教育学部教授と「自由主義史観研究会」(以下、「研究会」)。出版元は、教育関係雑誌では最大手のM図書出版である。
それ以前、私は旧日本軍のアジアにおける「行動」の原因と結果、アジアの中の日本軍、に関心を寄せており、関係の書籍は数冊読み込んでいた。その中の1冊に、笠原十九司・宇都宮大教授の「アジアの中の日本軍」(大月書店)という本がある。南京大虐殺をはじめとする大日本帝国軍隊のアジアでの所業の一部についてわかりやすくまとめてある好著だ。この本の一章に、藤岡教授の「近現代史の授業改革」を批判する部分が有り、藤岡教授の名は記憶の片隅に印象づけられた。しかし、実際の彼の主張に触れるのはこの本を手にとってからだった。ほぼ同時に、大月書店から出された、「自由主義史観」に対する批判本「近現代史の真実は何か」も読んでみた。その当時は、テーマの本質上、相当大きな問題になりそうだとの漠然とした予感はあったものの、今日のような大論争(仕掛けられたものとはいえ)に”発展”するとは思いもよらなかった。
もう九年も前の話になるが、私は日本新聞協会の交換留学生として、パリにあるジャーナリスト研修機関「ジュルナリスト・アン・ウーロップ」(欧州連合の関連機関)に参加した。世界十数カ国から集まった30人のジャーナリストが約9ヶ月の研修期間中、それぞれが興味のあるテーマでヨーロッパ中を取材、4回発行される機関誌に記事を書くことが活動の中心である。私は西独のネオナチ、スウェーデンの原発廃棄問題などを取材してフランス語で執筆した。その取材活動の合間に、各参加者がそれぞれの出身国について約2時間、自己紹介するという機会があった。
そこで私は、アジア出身の記者たちから驚くべき話を聞かされた。「日本兵が田舎の村にやって来て、住民をヘッドハンティング(首狩り)、赤ん坊を空中に放り投げて銃剣で突き刺したのを、祖母が目撃した」(マレーシアの記者)。「日本軍によって膨大な数のマニラ市民が虐殺された。(フィリピンの記者)−−。どれも初めて聞く話だ。他の記者たちの視線が一斉に私に注がれる。体中がカーっと熱くなり、額から脂汗が流れる。つまり、アジア諸国の近現代史を見る場合、彼らにとって日本(大日本帝国)の存在が、私(日本人)が想像する以上に大きいのだ。その国に対して日本が何をしたのかという事実認識無しに、同じアジアの同胞として、同じ土俵で議論をすることはできないということを、身をもって思い知らされたわけだ。
それまで、「大日本帝国臣民がしでかしたことに、戦後の日本国民である私が何の後ろめたさを感じる必要があろうか」と単純に考えていた私は、厳しい視線の中で「私の専攻は日本国憲法であり、その理念を大切に守り育てていきたいと思っている。しかし、私は歴史学の専門家ではないので、あなたがたの言うことがよく理解できない」とかわすのが精一杯だった。それに対し、「日本が好き」というインドネシアのアンタラ通信の女性記者も「そんなことは専門家でなくても、義務教育の段階で教えられるべきものだ。高等教育を受けたはずのあなたがその程度の歴史認識だということは、一般の日本人は一体どんな悲惨な歴史教育を受けているのか絶望的になってしまう」と涙ぐんで心配してくれた。ちなみに、彼女によると、一般のインドネシア人は、日本人が考えているほど”親日的”ではないそうだ(もちろん、”反日的”でもない)。敗戦時、旧日本兵のごく一部が軍の統制から離脱して(軍・政府の意向とは無関係に)インドネシアの独立闘争に参加したことを挙げて、「日本が独立に貢献した」と厚顔無恥(無知?)にも公然と発言する日本の個人・団体があるが、これは彼らにすれば「盗人たけだけしい」理屈らしい。インドネシア人は彼ら自らの手で独立を勝ち取ったのであり、上のように発言するのは、彼らの誇りを傷つけ、迷惑であるという。私も危うく「恥知らずの日本人」の一人になるところだった。
彼らは現在の日本人を非難しようというのでは決してなく、日本の歴史教育のお粗末さを問題にしているのだ。ちょうどそのころ、「天皇にも戦争責任はあると思う」と発言した本島等・長崎市長がウヨク活動家に銃撃されたというニュースがパリにも届いた。「テリーブル(恐ろしい)!」(イギリス人記者)、「日本は世界を引っ張っていくような立派な文明国だと思っていたが、残念だ」(オランダ人記者)という、同じ立憲君主国出身の仲間の言葉が忘れられない。(もっとも、私自身は英蘭の植民地支配を容認する事はできない。植民地支配は世界人類に対する普遍的な絶対悪であるからだ。したがって、「植民地統治で良いこともした」という言説を私は認めない)。世界の先進国(定義があいまいな言葉だが)で「菊タブー」のような野蛮な戒律が残っているのは、悲しいかな、我が愛する祖国、日本だけだろう。
同世代の人々の中でも、歴史の知識は豊富なほうだと密かに自負していた私も帰国後、もう一度高校時代の世界史、日本史の教科書に目を通し、一般歴史書も読んで歴史の勉強をやり直そうと思った。その過程で率直に感じたことは、いかに学校の歴史授業で、「日本の戦争加害」について教えられていないかということだった。日本と世界の近現代史そのものが授業カリキュラムの関係上、時間切れで非常におろそかにされている。これでは、世界の人々と血旧人類の未来について同じテーブルで語り合うことは難しいのではないか。もっとも、はじめから「国民が共有すべき正史を取り戻そう」とイデオロジックに叫ぶのなら、話は別だが−−。
以上、なぜ私が近現代史教育に興味をもつようになり、記者として追いかけるようになったのか、といういきさつについて簡単ながら書かせていただきました。
今日(5月9日)から、掲示板の文字が大きくなって非常に読みやすくなり、よかったと思います。それでは、また次回。さようなら。