萩原さん、初めまして。影男です。
このような論争のホームページはたびたびROMしていますが、今回どうしても気になることがあるので初めて投稿させていただきます。引用開始
「冷戦が終わり、社会主義が完全に崩壊したのに、日本の教育、特に歴史教育の現場では、いまだに社会主義信仰が根強く残っている。社会が平等であらねばならないなんて、いったい誰が決めたのか。それこそ戦後民主主義の悪しきイデオロギーに過ぎない。みんなの税金で賄われる福祉にたかる障害者は乞食根性だ。藤岡先生の新しい学問で、幻想である戦後民主主義体制そのものを変えていきたい」(H編集長)。
引用終了
上記のH編集長の発言は耳を塞ぎたくなりますが、本当にこのような話だったのでしょうか?仮にも出版社の編集長ともあろう者が、新聞記者の取材に対してこのような見解を表明するとは信じられません。上記引用の要旨は以下の4つに分かれると思います。
①冷戦が終わり、社会主義が完全に崩壊したのに、日本の教育、特に歴史教育の現場では、いまだに社会主義信仰が根強く残っている。
②社会が平等であらねばならないなんて、いったい誰が決めたのか。それこそ戦後民主主義の悪しきイデオロギーに過ぎない。
③みんなの税金で賄われる福祉にたかる障害者は乞食根性だ。
④藤岡先生の新しい学問で、幻想である戦後民主主義体制そのものを変えていきたい。
それぞれを論点とすれば議論はいろいろと分かれるところでしょうね。
この行間にはH編集長と萩原さんとの幾多のやりとりがありませんでしたか?私は新聞社の取材方法についてはよくわからないのですが、もっと議論があったと信じたい気分でいっぱいです。無礼を承知で正直な感想を書きますが、持論を強調するために相手を悪者にしすぎていませんか?
私は萩原さんの他の投稿も読みましたが、交換留学生時代の経験がその後の判断の基準になっていて、そこから逃げられない(進歩しない)でいる印象を受けました。
私も従軍慰安婦を扱ったホームページをいくつか読んでいますが、いくら議論を重ねても強制連行アリやナシのどちらかが説得されて転向するような例は見たことがなくて、人間は一度思い込んだことは死ぬまで変わらないのかと、時々絶望的な気持ちになってしまいます。
もちろん新聞記者に思想的な立場があってもよいのですが、勇気をもって釈迦(萩原さん)に説法をさせていただきますと、この件に関しては、最初から、客観的に、広い視野で、事実を、平等に評価していただきたいと思います。
PS:いずれにしても萩原さんのお話は非常に有益ですのでぜひ「日本ちゃちゃちゃクラブ」などの、ホームページにも同様の投稿してくださるようお願いします。私はそこでどのような議論が展開できるか楽しみですし、下手な学者など及びもつかないほど勉強している論客との論争はきっと萩原さんにも有益だと信じています。