脱ゴーマニズム宣言裁判を楽しむ会議室
1998/05/13(01:37) from Anonymous Host
作成者 :こば(choke@xb3.so-net.ne.jp)
悟のぱぱさん、yonoさんへ
悟のぱぱさん、yonoさん、こんにちは。
いろいろ考えてしまって悟のぱぱさんへのお返事をかく指がすっかり止まっていたときに、yonoさんのレスを拝読して、ようやく答えが出た思いです。

悟のぱぱさん:
>>私としては女性であるあなたにこの問題で「共感」していただけたということに勝るものはありません。
>>私の採っている立場は、女性には「それは男性の論理だ!」と言われることの方が多いと思っていました。
yonoさん:
>確かに、慰安婦の皆さんには同情しつつも、謝るよりまず国の責任の有無の追及が重要といったような姿勢は、結局は「男性の論理」と比較して、"相対的に" 被害者の心の傷を軽んじてしまっているという批判をお受けになることもあると思います。
わたしも個人的には、国の責任の有無より慰安婦の方々の心の傷を癒すことを考えるのが先では、と正直感じています。

私も慰安婦の方々にどうしたら”尊厳”を取り戻してもらうことができるのか、ずっと考えています。「国が謝って何とかなるなら謝った方が。。。少々の出費がかぶさったとしても私は税金としてそれを払うつもりもあるし。。」と、正直いつも思います。
でも、何でもかんでも謝ってしまうことで、自分の”国”や”父祖”に、ぬれぎぬまで着せることに反発しているのが”自由主義史観”のひとつのスタンスですよね(悟のぱぱさん、違ってたら指摘してください)。謝るべきは謝り、謝る覚えのないことには謝らない。謝るべきことかどうかを模索しているのが今の論争なのでしょう。
4月に悟のぱぱさんとお話しして以来、いろいろ本を読んだりHPをのぞいたりして、私もやはり”自由主義史観”を名乗るべき考え方をしている。とは思うんですが、もしこれが「国として謝る覚えのないこと」であったときに、いま現実に存在する元慰安婦の方々に対して、(言い方は悪いですが)「スマン、戦争の犠牲者と思ってあきらめてくれ」と”ほかの誰でもないこの私自身”が告げるのだという事実にどうしようもない痛みを感じます。

ここからがちょっとyonoさんと違うんですが、この痛み、自分が誰かを切り捨てる悪者になることをあえて受け止め、悟のぱぱさんのように自分の思いの及ばない部分になんとか光を当てられないかと逡巡しながら、それでも自由主義史観を採る人たちの「覚悟の決め方」(うまくいえません)が、すごいな、と思うんです。過去の日本や今の政府をとことん追求して謝れ!と迫り、私は慰安婦の方々を心から思いやっている、と思えた方がどれだけ楽なことか。
もちろん私は慰安婦を支援する方々のほとんどは混じりっけなしの善意や、人としての共感から支援活動に携わっていると思います。ですがここまで国による謝罪!にこだわっていく姿からはなにやらあやしげな思想の影響をかぎ取ってしまうのです。

あとは、
yonoさん:
>正直、悟のぱぱさんやその他疑問を表明されている皆さんやわたしに対して、納得できるご説明をいただけない限り、少なくともその努力を放棄せず見せていただかない限り、本当にこの方は歴史家としてかつ「加害者とされる国の一員として」被害者の方々に頭を下げ手助けをしたいという思いと覚悟があるのだろうかと、悲しいことですが疑わざるを得ません。

と全く同じ意見です。

あえて言うまでもないと思ったのですが、yonoさんのご意見を伺ったり、epiさんの投稿を見たらやはり性差は考え方にかなりの影響を与えるらしいので、あらためて表明いたしますが、私も女です。
もしかしたら、女ですよ、といわずに発言したことによって何かをごまかした結果になっていたり、どなたかに不必要な不快感を与えたかも知れません。
ここにお詫び申し上げます。


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