脱ゴーマニズム宣言裁判を楽しむ会議室
1998/05/14(03:21) from Anonymous Host
作成者:坂竜飛騰(t-k@pop11.odn.ne.jp)
萩原幸徳さんへ抗議
萩原幸徳さん、はじめまして。【新聞記者が覗いた「歴史教育」問題④】を読んだ率直な感想を申し上げます。

「あなた、それでもジャーナリストですか?」


あなたが藤岡信勝氏をはじめとした自由主義史観研究会の主張に反対すること自体は、私が云々することではありません。それはあなたの自由です。あなたが反対する論拠を示した上で、「研究会」に賛成している方と大いに議論するのならば、それはとても有意義なことだと思います。

しかし、あなたがやっていることは、「新聞記者」というある種の「権威」を利用した「情報操作」にしか見えない。あなたが、「外堀取材」として話を聞きにいった人々は、歴史教育者協議会関連の人ばかりです。歴史教育者協議会は自由主義史観研究会や、新しい歴史教科書をつくる会に反対する運動を行っています。都議会などに対する運動に際しては、「教科書に真実と自由を 連絡会」という会を結成していますが、その代表者に吉見義明教授、呼びかけ人に粟屋憲太郎、藤原彰両氏が名を連ねており、さらに井口和起教授は、歴史教育者協議会機関誌に執筆をしています。
つまり、あなたが取材をした五人は、みな歴史教育者協議会を軸につながっています。この会は、自由主義史観研究会に対して大々的に反対運動をしているのですから、この会に関係している学者にコメントを聞けば、当然「研究会」に対する批判になるのはわかりきっているわけです。

しかし、あなたはこうした学者たちの「つながり」を明記せず、あたかも「中立な学者に意見を求めた」ような書き方をしています(「歴史学の専門家や、従軍慰安婦問題に取り組んでいる方々」としか言っていない)。このような書き方をすれば、「普通の学者はみんな自由主義史観なんて批判しているんだ」と思わせるための「情報操作」をしている、と判断されても仕方ないのではありませんか。それともある人物・団体に対する「外堀取材」とは、その人物・団体に反対している人「だけ」の意見を聞くことを意味するのでしょうか。

良識あるジャーナリストならば、「外堀取材」などといわずに、「自由主義史観研究会に対する反対運動を繰り広げている識者の意見」とするのではないでしょうか。あるいは、「研究会」に賛成している識者も数多く存在しているのですから、そうした人の意見も載せるのではないでしょうか。賛否両論ある場合は、両者の意見を聞いてはじめて「外堀取材」と言えるのではないですか。

この記事以外の投稿(出版社との口論、藤岡教授の理由なき取材拒否等)も、「イメージ操作」をしているように思えてなりません。そこに書かれていることはほとんどの読者には確かめようもないことですし、もう一方の「当事者」である出版社や、藤岡教授にも言い分はあるはずです。問題なのは、新聞などと違って、インターネット上での記事は「広く世間に公開されている」とは言い難いものであり、藤岡教授や、その出版社がこの投稿をみない限り、彼らに反論する機会がない、ということです。「主張」に対する意見、反論ならば、どちらの言っていることが妥当か判断できますが、このような「当事者しか知り得ない」こと、それもマイナスのイメージを抱かせるようなことを一方的に書くやり方には、首をかしげざるを得ません。

繰り返しますが、あなたが藤岡教授などの主張に反対すること自体は、一向にかまいません。私が言いたいことはただ一つ、「やるならフェアにやってくれ」ということのみです。いくら自分と意見が異なるからといって、情報操作、イメージ操作をやっていいということにはなりません。あなたは新聞記者なのだから、責任は重いですよ。
先日、毎日新聞のコラム『憂楽帳』(「ナヌムの家」という題で、慰安婦を取り上げたもの)が、全くのデッチアゲをやりました。私の新聞記者に対する「信頼感」はすでにがた落ちです。今回のあなたの記事は私の「不信感」をさらに増大させたということを、最後に言っておきます。


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