脱ゴーマニズム宣言裁判を楽しむ会議室
1998/05/17(01:09) from Anonymous Host
作成者:北の狼(tngc@po2.nsknet.or.jp)
「民主化」と「慰安婦問題」
「民主化」と「慰安婦問題」

北の狼です。
先日は、上杉氏の「著作権」(No238)に対する認識について質問させていただきました。
さて、今回も、同じく「続脱ゴーマニズム宣言」の”マンガに洗脳されてしまう若者たち”の、”歴史を見通す力の欠如”という章について、以下の点につき質問させて頂きたく存じます。

”歴史を見通す力の欠如”という章は、強制連行の「狭義」から「広義」へのスリカエ論に関連して、”「反日的日本人がでっちあげた『慰安婦』問題」という図式”に対する上杉氏の反論という体裁をとっています。

上杉氏はその所論の中で、韓国を例にとり、1988年に「民主化」が進んだことにより、”集会やデモが自由に行えるようになり、それまで口を封じられていた戦争被害者たちが周囲に訴えることが可能になった。”とし、金学順さんのカミングアウトを準備したのも、その訴訟を支援しているのも韓国艇身隊問題対策協議会や韓国太平洋戦争犠牲者遺族会という韓国の民主勢力であると述べられてます。従って、”反日的日本人がでっちあげた『慰安婦』問題」という図式は、物事を表面だけ見る者には意味を持つかも知れないが、深く背後まで見通す洞察力のある者には通用しない”となるわけですね。
そして最後に”たとえば、日本軍の被害はアジア全域に及んでいるが、被害者が日本に対して訴訟まで起こしているのは韓国とフィリピンだけだ。これは、民主化が進んでいる、という共通項で初めて説明できる。中国の被害者が最近訴訟をはじめたが、民主化の遅れのため出国がままならないため、今も不安定な裁判になっている。歴史が動く姿とはこのようなものなのだ(以上について詳しくは拙著第20章)。”と結んでおられます。

この所説は、確かに一面の真理をついていると思います。慰安婦問題のような活動には、かなりの手間、ひま、費用がかかるでしょうし、いろいろと困難があるでしょう。個人の力ではとうてい無理でしょうから、身近に団体等の協力、支援は必要でしょう。

今回、この所説(「民主化」と「慰安婦問題」の関連性)について、質問させていただきたい。

上杉氏は、”「民主化」が進んでいるからこそ「慰安婦問題」が惹起されてきたのだ”という説をもとに、”「反日的日本人がでっちあげた『慰安婦』問題」という図式は、...........通用しない。”と主張されています。前段の説は、韓国の例から導き出した「帰納仮説」といえるでしょう。帰納仮説というものは特殊例(この場合は韓国)から導き出されますが、他の特殊例による検証に耐えて、初めて蓋然性を有するようになるというのは、論理学上の常識ですね。以下に、私なりに氏の説を検証してみます。

一般に、「ある条件(A)が元で、ある現象(B)が生じる」という仮説を証明する場合、少なくとも以下の要件が満たされることが必要です。(勿論、Aとは「民主化」、Bとは「慰安婦問題」の惹起です。)

Bがあるところには、Aがある。
Aがないところには、Bはもない。

それでは、まず前段の”「慰安婦問題」が惹起されているところは、「民主化」が進んでいる”と言えるのかどうか、事実を検証してゆきましょう。

ただ、その前にどうしても避けて通れない問題があります。
「民主化」の民主とは、勿論、民主主義のことであるが、
それでは、民主主義とはなんであろうか?
なにも、上杉氏にイチャモンをつけようというのではありません。これを、定義しておかないと、上記の仮説を検証しようがないのである。しかも、普通の辞書に載っているいるような漠然とした定義は、あまり用をなさない。何故なら、上記の仮説を検証するためには、民主主義が、ある、ない(もしくは、進んでいる、進んでいない)という事実が、ある程度客観的に把握できないと、各国間での比較が不可能であり、それでは話にならないからである。ところが、上杉氏は”マンガに洗脳”では、これを定義してないのだから困ってしまいました(「脱ゴー宣」の第20章とかで、ちゃんと定義しているのかしら?)。

民主主義という言葉は、非常に多義的である。極言すれば、どうにでも解釈できるのである。たとえば、中国や昔の東欧などでは、人民民主主義という言葉が多分に正当化根拠として使われるなど、非常に幅広く使われている。これを、まともに議論しだすと、学者同士でもまず意見が一致しないというのが現状なのである。
S.Huntingtonは、『手続き的な観点』から、「リーダーが定期的かつ公正な選挙で選出されているかどうか」が決め手としている。様々な民主主義の要件のうち、「参加」と「公的異議申し立て」を特に重要視しているのである。これは、民主主義を権威主義の対立概念とする哲学が大きくかかわっている。簡単にいうと、権威主義の主体たる「聖人」といえども間違いを犯すものであるから、常にチェックされなければならないとの考え、人間観が背後にあるのである。そして、民主主義をこのような『手続き的な観点』から普遍的かつ限定的に定義すると、それに耐えられる国(組織)と、耐えられない国(組織)があるということは明らかな事実である。
勿論、これとは違う要件も、それこそ掃いて捨てるほどある。例えば、物事が決められていくときの民意の反映の仕方や程度を重視せよとか、民主化にいたる過程により区別するとか、地域特性や宗教、慣習を加味せよとか、等々である。ただ、そうすると民主主義の定義が重層的に錯綜してしまい、各国を分析して”民主化が進んでいる、という共通項で”説明することなど、殆ど不可能になってしまうのである。
ここでは、作業仮説的に、上述の『手続き的な観点』による定義を必要条件として、また、他の要件は十分条件として各国独自の状況から判断する、との考えに立って検証をすすめてみよう。

上杉氏の”民主化が飛躍的に進んだ”ので、”それまで口を封じられていた戦争被害者たちが周囲に訴えることが可能になった”(ここでの、戦争被害者とは、勿論、元慰安婦の方々を意味する)との所説に従えば、上の仮説の証明で述べたように、「慰安婦問題」が惹起された国には、その直前に「民主化」が飛躍的に進んだという事実が必ずあるはずである。
アジアで慰安婦が証言した国は、韓国、フィリピン、中国、北朝鮮、台湾、マレーシア、インドネシア(提訴は前三国)であるので、各国の「民主化」を検証してみよう。

まず、上杉氏の帰納的仮説の源となった韓国であるが、その出発点の事実であるはずの”[1988年]には、韓国での文民政権の成立、つまり軍事独裁政権が倒され、民主化が飛躍的に進んだ、という大事件”という記述に疑義があることは、前に本会議室の投稿(No248「事実の誤認」)で述べたとうりであるから、ここでは繰り返さない。1988年に就任したノテウ大統領は、前年の大統領直接選挙で選ばれており『手続き的な観点』からは、民主主義の必要条件は満たしている。また、同時期に施行された第六共和国憲法は言論の自由を保証している。しかし、なんといってもノテウ氏はチョンドファン氏と同じく軍人出身(元将軍)であり、チョンドファン政権下の与党である民生党の代表委員であった人物である。ノテウ大統領の業績としては、ソウルオリンピックの成功、韓中修好、韓ソ修好、国連加盟、「漢江の奇蹟」とよばれる経済発展等があるが、これらは外交ないしは国家的なもので、民主化としては上記の言論、表現の自由が保証された程度である。また、1990年1月22日に民生党、共和党、民主党による三党統合(民自党の誕生)という出来事があり、結果として(または目的として)キムデジュン氏率いる平民党を排除するもので、お世辞にも民主的とは言い難い行動である。さらに、この時期には未だ、政治的のみならず社会的、経済的にも、軍部勢力、特権階級、官僚勢力が隠然たる力を有していました。政権としての民主体制の確立は、1993年のキムヨンサム(文民出身)大統領の誕生まで待たなければいけないのである。しかし、そのキムヨンサム氏にしても、リベラルな改革は早期に頓挫し、その政治手法に権威主義だとか文民独裁とかの非難を受けており、かならずしも真に民主的とは言えない面があったのだが、ここでは多くを語らない。
このように、上杉氏の”[1988年]には、韓国での文民政権の成立、つまり軍事独裁政権が倒され、民主化が飛躍的に進んだ、という大事件”が起きたという所説は、その「事実誤認」を脇に置いておいても、相当に怪しいのである。帰納仮説の源となった特殊例に、このような論理的弱点を有するというのは、蓋然性云々以前の問題ではないかと思うのだが如何であろうか。

.............. 以下、次回に続く。


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