脱ゴーマニズム宣言裁判を楽しむ会議室
1998/05/19(04:40) from Anonymous Host
作成者:秋月 康夫(AKIZUKI@chollian.net)
Re: きめつけはいかんよ。
 悟のぱぱさん、こんばんは。秋月です。

>どうも、随分私に対しお怒りのようですので、はっきりとお返事をさせていただきます。

 ええ。かなり怒っていました。で、その理由はあとでもう一度。

>論点のひとつめですが、

以下の部分についてですが、

>賛同しかねるわけですから、「強制連行ナシ派」(自由主義史観論者)は虚報の被害者ではないという主張であると私は捉えましたが、それがまちがいだったのでしょうか?

はい。まちがいです。

>賛同しかねるというのは如何なる意味だったのでしょうか。

 細かく述べると前の投稿の繰り返しになりますから、一つだけ書くと、どうも、悟のぱぱさんの文章には、最初の投稿の時から、「あの文章を読み、それが虚報であると知った人間は、誰でも強制連行ナシ派に対する攻撃と判断すると思う」という前提が含まれているようだったので、そのような部分も含めて、賛同はできないという意味でした。

 後のほうで言った「論理の前提」というのも、そういうところです。

 繰り返しますが、わたしは、虚報を書いた毎日新聞の記者の「主張」がどのようなものか、本当に知りません。「誰でも強制連行ナシ派に対する攻撃と判断すると思う」と言われても、それが記者の目的であり、意図であるとまで言うのなら、今の段階ではきめつけとしか思えません。控えめに言って、漠然としたものだけれどもそういう政治的効果があっただろうというところまでしか、言えないと思います。その効果が、最初から意図されていたかどうかも、もちろんわかりません。
 悟のぱぱさんのおっしゃる強制連行ナシ派のみなさんは、きっと、その政治的効果の被害者なのでしょうね。新聞ジャーナリズムの影響は大きいものがありますから、意図していた、していなかったにかかわらず、こういう事後的な効果に対する責任も問われなければならない場合があるのかもしれませんが、こればかりは、加害と被害の因果関係を特定することが非常にむずかしい問題だし、こういう論理で被害者をさがしていったら、思いもかけない人たちまで該当することになるでしょう。そこはひとまずおいておいて、「虚報はいけない」の一点で責任を追及し、記者自身に「意図」を語らせるようにしていったうえで、責任をとってもらうようにするのがいちばんいい解決策なんじゃないかと思います。この問題に関する限りは。

 そのあとで、悟のぱぱさんは、「その点はご理解ください」と、この毎日新聞の虚報になぜ怒っているのか、書かれています。お気持ちは理解はしますが、どうも、この怒りの根底には、これが意図的な自由主義史観への攻撃だという認識があるようですね。わたしは、いまの段階でそういう認識を共有していないので、これ以上話しても、その「怒り」にはかみあうことはないでしょう。

 次に、坂竜飛騰さんの主張に関する件です。
 この問題について、特別意見を言うつもりはなかったのですが、そこまで聞かれるのでしたら、言いましょう。わたしは、なぜ、このインターネットの会議室で個人としての資格で投稿した記事について、「報道機関による情報操作やイメージ操作」は許されないという論点の主張がされているのか、よく理解できないでいるのです。この書き込みをした人が新聞記者を自称しているからなんですか? それとも、あの書き込みは、新聞に同時掲載されるものなんですか? なんか、話の入り口のところで、何を議論しているのか、ちんぷんかんぷんなので、ただ、なりゆきを見ていようと思っていたのです。で、悟のぱぱさんが、わたしの投稿が坂竜飛騰さんへの反論ではないかと聞いてきたから、反論のつもりもないけれども、じゃ、全部賛成していると思われても事実に反するから、「賛成というわけではない」と書いたのです。以上です。

 さて、それ以下の部分ですが、ここだけコメントすれば、わかるでしょう。

>>あなたのまねをして書くと、上のようになってしまいます。

>上の文は全て本心ではないという事でしょうか?

 そこまでひどいとは思っていませんでしたよ。でも、そんなことだって疑ってみることはできるわけだから、きめつけはいけないと言うことですよ。

>あなたの私が「コメントを外した」という主張も決めつけですね。

 これについて、あたなの意図を邪推した部分は決めつけです。だから、「まねをして書くと」と、書いたじゃないですか。

>>……と、こんなことまで言うのは、あなたの議論が、あまりにもきめつけが多いからです。

>私の主張のきめつけというのが、どの部分か、もう一度よくこのレスを読んでからご指摘下さい。

 すでに指摘しています。せっかくのレスですから、コメントしますが。 わたしは、悟のぱぱさんが、くだんの虚報を、「自由主義史観」への攻撃だと決めつけたと書きました。それについて、

>今、強制連行ナシ派=自由主義史観という図式は国民の多くが共有していませんか?

以下、

>何を思って書いたか、本当の所はそれは確かに分かりません。しかし、その文章がどう読めるか、それだけで十分ではないでしょうか?

と書いていますが、これは結局、自分たちがそう思うからそうなんだという以外には読めません。少なくとも、私には、そこまでの深読みはできませんね。最初の「国民の多くが共有」というのも、意味不明。それ自体も定かでないし、それが正しいとして、『憂楽帳』の虚報記事に、「強制連行ナシ派」について触れた部分も、「自由主義史観」同様、見られません。

>或いは、あなたの論旨は、「あらゆる文章において、その主張を理解するためは、文章だけではだめで、本人に直接その意図を確認しなければいけない」という事でしょうか?

 いいえ。文章のなかで主張していることは文章のなかで理解できるけれども、筆者がどういう意図で書いたかは、文章をみただけでは確認できないことが多いと、いう事です。そして、このケースもそうだということです。
 わたしは、あなたが問題にしてきたのは、文章の中には書いていない「意図」だとばかり思っていました。だから、「本人に確認するしかないではないか」と言ったのです。そうしたら、文章の中から読めるというのだから、びっくりです。あの『憂楽帳』の記事のどこに、筆者の「意図」が書いてあるんですか。
 「自由主義史観」への攻撃だというのは、今の段階では、あなたのきめつけです。(ただし、最初にも触れたように、「意図」でなく、政治的効果として言うのなら、議論の余地もありますが)

次に毎日新聞のトップ記事の問題に移りましょう。

>コメントは「教科書記載をめぐる論争」と書いてますよね。教科書記載問題で強制連行についての主張をしている団体に「つくる会」が含まれませんか?その団体名を書いてなければ無関係なんですか?少なくともその主張をしている団体に含まれることは明らかでは?

だから何なんですか。強制連行を官憲の暴力によるものだけと狭く解釈する主張が、ありさえすれば、それがどの団体であれ個人であれ、この記事は事実を書いたことになるんですよ。

 あなたがこの記事を、「自由主義史観を歪曲したもの」として、例にあげたんですよ。あなたが論証しなければならないことは、「強制連行を官憲の暴力によるものと狭く解釈する主張がある」という部分が、「自由主義史観」を指していると読めるということ、そして、それが主張の歪曲であるという2点でしょう。これは、毎日新聞が名指ししていない以上、アクロバットのようなことです。当たり前のことで、これは「主張の歪曲」とは、名指しがなければできないことだからです。
 「教科書記載をめぐる論争」に自由主義史観をかかげる人たちや「つくる会」の人々がかかわっていたことは事実です。で、なんで、この毎日新聞のこの部分が、「自由主義史観」を指していると言えるのですか? あなた自身は、「自由主義史観」の論理とは違うと思っているわけでしょう。(わたしは、同じだと思っていますけど「自由主義史観」を名乗らない人のなかにもそういう人はいると思います。)それなのに、これは「自由主義史観」のことだと、きめつける根拠をきいているのです。順序が前後しますが、悟のぱぱさんは、次のように書きました。

>>この「4つの証拠」というのは、吉田清治氏の本にあるような軍による暴力的な連行があったとすればという、前提で考えられたものじゃなかったのですか?

>その通りです。謝罪派の最初の主張に答えたものだと思います。

それなら、「強制連行を官憲の暴力によるものと狭く解釈する主張がある」というのは、少なくとも「謝罪派」を指している可能性があることを認めるのですね。私も、この部分の短いコメントが、一部の「謝罪派」のことを指していたとしても、記事に矛盾はでないと思います。(念のために言うと、「謝罪派」のすべての最初の主張がそうだったと認めるわけではありませんので、あしからず)

>記事全体が捏造だとは申しておりません。「つくる会」の主張が捏造だと申しておるのです。

これは、どういう意味ですか? 再度いいますが、記事には、「つくる会」の主張など、どこにも書いていないのですよ。どうしてねつ造できるのですか?

 さらに検討しましょう。悟のぱぱさん。あなたは、この前の投稿で、毎日新聞のこの部分を「自由主義史観」のことだと仮定した上で、記事にこのような合理的な解釈をしています。

>そこで、毎日新聞の定義する強制連行を日本に責任のある強制連行であるとすると、毎日新聞のコメントの意図はこうなりますね。

>『従軍慰安婦の教科書記載をめぐる論争では、「官憲の暴力」による強制連行のみを日本の責任とする主張がある』

この解釈は「了解事項として省略して使った言葉」の範囲内だとは言わないのですか。あなた自身がこのように「自由主義史観」に沿って解釈できるということ自体が、仮にこの部分が「自由主義史観」を指していたとしても、「歪曲」とはいえないということを示しています。そして、あなたは、「やはり変です」とおっしゃる。
 変じゃないですよ。その後に、「大審院の判決は、本人の意思に反する連行は犯罪と認め、強制連行を広くとらえる資料となる。」と書いていますが、それは、つまり、「本人の意思に反する連行(=強制連行)が犯罪だったので、業者による強制連行も日本に責任があるという資料となる」という文意にはただちにならないからです。「本人の意思に反する連行(=強制連行)が犯罪だったので、「官憲の加担しただまし」などによる強制連行も日本に責任があるという資料となる」という意味にもなりうるからです。だから、悟のぱぱさんも指摘されたように、「日本が国策として犯罪を見逃していたとか、協力していたという」ことの当否についても調べる必要がでてきたということなんですね。それを吉見義明氏はコメントしているわけですよ。

 で、その件はともかく、ちゃんとこのようにつじつまがあうものを、「自由主義史観を歪曲した」ものだといった件については、ちゃんと訂正していただきたいと思います。

 どうも、悟のぱぱさんの、ここ以降の部分を読むと、ここで議論しているのが、ご自分が「毎日新聞の記事は自由主義史観を歪曲した」ということだったことを完全にわすれているように読めます。わたしは、あなたが「歪曲」の事例として出した記事が、全然、自由主義史観にふれていないことを、追及しているのですよ。そのことを、「被害者ヅラ」と言っているのですよ。悟のぱぱさんが、何について答えているのか、読んでいてだんだんわからなくなってきました。

 以下の所でも、ご自分が言ったことが何なのかわかっていないようですね。

>それはそれとして、「強制連行を犯罪として取り締まった」ということが、「強制連行の裏付けではない」とするのはどこがおかしいのでしょう?

 だって、そのものずばりの強制連行があったという記録じゃないですか。

>犯罪として裁かれた強制連行の事実を以て「日本国家の責任による違法な強制連行はあった!」というのですか?或いは見つかっていない業者による強制連行があったはずだ、とおっしゃるのでしょうか?

 そんなこと、誰が言いましたか? 「強制連行の記録じゃない」と、悟のぱぱさんがいったんですよ。だから、「いや、強制連行の記録でしょ」と訂正しているだけで、なんで、言ってもいない主張を先取りして、そんなことをきくんですか。
 「強制連行の裏付け」という毎日新聞の見出しと、「犯罪として裁かれた強制連行の事実」とは、何も矛盾しないでしょう。あなたの勝手な主張の先読みと記事の内容が矛盾しているだけです。

 以下、この資料の中にもかかれておらず、私も触れていないことへの質問なので、回答はしません。もし、聞きたければ、別の投稿にしてください。

 最後に、吉見教授のコメントについてです。
悟のぱぱさんの、この資料にかかわる意見については、今、ここで話すつもりはありません。わたしが問題にしたことはたとえば、

>「軍の依頼がある場合、犯罪を見逃していたのではないか。」という一文は、なんの根拠もない憶測です。しかも悪意に満ちた。

の「」の中の当否ではありません。「なんの根拠もない憶測です。しかも悪意に満ちた」と、いう悟のぱぱさんの、コメントが問題なのです。これこそ、悪意に満ちた憶測でしょう。ここまで言うからには、吉見氏に根拠があるのかどうか、確かめにいかなければならないと、わたしは思うのですがね。

 そして、
>事実だけを抜き出せばそうとしかとりようのない事実に対してこのようなコメントを付ける人間を信用できるでしょうか?
についてもです。吉見氏が、この記事だけから演繹できるなどと言っているわけではないのに、そういうことを平気で言う。これに対し、あなたは、言い過ぎたと思わないのですか? 

 悟のぱぱさんの議論は、別の機会があればしましょう。わたしが前の記事で質問したことの答えであるとは思えません。少なくとも、

>あれくさんとの議論のなかで申し上げているのですが、私はこの記事を見るまでは、どちらのサイドにも立っていませんでした。しかし、この記事を読んだのを境にどうもアヤシイぞ、と思ったということだけ述べておきます。

が、回答では、話になりません。あなたは、確かめもせずに、新聞のコメントだけから、「根拠もない憶測です。しかも悪意に満ちた」と、吉見氏の研究姿勢や人格にかかわることを断言したのですよ。これは、吉見氏の説が正しいかどうかとは、無関係のことです。自分が断定したことの根拠を示すべきです。

 さらに、こんな言い方も、気になります。

>「だまして連行することは犯罪であることがはっきりした」というのは当たり前のことですので、敢えてコメントしなかったんですけど。私だってその程度のことはこの記事を見て言います。というか、この記事なんか見なくても当たり前でしょう。そもそも、吉見教授のコメントは全文引用してますし。

 あなたが言う、「事実だけを抜き出」す立場というのは、この、「当たり前」のことをする立場です。吉見氏がそれをしたうえで、コメントをしていることが、この短い記事からもうかがえるのに、そこを引用しないで、「事実だけを抜き出せばそうとしかとりようのない事実に対してこのようなコメントを付ける人間を信用できるでしょうか?」と書いたのは、あなたです。自分の批判のポイントになっているところを無視するのは、「当たり前だから」ということで正当化できません。

 これらの点にちゃんとこたえてくださらなければ、

>主張を歪曲するとは、こういうことを言うのです。悟のぱぱさんが、原文をのせておいてくれたのが、せめてもの良心というべきでしょう。

の部分は、撤回しようもありません。

 最後の部分の質問です。

>その前提とはなんですか?前の文章で、あなたが私の論理の前提がおかしいと指摘した部分はどこでしょうか?

筆者の「意図」は、聞かなきゃわからないだろうと、書いた部分です。

>>でも、想像ですが、「自由主義史観」の人たちのなかでも、特別に自分たちが被害者だなどと考えるのは、事実がどうかを見ないで、政治宣伝での勝ち負けばかりにこだわるタイプの人なんじゃないでしょうか。

>そういう想像こそが、イメージ操作でしょ?私をそういうタイプと言いたいのでしょうか?

 わたしには、そう見えますよ。「自由主義史観」の人たちが特別に被害者だと言えるのは、政治的効果の領域だけだと思いますので。

> 最後に一点、あなたは、吉見教授に対しては、「教授」という言葉をお使いになった。しかし、小林よしのり氏にたいしては、「小林よしのりという人」、藤岡教授に対しては、「藤岡信勝という人」という表現をお使いになった。「という人」という言葉をあなたが付加した理由は分かりませんが、あまり良い印象は持ちません。

 わたしは、ふだん、そのようなことはしません。今回、そういうことになったのは、吉見氏に関しては、毎日新聞がそう書いていたのをそのまま引用したからです。また、小林氏と藤岡氏については、あの文脈のなかで、あなたの、このおふた方の認識と、わたしのこのおふた方の認識がちがうように思えたことから、もちろん、あなたがこの二人を知らないはずはないけれども、「本当にこの二人の言っていたことを知っているのですか」という気持ちをこめて、未知の人物をとりたてる形式を使ったというわけです。「という人」に、特段、おとしめる意図はないのですが、気分を害されたようですので、今後は注意することにします。

 さて。冒頭に、わたしは「かなり怒っていました」と、書きましたが、それは、この文でもふれた、悟のぱぱさんの、引用や解釈のしかたについてです。

 わたしも、過去の書き込みを見るまでは、こんなきついやりとりをするつもりは全然なかったのですが、自分たちが、だれと特定もされていない記事によって被害を被ったとか、歪曲されたと言っておきながら、他人に対しては平気でその人の人格にまで及ぶきめつけをするのには、たえられません。他人の言説の意図についてまで憶測でものをいい、「それは読めばわかる」とまで言い切る姿勢に、おそろしさを感じます。じぶんの決めつけの加害性を自覚しないで、決めつけられてもいないのに被害者だという、そのいいかたは、やめていただけないかと思うのです。


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