脱ゴーマニズム宣言裁判を楽しむ会議室
1998/05/18(12:19) from Anonymous Host
作成者:悟のぱぱ(ymaeda@ps.inforyoma.or.jp)
Re: きめつけはいかんよ。
秋月さんこんにちは。悟のぱぱです。
スグルさんのレスがついており、また、それに対する秋月さんの御返事もありますが、書き上げたのがその前でしたので、取り敢えずそのまま投稿いたします。また、補足は、秋月さんの最新のレスに対して付けさせていただきます。

どうも、随分私に対しお怒りのようですので、はっきりとお返事をさせていただきます。

論点のひとつめですが、私の論点は、毎日新聞がどうしてあのようなウソの記事を捏造したのか、という一点なのです。捏造にはなんらかの意図があるはずで、それはなんなのかと考えると、それは「強制連行ナシ派」への攻撃ではないですか、と私は論じているわけですが、それに対してのあなたのお答えは、

>ご説には、ちょっと賛同しかねるのですが

ということでした。
賛同しかねるわけですから、「強制連行ナシ派」(自由主義史観論者)は虚報の被害者ではないという主張であると私は捉えましたが、それがまちがいだったのでしょうか?だとすれば、賛同しかねるというのは如何なる意味だったのでしょうか。後のほうで、論理の前提を問題にされていますが、どう問題があるのでしょうか?
で、さらに今回は、

> わたしは、毎日新聞の記者の「主張」がどのようなものか、知りません。その記者の「主張」だと言える部分があったら、それについて、いいとか悪いとか言うこともできるでしょうが、一般論として、ウソを根拠にした主張がいいものであるはずはないでしょう。そんなことはあたりまえです。

ということですよね。秋月さんはかなり聡明な方だと思いますし、今回の文章を読んで、なおさらその感を深くしたのですが、「どのようなものか、知りません」というのは本当でしょうか?あの文章を読み、それが虚報であると知った人間は、誰でも強制連行ナシ派に対する攻撃と判断すると思うのですが。

そして、繰り返しますが、私の主張は一点で、イメージ操作によって、「自由主義史観」は被害を被った、そして、慰安婦の方もそのイメージ操作に「利用」されて被害を被った、ということです。
あなたは、

>「自由主義史観」の人というのは、そういうような、不特定多数しか意味しないと、わたしは考えるわけです。

とおっしゃいます。私は別に個人レベルで被害を受けたなどとはかけらも思っていません。私は、自由主義史観というものが日本にとってプラスになるものだと判断し、(その理由は、機会があれば、また...)それを支持しているのです。それを支持する人達を貶めるイメージ操作が、究極的には自由主義史観そのものを貶めた故に怒りを感じるのです。
その点はご理解ください。

 次に、
>>>坂竜飛騰さんのご意見に賛成というわけでもありませんが、

>>というのは如何なる理由でしょうか?
>>秋月さんは、報道機関による情報操作やイメージ操作を肯定なさるのでしょうか?

>という部分ですが、「萩原さんが答えればいいこと」と書いているのに、どうして私に迫ってくるのでしょうか。萩原さんの言い分も聞いてみなければわからないというのが、第三者としては穏当な態度でしょう。

という点ですが、坂竜飛騰さんの主張は、「報道機関による情報操作やイメージ操作」は許されないという一点です。それに対して、「賛成というわけでもありません」とおっしゃられたら、そういう意味と受け取ってしまいますよ。
さらにこのようにお書きになっていますね。

>わたしは、控えめに、「賛成というわけでもない」と書いただけですよ。結論に賛成したり反対したりする以前に、設問の前提に同意できない場合があったり、判断できる立場になかったりすることがあると言うことをお認めにならないのですか?

「設問の前提に同意できない」、「判断する立場になかったりする」というのはどういう意味でしょうか?また、この場合はどちらに該当しますか?
坂竜飛騰さんの主張における「設問」というのは、記事の捏造をどう思うか?ということでしょうか?だとすれば、その前提とはなんでしょうか?
また、この問題を判断する立場にない人間など一人もいません。第4の権力たるマスメディアが虚報やイメージ操作をしたら、我々は断固としてこれに抵抗するべきではないのでしょうか?それをあなたは専門家、或いは問いかけられた本人ではないので、判断する立場にないとおっしゃるのでしょうか?
それにしても、その場合は、「坂竜飛騰さんのご意見に対する判断は控えさせて頂きますが」とお書き下さらなければ、賛成しないという意味に受け取られるのは当たり前では?

> こんなことは言いたくありませんが、悟のぱぱさんは、コメントをはずして、私への質問を投稿なさいましたよね。あなたの質問をはじめて読む人は、そのもとになっている私の投稿がどこにあるのか、にわかに判断できない状態にさせられています。

今までのみなさんの投稿をもう一度よくご覧になってください。トップのページには最新の15の投稿しか表示されません。それ故、投稿されるみなさんは、ある程度、ツリーが下に来ると、新規投稿という形で、一番上に投稿を残すように工夫なさっているのです。
これは暗黙の了解です。2ページ目以降に隠れてしまうとレスが誰の目にも止まらないという可能性がありますので、私も新規投稿としました。その場合も、当然、議論をする相手の名前や、題名を入れて分かりやすいように工夫されているはずです。ですから、最後のあなたの投稿に対するお返事というのは明らかだと思います。(それに反対だというのならば、みなさんの暗黙の了解に対してルールの変更を主張して下さい。)
ですから、私が、情報操作のためにあなたの文にレスをつけることを避けたというのはまったく事実無根です。

ですから、この問題に関連するあなたの主張に対するご返事は割愛させていただきます。
この中で、一つだけ述べておきますが、

「秋月さんは、報道機関による情報操作やイメージ操作を肯定なさるのでしょうか?」という私の質問が、

>坂竜飛騰さんの論理の過程が「無条件」に正しいと「前提」したうえで、結論部分に「だけ」同意するかどうかをせまるものです。(「」3カ所は引用者付加)

というあなたの主張は、「無条件に」と「だけ」という言葉を除き、「前提」を「結論」と直せばその通りです。
私は、坂竜飛騰さんの論理の過程が正しいと結論したうえで、結論部分に同意するかどうかをあなたにせまったのです。
別に無条件に前提したわけではありません。彼の文章を読んで正しいと結論したので、同意を求めたのです。「坂竜飛騰さんの言葉だから正しい」と私が述べておれば、「無条件に前提」しているといってよいでしょうが...。

とにかく、私が情報操作をしたと主張されるのならば、その私の行為が本当にそれに該当するかどうかは十分吟味してからにしてください。過去ログを読まれたのならなおさらです。

>元「慰安婦」が望んで「慰安婦」と自己規定したわけではなく、そのラベリングは死んでもはがすことができない
>(中略)
>「自由主義史観」というのは藤岡信勝さんなら、藤岡さんが自分で命名したか、自称したものであって、(中略)また変えることだってできるじゃないかと、対比しているだけのことではないですか。

「元慰安婦」というのは当然、自己規定したものではありません。自由主義史観とは史観ですから、自己規定は出来ます。当たり前のことです。
問題は、その対比に意味があるかどうかです。それぞれが、まったく性質の異なるものですから。個人に対するイメージ操作がより悪いという主張ならば分かりますが、自由主義史観という史観がイメージ操作により貶められたとしても、それは特定された個人に対する攻撃じゃないから、貶められたらまた変えることだってできるじゃないか、という主張は、おそらく、責任のある主張をしたいと思っている人間にとっては大変心外な台詞だと思います。その点を非常に感情を押さえた形で指摘させていただきました。
ですから、

>こんな付録みたいなところにかみついてくる、そういうやり方は、「歪曲」に当たらないのですか?

というご指摘をされるということは、ちょっとこちらの気持ちが届かなかったということだと思います。つまり、「付録」だなどというには重すぎる発言なんですよ。歪曲とあなたが捉えるのは勝手ですが。

>……と、こんなことまで言うのは、
>あなたの議論が、あまりにもきめつけが多いからです。

私の主張のきめつけというのが、どの部分か、もう一度よくこのレスを読んでからご指摘下さい。それと、あなたの私が「コメントを外した」という主張も決めつけですね。

>あなたのまねをして書くと、上のようになってしまいます。

上の文は全て本心ではないという事でしょうか?
このような書き方をされたら返事をするべきかどうか迷うのですが、一応返事させていただきました。もし、意図的にあなたが、ここで上のように「決めつけ」をしたのだとしたら、それこそイメージ操作でしょ?

>最初の質問についても
>思うのですが、毎日新聞の記者が何を思って書いたかなんて、本人に聞かなきゃ、わからないじゃないですか。少なくとも、これに抗議している『ナヌムの家』の字幕作成者たちのグループは、それを本人に問いただしているんですよ。そして、回答がないことに怒っているのです。
>それなのに、あなたは、「自由主義史観」への攻撃だと、決めつける。

今、強制連行ナシ派=自由主義史観という図式は国民の多くが共有していませんか?
また、おおよそ文章を書くことを商売にする人間が自分の主張をきちんとその文章の中に入れられないとしたら、その資格はないでしょうね。私にはあの文章の意図するところは明確に捉えられましたし、実はこの文を周りの何人かに見せて、感想を聞き、そのあと、「これは実は捏造だったんだよ。どうしてこんなことすると思う?」と聞いてみました。
返事は、「ナシ派に対する攻撃やろ?」とか、「慰安婦が売春婦とか言っている奴がおるからそれをやっつけんといかんのでしゃあない」とか、「別のところでこんな人がおったんやない?」とか、そういう感想でした。何を思って書いたか、本当の所はそれは確かに分かりません。しかし、その文章がどう読めるか、それだけで十分ではないでしょうか?
或いは、あなたの論旨は、「あらゆる文章において、その主張を理解するためは、文章だけではだめで、本人に直接その意図を確認しなければいけない」という事でしょうか?

次は毎日新聞の問題です。

>>一面トップでも「新しい教科書をつくる会」の主張を歪曲した記事を掲載しています。その記事曰く
>>>従軍慰安婦の教科書記載をめぐる論争では、「官憲の暴力」のみを強制連行とする主張がある

>と書きました。しかし、そもそも、あなたが引用した毎日新聞の記述は、あなた自身の、4月20日143番の記事によれば、
>(記事略)
>という歴史的事実を報じたもので、そこについた新聞社のコメントです。この記事のどこにも、「自由主義史観」とも「つくる会」とも、書いていないじゃないですか。

コメントは「教科書記載をめぐる論争」と書いてますよね。教科書記載問題で強制連行についての主張をしている団体に「つくる会」が含まれませんか?その団体名を書いてなければ無関係なんですか?少なくともその主張をしている団体に含まれることは明らかでは?

>その当時、強制連行を狭く解釈する人はたくさんいました。「自由主義史観」だけじゃなくて、あなたがよく知っているように、韓国でもそういう傾向がありました。

今でも韓国の公式見解は官憲による強制連行があったというものだと認識していますが?今では吉田証言は韓国の公式見解から外されたのでしょうか?

>そんな中で、この判決が、当時の法体系でもだましによる連行が違法であるということを示しているから、同様のだましがあればそれらは違法であったと考えなければならず、そこに国が関与していれば、国の責任も問われなければならないと考える材料になるということを指摘しているわけですよね、この記事は。そして、そうであれば、「強制連行」ということを広く解釈したほうがいいのではないかと、問題を提起しているのだと読みとれます。

広義の強制はこの記事よりずっと前に主張されているはずですが。私の勘違いでしょうか?去年からでしたか?

>これのどこが、「自由主義史観」を歪曲しているのですか? 慰安婦問題について発言しているのは、「自由主義史観」を名乗る人たちだけじゃないんですよ。悟のぱぱさんの引用だけ読むと、あたかも、毎日新聞が、「自由主義史観」や「つくる会」(この二つが同じだと無前提に言える根拠もよくわからないのだけど)を名指しして根拠のない主張の要約をしたかのようですが、全然、そんな事実はありませんね。これは、完全に、あなたの歪曲によるねつ造です。

記事全体が捏造だとは申しておりません。「つくる会」の主張が捏造だと申しておるのです。

>わたしは、彼が「強制連行はなかった」と言うので、その「強制連行」の定義をしつこく聞いたのです。そして、かれは、「官憲の暴力」以外の連行、たとえば、だましによる連行があったことは認めながら、「それは、強制連行ではないのですか」ときいても、口をにごしていました。それに前後して、藤岡信勝という人は、テレビで何回も、「従軍慰安婦問題というのは、強制連行の有無の問題です」と言い張り、「4つの証拠」がすべてないから、とうぜん、「強制連行はなかった」との主張していたのではありませんか。

言葉の定義の問題でしょう?この場合、「強制連行はなかった」という主張そのものは、「軍命令による強制連行がなかった」という意味を持って語られている事は自明ではありませんか?藤岡氏の著作を読めば彼の主張が「官憲による強制連行、或いは軍命令による強制連行はなかった」というものだというのは明らかです。了解事項として省略して使った言葉に過ぎませんよね。小林よしのり氏が口を濁した理由は私には図りかねますが、彼の著作を読めば彼とても主張は同じです。つまり、「日本に責任のある強制連行」はなかったという主張ですよね。
そこで、毎日新聞の定義する強制連行を日本に責任のある強制連行であるとすると、毎日新聞のコメントの意図はこうなりますね。

『従軍慰安婦の教科書記載をめぐる論争では、「官憲の暴力」による強制連行のみを日本の責任とする主張がある』

これならば分かります。が、やはり変です。なぜならば、その後に、「大審院の判決は、本人の意思に反する連行は犯罪と認め、強制連行を広くとらえる資料となる。」と書いているからです。
つまり、「本人の意思に反する連行(=強制連行)が犯罪だったので、業者による強制連行も日本に責任があるという資料となる」という文意になってしまうからです。
記事の内容はそうではありませんよね。日本の国内法においても強制連行は犯罪であり、日本は内地でも朝鮮でもそれを裁いていたという内容なのです。
「業者による強制連行が日本に責任がある」ということの資料であるとしたら、少なくともこの記事内において、例えば、日本が国策として犯罪を見逃していたとか、協力していたという証拠も必要だろうと思いますが如何でしょうか?

さらにこの記述では「主張者」は本人の意思に反する連行は強制連行ではなく犯罪と認めていないと主張しているように読めますよね。

>この「4つの証拠」というのは、吉田清治氏の本にあるような軍による暴力的な連行があったとすればという、前提で考えられたものじゃなかったのですか?

その通りです。謝罪派の最初の主張に答えたものだと思います。

>これがどうして、「官憲の暴力による強制連行は確認されていない」というところにまで後退するのですか。

控えめな表現をしただけですが?官憲の暴力による強制連行は確認されていないでしょう?

>それとも、「官憲の暴力以外の強制連行も一件もなかった」とでもいうのですか?

そんなこと一言も申し上げてませんが?どういう論理の脈絡でそのような発言をなさるのか全く分かりません。

> それとも「強制連行はあったが、官憲の暴力によるものではないから、問題でない」というふうに、意見を変えたのですか? いつから?

問題ではないというより、業者による騙しの連行は日本の責任を問えるものではないという主張だと思ってますが。
(私は広義の強制連行への論点のシフトは狭義の強制連行の問題をはっきりさせてからだと思ってますので、この論点については今は語ろうとは思いません。上杉さんを始め、未だ狭義の強制連行があったと考えていらっしゃる方が多いので。)

>他のグループのことを書いているかもしれないのに自分たちが「歪曲」されたと言いはる、この被害者ヅラは、何なのですか? 

>それに、前にも少しふれたことですが、悟のぱぱさんは、いったい「自由主義史観」の代弁人なのですか?

これ以下の部分の主張については上でも述べていますが、私は自由主義史観が今の日本に必要だと考えて、それを勉強し、こういう場があったので謝罪派の方と議論をしてみようと思っただけです。そして、そのスタンスからの主張を展開したのみです。別に直接的に利害があるわけでもなんでもありません。私は個人としては被害者ヅラをしてもなんの意味もありませんし、そんなつもりもありません。

>これについて、さらにダメをおしておきます。
>悟のぱぱさんは、4月20日143番の記事で、「強制連行の証拠が見つかったのか!と慌てて」くだんの毎日新聞の記事を読んだら、「強制連行の有罪判決の記事でした」と書きながら、「私は少し目を疑いました。当然でしょう?これは、強制連行を犯罪として取り締まっていたという証拠ではないですか?なんで、これが強制連行の裏付けなの?」と書いています。同じ文の中で「強制連行を取り締まった」と書きながら、「強制連行」の裏付けであることを疑う、不思議な文です。この記事を見ても、「未遂」ではなく、「国外移送、国外誘拐罪」だと書いてあるんですが。

ダメをおしておきます、って...すみません。被害者ヅラとかもそうですけど、もうちょっと穏当な表現が出来ませんか?
まあ、それはそれとして、「強制連行を犯罪として取り締まった」ということが、「強制連行の裏付けではない」とするのはどこがおかしいのでしょう?官憲が強制連行を取り締まっていたとするならば、違法な強制連行があったとしても、見つかったら裁かれたということですよね。犯罪として裁かれた強制連行の事実を以て「日本国家の責任による違法な強制連行はあった!」というのですか?或いは見つかっていない業者による強制連行があったはずだ、とおっしゃるのでしょうか?発覚していない犯罪は絶対に裁けませんよ。あれくさんにも申し上げたのですが、警察や裁判所の能力を問題にしているのでしょうか?
そういえばあなたは小林よしのりとの討論で、このようにおっしゃっていますよね。(今回のレスで、あなたが「関釜裁判を支援する会」の方だと知ったのですが)

秋月さん「戦時レイプは処罰されていたと言ったじゃないですか。なのに、なぜどんどん強姦が起こるんですか?」
小林よしのり氏「あなた方、本当におかしいよ。例えばアメリカでは今、5秒に1回強姦が起きているけど、見つからなければ、処罰できないでしょう」

それに対するお答えは?(引用元のSAPIOには出てなかったんです)

吉見教授のコメントについて。

>まず、ここでは、引用のしかたを誤っています。吉見氏のコメントのもとを読めば、「慰安所の業者は軍が選定しており」の部分が吉見氏自身の見解で、その見解とこの記事の事実とあわせて、「軍の依頼がある場合、犯罪を見逃していたのではないか」と「警察は十分に取り締まったのか」の2点などを「改めて具体的に明らかにしていく必要がある」と書いてあるのです。「国は裁いていたのですが...」とありますが、裁く責任があったから裁くのであって、「官憲が直接、手を下さなくても、国に責任がある」とするのは、この記事からだけでも明らかなことです。

意味不明です。「業者を軍が選定」しているから、「犯罪を見逃していたのではないか」となるわけですか?(「のではないか」という書き方は憶測ではないのでしょうか?)少なくとも、この記事からば、国は強制連行を裁いていたという事実しか読みとれません。し、裁く責任があったから裁いていたからこそ、見逃していたという根拠にはならないと言っているだけなんですけど?

>「なんの根拠もない憶測です。
>しかも悪意に満ちた」と、コメントした部分は、そもそも「改めて具体的に明らかにしていく必要がある」につながるのですが、「慰安所の業者は軍が選定しており」という根拠が示されているし、国外に移送する目的でだまされて連れ出された「慰安婦」が大勢いたことが周知の事実でありながら朝鮮人慰安婦などについてこの罪で裁かれたケースがみあたらないという根拠をもとに、言っていることは明らかです。

ですから、「慰安所の業者は軍が選定しており」が、「犯罪を見逃した」という根拠になるのですか?何のために軍が選定していたかという点はどうお考えでしょうか?
さらに騙されて連れ出された場合、本人すらもその仕事内容を知らず、着いてから聞かされたというケースが多くあります。その場合は、非常に摘発は難しいと思いますね。
また、これらの論点についてはあれくさんとのやりとりの中で語り尽くしておりますのでご参照ください。それに対して異議があればどんどん反論して下さい。

>新聞の短いコメントに対して、根拠がすべて書かれていないからと言って、「なんの根拠もない憶測」だと書くほうが、憶測にすぎません。「悪意に満ちた」に至っては、ご自分の悪意を吐露したに過ぎないと言うべきでしょう。

あれくさんとの議論のなかで申し上げているのですが、私はこの記事を見るまでは、どちらのサイドにも立っていませんでした。しかし、この記事を読んだのを境にどうもアヤシイぞ、と思ったということだけ述べておきます。

>さらに、「事実だけを抜き出せばそうとしかとりようのない事実に対してこのようなコメントを付ける人間を信用できるでしょうか? 」と、そもそも、吉見氏がこの記事だけを根拠に話をしているわけではないということも無視して、しかも実は、「だまして連行することは犯罪であることがはっきりした」という、この記事そのものの解釈を述べている部分をカットしてコメントをするとは、恐れいります。

どのような根拠を基に吉見教授はこの解釈を述べたのでしょうか?寡聞にして、犯罪を見逃していたという根拠を私は知りませんので。「朝鮮人慰安婦などについてこの罪で裁かれたケースがみあたらない」がそれに該当するのでしょうか?これは根拠ではなく、単なる傍証では?
それから、「だまして連行することは犯罪であることがはっきりした」というのは当たり前のことですので、敢えてコメントしなかったんですけど。私だってその程度のことはこの記事を見て言います。というか、この記事なんか見なくても当たり前でしょう。そもそも、吉見教授のコメントは全文引用してますし。

>主張を歪曲するとは、こういうことを言うのです。悟のぱぱさんが、原文をのせておいてくれたのが、せめてもの良心というべきでしょう。

いい加減にして欲しいのですが、私が意図的にそれをしようとするのならば、原文など載せません。「せめてもの良心」とまであなたにいわれる筋合いはありません。

ながくなってしまいましたので、急ぎ足で。

>>私としては、慰安婦の方がこの事件の被害者であることはもちろん否定しません。しかし、「強制連行ナシ派」(自由主義史観)もこの被害者だという点に何故同意していただけないのかが分かりません。

> 私が反論したのは、あなたの論理立てに含まれる前提についてです。

その前提とはなんですか?前の文章で、あなたが私の論理の前提がおかしいと指摘した部分はどこでしょうか?自由主義史観が特定された個人ではないから、被害を被ったとは言えないと言う点でしょうか?

>それから、
>結論についていえば、「自由主義史観」が被害者だとおっしゃりたいのなら、元「慰安婦」の方とは別の意味でそうかもしれないとだけ、言っておきましょう。たとえば、読者も被害者ですから。でも、想像ですが、「自由主義史観」の人たちのなかでも、特別に自分たちが被害者だなどと考えるのは、事実がどうかを見ないで、政治宣伝での勝ち負けばかりにこだわるタイプの人なんじゃないでしょうか。

そういう想像こそが、イメージ操作でしょ?私をそういうタイプと言いたいのでしょうか?政治宣伝なんかに私は全然興味はないし、運動もしたことはありませんし、それを飯の糧にしたこともありませんし、ちゃんとした仕事を持っておりますので、勝ち負けにこだわる必要性などカケラもありません。

>「あのコラム」まがいのきめつけをするから、それに対しては「にわかに同意できない」と言っているだけです。

繰り返しになりますが、にわかに同意は出来ない理由は、「論理立てに含まれる前提」がおかしいから「きめつけ」だという事ですよね。
としたら、その論理立てに含まれる前提について、もう少し詳しくご説明下さい。

最後に一点、あなたは、吉見教授に対しては、「教授」という言葉をお使いになった。しかし、小林よしのり氏にたいしては、「小林よしのりという人」、藤岡教授に対しては、「藤岡信勝という人」という表現をお使いになった。「という人」という言葉をあなたが付加した理由は分かりませんが、あまり良い印象は持ちません。


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