脱ゴーマニズム宣言裁判を楽しむ会議室
1998/05/17(18:53) from Anonymous Host
作成者:秋月 康夫(AKIZUKI@chollian.net)
Re: きめつけはいかんよ。
 悟のぱぱさん、こんにちは。

 ご質問がありましたので、簡単にお答えします。
 悟のぱぱさんがとりあげられている投書は、「『憂楽帳』虚報事件の被害者は自由主義史観(の立場の人)とも言えないか」というご意見に対して、答えたものです。
 わたしは、その前の投書で、「元「慰安婦」の方こそが被害者」と書いておきながら、自由主義史観のほうの「被害」については触れませんでした。(別に、誰が被害者かをメインテーマに議論していたわけでもないし、元「慰安婦」の方だけが被害者だと書いたわけでもないんですけどね。)で、それに対して、上のようなご意見が寄せられたので、なぜ、自分が自由主義史観のほうの「被害」について書かなかったのか、弁明したわけです。それは、簡単に繰り返して言えば、虚偽の事実を書かれたのだけど、その虚偽の事実と、実在の人物とが結びつけられる度合いが違うだろう、ということでした。

 ですから、

>毎日新聞の記者は元慰安婦の方を自らの「主張」のために利用したのです。これはもちろん許されることではありません。で、私はその「主張」の内容も問題だと言っているのです。

という問題に関して、わたしは論じたつもりはありません。

 わたしは、毎日新聞の記者の「主張」がどのようなものか、知りません。その記者の「主張」だと言える部分があったら、それについて、いいとか悪いとか言うこともできるでしょうが、一般論として、ウソを根拠にした主張がいいものであるはずはないでしょう。そんなことはあたりまえです。

 次に、

>>坂竜飛騰さんのご意見に賛成というわけでもありませんが、

>というのは如何なる理由でしょうか?

>秋月さんは、報道機関による情報操作やイメージ操作を肯定なさるのでしょうか?

という部分ですが、「萩原さんが答えればいいこと」と書いているのに、どうして私に迫ってくるのでしょうか。萩原さんの言い分も聞いてみなければわからないというのが、第三者としては穏当な態度でしょう。

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 これで、回答は終わりです。ただ、この機会にいくらか苦言を呈しておきます。

 二つ目の件ですが、こういう議論のすすめかたは、ちょっと強引だと思いませんか? わたしは、控えめに、「賛成というわけでもない」と書いただけですよ。
結論に賛成したり反対したりする以前に、設問の前提に同意できない場合があったり、判断できる立場になかったりすることがあると言うことをお認めにならないのですか?

 こんなことは言いたくありませんが、悟のぱぱさんは、コメントをはずして、私への質問を投稿なさいましたよね。あなたの質問をはじめて読む人は、そのもとになっている私の投稿がどこにあるのか、にわかに判断できない状態にさせられています。そうしておいて、「秋月さんは、報道機関による情報操作やイメージ操作を肯定なさるのでしょうか?」などという質問をすれば、わたしが、なにかマスコミによる情報操作を肯定するようなとんでもないことを書いたかのようなイメージが生みだされてしまいます。この質問は、坂竜飛騰さんの論理の過程が無条件に正しいと前提したうえで、結論部分にだけ同意するかどうかをせまるものです。こういうのは、情報操作ではありませんか? さらに言えば、私は、常時、この掲示板を見ているわけではありません。コメントとして投稿されればメールがわたしのところに来ますが、それをさけて、自分の投稿が反論されないように、新しい投稿にしたと考えるのは被害妄想ですか? さらに言えば、あなたは、わたしが、
「自由主義史観」の名前が汚れてしまったと思えば、また、別の名を名乗ることさえ、むずかしい話ではない
と書いたのをとらえて、

>藤岡信勝氏という人間が、「自由主義史観」から、「藤岡史観」に鞍替えしたら、それで、けがされたイメージが回復出来るんでしょうか?

と書いているけど、これは、元「慰安婦」が望んで「慰安婦」と自己規定したわけではなく、そのラベリングは死んでもはがすことができないのに対して、「自由主義史観」というのは藤岡信勝さんなら、藤岡さんが自分で命名したか、自称したものであって、かつて藤岡さんが「唯物史観」を自称したとしてもそれを簡単に変えることができたように、また変えることだってできるじゃないかと、対比しているだけのことではないですか。イメージが回復できるかどうかじゃなくて、もともとイメージを形成するために自分たちが作ったり使ったりしていることばと、とりはずすことができない身体にきざまれたラベリングを同列に扱うことが間違っているんじゃないかと言っているのに、この反論のしかた、主張をゆがめていることになりませんか? しかも、その前段で書いた主な理由付けや疑問には反論も回答もせずに、こんな付録みたいなところにかみついてくる、そういうやり方は、「歪曲」に当たらないのですか?
 ……と、こんなことまで言うのは、

あなたの議論が、あまりにもきめつけが多いからです。あなたのまねをして書くと、上のようになってしまいます。最初の質問についても思うのですが、毎日新聞の記者が何を思って書いたかなんて、本人に聞かなきゃ、わからないじゃないですか。少なくとも、これに抗議している『ナヌムの家』の字幕作成者たちのグループは、それを本人に問いただしているんですよ。そして、回答がないことに怒っているのです。
それなのに、あなたは、「自由主義史観」への攻撃だと、決めつける。もとの文章のどこにも、あなたの考える「自由主義史観」を思わせる部分がないじゃないかと指摘すると、そもそも「反対論者」は、「自由主義史観」の主張を歪曲してきたからそうなるんだという。

じゃ、聞きますが、あなたのあげた「歪曲」の事例ですが、悟のぱぱさんの引用は、「歪曲」ではないのですか? あなたは、毎日新聞が、

一面トップでも「新しい教科書をつくる会」の主張を歪曲した記事を掲載しています。その記事曰く

>従軍慰安婦の教科書記載をめぐる論争では、「官憲の暴力」のみを強制連行とする主張がある

 と書きました。しかし、そもそも、あなたが引用した毎日新聞の記述は、あなた自身の、4月20日143番の記事によれば、

>戦前、中国・上海の海軍慰安所で「従軍慰安婦」として働かせる目的で、日本から女性をだまして連れて行った日本人慰安所経営者らが、国外移送目的の誘拐を禁じた旧刑法226条の「国外移送、国外誘拐罪」(現在の国外移送目的略取・誘拐罪)で1937(昭和12)年、大審院(現在の最高裁)で有罪の確定判決を受けていた。

 という歴史的事実を報じたもので、そこについた新聞社のコメントです。この記事のどこにも、「自由主義史観」とも「つくる会」とも、書いていないじゃないですか。その当時、強制連行を狭く解釈する人はたくさんいました。「自由主義史観」だけじゃなくて、あなたがよく知っているように、韓国でもそういう傾向がありました。そんな中で、この判決が、当時の法体系でもだましによる連行が違法であるということを示しているから、同様のだましがあればそれらは違法であったと考えなければならず、そこに国が関与していれば、国の責任も問われなければならないと考える材料になるということを指摘しているわけですよね、この記事は。そして、そうであれば、「強制連行」ということを広く解釈したほうがいいのではないかと、問題を提起しているのだと読みとれます。

これのどこが、「自由主義史観」を歪曲しているのですか? 慰安婦問題について発言しているのは、「自由主義史観」を名乗る人たちだけじゃないんですよ。悟のぱぱさんの引用だけ読むと、あたかも、毎日新聞が、「自由主義史観」や「つくる会」(この二つが同じだと無前提に言える根拠もよくわからないのだけど)を名指しして根拠のない主張の要約をしたかのようですが、全然、そんな事実はありませんね。これは、完全に、あなたの歪曲によるねつ造です。

しかも、悟のぱぱさんは、二重のねつ造をしているとしか思えません。この毎日新聞のコメントについて、「だれもそんな事言ってませんよね」なんて、どうして言えるのですか。毎日新聞が、「自由主義史観」を意識して書いたかどうかは明らかでないけれども、事実、この時期、「自由主義史観」を名乗る人たちは、そういう発言をしていました。わたしは、小林よしのりという人と公開の場で議論したけど、わたしは、彼が「強制連行はなかった」と言うので、その「強制連行」の定義をしつこく聞いたのです。そして、かれは、「官憲の暴力」以外の連行、たとえば、だましによる連行があったことは認めながら、「それは、強制連行ではないのですか」ときいても、口をにごしていました。それに前後して、藤岡信勝という人は、テレビで何回も、「従軍慰安婦問題というのは、強制連行の有無の問題です」と言い張り、「4つの証拠」がすべてないから、とうぜん、「強制連行はなかった」との主張していたのではありませんか。この「4つの証拠」というのは、吉田清治氏の本にあるような軍による暴力的な連行があったとすればという、前提で考えられたものじゃなかったのですか? これがどうして、「官憲の暴力による強制連行は確認されていない」というところにまで後退するのですか。それとも、「官憲の暴力以外の強制連行も一件もなかった」とでもいうのですか? それとも「強制連行はあったが、官憲の暴力によるものではないから、問題でない」というふうに、意見を変えたのですか? いつから?

つまり、毎日新聞が「自由主義史観」のことを意味して書いていたとしても、この要約は的外れであったとは思えません。上のような人たちの当時の言動をみれば、そう思わないほうが不思議なくらいです。名指しされていても不当とは言えない紹介を、名指しもされておらず、他のグループのことを書いているかもしれないのに自分たちが「歪曲」されたと言いはる、この被害者ヅラは、何なのですか? 

それに、前にも少しふれたことですが、悟のぱぱさんは、いったい「自由主義史観」の代弁人なのですか? これが「新しい教科書を作る会」なら、それを代表して抗議するということもわかりますが、「自由主義史観」という団体があるわけでもないんでしょう。みずから輪郭をはっきりさせないものに、仮に誤解があったとしても、それを「歪曲」として非難できる根拠がわかりません。勝手に自分たちで作った概念に、自分たちの望む理解がされないからといって、相手をなじるのは最低です。マルクスについて、マルクスに反対の立場の人が、ある解釈を打ち出したからと言って、マルクス主義者を自認する人に、その行為を批判する特段の権利があるわけではないでしょう。同じ立場にたたない人の「理解」は、常にその立場の人からは「歪曲」に映るものです。だからと言って、個人や団体の発言に当事者が抗議するのとちがい、学説として打ち出されたものなら、その性格づけをめぐって、シンパのみならず批判者からの議論にさらされるのは、当然のことです。いやなら、自分たちの発表できる場で反論すればいいだけのことです。

これについて、さらにダメをおしておきます。
悟のぱぱさんは、4月20日143番の記事で、「強制連行の証拠
 が見つかったのか!と慌てて」くだんの毎日新聞の記事を読んだら、「強制連行の有罪判決の記事でした」と書きながら、「私は少し目を疑いました。当然でしょう?これは、強制連行を犯罪として取り締まっていたという証拠ではないですか?なんで、これが強制連行の裏付けなの?」と書いています。同じ文の中で「強制連行を取り締まった」と書きながら、「強制連行」の裏付けであることを疑う、不思議な文です。この記事を見ても、「未遂」ではなく、「国外移送、国外誘拐罪」だと書いてあるんですが。そして、吉見教授のコメントについて、

>「官憲が直接、手を下さなくても、国に責任がある。」というのはどういうつながりで出てきた言葉でしょうか?国は裁いていたのですが...。
>「軍の依頼がある場合、犯罪を見逃していたのではないか。」という一文は、なんの根拠もない憶測です。しかも悪意に満ちた。「警察は十分に取り締まったのか、などを改めて具体的に明らかにしていく必要がある。」という一文もそうです。

 と、書きました。

>事実だけを抜き出せばそうとしかとりようのない事実に対してこのようなコメントを付ける人間を信用できるでしょうか?吉見教授が、当時の日本に対して悪意に満ちていると結論づけることに私はなんら躊躇はありません。

 とも書きました。まず、ここでは、引用のしかたを誤っています。吉見氏のコメントのもとを読めば、「慰安所の業者は軍が選定しており」の部分が吉見氏自身の見解で、その見解とこの記事の事実とあわせて、「軍の依頼がある場合、犯罪を見逃していたのではないか」と「警察は十分に取り締まったのか」の2点などを「改めて具体的に明らかにしていく必要がある」と書いてあるのです。「国は裁いていたのですが...」とありますが、裁く責任があったから裁くのであって、「官憲が直接、手を下さなくても、国に責任がある」とするのは、この記事からだけでも明らかなことです。「なんの根拠もない憶測です。しかも悪意に満ちた」と、コメントした部分は、そもそも「改めて具体的に明らかにしていく必要がある」につながるのですが、「慰安所の業者は軍が選定しており」という根拠が示されているし、国外に移送する目的でだまされて連れ出された「慰安婦」が大勢いたことが周知の事実でありながら朝鮮人慰安婦などについてこの罪で裁かれたケースがみあたらないという根拠をもとに、言っていることは明らかです。新聞の短いコメントに対して、根拠がすべて書かれていないからと言って、「なんの根拠もない憶測」だと書くほうが、憶測にすぎません。「悪意に満ちた」に至っては、ご自分の悪意を吐露したに過ぎないと言うべきでしょう。さらに、「事実だけを抜き出せばそうとしかとりようのない事実に対してこのようなコメントを付ける人間を信用できるでしょうか? 」と、そもそも、吉見氏がこの記事だけを根拠に話をしているわけではないということも無視して、しかも実は、「だまして連行することは犯罪であることがはっきりした」という、この記事そのものの解釈を述べている部分をカットしてコメントをするとは、恐れいります。

主張を歪曲するとは、こういうことを言うのです。悟のぱぱさんが、原文をのせておいてくれたのが、せめてもの良心というべきでしょう。しかし、あなたは、抽象的な「○○史観」というようなものではなく、吉見義明氏個人を攻撃したことを知らなければなりません。これが許されるなら(私は、あなたが意図的に歪曲したとまでは思っていません。ですから、誰にでもまちがいはある、という意味で、こういう言論でも、発表する自由はあると思います)、自称「自由主義史観」が主張していることを、多少意にそぐわない解釈をされたくらいで、怒るのは不当なことです。

長くなりましたが、要は、『憂楽帳』の記事が「自由主義史観」を攻撃しているとする根拠も、毎日新聞が「自由主義史観」を歪曲しているとする根拠も、ましてや、映画の試写会で「売春婦!」などとさけぶというイメージと、「自由主義史観」をことさらむすびつけようとする「歪曲」が「反対論者」によって継続されているなどという根拠も、ないということです。(ただ、それと同じようなことをした法務大臣がいましたが、その人に対して毅然たる態度をとったかどうか、というような、「自由主義史観」の中心になっている人たち自身の素行にかかわる問題はあるかもしれません。)あなたがあげたいくつかの例は、ご自分の言動を考えたら、とても非難できるようなものではないはずです。 


 悟のぱぱさん。あなたの質問に答えようと思って、偶然、過去のログまで見るはめに陥りました。それも、あなたが、毎日新聞の記事について、吉見教授のみならず、新聞にまでいいがかりをつけてくれたからです。「過去の発言で触れた」と書いておいてくださったので、確認することができました。そして、それを見て、あまりのことに、次のような気持ちを抑えられませんでした。

空恐ろしく感じたことは、私が、問題意識を持ってこの記事を見たがために、この奇妙さ(事実と論調、コメントとの落差)に気が付いたのだけれど、もし、問題意識を持たない人が見たら、「日本に対して悪意に満ちている」という決めぜりふだけでも十分に「吉見義明はウソつきだ!」と思わせることができるのでは?という事です。これは世論誘導ではないでしょうか?

   このあたりから、私は悟のぱぱさんの議論、スタンスにかなり懐疑的になったと言わざるを得ません。
 ここまで長くなりましたので、残った質問にも答えておきます。

>私としては、慰安婦の方がこの事件の被害者であることはもちろん否定しません。しかし、「強制連行ナシ派」(自由主義史観)もこの被害者だという点に何故同意していただけないのかが分かりません。

 私が反論したのは、あなたの論理立てに含まれる前提についてです。それから、結論についていえば、「自由主義史観」が被害者だとおっしゃりたいのなら、元「慰安婦」の方とは別の意味でそうかもしれないとだけ、言っておきましょう。たとえば、読者も被害者ですから。でも、想像ですが、「自由主義史観」の人たちのなかでも、特別に自分たちが被害者だなどと考えるのは、事実がどうかを見ないで、政治宣伝での勝ち負けばかりにこだわるタイプの人なんじゃないでしょうか。

>別に頑なに否定しなくともいいではありませんか?すくなくとも、あのコラムが攻撃の対象としたのは、「強制連行ナシ派」なのですし、

 こういうのを、イメージ操作といいます。私は、「頑なに否定」したんじゃありませんよ。事実、「感情は理解できる」と書いたのだし。あなたが
>あのコラムが攻撃の対象としたのは、「強制連行ナシ派」なのです
などという、「あのコラム」まがいのきめつけをするから、それに対しては「にわかに同意できない」と言っているだけです。


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