脱ゴーマニズム宣言裁判を楽しむ会議室
1998/05/23(22:56) from Anonymous Host
作成者:秋月 康夫(AKIZUKI@chollian.net)
Re: 秋月さんへ。5つの論点について。
 悟のぱぱさん。こんにちは。
 論点をまとめてくださったので、それにそって、話をすすめます。
せっかくですので転載させていただきます。

    1.虚報事件は、自由主義史観を貶める意図があったのか。
    2.毎日新聞の記事は、つくる会の主張を歪めるものか。
    3.毎日新聞の記事に対する悟のぱぱさんの批判は正当か。
    4.吉見教授に対する悟のぱぱさんの感想は人格攻撃なのか。
    5.坂竜飛騰さんの主張に対しての評価。

ということです。問題が多いのでどうしても長くなりますが、重複をさけてなるべく簡単に回答します。

    1.虚報事件は、自由主義史観を貶める意図があったのか。

 ねつ造記事であったことを考慮しても、とりたててわたしの考えに変更すべきところはないと考えます。あのコラムは記者の主張を全面に出したものではないし、「いい映画だよ」と主張しているといえば、そうもとれるけど、そこには映画を宣伝したいというぐらいの意図しかうかがうことができません。もちろん、書かれていない意図として悟のぱぱさんたちがお考えになるようなものがあったかもしれないけれども、案外、「自由主義史観」の存在も知らないで書いたのかもしれません。いずれにせよ、わたしには断定できないことですが。

 それから、わたしはあの『憂楽帳』の記事と、「強制連行の否定派」とがどう結びつくのかがわからないと申し上げたはずなのですが……。「強制連行の否定派」に「自由主義史観」が含まれているということに異論はありませんよ。


    2.毎日新聞の記事は、つくる会の主張を歪めるものか。

 わたしの反論の一点目について、

>「つくる会」のことを指しているのではない、という抜け道は確かにいくらでもありましょう。固有名を出してはいないのですから。

という回答がいただけました。「抜け道」かどうかはともかく、わたしが言いたいことは理解していただけたのだ思います。
 しかし、「じゃ、どういう団体か」と聞かれていますので、わたしが、毎日新聞の

>従軍慰安婦の教科書記載をめぐる論争では、「官憲の暴力」のみを強制連行とする主張がある

という部分を読んだときの解釈を書いておきます。ただ、これも「解釈の可能性」ということですので、絶対それが正しいというわけではありません。念のため。こういうふうに解釈した人も現にいるということです。

 わたしは、今、韓国にいていろんな団体の主張を熟知しているわけでもないので、団体名をあげることはできませんが、福岡の市民団体を中心にした小林よしのり氏への抗議がされるまえの段階で、「官憲の暴力」による強制連行を意味させながら「強制連行」の有無が議論されたことは間違いないでしょう。それが、「初期の謝罪派の主張」なのか、「強制連行ナシ派のもともとの主張」なのか、そのどちらでもないのかは、立場によって見方もちがうし、おたがいに誤解もあったのだろうと思っています。しかし、「謝罪派」と思われる人でも、テレビで吉田証言の内容は正しいと思うと主張していた人がいました。また、慰安婦問題で、「強制連行があったと教科書にのせるのは、ウソを教えることになる」という藤岡氏らの主張の中には、「強制連行」のなかに「業者による強制連行」を含めて考えていたなら成り立たないようないい方(「そうしたら日本が歴史上かつてない性犯罪国家だと認めることになる」など)がありましたよね。そんな中で、誰の主張か特定せずに上のように毎日新聞が書いたのは、短いスペースに背景を要約する必要を考えたら、かなり適切な方法だったのではないかと思います。
 たしかに、「〜とする主張がある」というのは正確でなくて、「〜として論じられてきた経緯がある」とでも書けば、もっとよかったと思いますが、いずれにしても、これを特定の立場の集団や個人の主張を暗に指していて、それを歪めて紹介したとみるのはかなり無理があると思います。当時、テレビや雑誌の間で行われた論争を追っていた人なら、「謝罪派」と「強制連行ナシ派」双方の議論の枠組みが、狭義の強制連行であったと感じている人は多かったはずです。


 反論の二点目についてですが、この記事が自由主義史観のことだとした上でわたしが示した解釈について、

>前後の文脈のどこかに「官憲の加担しただまし」、あるいはそれに類するものについての「事実」が記されていますか?そうでなければ、一般読者がそのような意味に受け取る可能性はゼロです。そういう意味には成り得ません。

と、悟のぱぱさんはおっしゃいました。
 「強制連行」の語義を「日本に責任がある強制連行」(責任がある=謝罪義務がある)と考えると自由主義史観のことだと考えることができると、悟のぱぱさんは、お認めになったのだと思います。 そ の 前 提 で 、「日本に責任がある強制連行」をもっと広くとらえようという、この記事の主張を理解しようとすれば、わたしの解釈のようになるでしょう、ということです。 そ の 前 提 で 読めば、必然的にわたしのような解釈になるでしょう? そうでなければヘンですから。
 一般読者がそのような意味に受け取らないとしても、それはその人が悟のぱぱさんの考えるような「自由主義史観」をよく知らないか、これが自由主義史観のことを述べているんだとは思わないからでしょう。どちらにしても、この記事のせいではないし、この記事によって認識が歪曲されたのだとは言えないと思います。


    3.毎日新聞の記事に対する悟のぱぱさんの批判は正当か。

>この記事に拠れば、日本は「行為としての強制連行」を犯罪として裁いていたのであるから、この記事は「日本の責任による強制連行」の裏付けとはなり得ない、という事を主張したのです。

 わたしも、そう思います。この記事じたいが「日本の責任による強制連行」の裏付けだとは言えませんね。この記事が、日本が「行為としての強制連行」を犯罪として裁いた事例だと言うことも、そのとおりです。
 そこに対してあれこれ言ったつもりはないのですが……

    4.吉見教授に対する私の感想は人格攻撃なのか。

 悟のぱぱさんの吉見氏に対する感想は、以下のようでした。

>事実だけを抜き出せばそうとしかとりようのない事実に対してこのようなコメントを付ける人間を信用できるでしょうか?吉見教授が、当時の日本に対して悪意に満ちていると結論づけることに私はなんら躊躇はありません。

 わたしが、一番気になったのは、「当時の日本に対して悪意に満ちている」と結論づけた点です。これに対する悟のぱぱさんの見解は、

>悪意というのは、「他人や物事に対していだく悪い感情、または見方」であって、感情の問題ですから。悪意を持ったことのない方は人格的に高邁であるとは言えるかもしれませんが、悪意を持っただけで人格が否定されるとも思われません。

というものでした。
 問題は、「吉見氏の研究姿勢や主張が悪意に満ちている」と受け取れることです。結論への批判はともかく、結論づける動機を「悪意」と決めつける根拠はなんですか?

> 多くの「行為としての強制連行」があったのに裁いた判例がないという点については、それ自体は傍証かもしれません。が、それならば吉見教授はこうコメントするべきでした。

>>多くの業者による強制連行があったにも関わらず判例が他にないという事は、軍の依頼がある場合、犯罪を見逃していたからではないか。

ということですが、正直言って、「多くの業者による強制連行があったにも関わらず判例が他にないという事は」をつけるかどうかで、「悪意」のあるなしが変わるとは思えません。(それとも、ここの部分の悟のぱぱさんの文脈をわたしが読み違えているのでしょうか?)言うまでもなく、新聞のコメントというものは、電話などで取材されたうえ、かなり短く要約されて載るものです。悟のぱぱさんが根拠薄弱だと思うのは無理もないことですが、吉見氏の「悪意」とまで、ここから言い切るのは問題だったのではないでしょうか。

 ただ、それを「人格攻撃だ」とまで言ったのは、わたしも言い過ぎたかもしれません。これも定義のはっきりしたことばではありませんが、とても強い意味をもたせることができるものです。こういうことで、逆に悟のぱぱさんの人格を攻撃しているように思われることは本意ではないので、取り下げます。

 そして、以下、質問があったので答えますが、わたしは本論とはあまり関係ないと思っています。

>あなたは、これに関係する私の質問に答えて下さらないので、もう一度聞きますが、どんな犯罪でも発覚しなければ裁けないと思うのですが、その点、どうお考えですか?

は、つながりのよくわからない論点です。
 今、訴え出ている被害者についていえば、発覚しなかったから裁かなかったというより、軍がやっていたから裁けなかったということだと思います。証言をみる限り、ほとんどの方が、自分たちが「慰安婦」になることをのぞんできたわけでないと、日本軍の慰安婦にさせられるのだとわかった段階で、日本の官吏か軍人に訴えている部分がありますから。(小林氏と、討論したときには、わたしはたしか、「それなら、戦時レイプは処罰されていたんじゃなくて、処罰できなかったっていうべきでしょう」と反駁したと思います。 『SAPIO』の再録には載りませんでしたが。ちなみに、あの再録は、関釜裁判を支援する会のメンバーには何の断りもなしに作られています。)


>記事の正しい解釈は、「だまして連行することは犯罪として裁かれていた判例があった」という事ではありませんか?裁かれていたと言う点にどうして言及しないのでしょう?彼のコメントのどこにも裁かれていたという事実に対する言及がありません。日本が「行為としての強制連行」を裁いていたという視点がごっそり抜け落ちており、犯罪であったという点のみを強調していますね。

 これに関してわたしが述べたことは、吉見氏が、資料のみから言える部分と、そうでない部分を区別して話しているようによみとれるのに、引用の中でそれを無視しておいて、「憶測だけで成り立っているコメント」というのは、あんまりじゃないかということでした。上の主張はこれとあまり関係がないと思います。
 ちなみに、資料に対しては、正しい解釈とまちがった解釈がありますが、正しい解釈のなかで、何をとりあげるかがその人の価値観によることは当然のことでしょう。
それが問題だとも思えません。


    5.坂竜飛騰さんの主張に対しての評価。

 わたしが見た限り、職業が新聞記者ということを明らかにしている以外に、「個人の資格で投稿したとは到底思えない」とか、「公正を装っている」とか、いえる部分はないと思います。取材だって、新聞記者じゃなきゃできないようなものではなかったし。で、職業が新聞記者だからといって、自分の意見を持ってもいいし、それを言う場があったっていいと思いますよ。
 わたしは、「情報操作」というのは、虚偽の情報を流したり、他人の主張を歪めて紹介することだと思っていたのですが、これを批判した人は、取材対象が偏っているという論点だったんでしょう。たしかに、あらかじめ選び取った似たような立場の人だけ取材して、それが、より広いある集団の全体の意見であるかのように書いたら、「虚偽」にあたりますが、わたしが見た投稿の記事は、個人のコメントが羅列してあるだけで、それが学者のすべてだなどとは、どう考えても思えないものでしたけど。

>また、あなたは、「自称」という言葉お使いですが、彼が身分を詐称しているという可能性を示唆しているのでしょうか?

そうじゃなくて、かれが新聞記者だと名乗らなければ、同様の批判はされなかったんじゃないかと思ったからですよ。ここは新聞記者も、自分のメディアを持たない人も、自由に平等に書き込める場なんだから、個人と個人として対応すればいいことなんじゃないでしょうか。自分の職業を公開したがために、されなくてもよかったはずの批判を受けるのだとすれば、それはどこかへんだと思うのです。

 それ以下の部分ですが、わたしは、悟のぱぱさんの決めつけだと思った部分について批判したのであって、萩原幸徳さんが同じような決めつけをすれば、同じように批判するだろうと思います。もっとも、この掲示板に常時参加しているわけではないから、常に立場表明しろと言われても困りますが。

 いずれにしても、萩原さんが答えるべき問題だということは、わたしも初めから言っていることで、わたしからこの問題についてこれ以上言うことはありません。

 以上です。


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