脱ゴーマニズム宣言裁判を楽しむ会議室
1998/05/22(16:14) from Anonymous Host
作成者:悟のぱぱ(ymaeda@ps.inforyoma.or.jp)
秋月さんへ。5つの論点について。
秋月さん。こんにちは。悟のぱぱです。
多忙で、大変レスが遅くなりましたことをお許しください。
私が卑劣な手段だと指摘した点については、反省をなさったそうですので、それに関する点についてはもう論じません。

ついでに論点をまとめて見たいと思います。

1.虚報事件は、自由主義史観を貶める意図があったのか。
2.毎日新聞の記事は、つくる会の主張を歪めるものか。
3.毎日新聞の記事に対する私の批判は正当か。
4.吉見教授に対する私の感想は人格攻撃なのか。
5.坂竜飛騰さんの主張に対しての評価。

主要な問題はこの5点ですね。

1.虚報事件は、自由主義史観を貶める意図があったのか。

さて、あなたは、

>その文章で主張していることは文章のなかからわかるけれども、その文章を書いた意図は、書いた人に確認しなければわからないことが多いと思っています。

と最後のレスでおっしゃっています。
意図と主張という言葉を別の意味に捉えていますが、この場合、このコラムが虚報であるということを考慮して下さい。即ち、意図という言葉を私が使ったのは、これが捏造であるからです。捏造の意図が、彼女がその文章において主張しようとしたことと一致することは当たり前ではありませんか?「ある目的」の為に捏造の記事を書いたのですから、その「ある目的」が記事の中で主張されていることと合致すると考えることは一般的に言ってなんら問題があるとは思われません。もし、あのコラムの「主張」を読みとることができれば、それは、捏造の意図と一致しているのです。

更に、強制連行の否定派は、別に自由主義史観だけではない、という主張ですが、これは意味のある主張とは言えません。否定派のなかに自由主義史観が「含まれている」というだけで十分なのです。(例えば、日本人はバカであるという主張があるとします。それに対し、「そんなことはない!」と反論した人に対し、「日本人は別にあんただけじゃない」という反論が成り立ちますか?)

2.毎日新聞の記事は、つくる会の主張を歪めるものか。

>従軍慰安婦の教科書記載をめぐる論争では、「官憲の暴力」のみを強制連行とする主張がある

これに関しては、あなたの反論は二点あります。一つは、これは「つくる会」の事を指しているのではないという点です。もう一つは、「つくる会」の事を指していても主張の歪曲はしていないという点です。

まず一点目。「つくる会」のことを指しているのではない、という抜け道は確かにいくらでもありましょう。固有名を出してはいないのですから。

あなたはこうおっしゃいます。

>この部分の短いコメントが、一部の「謝罪派」のことを指していたとしても、記事に矛盾はでないと思います。

では、取り敢えず、「従軍慰安婦の教科書記載をめぐる論争」において謝罪派で狭義の強制連行説を採っている団体を列挙してみて下さい。つまり、狭義の強制連行が確認されない限り教科書に記載すべきでない、或いは、狭義の強制連行があったので記載すべきだという主張をしている謝罪派の団体の存在を教えて下さい。

「つくる会」と「自由主義史観」が別のものだというあなたの主張はその通りです。あなた自身がおっしゃったように、自由主義史観というのは特定の団体ではないのですから。そして、少なくとも、「作る会」の従軍慰安婦問題へのスタンスは自由主義史観そのものです。それで十分ではありませんか?

それと、あなたのこの意見が一般的に支持されるものかどうかもよく考えて下さい。普通の読者がこの記事を見てそう主張しているのが誰だと思うか、それが一番大切なことだと思うのですが。(謝罪派の意見と思うでしょうか。)
そして、もし一般の読者が曖昧な捉え方しか出来ないのならば、それは書いた側にかなり大きな責任があると言えましょう。文学作品ではないのですから、多くの人に分かるように書くというのは当たり前のことでしょう。

次に二点目。毎日新聞は主張の歪曲はしていないという点ですが、私の主張は、こうなります。

>従軍慰安婦の教科書記載をめぐる論争では、「官憲の暴力」のみを強制連行とする主張があるが、大審院の判決は、本人の意思に反する連行は犯罪と認め、強制連行を広くとらえる資料となる。

ここで、強制連行という言葉をどういう意味で使っているかが問題となります。
言葉どおり、強制連行という行為全体を指しているということは実はあり得ません。”「官憲の暴力」のみを強制連行とする”という主張自体が意味を成さないからです。
「強制連行とする」と言う以上、ここで言葉の意味を定義していると考えるしかないからです。

しかし、敢えてこの場合の「強制連行」が強制連行という行為自体だと解釈すると、この主張は「官憲による暴力」による強制連行以外は強制連行とは言えない、という意味にとるしかないでしょう。
そうなると、やはり、主張の歪曲です。「つくる会」としては、官憲による強制連行は否定していますが、「業者による強制連行があった」という事を否定していないからです。(或いはその他の団体で、そのような主張をしている団体がありますか?)

今度は「強制連行」の語義をここで定義していると考えてみましょう。この場合、私は「日本に責任がある強制連行」(責任がある=謝罪義務がある)という語義がもっとも妥当と考えます。「官憲の暴力」のみを「日本に責任がある強制連行」とするという主張となるからです。
そうなると、それ以降の文意はこうなります。

大審院の判決は、本人の意思に反する連行は犯罪と認め、「日本に責任がある強制連行」を広くとらえる資料となる。

これもよく分からない文章となりました。
判決により、強制連行が犯罪であるということが明らかになったので、日本に責任があるという意味でしょうか?とすれば、強制連行が犯罪ならば、どうして日本に責任があるのでしょうか?
記事は単に、その二つの判例を述べているのみで、真相調査団のコメントとして「同種の事件で処罰していないケースについて日本政府は責任を免れない」とあり、吉見教授が、「慰安所の業者は軍が選定しており、朝鮮半島などでは、軍の依頼がある場合、犯罪を見逃していたのではないか」と、憶測しているのみです。同種の事件が発覚していて処罰していないという証拠はどこにも提示されていません。つまり、この記事に記されている「事実」から言えることは、本人の意思に反する連行は犯罪と認められており、現に裁かれていたということのみです。彼らのコメントを受けて、「日本に責任がある」という論理展開をしたのでしょうか?そうだとしたら、コメントを受けてその主張に基づく記事を書くこと自体が問題と言えませんか。

つまり、この部分は主張の歪曲か、或いは資料に対し「事実」以上の恣意的解釈を為しているかのどちらかなのです。

あなたの主張は以下です。

>「本人の意思に反する連行(=強制連行)が犯罪だったので、「官憲の加担しただまし」などによる強制連行も日本に責任があるという資料となる」という意味にもなりうる

前後の文脈のどこかに「官憲の加担しただまし」、あるいはそれに類するものについての「事実」が記されていますか?そうでなければ、一般読者がそのような意味に受け取る可能性はゼロです。そういう意味には成り得ません。

そもそも、これほど複雑な解釈が必要なほど曖昧な書き方をしている時点でまったく記事としては失格ではないでしょうか?

3.毎日新聞の記事に対する私の批判は正当か。

さて、更にあなたは、私が毎日新聞の記事を不当に批判しているとおっしゃいます。

>悟のぱぱさんは、4月20日143番の記事で、「強制連行の証拠が見つかったのか!と慌てて」くだんの毎日新聞の記事を読んだら、「強制連行の有罪判決の記事でした」と書きながら、「私は少し目を疑いました。当然でしょう?これは、強制連行を犯罪として取り締まっていたという証拠ではないですか?なんで、これが強制連行の裏付けなの?」と書いています。同じ文の中で「強制連行を取り締まった」
>と書きながら、「強制連行」の裏付けであることを疑う、不思議な文です。この記事を見ても、「未遂」ではなく、「国外移送、国外誘拐罪」だと書いてあるんですが。

私が強制連行の語義についての混用をしたために誤解を受けたことをお詫びしなくていけません。

私が、「強制連行の証拠が見つかったのか!」と思った時の強制連行とは、つまり、軍命令による、或いは日本の責任による強制連行の証拠という意味です。
それに対して、「強制連行を犯罪として取り締まっていた」と述べたときに使われた強制連行は、業者による強制連行です。無論、取り締まった主体が日本国ですから当たり前ですが。つまり、私は「日本の責任による強制連行の証拠が見つかったのか!」と述べるべきでした。

この点を除いて私が訂正をすべき点はありません。
つまり、この記事に拠れば、日本は「行為としての強制連行」を犯罪として裁いていたのであるから、この記事は「日本の責任による強制連行」の裏付けとはなり得ない、という事を主張したのです。

ここで私がその場しのぎでそう述べているのではないという証拠として挙げさせていただきたいのが、あれくさんとの議論です。この点について二人の間で問題になりませんでしたので、あれくさんは私の論旨をこのように理解して下さっていたということになりますし、その後の議論の流れもそれに沿ったものとなっていますので、その点はログを参照してご確認下さい。

4.吉見教授に対する私の感想は人格攻撃なのか。

私の吉見教授に対する感想は、以下です。

>事実だけを抜き出せばそうとしかとりようのない事実に対してこのようなコメントを付ける人間を信用できるでしょうか?吉見教授が、当時の日本に対して悪意に満ちていると結論づけることに私はなんら躊躇はありません。

まず、問題になるのが、私のどの言葉が人格攻撃に当たるのかということですが、私が、吉見教授が旧日本軍に対して悪意があると判断したことが人格攻撃でしょうか?
そうではないでしょう?悪意というのは、「他人や物事に対していだく悪い感情、または見方」であって、感情の問題ですから。悪意を持ったことのない方は人格的に高邁であるとは言えるかもしれませんが、悪意を持っただけで人格が否定されるとも思われません。
それならば信用できないとしたことは人格攻撃でしょうか?根拠無くそう言えばたしかにこの言葉は人格攻撃になるでしょう。しかし、私は根拠を明示していますね。
つまり、「事実だけを抜き出せばそうとしかとりようのない事実に対してこのようなコメントを付ける」、「悪意に満ちている」という判断です。
少なくとも悪意がある人間がその悪意の対象についての発言が信用できないというのは当たり前のことです。
お考え下さい。あなたは、私に対してかなり怒りを露わにされていました。そして、悪意のある文をお書きになった。あなたは私に対し、「被害妄想」ともおっしゃいましたね。そして、それらの点については謝罪して下さいました。
これは、あなたを責めているのではなく、怒りや悪意というものが人間から正常な判断力を奪うという事です。このことはあなたもお認めになりました。ですから、その点において、吉見教授は信用できないとしたのです。
さて、その「事実だけを抜き出せばそうとしかとりようのない事実に対してこのようなコメントを付ける」、「悪意」の根拠ですが、これは再三引用しているように、以下の吉見教授のコメントです。

>だまして連行することは犯罪であることがはっきりした。
>官憲が直接、手を下さなくても、国に責任がある。慰安所の業者は軍が選定しており、朝鮮半島などでは、軍の依頼がある場合、犯罪を見逃していたのではないか。朝鮮半島でこのような場合、警察は十分に取り締まったのか、などを改めて具体的に明らかにしていく必要がある。

私は、「犯罪を見逃していたのではないか」というのが憶測であると断じました。
あなたは、これまでの彼の研究成果もふまえたものであると反論をなさいましたが、では、犯罪を見逃していたという証拠があるのでしょうか?無い限り、憶測と言われてもやむを得ないと思います。語尾にもご注目ください。「のではないか」という表現自体が憶測であることを雄弁に物語っていませんか?

多くの「行為としての強制連行」があったのに裁いた判例がないという点については、それ自体は傍証かもしれません。が、それならば吉見教授はこうコメントするべきでした。

>多くの業者による強制連行があったにも関わらず判例が他にないという事は、軍の依頼がある場合、犯罪を見逃していたからではないか。

そして、あなたは、これに関係する私の質問に答えて下さらないので、もう一度聞きますが、どんな犯罪でも発覚しなければ裁けないと思うのですが、その点、どうお考えですか?

さらにあなたは、こうおっしゃいます。

>しかも実は、だまして連行することは犯罪であることがはっきりした」という、この記事そのものの解釈を述べている部分をカットしてコメントをするとは、恐れいります。

もし、これが吉見教授の記事の解釈だとしたら問題です。
記事の正しい解釈は、「だまして連行することは犯罪として裁かれていた判例があった」という事ではありませんか?裁かれていたと言う点にどうして言及しないのでしょう?彼のコメントのどこにも裁かれていたという事実に対する言及がありません。日本が「行為としての強制連行」を裁いていたという視点がごっそり抜け落ちており、犯罪であったという点のみを強調していますね。
正直、あなたの御意見を聞いてさらに疑念が深まりました。

日本が「行為としての強制連行」を裁いていたという記事の主要部分をカットしてコメントをするとは、恐れいります。とでも申し上げておきましょう。

結論として、吉見教授が「過去の日本に対し悪意がある」という私の判断を撤回するに足るあなたの反論はありませんでした。(もう一度反論なさるならば、犯罪を見逃していたという証拠をお願いします。それがあれば、私はこの判断を撤回し、謝罪します)
それ故、「この点について」吉見教授が信用できないとする私の結論は、たとえ結果的に人格攻撃と言われようと根拠があるものとして主張します。

5.坂竜飛騰さんの主張に対しての評価。

あなたの主張です。

>わたしは、なぜ、このインターネットの会議室で個人としての資格で投稿した記事について、「報道機関による情報操作やイメージ操作」は許されないという論点の主張がされているのか、よく理解できないでいるのです。この書き込みをした人が新聞記者を自称しているからなんですか? それとも、あの書き込みは、新聞に同時掲載されるものなんですか?

さて、この場合、萩原さんは新聞記者という資格でものを書いているのではないのでしょうか?何故なら、彼は、新聞記者の資格で取材をしたのだろうからです。個人の資格で取材しますか?その肩書きで取材し、その肩書きを使って書いたこの投稿文が、個人の資格で投稿したとは到底思えませんし、そう認めることも出来ませんね。しかも、それは公正を装っているのですからなおさらです。世論誘導ではなくてなんなのでしょうか?
それが新聞に掲載されようが、この会議室に投稿されようが同じ事です。影響力の大小が問題なのだとしたら、新聞記者の肩書きを使って口コミで情報操作をすることは容認されるのでしょうか?
また、あなたは、「自称」という言葉お使いですが、彼が身分を詐称しているという可能性を示唆しているのでしょうか?

さらに、あなたは私に対してはこう主張します。

>問題意識を持たない人が見たら、「日本に対して悪意に満ちている」という決めぜりふだけでも十分に「吉見義明はウソつきだ!」と思わせることができるのでは?という事です。これは世論誘導ではないでしょうか?

さて、では、私が世論誘導をしているとしましょう。
あなたは個人の資格において発言している私に対してはそれを批判しました。
では、新聞記者の萩原さんに対しても、(それが個人の資格で発言しているというあなたの立場を採ったとしても)世論誘導を批判するべきではありませんか?少なくとも偏った情報によって、世論を誘導しようとしたことは間違いないのですから、話の入り口がもし分からなくとも、坂竜飛騰さんの結論「情報操作、イメージ操作はしてはいけない」に対しては賛同するべきでしょうに。

そして、萩原さん自身が、あれ以降、二度と書き込みをしてくださらないのが、管二郎さんや、坂竜飛騰さんのなどの「イメージ操作批判」の意見に対し、返答するべき言葉がないということを物語っているのではないですか?最後の投稿は「まずは外堀取材」ということらしいですから、当然、内堀を埋め、本丸を攻略するつもりであったでしょうに。是非、萩原さんにお返事を頂きたいものです。

では。


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