北の狼です。著作物の「引用権」についての所論を少し述べさせていただきます。
結論からいいますと、「引用」なる権利は存在しません。
法律に関係する成書をいくら探しても、「引用権」なる言葉はどこにも載っていないだろう。法律というものは、特に現在は、権利には敏感で(中心的概念である)、正当な権利は必ず定義、目的、内容、範囲等を記載するものである。
著作権法 第32条 [引用] には、
「公表された著作物は、引用して利用することができる。この場合において、その引用は、公正な慣行に合致するものであり、かつ、報道、批評、研究その他の引用の目的上正当な範囲内で行われるものでなければならない。」
とありますが、
“引用する権利がまず規定され、その上で制限事項が規定されているのが法の論理構成”(今井氏、1998/03/17)では無いようです。
上で「公表された著作物は、引用して利用することができる」とあるのは、引用という行為が「許可」されるということです。そして、「できる」や「許可」は、「権利」では決してないのです。
報道、批評、研究等という、文化の発展という「公益」の実現のためであるなら、引用を許可すると言っているのです。言い換えると「公益」の実現のために、「著作者の権利」をある範囲で制限しますよ、ということです。原則的に、法律で保証された権利には、必ず権利(ないしは利益)の及ぶ範囲が規定されています。そうでないと、権利は単なる「エゴイズム」に堕してしまうからです。
どういう場合に引用が許可されるかを述べたのが、「公正な慣行に合致するものであり、かつ、報道、批評、研究その他の引用の目的上正当な範囲内で行われるものでなければならない」の意味です。
他の例をあげると、「臓器の移植に関する法律」というのがあります。
その第6条に、
「医師は、.................ときは、移植術に使用されるための臓器を、死体(脳死したも者の身体を含む)から摘出することができる。」
とあります。
これは、勿論、医師による臓器摘出の「権利」を保証しているのでは無く、「............」の条件を満たしているときには、臓器適出という行為を行うことができる、すなわち「許可」する、と述べているのです。
何故、許可するのかというと、この臓器摘出が医療という「公益」の実現に寄与するからである。
以上より、法律でいう「できる」とあるのは、権利の保証ではなく、ある条件のもとで「行為を許可」する、ということを意味しているのがお分かりいただけたであろう。
引用とは、正にこれに外ならないのである。