脱ゴーマニズム宣言裁判を楽しむ会議室
1998/06/03(00:02) from Anonymous Host
作成者 : 北の狼(tngc@po2.nsknet.or.jp)
「反日的日本人」と慰安婦問題(3)
「反日的日本人」と慰安婦問題(3)

北の狼です。上杉氏の”漫画に洗脳”批判を続けます。

ーーーーー 高木健一弁護士:その手口 ーーーーー

(2)「日本国籍確認訴訟」:宗斗会と『手口』の原点

昭和四十八年、十数年におよぶ「サハリン韓国人帰還運動」もいよいよいきずまり、万策尽きたかと思われたあるとき、朴氏は宗斗会という在日朝鮮人と出会い、一時期行動をともにする。
高木氏の「手口」の参考になるので、この宗斗会なる人物の活動をみてみよう。

宗氏は以前より日本を告発する運動を進めていたのであるが、氏の主張の内容は、民族的誇りを強調する他の在日韓国人・朝鮮人とはかなり趣が異なっていた。
氏の主張を一言でいうと、「在日韓国人・朝鮮人に日本国籍を認めよ」ということである。こう書くと、「帰化申請」の如き響きを有するが、氏の意図はそんな生易しいものではない。氏に私淑している青柳敦子氏が、元慰安婦を「募集」するために韓国に渡ったのは1989年十一月のことであるが、同年の四月に敗訴した裁判は「日本国籍確認訴訟」と称せられている。日本国籍の「確認」であり、「取得」や「帰化」ではないのである。
「日本国籍確認」とはどういうことかというと、日本が1952年に独立を回復した際、法務局長通達によって当時日本に住んでいた旧植民地人の日本国籍離脱(宗氏はこれを離脱ではなく「剥奪」と呼んでいる)が決められたが、宗氏はそれは認められないというのである。氏は自分をはじめ在日朝鮮人は現在も日本国籍を有していると主張し、何度もこの手の裁判を起こしてきたのである(すべて敗訴)。
実はサンフランシスコ講和条約が調印された1951年当時の日本では、在日朝鮮人の日本国籍取得に関する議論があったのであるが、日本国籍取得に最も強硬に反対したのは、実は、韓国なのである(駐日韓国大使がマッカーサーに書簡をおくっている。詳しくは「コリア・タブーを解く」西岡 力)。日本国籍離脱の際も、各種朝鮮人団体は全く平穏だったのである。従って、本来なら、宗氏は韓国政府を相手に提訴しなければならないところなのである。

ところで、宗氏の主張に従えば、宗氏達は現在日本人ということになる。そして、それを確認しろと裁判で迫っていたわけである。
では、氏はいつから朝鮮人が日本人になったと主張しているのか?
朝鮮人全体、ないしは、公的という観点からすると1910年の日韓併合の時点をおいて他にはないであろう。ところが、宗氏の主張はこれとは違うのである(正確には、そう主張したくてもできない、というのが正しい)。もし、この説(日韓併合時)に従うとしたら、宗氏は”日韓併合により朝鮮人は、皆、日本人になった”と主張しなければならないことになってしまうのだが、そんなことを言えば、日韓併合を絶対に合法と認めない「戦勝国」の韓国や北朝鮮の関係者が黙ってはいないだろうし、おそらく、宗氏も日韓併合は合法などとは口が裂けても言わないだろう。
韓国の公式見解は以下の如くである。
「大韓民国は一時として日本国籍を取得したこともなく、三千万の白衣民族があくまでも大韓民国の国籍を確保して来たということは国際公法上、明白なのである」(1949年在日韓国人法的地位に関する見解より抜粋)

ヒントは以下の宋氏の発言にある。
「現在朝鮮半島に住んでいる朝鮮人にも潜在的に日本国籍があるとみなすべきである。日本国は韓国政府との関係などあろうがなかろうが、日本国臣民として戦争に動員して犠牲を強いた者に対して公式陳謝し然るべき賠償をすべきだ。また国際情勢の変化などのため現在本国に住んでいる朝鮮人が日本に住みたいと考えた場合は、その国籍が認められるべきだ。」「『日韓誤解の深淵』(西岡 力、亜紀書房)
要するに、本人が望めば現住所に関係なく、「戦争に動員されて」、すなわち『強制連行』で日本に連れて来られた朝鮮人全員には日本国籍を認めるべきだ、と言っているのである。
では何故、現在韓国に戻っているものまで対象にするのか?
終戦時(1945年)、約200万人の朝鮮人が日本にいたが、1948年までに140万人が帰国している。「戦時動員計画」(ここでは1944年「国民徴用令」と、それ以前の1942年「官斡旋」を含む)で約60万人が日本の企業に受け入れられているが、彼等は殆どこの時期に帰国しているのである。もともと日本に生活基盤があった層のみが、日本に残ったとみてよいのである。「戦争に動員されて」朝鮮から日本に連れてこられた者で日本に残っているものは、1982年現在で、在日一世の5%にも満たないのである(「コリア・タブーを解く」西岡 力)。要するに、運動を継続しようにも、もはや対象者が日本国内には殆どいなくなり、「韓国にまで手を広げようとした」というのが上の発言の本音であろう。
ところが、韓国における定住外国人(華僑が多い)の扱いは、現在に至るもそれこそ差別以外の何ものでもないのである(「コリア・タブーを解く」西岡 力)。従って、いくら宗氏が「韓国にまで手を広げようと」しても、韓国側としては定住外国人の問題を提起することは、それこそ薮蛇なので協力はできなかったであろう。また、上でのべたように在日韓国人の日本国籍取得に強硬に反対したのは韓国政府自身なのである。よって、宗氏の「日本国籍確認」の運動はここで完全に行きづまったのである。そこで、新たに目を付けたのが慰安婦問題なのである(これについては後述)。

それにしても、この宗斗会という人物は、「国籍」というものを一体何だと考えているのだろうか?
運動のための単なる「道具」としか考えていないのは明白であろう。心の底から日本人になりたいと欲しているとは、とても思えないのである(原告達は帰化申請はしていないのではなかろうか。ないしは、前科等の理由で却下されたのかもしれない)。裁判で全て敗訴するのも当然だろう。
ここで、ある在日韓国人の以下の発言をみていただきたい。
「(韓国は)近いとはいえ、この国(日本)の永住資格があるんだから、選択肢をなくすことはないだろう。韓国の様子をみて、それ次第では(日本に)帰化するさ。もし日本にそれこそ革命やテロでも起きたら、韓国で暮らすよ。」(現代コリア九五年五月号)
これが、多くの在日朝鮮人の本音であろう。実は、在日朝鮮人というのは、定住外国人として極めて破格の好条件を有しているのである。これに参政権が加われば、殆ど日本国民の待遇とかわらないのである。韓国人の中には在日を「特権階級」と言いきるものまである。在日が韓国で差別的な扱いをうけることが多いのも、この「特権」にたいする嫉妬が一因なのである。最近こそ、中国人の日本への密航が急増しているが、八○年代以前は密航者の大部分が韓国からのものであった。それ程、当時の日本で就労するということは韓国人にとって魅力的だったのである。

以上で宗斗会氏の説明を終わるが、『強制連行(戦時動員)』と『日本国籍確認』という論拠は、次の「樺太裁判」に高木弁護士とともに「手口」として受け継がれていくことになる。

(3)「樺太残留者帰還請求裁判」(「樺太裁判」)

1973年四月十五日、朴氏は、新宿の早稲田奉仕園で開かれた宗氏らの集会に加わり「日本国籍を認めよ」と訴えた。ただし、朴氏がこう訴えたのは、樺太にいる韓国人達を帰還させる便宜的な手段として日本政府に認めてもらいたいという理由からであった。また、帰還の一つの障害として、ソ連の北朝鮮に対する「配慮」があったのであるが、日本国籍ならこの障害は若干軽くなるであろうという思いがあった。それで、樺太にいる韓国人達に日本国籍を付与することにより、彼等の帰還を実現しようとしたのである。
さらに、朴氏の頭に強くあったのは、1969年に韓国に行った時に面会した崔外務部長官の「韓国に来て帰還運動をせずに、日本で運動してほしい。樺太にいる韓国人は全員が日本人であったからです」という言葉である。韓国人を韓国に返す運動であるはずなのに、本国からは、それは日本の問題とつきはなされたのである。ところが、上の集会に参加した後、朴氏は韓国大使に呼び出され、今後このようなことがないようにと注意された。解放時、すべての朝鮮人を日本国籍から離脱させることをGHQに要請していた韓国政府としては、公の場でこのようなことをいわれては困るのである。朴氏は二度にわたって祖国から冷たくあしらわれたのである。
しかし、朴氏には酷であるかもしれないが、日本国籍付与による帰還はどだい無理な話なのである。まず第一に、樺太にいる韓国人達は終戦時に「戦勝国」としての韓国籍を自ら選んだという経緯があるのである。それなのに、ソ連がそう簡単に日本国籍取得を認めるはずがない。第二に、朴氏の真の目的は樺太にいる韓国人達を韓国の家族のもとに返し永住させることであるが、解放時、すべての朝鮮人を日本国籍から離脱させることをGHQに要請していた韓国政府としては、その方針に反して日本国籍を取得したものに対して永住どころか入国さえ拒否しかねないのである。
1975年の年明け、朴氏は知人の傷害事件のことで高木健一弁護しと知り合ったが、宗氏の運動に既にかかわっていた高木弁護士は樺太帰還運動のことも知っていた。その少し前から、朴氏を支援していた三原令という女性が中心となって、帰還運動を裁判に持ち込もうという話がでており、朴氏がそのことを高木氏に相談した。話は進み、裁判の準備が進められた。この時、おもに「七○年安保」が終り、目標を失っていた若い人たちが集められ、支援態勢がととのっていった。

1975年12月1日、「樺太残留者帰還請求裁判」(「樺太裁判」)が提訴された。
この訴訟は、サハリンにいる帰還希望の韓国人を原告に立て、被告の「国」に対して、「原告らを本邦に帰国させること」を趣旨とした『請求訴訟』というかたちをとっていた。四人の原告は日本にいないから弁護団が原告になるのだが(代理訴訟)、そのためには原告から”委任状”をとりつけなければならない。
ところが、この委任状であるが、朴氏をずっと支援してきた新井佐和子氏(前記「サハリンの韓国人はなぜ帰れなかったか」の著者)によると、弁護団がどうやってサハリンにいる原告から委任状をとりつけたのか、新井氏ですらよく分からないというから不思議である。サハリンとの手紙の交換は、ソ連当局による検閲が厳しいので、おおっぴらに委任状を送付するわけにはいかないのである。一つの可能性は、新井氏も指摘するように「白紙委任状」をとる方法であるが、詳細は今だに不明である。
ともあれ、弁護側は百通あまりの署名捺印(印鑑がないので殆どが血判による拇印)した委任状を手にいれ、その中から四人(厳寿甲、李徳林、趙敬奎、李致明)を原告に選んだ。
ところが、ここにまた大きな謎があるのである。まず原告の一人、李徳林氏であるが、氏はロシア人と結婚しており、この妻がなかなかきつくて絶対に自分を離さないというのである。韓国へ帰りたいとは、おくびにも出せないと言ってきたのである。また、趙敬奎氏と李致明氏は、朴氏が以前より作成していた四百六十二世帯の帰還希望者の渡航証明書の申請のなかにその名前が入っていないのである。(当時、朴氏以外に帰還希望者達と組織的に連絡をとれる者はまずいなかった)結局、真に帰還を望んでいたのは厳寿甲一人なのである。帰る意志のない人達からどうやって委任状を取ったのか、まことに不可解なのである。あげくに、李徳林氏にいたっては、1988年十二月の時点でさえ、訴訟に関するなんの文書も受け取ったことがないと言っているのである。(勿論、裁判所には李氏の血判状つきの委任状なるものが提出されているのであるが)こうなると、文書偽造の疑いまで濃厚である。
この四人を選んだ基準は、韓国の家族の事情以外には考えられないであろう。すなわち、帰還を希望するという家族の意志、ならびに、裁判で証言する意志の有無を基準にしたのだろう。実際、韓国から呼ばれた原告の妻たちは、「ネー、ナーラ(夫を返せ)。ネー、ナーラ」といって、証言台をひっくり返さんばかりに激しく叩いて号泣し、傍聴席の涙を誘ったという。(ちなみに、 関釜裁判では、原告達は判で押したように、裁判での証言中に錯乱したり気絶したりで反対尋問が全く不可能であった。ただ、裁判所の外では全く冷静に証言しているのだが)
名実ともに原告不在の裁判である。

ここで、樺太裁判の訴状をみてみよう。これが、また、高木弁護士を知るうえでなかなか興味深いのである。
まず、請求の趣旨には”原告らを本邦に帰国させること”とあるが、これはまた無茶な要求である。
国側は答弁で、”ソ連との外交交渉を必然として伴うものであり、裁判所が外交交渉という行政権を行使したり指導監督するのは、三権分立の原則として許されない”と正論で軽くあしらっている。(ちなみに、関釜判決では国会に慰安婦補償の立法措置を要求しているが、三権分立の原則に反しているのは明らかで、おそらく上級審でひっくり返されるであろう。高木氏は樺太裁判と同種の無茶な要求をしていたわけである)

次に、「強制連行」について実におもしろい記述があるので引用しよう。
請求の原因、一(原告らの身の上)、2の記述にはこうある。

“原告らはいずれも、当時は日本の領土であった韓国の地を故郷とする一農民にすぎなかったところ、被告国の右政策(「国家総動員法」のこと:北の狼 注)の犠牲者として「南樺太」の地に『強制連行』(『国民徴用令』に基づくと、『官斡旋』などによるとを問わず、当時の労務動員計画のもとにおいて、個人の自由意思が抑圧され、故郷から連行されたことに変わりはない)され、強制労働に就かされたものであるにかかわらず、........以下、略”(『 』は北の狼)

『 』に注目してもらいたい。この訴状で高木氏は、自ら『強制連行』を定義しているのである。
すなわち、「国家総動員法」に基づく動員を『強制連行』と定義しているのである。そして、この『強制連行』を帰還請求の主な根拠としているのである。
以下は、上に対する国側の答弁である。
慰安婦問題を考える時にも大いに参考になるので、ちょっと長いが全文を引用する。

”昭和一四年以後行われた朝鮮からの日本内地への労務動員は、次のように行われている。
(1)自由募集による動員(昭和一四年から同一七年一月まで)
これは、石炭、鉱山、土建などの事業主がまず府県長官あて許可申請書を提出し、厚生省の査定認可をうけ、次に朝鮮総督府の許可をうけ、総督府の指定する地域で、自己の責任で労務者を募集し、募集された労務者は雇用主等に引率されて集団的に渡航就労するものであった。
(2)官斡旋・隊組織により動員(昭和一七年二月から同一九年八月まで)
事業主が府県知事に雇用願を提出して承認を得た後、総督府に朝鮮人労務者斡旋申請書を提出し、総督府ではこれに承認した場合は、地域を決定して通牒し、道では更に職業紹介所及び府、郡、島を通じて、邑、面にまで割当を決定して、労務者を選定とりまとめさせるというものであった。また、選出にあたっては、労務者を隊組織に編成し、雇用主等が引率渡航した。
(3)国民徴用令による動員(昭和一九年九月以後)
国民徴用令による施行は、昭和一四年七月であるが、朝鮮では、その全面的発動を避け、昭和一六年に軍要員関係に適用し、昭和一九年二月に朝鮮内の軍需工場、事業場の現員徴用を行い、同年9月以後、朝鮮から内地へ送り出される労務者にも、一般徴用が実施された。
労務動員政策の推移は右に述べたとうりであるが、原告らが右政策の下に移動させられたものかどうかは、資料が存在しないため、不明である。”

(1)の前、すなわち昭和一三年までにも、朝鮮から職を求めて内地へやってくる人々が大勢いたが(約80万人)、当然、官は全くこれに関与していない。(1)以降、こうした個人渡航を規制して、当時最も重要だった石炭産業や金属工業の労働力を確保するため、朝鮮半島から集団的に人々を動員するため(1)以下の措置がとられたのである。
(1)の自由募集による動員とは、前回投稿『「反日的日本人」と慰安婦問題(2)』でも述べたが、「国家総動員法」(昭和一四年、1939年)に基づく「朝鮮職業紹介令」のことである。もちろん、これは誇大広告などを規制するためのもので、官による「いい関与、介入」に他ならない。
(2)も前回投稿の繰り返すと”「朝鮮人内地移入斡旋要項」にもとづく、いわゆる「官斡旋」の方法がとられることになった。これは、もともと朝鮮半島南部の貧しい農民を救うために、彼らを北部の工事現場や炭鉱の送り込む「労働者移動紹介事業」であった。官が介入することによって、ブローカーに搾取されたり、ひどい労働条件で働かされることを防ごうとしたのである。”
そして、この(2)の段階までの動員を朝鮮人は「募集」と呼んでいたのである。
(3)は文字どうり強制で、徴用令状により強制的に労働者を集めたのである。「女子挺身勤労令」もこの年(昭和19年、1944年)に施行されている。ただ、何が何でも対象者を全員徴用したわけではない。
以下は「樺太棄民」(伊藤孝司)からの引用である。
“徴用令がきて大邱の公会堂に出頭すると三百人集まっていた。身体検査の結果一一五人残して他は帰らされた。更に出発の日に集まったのはそのうち八五人だけで、あとはみな逃げられてしまった。”
徴用する方も、される方もなかなか大変だったようである。ちなみに、朴魯学氏は1943年に(2)により樺太へ渡っている。

普通に考えれば、上の(1)、(2)、(3)のうち(3)のみが強制連行であろう。なにしろ、(1)、(2)はあくまで本人の意志による「応募」であり、本人が自発的に「応募」しなければ、いかなる意味でも官は関与のしようがないうえに、官の関与自体も「いい関与」が主眼なのである。
一方、高木弁護士は(1)、(2)、(3)全てを強制連行と主張しているが、(1)は言うに及ばず、(2)を強制というのは相当に無理がある。(1)は単に誇大広告などを排除するための措置であり、(2)は、官の役割は「募集」した業者と「応募」した労務者の仲介であり、官が契約をかわしたりするわけではないのである。高木弁護士もバカではないから、その辺のことは十分に理解していただろう。高木氏としては、「国家総動員法」を背景としているということで、なんとか主張をとうせると判断したのかもしれない。または、四人の原告のうち何人かは、1944年八月以前に樺太へ渡っていたので、止むを得づ(1)、(2)を強制連行と主張したのかもしれない。

いずれにしても、この時点では、高木氏は「強制連行」の根拠を1938年の「国家総動員法」を背景として、1939年の「朝鮮人内地移送計画」「朝鮮職業紹介令」、1942年の「朝鮮人内地移入斡旋要項」(「官斡旋」)、1944年の「国民徴用令」においていたのである。
少なくとも「強制連行」という言葉を使う場合、どんなに大目にみてもこの範囲が限度であろう。(1)以前の個人渡航を強制連行などと主張しようものなら、裁判所に一蹴されて恥をかいて終りである。
ところが驚くなかれ、現在の慰安婦問題では、官の関与しない「個人渡航」までもが強制連行と堂々と主張されているのである。
このあたりは、後程、「強制連行の定義」(仮題)としてさらに考察をくわえることとするが、ここで一つだけ記憶しておいて欲しいのは、高木氏ですら「強制連行」の範囲は「国家総動員法」、すなわち「法令」を根拠としたものに限っていることである。
そして、裁判に「強制連行」を持ち出すという「手口」は、宗斗会氏の「日本国籍確認訴訟」以来の共通した「手口」なのである。

ーーーーーーーーーー以下、次回


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