参考書架

本多勝一研究会著作書き換え追跡本部編纂

本多勝一版 日本語の書き換え技術

─その手法と発見の手引き─

(略称:『書き換え技術』)


編纂のねらい

当会のこれまでの調査活動により、本多勝一氏の著作が系統的に書き換えられていることが明らかになりましたが、子細に観察してみるとその書き換えの手法からいくつかのパターンが浮かび上がってきます。そこで、ここではそれらの書き換え手法の類型をご紹介し、どうやったら書き換えが効率よく見つかるかのノウハウもあわせて伝授します。

これらを頭に入れておけば、読者が本多氏の著作をお読みになる際「ここは書き換えではないか?」と勘が働くようになり、読書の楽しみがさらに増すことでしょう。本多氏の著書/編書では増刷時などに全く断わり書きなしで文言が書き換えられている場合があり、またたとえ断わり書きがあってもどこをどう書き換えたかまでは明記していない場合がほとんどですから、書き換えを見抜くのは著者/編者と読者の知恵比べという側面ももっています。「論理」にこだわる本多勝一ファンにとっては、格好の腕試しといえるでしょう。


書き換えの手法と実例集


手法1.カッコ(「〜」/“〜”を)を付加・除去する

カギカッコ(「〜」)を付加

書き換え例1─1

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朝日新聞社版『中国の旅』収録「南京」
「労働者毛思想宣伝隊」の注記 300ページ
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<注12>… この宣伝隊はプロレタリア文化大革命中に各地で組織され、修正主義追放に重要な役割を果たした。

太字による異同部分の強調は引用者による。以下同。)

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『中国の旅』朝日文庫収録「南京」
「労働者毛思想宣伝隊」の注記 266ページ
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【注12】… プロレタリア文化大革命中に各地で組織され、「修正主義追放」に重要な役割を果たした。

書き換え例1─2

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すずさわ書店版『中国の旅』収録「中国の教育」(第三段落最後の文章)
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弾劾集会では、かれらの反革命的な驚くべき犯罪がつぎつぎと暴露された。

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朝日新聞社『本多勝一集』収録「文革の教育」
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弾劾集会では、かれらの「反革命的な驚くべき犯罪」がつぎつぎと暴露された。

書き換え例1─3

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すずさわ書店版『中国の旅』収録「入境—北京へ」(第十一段落)
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夜、革命的現代バレー「紅色娘子軍」のカラー映画を見る。国際旅行社の王秀文と朱漢州の両氏が耳元で通訳した。まず技術的水準の高さに驚いた私たちは、次いでバレーそのものの内容と迫力に圧倒され、深い感動を覚えながら、満員の群集とともに劇場を出た。ここにくわしく紹介する余裕はないが、こういう革命劇が日本で上演されたとしたら、どういう人がどんな反応を示すかを想像すると、ほぼ察しがついて苦笑させられる。旅行社の王秀文さんが、帰りの車の中で語った。(後略)

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朝日新聞社『本多勝一集』収録「入境—北京へ」(第十一段落)
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夜、「革命的現代バレエ」『紅色娘子軍』のカラー映画を見る。国際旅行社の王秀文と朱漢州の両氏が耳元で通訳した。まず技術的水準の高さを認めた私たちは、次いでバレエそのものの内容と迫力に圧倒されながら、満員の群集とともに劇場を出た。ここにくわしく紹介する余裕はないが、こういう「革命劇」が日本で上演されたとしたら、どういう人がどんな反応を示すかを想像すると、ほぼ察しがついて苦笑させられる。旅行社の王秀文さんが、かえりの車の中で語った。(後略)

ヒゲカッコ(“〜”)を除去

書き換え例1─4

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『新編・事実とは何かII』未来社収録
本多勝一/小和田次郎対談「報道と取材の自由について」
(一九七三年九月十八日対談)
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本多 要するに基本的に取材が不自由な上に行なわれる記者活動だ。それがルポの説得力に反映して、どうしても限界がある。これではどうにもならないということですね。そういった体験が重なって、少々頭にきているんですけれども、しかしこういうことを言うと、すぐに「それみろ、だから社会主義は悪いんだ、つまり資本主義の側にしか“自由”はないんだ」とばかりに、反動側の用心棒的評論家連中が絶叫するんですね。

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朝日文庫版『事実とは何か』
1986年11月25日第5刷収録
本多勝一/小和田次郎対談「報道と取材の自由について」
(一九七三年九月十八日対談)
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本多 要するに基本的に取材が不自由な上に行なわれる記者活動だ。それがルポの説得力に反映して、どうしても限界がある。これではどうにもならないということですね。そういった体験が重なって、少々頭にきているんですけれども、しかしこういうことを言うと、すぐに「それみろ、だから社会主義は悪いんだ、つまり資本主義の側にしか自由はないんだ」とばかりに、反動側の用心棒的評論家連中 が絶叫するんですね。

手法2.名詞の前に「自称」という字句を挿入する

(手法1(カギカッコの付加)と同時に用いられることが多い。)

書き換え例2─1

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「世界語と日本語と共通語と方言との関係」
『言語生活』1975年2月号 (25〜26ページ) 
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こうした他国の言語政策については、本誌で他の適任者が詳細に語るであろうから私はかんたんにしておくが、中国や北ベトナムというと社会主義国であることから、もうそれだけでアレルギーを起こすという人も、今の日本には多いであろう。

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「日本語と方言の復権のために」、
 『実戦・日本語の作文技術』第4刷(200〜201ページ) 
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こうした他国の言語政策については、本誌(『言語生活』)で他の適任者が詳細に語るであろうから私はかんたんにしておくが、 中国や北ベトナムというと自称「社会主義国」であることから、もうそれだけでアレルギーを起こすという人も、今の日本には多いであろう。

書き換え例2─2

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「ニクソンのターニャ」、『殺す側の論理』すずさわ書店収録
1972/10/20第1版第1刷;1982/5/15第4版第2刷
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「だが、思えばニクソンの本質など、最初からわかっているのだ。ある意味ではもっと腹の立つのは、このような「ニクソンのターニャ」を平然と自国民にテレビ放送させたソ連政府である。ソ連は、たしか社会主義国だったはずだし、アメリカ帝国主義打倒を叫んでいたはずだったんだが……」

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「ニクソンのターニャ」、『殺す側の論理』朝日文庫収録
1984/5/20初刷;1996/5/10第12刷、
(27〜28ページ) 
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「だが、思えばニクソンの本質など、最初からわかっているのだ。ある意味ではもっと腹の立つのは、このような「ニクソンのターニャ」を平然と自国民にテレビ放送させたソ連政府である。ソ連は、少なくとも自称は社会主義国だったはずだし、「アメリカ帝国主義打倒」を叫んでいたはずではなかったか。」

【書き換え発見の手引き】

手法1(カギカッコの付加)と手法2(「自称」)は、書き換える側にとってもそれを発見する側にとっても最も容易である。1970年代以前に本多氏によって書かれ、1980年代以降に発行/改版/増刷された書籍に収録されている文章の中にこの種の表現があれば、書き換えの可能性を考慮してよかろう。その文章が社会主義国に言及したものであれば、その可能性は極めて高い。さらに、この示性を手がかりにして書き換えが一つみつかれば、その前後の文章を照合することでさらなる書き換えが発見されることがよくある。すなわち、カギカッコと「自称」に注意を払うことは、本多勝一氏の著作の書き換えを探究する研究者にとって基本中の基本といえよう。

手法3.「〜とされている」「〜はずである」など、筆者自身の取材・判断ではなく引用/伝聞や推量であることを示す字句を文末に追加

書き換え例3─1

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すずさわ書店版『中国の旅』収録「中国の教育」
「北京大学」の注記
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北京大学(注1)【引用者注.原文のまま】を丸一日かかって取材した結果は、このような私の関心に対して予期以上にこたえるものであった。
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<原注>
<注1> 北京大学は一八九八年創立。この年で七三周年に当る。解放前は反動支配階級と帝国主義に奉仕する人間を生産する大学だった。現在一七学部あり、文化系は一〇学部(うち言語が三学部)、理科系は七学部。付属の学校工場と実験農場がある。教師数は二一三三人。

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朝日新聞社『本多勝一集』収録「文革の教育」
「北京大学」の注記
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こうした理由で、北京大学(*)【引用者注.原文では,“京”の字の右脇に*が付いている.】と師範大学付属第二中学を二日がかりで見学した。
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<原注>
12頁* 北京大学は一八九八年創立。この年で七三周年に当る。解放まえ(蒋介石政権)は反動支配階級と帝国主義に奉仕する人間を生産する大学だったとされている。現在一七学部あり、文化系は一〇学部(うち言語が三学部)、理科系は七学部。付属の学校工場と実験農場がある。
教師数は二一三三人。

書き換え例3─2

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「世界語と日本語と共通語と方言との関係」、
『言語生活』1975年2月号 (25〜26ページ) 
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文化革命後の中国は、これ【北ベトナムの少数民族尊 重政策のこと】をもっと深くすすめている。各民族が教育の現場で右のように実行しているのはもちろんだが…。言語政策もそれを反映していることはいうまでもない

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「日本語と方言の復権のために」、
 『実戦・日本語の作文技術』第4刷(200〜201ページ) 
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文化革命後の中国は、少なくともタテマエとしてはこれをもっとすすめている。各民族が教育の現場で右のように実行しているのはもちろんだが…。言語政策もそれを反映しているハズだ

【書き換え発見の手引き】

1980年代以降に発行/改版/増刷された本多氏の著作では、社会主義国に言及する際に「〜はず」という表現を使う頻度が急増している。これも発見するのが比較的容易である。

手法4.「少なくともタテマエとしては」など限定句や条件節を付加

書き換え例4─1

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「世界語と日本語と共通語と方言との関係」、
『言語生活』1975年2月号 (25〜26ページ) 
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文化革命後の中国は、これ【北ベトナムの少数民族尊重政策のこと】をもっと深くすすめている。各民族が教育の現場で右のように実行しているのはもちろんだが…。言語政策もそれを反映していることはいうまでもない。

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「日本語と方言の復権のために」、 
『実戦・日本語の作文技術』第4刷(200〜201ページ) 
************************************************************

文化革命後の中国は、少なくともタテマエとしてはこれをもっとすすめている。各民族が教育の現場で右のように実行しているのはもちろんだが…。言語政策もそれを反映しているハズだ。

【書き換え発見の手引き】

上記の例では「少なくともタテマエとしては」で予防線を張っていることがミエミエなので、容易に発見できる。

手法5.字句のさしかえ、削除

「全くウソだった」、「深い感動を覚えながら」、「驚いた」など、断定や主観的な感想を述べる表現を削除して、あたりさわりのない表現でおきかえる。逆に、「大問題だ」、「強く批判してゆくべきだ」など、かつて社会主義国に対して厳しいスタンスをとっていたかのように思わせるような言辞を後日挿入する。

書き換え例5─1

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「カンボジア革命の一側面」、
すずさわ書店『貧困なる精神4集』第1刷
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例によってアメリカが宣伝した「共産主義者による大虐殺」などは全くウソだったが(それを受けて宣伝した日本の反動評論家や反動ジャーナリストの姿はもっとこっけいだったが)、しかし末端にはやはり誤りもあったようだ 。

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「プノンペン陥落の一側面」、
すずさわ書店『貧困なる精神4集』第9刷
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アメリカが宣伝した「共産主義者による大虐殺」によって全市民がただちに虐殺されたとも思われぬが、すべては鎖国状態の中にあっては事実そのものが全くわからず、噂や一方的宣伝ばかりでは軽々に論じられない

【書き換え発見の手引き】

「全市民がただちに虐殺されたとも思われぬが…」のように何重にも予防線を張るようなまわりくどい書き方をしている箇所は、書き換えを疑ってみてよい。

また、1975年当時アメリカ政府やアメリカのメディアが「プノンペン全市民即時大虐殺」など主張していなかったことを知っていれば、逆にアメリカが言いもしなかったことをわざわざ否定してみせる筆者は読者の眼から何かを隠そうとしていると推察できる。プノンペンから追い出されて農村で連日強制労働をさせられた経験のある華僑女性を本多氏自身がインタビューして「カンボジア革命の一側面」(→「プノンペン陥落の一側面」)を書いている以上、当時「全市民がただちに虐殺された」などという疑いが生じるはずがなかったことがわかる。自分自身が脱出華僑から話をきいたことをもとにカンボジアの内情について報告記事を書いている(「こうした体験者の話を過大に増幅して書きたてる反動側の文筆家がいることを知っているので、それに対するひとつのカウンター・ブロー(迎撃)として、こうした報告を出しておく必要にせまられたためだ」)のに、「鎖国状態の中にあっては事実そのものが全くわからず」というのも矛盾している。このようにつじつまのあわないことを言っている箇所は、後からつけたした可能性がある。

書き換え例5─2

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すずさわ書店版『中国の旅』収録「入境—北京へ」(第十一段落)
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夜、革命的現代バレー「紅色娘子軍」のカラー映画を見る。国際旅行社の王秀文と朱漢州の両氏が耳元で通訳した。まず技術的水準の高さに驚いた私たちは、次いでバレーそのものの内容と迫力に圧倒され、深い感動を覚えながら、満員の群集とともに劇場を出た。ここにくわしく紹介する余裕はないが、こういう革命劇が日本で上演されたとしたら、どういう人がどんな反応を示すかを想像すると、ほぼ察しがついて苦笑させられる。旅行社の王秀文さんが、帰りの車の中で語った。(後略)

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朝日新聞社『本多勝一集』収録「入境—北京へ」(第十一段落)
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夜、「革命的現代バレエ」『紅色娘子軍』のカラー映画を見る。国際旅行社の王秀文と朱漢州の両氏が耳元で通訳した。まず技術的水準の高さを認めた私たちは、次いでバレエそのものの内容と迫力に圧倒されながら、満員の群集とともに劇場を出た。ここにくわしく紹介する余裕はないが、こういう「革命劇」が日本で上演されたとしたら、どういう人がどんな反応を示すかを想像すると、ほぼ察しがついて苦笑させられる。旅行社の王秀文さんが、かえりの車の中で語った。(後略)

書き換え例5─3

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『新編・事実とは何かII』未来社収録
本多勝一/小和田次郎対談「報道と取材の自由について」
(一九七三年九月十八日対談)
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本多 それに比べると北ベトナムは、まだああやって戦争を実際にやってる国にしては、比較的そういうことが少ないんですよ。少ないけれども、基本的には同じことですね。これには非常に私は困惑させられる。実に困る。とくにルポルタージュは。【中略】そこで仕方がないから、ここに一カ月、いや一週間でいい、泊りこめないかと申し入れると、これはもう全く実現不可能ですね。一晩でも泊りこみは無理でしょう。要するに基本的に取材が不自由な上に行なわれる記者活動だ。それがルポの説得力に反映して、どうしても限界がある。これではどうにもならないということですね。そういった体験が重なって、少々頭にきているんですけれども、しかしこういうことを言うと、すぐに「それみろ、だから社会主義は悪いんだ、つまり資本主義の側にしか“自由”はないんだ」とばかりに、反動側の用心棒的評論家連中が絶叫するんですね。いくら絶叫してくれても、資本主義よりは社会主義の方が基本的なところで正しいという事実に少しも変りはないので、反動側の絶叫はむしろ私の仕事を逆の立場から高く評価してくれることにしかならないんだけれども、こういう連中とは全く別の次元で、やはり問題にはしてゆくべきだと思うんです。:

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朝日文庫版『事実とは何か』
1986年11月25日第5刷収録
本多勝一/小和田次郎対談「報道と取材の自由について」
(一九七三年九月十八日対談)
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本多 それに比べると北ベトナムは、まだああやって戦争を実際にやってる国にしては、比較的そういうことが少ないんですよ。少ないけれども、基本的には同じことですね。これには非常に私は困惑させられる。大問題だ。とくにルポルタージュは。【中略】そこで仕方がないから、ここに一カ月、いや一週間でいい、泊りこめないかと申し入れると、これはもう全く実現不可能ですね。一晩でも泊りこみは無理でしょう。要するに基本的に取材が不自由な上に行なわれる記者活動だ。それがルポの説得力に反映して、どうしても限界がある。これではどうにもならないということですね。そういった体験が重なって、少々頭にきているんですけれども、しかしこういうことを言うと、すぐに「それみろ、だから社会主義は悪いんだ、つまり資本主義の側にしか自由はないんだ」とばかりに、反動側の用心棒的評論家連中 が絶叫するんですね。いくら絶叫してくれても、「だから資本主義の方が基本的に正しい」ということにはならないんだけれども、こういう連中とは全く別の次元で、やはり強く批判してゆくべきだと思うんです。

【書き換え発見の手引き】

素人がナイーブに考えれば、「対談」とはある日ある時に二人が交した会話を文字になおしたものだから、その発言が後日の改版時に大きく書き換えられているなどということは想像だにしないが、それが起こるのだから油断も隙もない。対談といえども気を抜かず神経をはりめぐらせていれば、書き換えがみつかる可能性は大いにある。

なお上記の書き換えは、旧版の「資本主義よりは社会主義の方が基本的なところで正しいという事実に少しも変りはないので、反動側の絶叫はむしろ私の仕事を逆の立場から高く評価してくれることにしかならない」というくだりを目にした本多研会員が、“後の版ではどうなっているか”とメールリスト上で情報を求めたことがきっかけになって発覚したもの。これは、今ではおそらく口にしないであろうようなカゲキ(?)発言が古い版に載っていた場合にそれを追いかけて書き換えを探るという調査方法が効を奏した好例といえよう。こういう推理を働かせるためには、1970年代以前と1980年代以降の本多氏の論調/筆調の差異になじんでおく必要がある。

書き換え例5─4

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「海外取材の旅」
すずさわ書店『本多勝一著作集8 ジャーナリズム論』
1975年6月20日発行、1977年11月25日第2刷 p.159
(「海外旅行と私」シリーズでの講演、一九七一年四月九日、
東京・朝日講堂で=『週刊朝日ゼミナール』第47号)
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したがって、ベトナムにどうしたら平和が呼戻せるかということは、合州国が今後どういう手を打つかということと、全く一致してくるんじゃないか。ただし、合州国は資本主義の牙城であり、地球はじまって以来最大の帝国ですから、仮にベトナムでひっこんだとしても、決してそのままつぶれるとは思いません。また力をたくわえて、どこかで侵略戦争を始めると思います。そのたびに凶暴の度を加えるでしょうが、その度に滅びる速度も早まるでしょう

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「海外取材の旅」、朝日文庫『職業としてのジャーナリスト』
1984年3月20日発行、1992年6月30日第8刷発行 (p.89)
(「海外旅行と私」シリーズでの講演、一九七一年四月九日、
東京・朝日講堂で=『週刊朝日ゼミナール』第47号)
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したがって、ベトナムにどうしたら平和が呼戻せるかということは、合州国が今後どういう手を打つかということと、全く一致してくるんじゃないか。ただし、合州国は資本主義の牙城であり、地球はじまって以来最大の帝国ですから、仮にベトナムでひっこんだとしても、決してそのままつぶれるとは思いません。また力をたくわえて、どこかで侵略戦争を始めると思います。そのたびに凶暴の度を加えるでしょうから、日本は巻きこまれないようにしたいものです

書き換え例5─5

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本多勝一/小和田次郎対談「報道と取材の自由について」
すずさわ書店『本多勝一著作集8 ジャーナリズム論』
1975年6月20日発行、1977年11月25日第2刷 
pp.290-291
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小和田 アメリカの中には朴政権ではこのままではだめだというので、じゃあだれか代わりといえばそれは朴と大統領選で争って、四十何パーセントの票をとったんだから、やっぱり金大中がいいと考えていた連中が少なからずいたことは事実じゃないですか。

本多 彼は反共主義者ですからね、社会主義に向かうような姿勢はないようですね。しかし政治家としての力量と清潔なところ大いに評価できます

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朝日文庫版『事実とは何か』
1986年11月25日第5刷収録(pp.108-109)
本多勝一/小和田次郎対談「報道と取材の自由について」
(一九七三年九月十八日対談)
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小和田 アメリカの中には朴政権ではこのままではだめだというので、じゃあだれか代わりといえばそれは朴と大統領選で争って、四十何パーセントの票をとったんだから、やっぱり金大中がいいと考えていた連中が少なからずいたことは事実じゃないですか。

本多 彼は反共主義者ですからね、社会主義に向かうような姿勢はない。政治家としての力量と清潔なところ大いに評価されるでしょう。


書き換え例5─6

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本多勝一/小和田次郎対談「報道と取材の自由について」、
すずさわ書店『本多勝一著作集8 ジャーナリズム論』
1975年6月20日発行、1977年11月25日第2刷 
(p.292)
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本多 私の場合は、社会主義諸国の中で取材したことのあるのは、北ベトナムと中国とアルバニア。この中では北ベトナムが三回だから一番多いんです。アルバニアは短くて一週間だけでしたが、一応政府当局の招待による正面玄関からの取材です。そのほかとしては、ソ連がモスクワ空港を見たことがあるだけ……。ですから社会主義国をたくさん見たとはいえないんだけれども。ただかなりインテンシヴに、とくに北ベトナムなどは見た方だと思うんです。ここで私が問題にしたいのは、社会主義での取材のありかたなんですね。とにかく不自由です。私のまだ行ったことのないところ、たとえばソ連にしても、かつてアンドレ・ジイドが『ソヴィエト紀行』で批判したようなことは今もそっくりあのままだってことを、社の友人記者が体験的に語っているし、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)を取材した別の友人記者も嘆いていた。北朝鮮といえば、去年の暮れに『週刊朝日』でマーク・ゲインがこの取材問題を露骨に書きましてね。これは反共側の立場からのひどい書き方なんで、その後『未来』(未来社の月刊誌)の編集長の松本昌次さんが、同じく北朝鮮を訪ねた者として反論しているし、松本さんの意見に私も全く賛成なんですが、にもかかわらず、取材の不自由という事実は厳然として存在する。

小和田 だろうね。日本人記者のものでは、現代史出版会から最近出た江口浩の『ルポ朝鮮最近史』に北朝鮮をよく理解しながらも取材の不自由を指摘した箇所が幾つかあるね。

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朝日文庫版『事実とは何か』
1986年11月25日第5刷収録(p.292)
本多勝一/小和田次郎対談「報道と取材の自由について」
(一九七三年九月十八日対談)
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本多 私の場合は、社会主義諸国の中で取材したことのあるのは、北ベトナムと中国とアルバニア。この中では北ベトナムが三回だから一番多いんです。アルバニアは短くて一週間だけでしたが、一応政府当局の公認による正面玄関からの取材です。そのほかとしては、ソ連がモスクワ空港を見たことがあるだけ……。ですから社会主義国をたくさん見たとはいえないんだけれども、ただかなりインテンシヴに、とくに北ベトナムなどは見た方だと思うんです。ここで私が問題にしたいのは、社会主義での取材のありかたなんですね。とにかく不自由です。私のまだ行ったことのないところ、たとえばソ連にしても、かつてアンドレ・ジイドが『ソヴィエト紀行』で批判したようなことは今もそっくりあのままだってことを、『朝日』の友人記者が体験的に語っているし、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)を取材した別の友人記者も嘆いていた。北朝鮮といえば、去年(一九七二年)の暮れに『週刊朝日』でマーク・ゲインがこの取材問題を露骨に書きましてね。これは反共側の立場からのひどい書き方なんで、その後『未来』(未来社の月刊誌)の編集長の松本昌次さんが、同じく北朝鮮を訪ねた者として反論しているんですが、にもかかわらず、取材の不自由という事実は厳然として存在する。

小和田 だろうね。日本人記者のものでは、現代史出版会から最近出た江口浩の『ルポ朝鮮最近史』に北朝鮮をよく理解しながらも取材の不自由を指摘した箇所が幾つかあるね。

書き換え例5─7

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本多勝一/小和田次郎対談「報道と取材の自由について」
すずさわ書店『本多勝一著作集8 ジャーナリズム論』
1975年6月20日発行、1977年11月25日第2刷 
(p.298)
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本多 それと関連してちょっとおもしろいと思ったことですが、いっしょに行ったカメラマンの石川文洋さんがね、自分の写真集を持っていったんです。一つは南ベトナムでの写真集『戦争と民衆』、もう一つは去年北ベトナムへ行った時の写真集『北ベトナム』——この二冊を持っていった。それを東ドイツの記者に見せたら非常に熱心に見て、最後に感想はなにを言ったかというと、「南ベトナムのほうが傑作だ。北ベトナムの方の写真集はなんだか、簡単にいえば一種キレイゴト的な臭いがある」と、こういうんですよ。それはなぜか。もちろん「南」のほうが最前線に行ってますから迫力があることはたしかなんですが、けっしてそれだけではない。もっと本質的に「南」のほうが実状がよく伝わってる。取材の自由の問題があるんですよ。それは彼女もわかるというんですね。東ドイツの、つまり共産圏の記者自身がそういってる。ところがそのあとで、私たちのジープの運転手(長くいっしょだったから仲よくなった)に石川さんが写真集見せたんですよ。そうするとこれもまた東ドイツ記者と同じことをいうんです。「南の写真集の方が非常にいい。北のほうはいいけれども、ちょっとその……」なんて。「北」についても石川さんはけっしてウソを写してるわけじゃないんですよ。あれは北ベトナムの実情をかなり正確に写してるけれども、やっぱり限られた時間で、取材ルートが決まった半おしきせのところでしょう。あれはもっと長く住んで、自由に彼が取材したら、そういう臭いは消えると思う。そういうふうな意味で取材制限はマイナスだということが、わかってもらえないかと思うんですがね

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朝日文庫版『事実とは何か』
1986年11月25日第5刷収録(pp.119-120)
本多勝一/小和田次郎対談「報道と取材の自由について」
(一九七三年九月十八日対談)
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本多 それと関連してちょっとおもしろいと思ったことですが、いっしょに行ったカメラマンの石川文洋さんが自分の写真集を持っていったんです。一つは南ベトナムでの写真集『戦争と民衆』、もう一つは去年北ベトナムへ行った時の写真集『北ベトナム』——この二冊を持っていった。それを東ドイツの記者に見せたら非常に熱心に見て、最後に感想はなにを言ったかというと、「南ベトナムのほうが傑作だ。北ベトナムの方の写真集はなんだか、簡単にいえば一種キレイゴト的な臭いがある」と、こういうんですよ。それはなぜか。もちろん「南」のほうが最前線に行ってますから迫力があることはたしかなんですが、けっしてそれだけではない。もっと本質的に「南」のほうが実状がよく伝わってる。取材の自由の問題があるんですよ。それは彼女もわかるというんですね。東ドイツの、つまり共産圏の記者自身がそういってる。ところがそのあとで、私たちのジープの運転手(長くいっしょだったから仲よくなった)に石川さんが写真集見せたんですよ。そうするとこれもまた東ドイツ記者と同じことをいうんです。「南の写真集の方が非常にいい。北のほうはいいけれども、ちょっとその……」なんて。「北」についても石川さんはけっしてウソを写してるわけじゃないんですよ。あれは北ベトナムの実情をかなり正確に写してるけれども、やっぱり限られた時間で、取材ルートが決まった半おしきせのところでしょう。もっと長く住んで、自由に彼が取材したら、そういう臭いは消えると思う。そういうふうな意味で取材制限はマイナスだということを、今の社会主義国に理解させるのはもう絶望的ですな

書き換え例5─8

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本多勝一/小和田次郎対談「報道と取材の自由について」
すずさわ書店『本多勝一著作集8 ジャーナリズム論』
1975年6月20日発行、1977年11月25日第2刷 
(p.304)
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本多 たとえミニコミであろうとビラであろうとともかく可能なわけです。それが社会主義国では極めて困難だ。もっとも中国の文革中は壁新聞などが盛んだったが。

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朝日文庫版『事実とは何か』
1986年11月25日第5刷収録(p.129)
本多勝一/小和田次郎対談「報道と取材の自由について」
(一九七三年九月十八日対談)
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本多 たとえミニコミであろうとビラであろうとともかく可能なわけです。それが社会主義国では極めて困難だ。もっとも中国の文革中は壁新聞などが盛んだったが、あれは政権争いのバランスがくずれたときの一時的現象……

書き換え例5─9

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本多勝一/小和田次郎対談「報道と取材の自由について」
すずさわ書店『本多勝一著作集8 ジャーナリズム論』
1975年6月20日発行、1977年11月25日第2刷 
(p.306)
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本多 党の場合、日本共産党の場合もそうなんだろうけれども、党の場合には内部批判でやれということになるんだろうね。外へ出すなと。そうすると利敵行為になるぞと。これは確かに、かなり重大な事実ではあるんですよ。

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朝日文庫版『事実とは何か』
1986年11月25日第5刷収録(p.131)
本多勝一/小和田次郎対談「報道と取材の自由について」
(一九七三年九月十八日対談)
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本多 党の場合、日本共産党の場合もそうなんだろうけれども、党の場合には内部批判でやれということになるんだろうね。外へ出すなと。そうすると利敵行為になるぞと。これは確かに、とくに弾圧時代にはかなり重大な事実ではあった。

書き換え例5─10

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本多勝一/小和田次郎対談「報道と取材の自由について」
すずさわ書店『本多勝一著作集8 ジャーナリズム論』
1975年6月20日発行、1977年11月25日第2刷 
(p.311)
************************************************************

本多 そう。だけど、こういうこと言うと、たちまち社会主義側から反論があるでしょうけどね。しかし、われわれとしてそうやったほうが、社会主義国のためにいいと思って言ってることなんですからね。

(中略)

本多 体制内護持のね、報道・取材のいい意味での自由な社会主義……言論の自由のあるような、そういうものがなかったら、社会主義は敵にやられる。

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朝日文庫版『事実とは何か』
1986年11月25日第5刷収録(p.138)
本多勝一/小和田次郎対談「報道と取材の自由について」
(一九七三年九月十八日対談)
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本多 そう。だけどこういうこと言うと、たちまち今の社会主義国側から反論があるでしょうけどね。しかし、われわれとしてそうやったほうが、真の社会主義のためにいいと思って言ってることなんですからね。

(中略)

本多 体制内護持のね、報道・取材のいい意味での自由な社会主義……言論の自由のあるような、そういうものがなかったら、今の社会主義国は敵にやられる。

書き換え例5─11

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本多勝一/小和田次郎対談「報道と取材の自由について」
すずさわ書店『本多勝一著作集8 ジャーナリズム論』
1975年6月20日発行、1977年11月25日第2刷 
(p.312)
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編集部 さっきの『赤旗』のことで言うと、あれは政党の機関紙でしょう。そういう意味で今の話をつきつめると、機関紙でなくなって別の一般紙ということになっちゃうんでは。

本多 うん。むずかしいところだね。私としてはやはり分離した方がいいと思うんだな。機関紙としての政策のための新聞とね、一般のその何て言うか、基本的に、社会主義を是とする新聞……。政策が何ページもつぶして出るようなやつをね、一般に売り込もう、伸ばそうとしてるわけでしょう。『赤旗』はその辺の矛盾が出てきてるんじゃないですか。いま『朝日』があり、『読売』があり、『毎日』、そのほかあれだけ尨大な別々の一般紙がありながらですね。それが絶対にやらないことは、資本主義が悪であるというこの一点……。絶対やりません。だから、そういうのが社会主義側にもあたっていいじゃない。いろいろ、いっぱいあるけども、絶対にね、社会主義が悪であることは、これはやらないと、そういう一般紙の存在があってもいいんだがなあ。いまの出てるすべての一般紙がみんな資本主義体制内新聞になっちゃうのは、そういう意味ですよね。

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朝日文庫版『事実とは何か』
1986年11月25日第5刷収録(p.140)
本多勝一/小和田次郎対談「報道と取材の自由について」
(一九七三年九月十八日対談)
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和多田 さっきの『赤旗』のことで言うと、あれは政党の機関紙でしょう。そういう意味で今の話をつきつめると、機関紙でなくなって別の一般紙ということになっちゃうんでは。

本多 うん。むずかしいところだね。私としてはやはり分離した方がいいと思うんだな。機関紙としての政策のための新聞とね、一般のその何て言うか、基本的に、社会主義を是とする新聞……。政策が何ページもつぶして出るようなやつをね、一般に売り込もう、伸ばそうとしてるわけでしょう。『赤旗』はその辺の矛盾が出てきてるんじゃないですか。いま『朝日』があり、『読売』があり、『毎日』、そのほかあれだけ厖大な別々の一般紙がありながらですね。それが絶対にやらないことは、資本主義そのものや天皇の存在が悪であるというこの一点。絶対やりませんよ。だから、同じことが社会主義側にもあたっていいじゃない。いろいろ社会主義国の批判でも何でも書くけれど社会主義そのものが悪であることは、これはやらないと、そういう一般紙の存在があってもいい。いまの出てるすべての一般紙がみんな資本主義体制内新聞になっちゃうのは、そういう意味ですよね。

書き換え例5─12

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本多勝一/小和田次郎対談「報道と取材の自由について」
すずさわ書店『本多勝一著作集8 ジャーナリズム論』
1975年6月20日発行、1977年11月25日第2刷 
(p.312)
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本多 それはなんといっても権力を奪ったばかりでまだ体制が弱いから、それだけまあ狭いんでしょうね。許容範囲も。

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朝日文庫版『事実とは何か』
1986年11月25日第5刷収録(p.141)
本多勝一/小和田次郎対談「報道と取材の自由について」
(一九七三年九月十八日対談)
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本多 ひとつには、それはなんといっても権力を奪ったばかりでまだ体制が弱いから、それだけまあ狭いんでしょうね。許容範囲も。

書き換え例5─13

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本多勝一/小和田次郎対談「報道と取材の自由について」
すずさわ書店『本多勝一著作集8 ジャーナリズム論』
1975年6月20日発行、1977年11月25日第2刷 
(p.314)
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本多 うん、それはもちろんそうだけど。

(中略)

本多 そうですよ。文部省だって何だって、ほとんどみんなそうだ。

(中略)

本多 うん。事件記事だってほとんどそうですよ。「警察によれば」の記事でしょう。

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朝日文庫版『事実とは何か』
1986年11月25日第5刷収録(p.143)
本多勝一/小和田次郎対談「報道と取材の自由について」
(一九七三年九月十八日対談)
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本多 うん、それはある意味ではそうだけど。

(中略)

本多 文部省だって何だって、ほとんどみんなそうだ。

(中略)

本多 事件記事だってほとんどそうですよ。「警察によれば」の記事でしょう。

手法6.文ごと挿入/削除

(自分の著作や発言に手を加えた場合)

書き換え例6─1

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「カンボジア革命の一側面」、すずさわ書店『貧困なる精神4集』第1刷
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いま平壌を訪問しているカンボジアの代表団は、そうした動きの結末でもある。カンボジアはいずれ必ず、門戸を開くであろう。もちろんそれは、民族自決の上でのかれらの方式による、かれらのための開放であろう。それはもはや外国人がでかい顔をして歩くことのできないときであろう。当然である。

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「カンボジア革命の一側面」、すずさわ書店『貧困なる精神4集』第9刷
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いま平壌を訪問しているカンボジアの代表団は、そうした動きの結末でもある。これらの結果がどうなるか予断はできないが、鎖国をいつまでも続けられるものではないことは確かであろう。

【書き換え発見の手引き】

上の例のように大風呂敷を広げていた文(「もちろんそれは、民族自決の上でのかれらの方式による、かれらのための開放であろう。それはもはや外国人がでかい顔をして歩くことのできないときであろう。」)を削除して他の文にさしかえる場合、とにかく文章をつなげることで精一杯なのか、内容があたりまえすぎて無内容なものになってしまいやすい(「鎖国をいつまでも続けられるものではないことは確かであろう」)。こういう言い回しが唐突に出てきたら、書き換えの可能性がある。

書き換え例6─2

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すずさわ書店版『中国の旅』収録「旧『住友』の工場にて」
(朝日新聞社版も同一文言)
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体験をきき終わって、工場を見学した。旧『住友』時代の工場はすっかり改造されて、高く大きくなり、改造されない建物は倉庫になっている。当時の煙突も廃物となった。
 生まれかわった工場は、すべてが大規模になっている。クレーンも、最大七〇トンを運ぶ能力がある。プロレタリア文化大革命以来の自力更生の結果、独自に作りだしたというさまざまな工程や製品。巨大な砂の鋳型をかためるための新式機械だの、新式砕石機だのは、その代表だ。ここの最も大型の製品は、石炭による火力発電設備であった。
 夜、ホテルの大広間で記録映画を見る。チョモラマ調査隊の記録と、河南省の巨大な水利工事の記録。後者は『愚公山を移す』という中国の故事をタイトルにしていたが、10年かかったこの大工事は、万里の長城の現代版かとも思わせる驚嘆すべきものだった。アメリカ合州国がやったテネシー川のTVA計画を思い出したが、同じ大工事でも、資本家のもうかる開発と、人民に還元される開発とでは、なんという相違であろうか

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朝日新聞社『本多勝一集』収録「旧『住友』の工場にて」
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体験をきき終わって、工場を見学した。旧『住友』時代の工場はすっかり改造されて、高く大きくなり、改造されていない建物は倉庫になっている。当時の煙突も廃物となった。
 生まれかわった工場は、すべてが大規模になっている。クレーンも、最大70トンを運ぶ能力がある。プロレタリア文化大革命以来の自力更正の結果、独自に作りだしたというさまざまな工程や製品。巨大な砂の鋳型をかためるための新式機械だの、新式砕石機だのは、その代表だ。ここの最も大型の製品は、石炭による火力発電設備であった。
 夜、ホテルの大広間で記録映画を見る。チョモラマ調査隊の記録と、河南省の巨大な水利工事の記録。後者は『愚公山を移す』という中国の故事をタイトルにしていたが、10年かかったこの大工事は、万里の長城の現代版かとも思わせる驚嘆すべき大規模な人海戦術だった。チョモラマ【後注あり】の記録映画では、高所で吹雪に襲われると隊員たちが小型の『毛沢東語録』を出し、呪文のように斉唱して対抗しているのに驚かされた。

書き換え例6─3

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「海外取材の旅」
すずさわ書店『本多勝一著作集8 ジャーナリズム論』
1975年6月20日発行、1977年11月25日第2刷 p.152
(「海外旅行と私」シリーズでの講演、一九七一年四月九日、
東京・朝日講堂で=『週刊朝日ゼミナール』第47号)
************************************************************

侵略とか、侵略されたとかいうことと無関係に、一つの国の中で見たらどうか。そうすると、典型的な例がドイツのナチなんですが、ナチがユダヤ人の大虐殺を何百万人とやった。これは権力者による弾圧です、その国の内部での。またスターリン時代の弾圧で、ソ連で何百万人か殺された、ということが一部でいわれております。これがもし事実なら、たいへんな数です。もうちょっと最近の例ですと、例のスカルノが失脚したときにインドネシア国内の共産党の弾圧、これは一説には五十万という話もあるが、要するに何十万単位の人が殺された。いま東パキスタンで起こった内乱の弾圧と、大衆間の相互虐殺、これもまた、はっきりしたことはわかりませんけれども、ひどいことになっているらしい。

 こういうふうに比べてみますと、いちばん恐ろしいのは、権力側による弾圧。これによっていちばん人類はいままで殺されてきたんじゃないか。そういうことが、かなりはっきりいえるようです。

 そうすると、何がいちばん危険かというと、権力の弾圧がいちばん危険である。いちばん危険なものにさからうことが、最大の冒険であるということにつながってくるんじゃないか。したがって、現代の冒険は具体的に何かというと、あとは言わなくてもご理解できるんじゃないかと思います。(笑い)

************************************************************
「海外取材の旅」、朝日文庫『職業としてのジャーナリスト』
1984年3月20日発行、1992年6月30日第8刷発行 (pp.79-80)
(「海外旅行と私」シリーズでの講演、一九七一年四月九日、
東京・朝日講堂で=『週刊朝日ゼミナール』第47号)
************************************************************

 侵略とか、侵略されたとかいうことと無関係に、一つの国の中で見たらどうか。そうすると、典型的な例がドイツのナチなんですが、ナチがユダヤ人の大虐殺を何百万人とやった。これは権力者による弾圧です、その国の内部での。またスターリン時代の弾圧で、ソ連で何百万人か殺されたということが一部でいわれております。これがもし事実なら、たいへんな数です。もうちょっと最近の例ですと、例のスカルノが失脚したときにインドネシア国内の共産党の弾圧、これは一説には五十万という話もあるが、要するに何十万単位の人が殺された。いま東パキスタンで起こった内乱の弾圧と、大衆間の相互虐殺、これもまた、はっきりしたことはわかりませんけれども、ひどいことになっているらしい。(のちにポル=ポト政権下のカンボジアで、権力による人類史上稀有の大量虐殺が行われることになる。)

 こういうふうに比べてみますと、いちばん恐ろしいのは権力による弾圧ではないか。これによっていちばん人類はいままで殺されてきたんじゃないか。そういうことが、かなりはっきりいえるようです。そうすると、何がいちばん危険かというと、権力の弾圧がいちばん危険である。となればいちばん危険なものにさからうことが最大の冒険であるということにつながってくるんじゃないか。したがって、現代の冒険は具体的に何かというと、あとは言わなくてもご理解できるんじゃないかと思います。(笑い)

書き換え例6─4

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「海外取材の旅」
すずさわ書店『本多勝一著作集8 ジャーナリズム論』
1975年6月20日発行、1977年11月25日第2刷 pp.156-157
(「海外旅行と私」シリーズでの講演、一九七一年四月九日、
東京・朝日講堂で=『週刊朝日ゼミナール』第47号)
************************************************************

 それから、ちょっと大きな問題になりまして、「民族は独立してあるべきか」(男、32歳、会社員)ということ。この、民族という言葉と、それから国家というものとの関係が、たいへん重要であると同時に、言葉として混乱している面があります。一般にひとつの民族だけで一国家を形成する例はむしろ少ないんであって、国家の中にいろんな民族があるとか、あるいは一つの民族が二つまたはそれ以上の国に分れている。そういうことのほうが、むしろ多いわけです。ソ連や中国やアメリカ合州国などはいろんな民族が混じっている。ベトナムだっていろんな少数民族がおります。日本にもアイヌ民族や朝鮮民族がいる。そういうふうに考えてみると、民族と国家っていうのは、厳密に分けて考えた方がいい。

 ここで民族は独立してあるべきか、という場合に、民族とは何かということを考えますと、常識的には民族独自の文化(とくに言葉)や歴史、そういうものをもってる一つのグループとされています。しかし実は、民族というものの定義は決して単純ではない。いわゆる文化人類学的な考え方から、レーニンやスターリンによる民族問題への提言にいたるまであるわけで、私自身まだ不勉強ですからここで明確な発言は避けますが、この問題は今後ますます重要になると思います。それで一応ここではアイマイなままの、常識としての「民族」という言葉を使っておきますが、私の意見としては、民族はあくまで独立して、それぞれの文化やそれぞれの言葉を尊重し合うべきだ。しかし国家ということになりますと、その定義は国境ということともちろん関係してきます。そこでいろんな国の国境を考えてみますと、たいてい愚劣な成立事情でそれが出来上がっていることが多いわけです。カナダとアラスカの国境はどうして出来たかとか、あるいはメキシコと合州国の国境は、どういう経過をたどって今みたいなことになってるかとか、そういうことを検討してみますと、何というか、ある国家、そのときの支配者のエゴイズムがむき出しに出た結果そうなったということに、多くの場合なります。とくに資本主義国、帝国主義国の場合の国境とは、家畜を飼うカコイと同じ目的になっている。このカコイの中の人間は俺が搾取できるんだ。このカコイの中では、社会主義という「資本家の敵」の思想が芽生えてもたたきつぶす「法と秩序」を保つんだ、と。

 だから、民族はあくまでそういう意味で独立して、それぞれが尊重し合うべきだけれども、国家については、理想的には、国境がない方がいいんじゃないか。つまり、それは国家がない方がいいんじゃないか、という方に向かっていく。それが、その次のご質問の、「世界政府は夢か」(同じ質問者)というようなことにつながってくると思います。世界政府というようなことは、今は夢みたいに見えるかも知れませんけれども、いろんな方法が試みられてはいるわけで、例えば共産主義理論というのは、この理想を目指しているものの一つでもあります。しかし現実には、共産圏にもご存じのように、国境が依然としてあって、中国とソ連みたいに戦争しかかったりすることがありますから、もちろん現実は理想通りに進んではいません。もともと原理としては、ソ連は社会主義による「連邦」を、一種の部分的世界政府として主張したはずです。いずれにしても、きっとそういう、つまり国境がなくなるような時がくる可能性はある。実現不可能な夢だとは思われません。もっとも、そんなに長くかかってる間に、核戦争だとか、あるいはBC兵器の戦争で人類が破滅しちゃったとか。そうなってしまえば別ですけれども、そうでない、人類がもっと長く生きのびて行くとしたら、決して夢ではない。夢といえないんじゃないか、と私は考えます。

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「海外取材の旅」、朝日文庫『職業としてのジャーナリスト』
1984年3月20日発行、1992年6月30日第8刷発行 (pp.86-88)
(「海外旅行と私」シリーズでの講演、一九七一年四月九日、
東京・朝日講堂で=『週刊朝日ゼミナール』第47号)
************************************************************

 それから、ちょっと大きな問題になりまして、「民族は独立してあるべきか」(男・32歳・会社員)ということ。この、民族という言葉と、それから国家というものとの関係が、たいへん重要であると同時に、言葉として混乱している面があります。一般にひとつの民族だけで一国家を形成する例はむしろ少ないんであって、国家の中にいろんな民族があるとか、あるいは一つの民族が二つまたはそれ以上の国に分れている。そういうことのほうが、むしろ多いわけです。ソ連や中国やアメリカ合州国などはいろんな民族が交じっている。ベトナムだっていろんな少数民族がおります。日本にもアイヌ民族や朝鮮民族がいる。そういうふうに考えてみると、民族と国家っていうのは、厳密に分けて考えた方がいい。

 ここで民族は独立してあるべきか、という場合に、民族とは何かということを考えますと、常識的には民族独自の文化(とくに言葉)や歴史、そういうものをもってる一つのグループとされています。しかし実は、民族というものの定義は決して単純ではない。いわゆる文化人類学的な考え方から、レーニンやスターリンによる民族問題への提言にいたるまであるわけで、私自身まだ不勉強ですからここで明確な発言は避けますが、この問題は今後ますます重要になると思います。それで一応ここではアイマイなままの、常識としての「民族」という言葉を使っておきますが、私の意見としては、民族はあくまで独立して、それぞれの文化やそれぞれの言葉を尊重し合うべきだ。しかし国家ということになりますと、その定義は国境ということともちろん関係してきます。そこでいろんな国の国境を考えてみますと、たいてい愚劣な成立事情でそれが出来上がっていることが多いわけです。カナダとアラスカの国境はどうして出来たかとか、あるいはメキシコと合州国の国境は、どういう経過をたどって今みたいなことになってるかとか、そういうことを検討してみますと、何というか、ある国家、そのときの支配者のエゴイズムがむき出しに出た結果そうなったということに、多くの場合なります。とくに資本主義国、帝国主義国の場合の国境とは、家畜を飼うカコイと同じ目的になっている。他方、民族問題が理論的には解決されるハズだった社会主義国においても、決してキレイには行っていない例があるらしい。いずれにせよこれは今後の世界を動かす重大問題に必ずからんでくるでしょう。

 だから、民族はあくまでそういう意味で独立して、それぞれが尊重し合うべきだけれども、国家については、理想的には国境がない方がいいんじゃないか。つまりそれは、国家がない方がいいんじゃないか、という方に向かっていく。それが、その次のご質問の、「世界政府は夢か」(同じ質問者)というようなことにつながってくると思います。世界政府というようなことは、今は夢みたいに見えるかも知れませんけれども、いろんな方法が試みられてはいるわけで、例えば共産主義理論というのは、この理想を目指しているものの一つでもあります。しかし現実には、共産圏にもご存じのように、国境が依然としてあって、中国とソ連みたいに戦争しかかったりすることがある。もともと原理としては、ソ連は社会主義による「連邦」を、一種の部分的世界政府として主張したはずです。それがなぜこんなことになってしまったのか。その意味では、これはニセの社会主義国だと言えなくもない。いずれにしても、いつかは国境がなくなるような時がくる可能性はある。実現不可能な夢だとは思われません。もっとも、そんなに長くかかってる間に、核戦争だとか、あるいはBC兵器の戦争で人類が破滅しちゃったとか、そうなってしまえば別ですけれども、さいわい人類がもっと長く生きのびて行くとしたら、決して夢ではない。夢といえないんじゃないか、と私は考えます。



書き換え例6─5

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「「戦争」というマスコミ用語にだまされてはならない」
すずさわ書店『本多勝一著作集8 ジャーナリズム論』
1975年6月20日発行、1977年11月25日第2刷 
(p.206)
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 悪の根源は、戦争ではありません。侵略であり、それをもたらす帝国主義的社会体制の側にあります。

(三省堂「人間の発見シリーズ」第三巻『戦争の不条理』巻頭文から=一九七二年春・記)
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「「戦争」というマスコミ用語にだまされてはならない」
朝日文庫『事実とは何か』 
昭和59年1月20日第1刷発行、昭和61年11月25日第5刷発行(p.78)
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 悪の根源は、戦争ではありません。侵略であり、それをもたらす帝国主義的社会体制の側にあります。帝国主義は、どうやら近頃では資本主義国だけにあるものではないようですが。

(三省堂「人間の発見シリーズ」第三巻『戦争の不条理』巻頭文から=一九七二年春・記)

書き換え例6─6

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すずさわ書店『本多勝一著作集8 ジャーナリズム論』
1975年6月20日発行、1977年11月25日第2刷 
p.299
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本多 もちろんですが、問題は西側の記者の東側での取材についてですからね。「根本」をあてはめようとしても無理がある。一つには自国の社会体制に自信がないんじゃないかという疑いさえ持つんですよ。たとえば北ベトナムだったら、あれだけ徹底的に合州国の侵略と戦ったわけですね。はっきり勝ったと言っていいと思うんだけれども、それでいてたとえばある省の北爆の被害というような話になると、死者の数を聞いても「まだ調査中です」という。爆弾の穴の数まで正確にいうのに、死者の数は「調査中」という。そんな見えすいたことを言って、すれっからしの「ブル新」の記者が納得すると思うのがおかしい。こういうことが重なっていくと、いくら好意的な報道をしようとしてやってきた記者でも、怒りだすことになる例が事実これまでによくあるんですよ。よほど思想的にしっかりしている記者でないと、ひどい場合はこれが動機で完全に反動側に”転向”してしまったりする。これは大変なことだと思いますね。単なる取材上の不便といったことにとどまらない。北ベトナムなら北ベトナムの人民にとって、これは重大なマイナスになりますよね。今の「調査中」の例だったら、仮に、たくさん北爆の犠牲者があったとしても「こんなに死んだのについに勝ったじゃないか」ということで、むしろ説得力があると思うんですよ。まるっきり死ななかったら、かえって不審ですね、説得力は弱まるんです。もちろん軍事上の秘密ということはあるでしょう。北爆の「効果」を敵に知られたくない。しかしこの夏はもうパリ協定発効後五ヶ月過ぎていた。それに、秘密であればちゃんと「まだ秘密になっていますから」と言ってくれれば、私は少しも不満はないし、日本の読者も納得しますよ。しかしこれは決して「秘密」の次元の問題じゃないと思った。もっと構造的なものであることを考えさせる例がたくさんあった。現地の一般民衆は私たちを「味方」と信じて何でも言いますよ。事実、不遜ながら私としては味方のつもりで報道しています。それを途中から曲げてしまう構造がある。

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事実とは何か』『朝日文庫
pp.120-121
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本多 もちろんですが、問題は西側の記者の東側での取材についてですからね。その「根本」をあてはめようとしても無理がある。一つには自国の社会体制に自信がないんじゃないかという疑いさえ持つんですよ。たとえば北ベトナムだったら、あれだけ徹底的に合州国の侵略と戦ったわけですね。はっきり勝ったと言っていいと思うんだけれども、それでいてたとえばある省の北爆の被害というような話になると、死者の数を聞いても「まだ調査中です」という。爆弾の穴の数まで正確にいうのに、死者の数は「調査中」という。そんな見えすいたことを言って、すれっからしの「ブル新」の記者が納得すると思うのがおかしい。こういうことが重なっていくと、いくら好意的な報道をしようとしてやってきた記者でも、怒りだすことになる例が事実これまでによくあるんですよ。ひどい場合はこれが動機で完全に反動側に”転向”してしまったりする。これは大変なことだと思いますね。単なる取材上の不便といったことにとどまらない。北ベトナムなら北ベトナムの人民にとって、これは重大なマイナスになりますよね。今の「調査中」の例だったら、仮に、たくさん北爆の犠牲者があったとしても「こんなに死んだのについに勝ったじゃないか」ということで、むしろ説得力があると思うんですよ。まるっきり死ななかったら、かえって不審ですね、説得力は弱まるんです。もちろん軍事上の秘密ということはあるでしょう。北爆の「効果」を敵に知られたくない。しかしこの夏はもうパリ協定発効後五ヶ月過ぎていた。それに、秘密であればちゃんと「まだ秘密になっていますから」と言ってくれれば、私は少しも不満はないし、日本の読者も納得しますよ。しかしこれは決して「秘密」の次元の問題じゃないと思った。もっと構造的なものであることを考えさせる例がたくさんあった。現地の一般民衆は私たちを「味方」と信じて何でも言いますよ。それを途中から曲げてしまう構造がある。

書き換え例6─7

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すずさわ書店『本多勝一著作集8 ジャーナリズム論』
1975年6月20日発行、1977年11月25日第2刷 
pp.301-302
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本多 それで非常に問題なのは、これはいま小和田さんは「社会主義国は」といいましたけれども、果たして社会主義国になると必ずそうならざるをえないのか、社会主義と、現在の社会主義国にみられる取材の不自由とは、セットなのか、これは社会主義の果たして本質にかかわることなのかという点です。私はそうとは思わない。もしそうであれば、社会主義自体への疑惑が出てきますよ。私はどうも、これには社会主義以前の問題があるんじゃないかと見ているんです。たとえばいままでの社会主義国というのは、全部一つ残らず、いわゆる発展途上国、つまりブルジョワ民主主義を経ない国ですよね。どうもこれに関係していないだろうかということが……。

(中略)

本多 そう思いますね。

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『事実とは何か』朝日文庫
pp.124-125
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本多 それで非常に問題なのは、これはいま小和田さんは「社会主義国は」といいましたけれども、果たして社会主義国になると必ずそうならざるをえないのか、社会主義と、現在の社会主義国にみられる取材の不自由とはセットなのか、これは社会主義の果たして本質にかかわることなのかという点です。私はそうとは思わない。もしそうであれば、社会主義自体への疑惑が出てきますよ。私はどうも、これには社会主義以前の問題があるんじゃないかと見ているんです。たとえばいままでの社会主義国というのは、主としていわゆる発展途上国、つまりブルジョワ民主主義を経ない国ですよね。これも要因の一つ……。

(中略)

本多 そう思いますね。それからもひとつの、より重大な要因に組織論がある。

書き換え例6─8

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本多勝一/小和田次郎対談「報道と取材の自由について」、
すずさわ書店『本多勝一著作集8 ジャーナリズム論』
1975年6月20日発行、1977年11月25日第2刷 
(p.305)
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本多 動脈硬化しますからね。

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朝日文庫版『事実とは何か』
1986年11月25日第5刷収録(p.129)
本多勝一/小和田次郎対談「報道と取材の自由について」
(一九七三年九月十八日対談)
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本多 動脈硬化しますからね。完全な御用機関化。

書き換え例6─9

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本多勝一/小和田次郎対談「報道と取材の自由について」
すずさわ書店『本多勝一著作集8 ジャーナリズム論』
1975年6月20日発行、1977年11月25日第2刷 
(p.306)
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本多 賛成ですね。

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朝日文庫版『事実とは何か』
1986年11月25日第5刷収録(p.131)
本多勝一/小和田次郎対談「報道と取材の自由について」
(一九七三年九月十八日対談)
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本多 賛成ですね。極論すれば、「社会主義国」の社会主義は本来あるべき真の社会主義とは異なると考えておいたほうがいい。ニセモノだと。

書き換え例6─10

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本多勝一/小和田次郎対談「報道と取材の自由について」
すずさわ書店『本多勝一著作集8 ジャーナリズム論』
1975年6月20日発行、1977年11月25日第2刷 
(p.308)
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本多 それはね。逆の側でも、もちろんあるわけですよ。反動側ではしょっちゅう、それをやっている。

(中略)

本多 だけど、反動がそれやってるからといってね、それは直ちに、こっちもやっていいっていうことにはならないんでね。

(中略)

本多 いや、重大なときはもう常にそうですよ。もう彼ら【日本の商業紙】はみんなそうだ。

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朝日文庫版『事実とは何か』
1986年11月25日第5刷収録(p.134)
本多勝一/小和田次郎対談「報道と取材の自由について」
(一九七三年九月十八日対談)
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本多 ただそれはね。逆の側にももちろんあるわけですよ。反動側ではしょっちゅうそれをやっている。

(中略)

本多 だけど、反動がそれやってるからといってね、それは直ちに、革新側もやっていいっていうことにはならないんでね。

(中略)

本多 いや、むしろ重大なときはもう常にそうですよ。

書き換え例6─11

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本多勝一/小和田次郎対談「報道と取材の自由について」
すずさわ書店『本多勝一著作集8 ジャーナリズム論』
1975年6月20日発行、1977年11月25日第2刷 
(pp.308-309)
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本多 うん、それをどうするかっていう問題はね、こういうことなんですよ。反証が出たときには、あくまでそれは尊重しなきゃいけないと思う。もちろん、最初はまず、資本主義なのか社会主義なのか、時にはファシズムなのかが第一なんで、立場のない立場はもちろんない。立場はあって、その上で、その自分の目と違ったものがあったら、それをやっぱり拾わなきゃいけないんだということですわね。

(中略)

本多 軌道修正をしなければ。そうじゃないと、全然もうおかしなほうへ行っちゃって、いわゆる社会帝国主義にも行っちゃいますからね。

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朝日文庫版『事実とは何か』
1986年11月25日第5刷収録(p.135)
本多勝一/小和田次郎対談「報道と取材の自由について」
(一九七三年九月十八日対談)
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本多 うん、それをどうするかっていう問題はね、こういうことなんですよ。反証が出たときには、あくまでそれは尊重しなきゃいけないと思う。もちろん、立場のない立場はありえない。立場はあって、その上で、その自分の目と違ったものがあったら、それをやっぱり拾わなきゃいけないんだということですわね。仮説や先入観は事実によって常に訂正してゆく。

(中略)

本多 それこそ「弁証法」的に軌道修正をしなければ。そうじゃないと、全然もうおかしなほうへ行っちゃって、たとえばいわゆる社会帝国主義にも行っちゃいますからね。

書き換え例6─12

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本多勝一/小和田次郎対談「報道と取材の自由について」
すずさわ書店『本多勝一著作集8 ジャーナリズム論』
1975年6月20日発行、1977年11月25日第2刷 
(p.309)
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本多 だから、資本主義側と同じことやりゃいいんですよ。「米帝」や「日帝」の体制内でその資本主義を維持しようと思って「ブル新」どもが適当な批判をしながら揺れを防いでいるのと同じことをね。社会主義国のジャーナリズムがなぜやらないのかと。そういう私の回答ではどうですか。

小和田 あ、その通りだね(笑い)。その通りだけども、実際『赤旗』の記者となるとむずかしいんだと思うね。われわれ以上に——。そういう記者になるというのは、ぼくらと違った原理に立たなきゃ、やっぱりつとまらないだろうと思うね。

本多 現状ではね。

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朝日文庫版『事実とは何か』
1986年11月25日第5刷収録(pp.135-136)
本多勝一/小和田次郎対談「報道と取材の自由について」
(一九七三年九月十八日対談)
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本多 だから、『ニューヨーク=タイムズ』と同じことやりゃいいんですよ。「米帝」や「日帝」の体制内でその資本主義を維持しようと思って「ブル新」が適当な批判をしながら揺れを防いでいるのと同じことをね。社会主義国のジャーナリズムがなぜやらないのかと。そういう私の回答ではどうですか。

小和田 あ、その通りだね(笑い)。その通りだけども、実際『赤旗』の記者となるとむずかしいんだと思うね。われわれ以上に——。そういう記者になるというのは、ぼくらと違った原理に立たなきゃ、やっぱりつとまらないだろうと思うね。

本多 極論的にいえば、今の社会主義国はすべて「社会主義モドキ」であって、実は基本的なところで社会主義と違うのではないかという疑問に結びついてゆく。

書き換え例6─13

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本多勝一/小和田次郎対談「報道と取材の自由について」
すずさわ書店『本多勝一著作集8 ジャーナリズム論』
1975年6月20日発行、1977年11月25日第2刷 
(p.310)
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本多 ジャーナリスト党か。これはあんまり賛成できないな(笑い)。

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朝日文庫版『事実とは何か』
1986年11月25日第5刷収録(p.137)
本多勝一/小和田次郎対談「報道と取材の自由について」
(一九七三年九月十八日対談)
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本多 ジャーナリスト党か。これはあんまり賛成できないな(笑い)。しかし気持ちはよく分かります。

(他人の著作や発言に手を加えた場合)

書き換え例6─14

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佐伯真光「山本七平式詭弁の方法」、本多勝一編『ペンの陰謀』第1刷102ページ
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松本氏の判定の一部を次に掲げる。(本書には【 『人と日本』に掲載された松本道弘氏の裁定文書の】全文が再録されている。)

「私の山本氏に対する黒星判定により、氏に対する世間的評価が一時的にたとえ低下することがあったとしても、それは日本的“空気”のなせる業と断念し、さらに本来真理の探究者が支払わねばならない代価であると、前向きに判断するならば、この際潔く敗北を認めるべきであろう。一敗を喫することが恥ずべきことではなく、むしろ敗北を隠微におおい隠そうとする態度こそ、学者にあるまじき恥ずべき行為であろう。」

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佐伯真光「山本七平式詭弁の方法」、本多勝一編『ペンの陰謀』第5刷102ページ
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松本氏の判定の一部を次に掲げる。

「私の山本氏に対する黒星判定により、氏に対する世間的評価が一時的にたとえ低下することがあったとしても、それは日本的“空気”のなせる業と断念し、さらに本来真理の探究者が支払わねばならない代価であると、前向きに判断するならば、この際潔く敗北を認めるべきであろう。一敗を喫することが恥ずべきことではなく、むしろ敗北を隠微におおい隠そうとする態度こそ、学者にあるまじき恥ずべき行為であろう。」

【書き換え発見の手引き】

『ペンの陰謀』第1刷では松本道弘氏の判定文書から最後の4段落(佐伯氏が引用している上記の部分を含む)を全面削除していたので、その削除部分から「私の山本氏に対する…」というくだりを引用している佐伯論文との間でつじつまがあわなくなっている。その不整合を埋めるため、増刷時に松本氏の判定文書から上記の引用部分だけを復活し、さらに佐伯氏の文章からは「本書には全文が再録されている。」というくだりを削除することでつじつまあわせを図っているのである。

佐伯氏からの書簡によれば、松本論文の末尾が削除されているのに気づいた佐伯氏は潮出版社に復活を提案したそうである。(「私の記憶では、初版直後に削除部分を復活した方が良いのではないかと編集部へ電話で申し入れたことを覚えております。その時、余白が許すなら象嵌しようという返事でした。」)その後20年以上たった今もなお、そのような措置はとられていない。

出版社も巻き込んでここまで周到な書き換えをされると、発見するのは容易でない。しかし逆にこのような書き換えが一箇所みつかれば、そこからたどって大がかりな隠蔽・粉飾工作の発覚に結び付く可能性がある。

書き換え例6─15

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本多勝一/小和田次郎対談「報道と取材の自由について」
すずさわ書店『本多勝一著作集8 ジャーナリズム論』
1975年6月20日発行、1977年11月25日第2刷 
(p.309)
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編集部 たとえば、本多さんが仮に共産党員だったとして、——これは『赤旗』記者の条件だろうから——『赤旗』の記者になったほうがよさそうに思うけれども、なぜならないかっていう問題にもかかわってきませんか(笑い)。

小和田 それは、そういうものともかかわってくる。ぼくが本当に政党のジャーナリストはダメだと思ったのは、中国視察のときのことだった。中ソ対立のことを視察団のレポートに書いたんですよ。あのとき、僕はジャーナリスト団の一員として旅行したんで、記者としてでなくそのレポートを書いたんですよ。そのレポートの中で、陳毅は記者会見で、これは歴史的な第三段階の論争対立だ、社会主義内部の対立、矛盾だというようなことを言ったっていうことを、発言どおり、書いた。ところが、僕が一緒に行ったジャーナリスト団の中には、共産党員が何人かいてこの点をつぶされてしまった。

本多 ほう。

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朝日文庫版『事実とは何か』
1986年11月25日第5刷収録(pp.135-136)
本多勝一/小和田次郎対談「報道と取材の自由について」
(一九七三年九月十八日対談)
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小和田 ぼくが本当に政党のジャーナリストはダメだと思ったのは中国視察のときのことだった。中ソ対立のことを視察団のレポートに書いたんですよ。そのとき、僕はジャーナリスト団の一員として旅行したんで、記者としてでなくそのレポートを書いたんですよ。そのレポートの中で、陳毅は記者会見で、これは歴史的な第三段階の論争対立だ、社会主義内部の対立・矛盾だというようなことを言ったっていうことを、発言どおり書いた。ところが、僕が一緒に行ったジャーナリスト団の中には、共産党員が何人かいてこの点をつぶされてしまった。

本多 ほう。たいへん象徴的な話だ。

手法7.段落全体、あるいはその大部分を削除

(自分の著作や発言に手を加えた場合)

書き換え例7─1

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すずさわ書店版『中国の旅』「旧『住友』の工場にて」の末尾
(朝日文庫版『中国の旅』や『本多勝一集』からはこの部分が全面削除されている。)
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審陽ではほかに第一工作機械工場も見た。工場の革命委員会主任によると、従業員六〇〇〇人。うち女性は約一割。解放前の古い機械工場から、第一次五ヵ年計画(一九五三−五七年)で急速に発展し、さらに一九五八年の第二次五ヵ年計画で毛主席の提出した総路線を実行した結果、目標を二年くりあげて完成した。しかし一九六一年には、それまでつづいていた自然災害に加えて、フルシチョフ政権によるソ連の社会主義帝国主義、現代修正主義の妨害が加わり、いわゆる中ソ論争の末、技術者の一斉引き上げがあった。さらに国内でも劉少奇一派らの実権派が資本主義復活の策動をするなど、一九六三年までさまざまな困難が続いた。
一九六八年八月、この工場に革命委員会が成立すると、大衆を率いて、毛路線にそった「鞍山憲法」五原則により、工場建設に全力をあげた。すなわち(1)プロレタリア政治の堅持(2)中国共産党の指導力強化(3)大衆路線の堅持(4)労働者の管理参加、幹部の労働参加、不合理な規律反対、三結合の実施(5)技術革新。
一九六九年には四〇日間くりあげて年度計画を完了し、生産総量は一九六六年の九十パーセント増を示し、主要生産品については倍以上となった。さらに一九七〇年には前年の一五パーセント増となり、新生産品の種類については七〇パーセント増で、年度計画は四二日くりあげて完了した。結局、第三次五ヵ年計画は合計二〇五日くりあげて完了した。
ことし(一九七一年)から第四次五ヵ年計画にはいり、この五月までの目標はすべて完了し、いま六月目標終了を目前にして努力中。……と、このようにパーセントや日数による数字が次々と説明されたが、具体的な製品の数量はたずねても発表が許されていないとのことだった。もっとも、私にとってはべつに具体的数量が必要なわけではない。中国では、この時点で、このようなかたちによって、発展の様子を外国の記者に説明することに力を入れているという事実を、私はここで報告しているにすぎない。
工場での党組織の違いは、文革の前と後では、表面的には大差がない。すなわち党員数は一一〇〇人から一〇〇人ふえて一二〇〇人となっただけ。うち除名されたのは三人にすぎず、プロレタリア独裁の党組織という基本点に変りはない。誤りを犯した一部の党員には、教育と指導によって救う努力をするので、かんたんには除名しない。しかし党員の意識は、文革前に比べると明白に人民の党としての自覚を深めており、それだけ生気溌剌としている。
毛主席の「五・七指示」のひとつに「全民皆兵」があり、突然の侵略に備えるため、工場では軍事訓練もやっている。「業余大学」と称して、ひまなときを技術革新や伝統文化の学習にあてる運動もある。また「自力更生」のひとつとして、四〇キロ離れたところに工場の農場も持っている。去年は三〇〇畝(ムー)、今年は八〇〇畝を市からゆずりうけて、穀物のほかにアヒル、ブタ、ニワトリなども飼った。
工場を見る。ここにも技術革新の成果が多い。たとえば新型の「CW六一四〇A]という旋盤。
それまでのソ連型「C六二〇−一」に比べて、歯車が一八パーセント節約されたという。
林淡芳という三七歳の女性技師が紹介された。その詳細は前述の古川記者の報告『“ニイハオ”の国』にゆずるが、世界で女性解放の最も進んでいる国は、おそらく中国ではないかと思う。レディー・ファーストで知られるアメリカ合州国の女性などは、日本では誤解されているが、実は本質的には日本よりも解放されていない面も多い。合州国の主婦たちは、離婚におびえながら毎日「愛してる?」と夫に確認しなければ安心できずにおどおどして一生をくらすあわれな女ドレイである例がかなりある。日本の主婦のほうが、実質的には亭主を尻にしいて、ドッカリ居すわっている例が多い。

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朝日新聞社『本多勝一集』
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全文削除

書き換え例7─2

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すずさわ書店版『中国の旅』収録「中国の教育」(第一段落)
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いまの日本の文部省が具体的に示しているように、反動的な政府は教育もまた可能なかぎり反動的なものにし、育ち盛りの青少年を自分たちの味方になるように飼育しようと試みる。まったく同様にして、革命的な政府は教育もまた可能なかぎり革命的にしようと努力するだろう。私の目にうつる現在の日本の教育制度は、一部の「一流大学」をその頂点として、いかに人間をたがいに差別させるかに熱中している。点取り主義の極点としての受験競争は、青年を骨のズイまで差別感覚にひたさずにはおかない。文部省の定義する「秀才」というタイプにうまくはまることのできた一握りの者だけが今の制度に満足し、そのほとんどは傲慢な「エリート」となって、民衆をバカにするとんでもない野郎になりさがる。こうした現象は、ソ連のような社会主義国にも、官僚エリートの中に見られるということをきいていた。中国では、とくにプロレタリア文化大革命後の中国では、この点はどうなっているのだろうか。こうした理由で、私は中国の大学制度に強い関心を抱いていた

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朝日新聞社『本多勝一集』収録「文革の教育」(第一段落)
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いまの日本の文部省が具体的に示しているように、一国の基本性格は教育政策によくあらわれてくる。
中国では、とくにプロレタリア文化大革命後の中国では、教育政策はどうなっているのだろうか。

(他人の著作や発言に手を加えた場合)

書き換え例7─3

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松本道弘「勝負あった!佐伯/七平論争」、
本多勝一編 『人と日本』(行政通信社)1977年1月号106ページ(論文の末尾)
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積み木を重ねるごとく、論理的構築の形成に努めた佐伯氏に対し、山本氏はトウフを重ねるごとく、詭弁を弄した形に終わってしまった。残念なことである。

私は、この論争によって、これまで無敗を誇っていた山本氏にはじめて土がついたと世間が料断したとしても、これまでの氏の論文の価値をいささかでも減殺するものであってはならないと信じる。私は氏の直感的判断を今でも高く評価している。とりわけ“空気”の哲学は、あらゆる講演の機会を把えては賞賛しているものである。従って私の発言に矛盾はない。たしかに、日本人はマスコミを含め“空気”に弱い。“空気”に左右され、“空気”で動く。私の山本氏に対する黒星判定により、氏に対する世間的評価が一時的にたとえ低下することがあったとしても、それは日本的“空気”のなせる業と断念し、さらに本来真理の探究者が支払わねばならない代価であると、前向きに判断するならば、この際潔く敗北を認めるべきであろう。一敗を喫することが恥ずべきことではなく、むしろ敗北を隠微におおい隠そうとする態度こそ、学者にあるまじき恥ずべき行為であろう。

私は山本氏のカムバックを信ずる。氏の経験から、および天才的な直感力から得た数々の観察を、論理的に肉付けし、今後当然日本が直面せねばならない“善処しかねる”諸問題を論究するために、論壇に再登場を願いたい。

最後に、もう一度両論士に拍手を送りたい。

そして両論客が微笑をかわしながら握手できる日が来たらんことを祈る。

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松本道弘「勝負あった!佐伯/七平論争」、本多勝一編『ペンの陰謀』第1刷125ページ
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積み木を重ねるごとく、論理的構築の形成に努めた佐伯氏に対し、山本氏はトウフを重ねるごとく、詭弁を弄した形に終わってしまった。残念なことである。

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松本道弘「勝負あった!佐伯/七平論争」、本多勝一編『ペンの陰謀』第5刷125ページ
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積み木を重ねるごとく、論理的構築の形成に努めた佐伯氏に対し、山本氏はトウフを重ねるごとく、詭弁を弄した形に終わってしまった。残念なことである。

私の山本氏に対する黒星判定により、氏に対する世間的評価が一時的にたとえ低下することがあったとしても、それは日本的“空気”のなせる業と断念し、さらに本来真理の探究者が支払わねばならない代価であると、前向きに判断するならば、この際潔く敗北を認めるべきであろう。一敗を喫することが恥ずべきことではなく、むしろ敗北を隠微におおい隠そうとする態度こそ、学者にあるまじき恥ずべき行為であろう。

【書き換え発見の手引き】

このように他人の著作から無断で恣意的に文/段落を削除すると、突然話題が切り替わって流れが不自然になったり文章の結び方が唐突になったりしがちなので、丁寧に読んでいれば異変に気付く場合がある。上の例では、『ペンの陰謀』第1刷の末尾(「残念なことである。」)はあまりに唐突な終わり方で不自然である。また、第5刷の最終段落(「私の山本氏に対する…」)ではそれまで全く言及されていなかった“空気”が突如として登場し、やはりその前の段落とのつながりが自然でない。「学者にあるまじき恥ずべき行為であろう。」で文章が終ってしまうのも唐突に過ぎる。

なお、松本氏とともに『ペンの陰謀』に寄稿した佐伯真光氏は、同書で松本氏の判定文書から「私の山本氏に対する…」というくだりを引用している。ところが同書第1刷では松本氏の判定文書の最後の4段落(佐伯氏が引用している部分を含む)が全面削除されていたため、佐伯論文との間でつじつまがあわなくなっている。このような食い違いがあれば書き換えを見抜くのは容易である。

(その後増刷時に、松本氏の判定文書から上記の引用部分だけを復活し、さらに佐伯氏の文章から「本書には全文が再録されている。」というくだりを削除することでつじつまあわせを図っている。)

因みに、著者の松本道弘氏御本人もこの削除については全く知らされていなかったそうである。─松本氏からの書簡による。(「なぜ、断りなく削除されたのかは、私自身が聞きたいです。…本多氏が『ペンの陰謀』内で、氏にとって有利なように引用されたために、私の審判が曲解されたくやしさは、今もしこりとなって残っています。」

手法8.記事をまるごと削除

書き換え例8─1

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「欧米人記者のアジアを見る眼」、すずさわ書店『貧困なる精神第3集』
(初版1975年7月10日発行)
長文ですので、以下に一部のみ引用します。
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「欧米人(白人)のジャーナリストは、完全解放後のカンボジアをどうみたか。その典型は、たぶん『ニューヨーク・タイムズ』特派員シドニー・シャンバーグ記者のルポ(『朝日新聞』五月一二日朝刊)にみられる。一言でいえば、これはかれら欧米人記者の眼による救い難い偏見で充満していて、アジア人の生活も心も全く理解できない欧米人記者による不幸な記事といえよう。

「五年間にわたった内戦に勝利を占め四月十七日プノンペンに入城したカンボジアの解放勢力は、いま農民革命を推し進めて、カンボジア全土を大きな変動の渦に巻き込んでいる。三百万から四百万人にものぼるカンボジア人が都市から追い出されて、農村部の奥深くへと徒歩での大脱出を強いられたのだ。解放勢 力側の説明によれば、これは農民として畑を耕させるためだという。例外は認められず、高齢者も小さな子どもも、病人もけが人も、一人残らず旅を強制された。その中には、とうていそんな旅に耐えられない人たちもいたのに」

「追い出され」といった表現の問題には、一応ふれないでおこう。しかしこの文章は、事実として噴飯ものだ。「高齢者」と「小さな子ども」と「病人」と「けが人」だけプノンペンに残して、あとみんなが「大脱出」したらどうなるのか。」

「全体を通じてこの記者は、プノンペンの市民を農村へ分散させることを、頭から「悪」と信じて疑わぬ(私たち日本人も、戦争中はこの記者の国のB29による都市爆撃によって、農山村へ部会からの「大脱出」が強いられたものだ)。いったいカンボジアの解放勢力つまり本当にクメール人民から成る新政権が何を考えているのか、かれは本気で考えようとしたことがあるのか。」

「本来の市民がどのような人々であったかは、いくら鈍感な男でもプノンペン特派員なら知っているはずだ。次の記事を見られよ。

「カンボジア人の九割はもともと農民で、農村居住者である。その半面、プノンペンばかりでなく主要都市住民は、華僑、ベトナム人、あるいはその温血者がほとんど。たとえば、プノンペン中心部、繁華街の居住者はほぼ一〇〇%華僑であり、都市から農村への疎開といっても、純粋カンボジア人は元来都市には住んでいなかったのである」(『朝日』五月一七日、和田俊もとプノンペン特派員)

このような特殊都市に住むカンボジア人は、例外的な金持ちと特権階級にすぎない。サイゴンやハノイとは本質的に異った性格の都市なのだ。東京や大阪の中心部が、外国人の金持ちだけで占められ、日本人は例外的成金と、外国人のもとで女中や門番として使われる者だけ、といった都市だったら、どういうことになるだろう。こんな危険な都市は、反革命の拠点にいつなるかわからない。そのため、搾取のない農村経済のもと、みんなが正しい意味で働きながら、まず自給を確立することから自立しようと考えたとしても、まことに自然なことではないか。合州国の退廃文化(帝国主義文化)でダラクさせられた都市の人々も、それによって健全なものに立ちなおるだろう。」

「邪推すれば、米軍は実はプノンペンを爆撃したかったのではないのか。カラッポにされてその意図を果せなかったのではないのか。そうであれば「大脱出」はまことに賢明な戦略でもあったことになり、多数の市民を米軍爆撃による虐殺から救ったことになる。」

「もちろん、合州国のキッシンジャー氏ら、ノーベル「平和」賞を受けた詐欺師たちは、プノンペンで解放軍による大虐殺が行なわれたというデマを言いふらした。それを受けて、シャンバーグ記者は書く。

「おそらく将官クラスらしい解放側の指導者の一人が、捕虜を前に話をした。彼は、裏切り者は七人の元指導者だけで、旧政権の他の指導者、高官については公正に扱うと保証した。そして『報復はしない』とも述べたが、捕虜たちの緊張した表情は、彼の言葉を信じたい気持ちはあっても、実際は信じられないことを物語っていた」

つまりこの記者は、現実に虐殺など見たこともないし、解放軍の「報復はしない」という言葉を直接きいているにもかかわらず、どうしても虐殺があったことにしたいのだ。実はこれは「合州国ならばそれが当然のハズだ」と告白しているようなものである。」

「侵略者が、かれらの物の考え方で、かれらの価値観で、かれらの文化の間尺で、いわゆる「事実」を報道する。それが日本の新聞でも大々的にまかり通る。かれらのことを「アメリカ人記者」といわず「欧米人記者」としたのは、同じ『朝日』でいえばフランス人ベルナール・ゴード氏などを引用した次のような AP電が出ていたからである。

「中には、病院からベッドのまま街中を運び出される病人もいた。『これを見る兵士の目には、あわれみがあった。しかし、彼らは、何もできなかった。彼らは鉄の手で管理されていたのだから』とゴード氏はいう」

「パックス・アメリカーナ(合州国の平和)が侵略と虐殺を意味していたように、その反世界としての「アジアの平和」は、どんな人間的なものであっても、無知な欧米人記者の目には「野蛮」としか見えないのである。私にとってカンボジアの農村は、ぜひ訪ねて報道したいところのひとつとなった。」

「〈追記〉【引用者注:『貧困なる精神3集』収録時に追加】その後、やはりプノンペンに残っていた日本人写真家・馬淵直城氏【引用者注:後に、ポル=ポト擁護派の論客として活躍】は、『アサヒグラフ』の五月三〇日号で「都市を農村にとり込んで浄化する」という文章と写真を発表した。その内容は欧米人 記者のものと誠に対照的である。一部を引用しよう。

「パニック状態になって一番最初にホテルから脱出したのは国際赤十字の連中だった。薬も負傷者もすべて置きざりにしたままだった」

「途中の解放区では、整理された水田やかんがい施設を見た。食料はすべて解放班から提供され、二日目のプルサートでは野菜、くだもの、鳥、豚、たばこ、酒といった具合に手厚いもてなしを受けた。そこで 解放軍の幹部から、今回の都市住民の“下放運動”について説明を聞いた。内容はこういうものだった。アメリカとフランスの両帝国主義に対する解放闘争であるこの戦争が、ともにカンボジアの革命であり、米帝を招じ入れた都市を農村に取り込んで浄化するためだ。階級闘争をも含むカンボジア独自の政策だと自負している……」

「いま私は、厳しいが楽しかった旅のあと、こうして無事国外へ出してくれた解放軍に対し、ほんとうに 感謝している。一刻も早く、新生カンボジアが戦争の傷を癒し、力強い再興のツチ音を響かせてくれることを祈っている」

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すずさわ書店『貧困なる精神第3集』第8刷
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記事ごと全面削除

【書き換え発見の手引き】

記事が全面削除されている場合は新旧の刷を比較してみるしかないので、著者/編者が収録記事の差し替えを明記していない限り、発見が最も難しい。ただし、雑誌の連載記事を収録したものであれば特定の号の掲載記事だけが欠落していることから発見できる場合がある。たとえば上に引用した「欧米人記者のアジアを見る眼」は『潮』1975年7月号の連載コラム「貧困なる精神」に掲載されたものである。6月号、8月号掲載の連載記事が単行本に収録されているのに7月号の記事だけが欠けているとすれば、何らかの理由により削除された可能性を考慮してみるべきである。(出典となる雑誌の掲載号は、単行本記事の末尾に記載されている。)

手法9. 「書き換えていない」と断わり書きを入れる

実例9─1

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『中国の旅』朝日文庫(1981/12/20初刷発行、引用は第22刷より)
「あとがき」298〜301
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これらのルポをまとめた上、さらに加筆して単行本『中国の旅』(朝日新聞社・1972年)が刊行されていましたが、それを文庫本にしたのが本書であります。…もとの単行本とこの文庫本とでは、写真の収録数にかなり違いがあるほかは、本文にはほとんど変わりはありません。

【書き換え発見の手引き】

アメリカ合州国がやったテネシー川のTVA計画を思い出したが、同じ大工事でも、資本家のもうかる開発と、人民に還元される開発とでは、なんという相違であろうか。」(朝日新聞社版単行本)を削除したり「修正主義追放に重要な役割を果たした。」(朝日新聞社版単行本)を「「修正主義追放」に重要な役割を果たした。」(文庫本)と書き換えても「本文にはほとんど変わりはありません」といえるのか、などと文句を言ってみても取り合ってはもらえまい。「変わりはありません」と断わってあってもそれを鵜呑みにせず自分で確認する実証精神が書き換えの発見につながる。

手法10.「追記」を加える

狭義の「書き換え」にはあたらないが、往年の言辞が時代にそぐわなくなってきた場合、原文はそのまま残して追記をつけくわえるという手法も用いられている。

実例10─1

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「タスマニア人と野坂昭如氏」、『職業としてのジャーナリスト』収録
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「最近の『週刊朝日』連載コラム「オフサイド81」をはじめとするその【野坂昭如氏の】抗戦ぶりには、感動と絶賛の拍手をおくりたくなる。」

<第七刷からの注記>

「だが、野坂氏は1980年代末期から、何らかの原因によって大きく変節し、不可解な言動がみられるようになった。」

実例10─2

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「欧米人記者のアジアを見る眼」『貧困なる精神3集』収録
第7刷(1980年4月30日)で下の追記を挿入、
第8刷(1982年4月20日)増刷時に記事ごと削除──削除した旨の記載はなし。
************************************************************

<第7刷からの追記>その後、ポル・ポト政権による虐殺の問題が表面化してきたが、その問題と本論【上記「欧米人記者のアジアを見る眼」の引用を参照】とは質的に別問題である。(一九八〇年四月)

【本多氏のこの表示方法を歓迎・支持します】

このように時期を明示して自分の立場を明確にすることこそ言論人として最もフェアな態度表明方法であり、われわれ読者としては内容への賛否とは別の次元で、こういう公正な表示の方法と姿勢を歓迎し、支持・応援したいと考えます。


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最終更新日2000/05/30 (Y/M/D).