まず則巻おかきさんが、朝日新聞の記事を読んだときに
> 例えば、日本政府は中国に日本の人員で遺棄化学兵器を除去させてくれと交渉する時、遺棄場所を詳しく示した地図や当時の軍文書をちらつかせ、徹底的に除去できるんです、と力説していたと言う。
と解釈し、記憶したのでしょう。
その後の
>そんな公文書が沢山あることについて日本政府は全然公表しない。
は、則巻おかきさんの想像だと考えられます。
そこでまず
(1)除去を望んだのはどちらか?
(2)埋めたのは日本か、それとも中国か?
(3)日本政府は、遺棄場所を詳しく示した地図や当時の軍文書を持っていたのか?
の3つの論点にしぼり、検証を続けたいと思います。
なお、検証にあたっては比較する資料が必要なため、佐賀新聞データベース(共同通信配信記事)から該当する資料を得ることとしました。
まず、(1)除去を望んだのはどちらか?
『1996年06月03日
(前略)環境汚染について中国側はダムの水源に近く環境への悪影響が懸念されるとし、早急な処理を求めていた。』
『1997年10月06日
「きちんとした態度で、早急に対処してほしい」—。中国東北部、吉林省敦化郊外のハルバリン地区に埋まる旧日本軍の膨大な毒ガス弾(化学兵器)。九月初旬、日中国交正常化二十五周年で訪中した橋本竜太郎首相に、李鵬中国首相は遺棄弾処理への誠実な対応を強く求めた。』
以上の記事から、除去を望んでいるのは中国側だということが解ります。
また、日本側としては
『1996年11月10日
政府は九日までに、旧日本軍が中国に遺棄した化学兵器の廃棄処理問題について、化学兵器禁止条約の定める「十年以内の廃棄」は不可能として、例外規定を適用し「十五年」に延長するよう中国政府と交渉を開始する方針を固めた。』
このように、除去期間の延長を求めています。
次に、(2)埋めたのは日本か、それとも中国か?
について、調べてみます。
『1995年04月27日
外務省など関係者によると、敦化市は太平洋戦争中、旧日本軍の弾薬の集積地だった所で、敗戦と同時に大量の毒ガス弾が遺棄された。その後敦化市などが独自に穴を掘り、埋設処理したが、同市周辺では戦後約五百人が、遺棄毒ガス弾の事故で死傷したとの報告もある。』
『1996年06月03日
ハルバリン地区は中国が各地で回収した毒ガス弾を埋めた場所で、約百八十万発が埋まっているとされていた。予想より少なかったことについて中国側は「あくまでサンプリング調査」とし推計結果の確認を留保した。』
これらの記事から、埋めたのは中国側であることはほぼ間違いないでしょう。
次は、(3)日本政府は、遺棄場所を詳しく示した地図や当時の軍文書を持っていたのか?
を、調べてみたいと思います。
『1997年08月04日
中国側は「土木工事などで掘り返せば、まだまだ遺棄兵器が見つかる」と強調。日本側は「旧日本軍の遺棄兵器と確認できれば処理する」(外務省筋)としているが、中国側が遺棄兵器の残存地点に関するデータをすべては公表していないため、実態把握は十分進んでいない。』
1998年02月12日
旧日本軍の遺棄化学兵器には正確な資料がなく、処理技術も確立していない
というのが有ります。
この文書からは、日本側に資料は無く、資料の出し惜しみをしているのは中国側だということが解ります。
このように、朝日新聞の記事はほぼ誤報であり、産経新聞の記事が正しいと判断できるでしょう。
もちろん共同通信の配信に誤報が有ったとも考えられるのですが、関連記事40本程度を読んでみた感想として、特に矛盾点などは感じられず、共同通信側に誤報が有った可能性は少ないと思います。
(ご存知のとおり、共同通信は共産主義国に配慮した記事を書くことが多いと言われています)
ここで、私の検証に間違いが無いか考えてみると、1つ忘れていることがあります。
それは、則巻おかきさん自身の朝日新聞の誤読、若しくは記憶違いによるものです。
残念ながら、この部分については資料不足で検証することは出来ませんでした。
最終的結論として、則巻おかきさんは朝日新聞による誤った情報、又は朝日新聞の記事の誤読若しくは記憶違いにより、「化学兵器を掘るとマルタの骨が出てくる」という結論に至ったと考えることが出来ます。
以上、基礎となる資料が誤っていると、「とんでも」な結論が出ると言う、見本のようなお話でした。