脱ゴーマニズム宣言裁判を楽しむ会議室
1998/05/18(23:18) from Anonymous Host
作成者 : 北の狼(tngc@po2.nsknet.or.jp)
「民主化」と「慰安婦問題」(2)
「民主化」と「慰安婦問題」(2)

北の狼です。
先日は、上杉氏の”「民主化」が進んでいるからこそ「慰安婦問題」が惹起されてきたのだ”という帰納仮設を、その仮説の源である韓国で検証しました(投稿No264)。そして、1988年に韓国の”民主化が飛躍的に進んだ”という氏の説が相当に怪しいこと、さらに、帰納仮説の源となった特殊例に、このような論理的弱点を有するというのは、蓋然性云々以前の問題ではないか、とも付け加えておきました。

今回は、フィリピン、中国等について検証します。今回で”「民主化」と「慰安婦問題」”は終りにしたいので長文となりましたが、ご辛抱ください。

繰り返しになりますが、上杉氏の”「民主化」が進んでいるからこそ「慰安婦問題」が惹起されてきたのだ”という仮説が正しいとすると、これらの国で1990年前後に”民主化が飛躍的に進んだ、という大事件”が見つかるはずです。

まず、フィリピンの「民主化」をみてみましょう。
フィリピンはアメリカの影響で、早くから大統領選挙が実施されており、『手続き的な観点』からは、民主主義の必要条件は満たしている。あの、悪名高いマルコス大統領も1965年の大統領選挙で初当選し、以後、連続して三選を果たしているのである。
1990年前後に”民主化が飛躍的に進んだ、という大事件”の候補といえば、1986年二月のコラソン.アキノ氏の大統領就任(ピープルパワー革命、エッドサ革命、二月改変とも称される)をおいて他にはないであろう。コラソン.アキノ氏とは、勿論、1983年八月にマニラ国際空港で軍部に暗殺されたベニグノ.アキノ元上院議員の夫人である。
それでは、マルコス政権に比べて、アキノ政権の元では”民主化が飛躍的に進んだ”であろうか? 
確かに、アキノ大統領就任の当初は、国の内外を問わず、民主政治を願う人々の期待が非常に大きかったのは事実である。近代における大統領でアキノ氏に匹敵する期待を集めた者といえば、旧ソ連のゴルバチョフ氏ぐらいではなかろうか。しかし、それも長くは続かなかったのである。その最初のきっかけは、1987年一月の「メンディオラ橋の虐殺」である。これは、農民運動(KMP)所属の一万5000人のデモ隊が軍隊に発砲され、十二人の死者と多数の負傷者を出したという、アキノ大統領にとっては痛恨の惨事であった。この事件はアキノ政権の「農地改革」に対する取り組みと大いに関わりがあったのであるが、実は「農地改革」というのはフィリピンという国にとっては、極めて重大かつ歴史の長い問題であり、ひいてはフィリピンの民主化にも密接に関連するのである。
ここで、フィリピンの「農地」について考察してみよう。
フィリピンという国は当時も今も、大地主や地方の実業家などの一部(人口のわずか2%といわれている)の地方ボスが、大部分の農業労働者、ひいては国家を支配しており、国家がこれらのボスから自立できていないというのが現状なのである。国家が自立できないのに、農業労働者が自立できる筈がない。これらのボスに富や土地が偏在しているため、(他にも原因はあるのだが)想像を超えた貧富の差を生じているのである。例えば、1977年の世界銀行の報告ではマニラ市の人口の30%(約一八○万人)がスラム街に住み、35%(約二一○万人)が貧困線(年間所得二五○米ドル)以下の生活をしていたと述べている。実をいうと、「農地改革」は、あのマルコス政権の看板プロジェクトであり、戒厳令(1972年9月から1981年1月)の大義名文の一でもあったのである。マルコス大統領もそれなりの努力はしたようなのだが、やはり地主層の壁は厚かった。穿った見方をすれば、マルコス大統領ほどの強権を以ってしても実効をあげることができなかったのが「農地改革」なのである。それ程に、地方ボス達の力は経済的に、政治的に、そして軍事的に強いのである。他の産業が発展してくれば、相対的にそれらの力も弱まるのだが、種々の国内事情でそれもままならなかった。
要するに、フィリピンで実質的な「民主化」がスタートするためは、これら地方のボスからの農民や国家の自立、とりわけ地主層による支配の排除が主眼であり、すなわち「農地改革」が必要不可欠といっても過言ではないのである。言い換えると、「農地改革」が「民主化」の実質的な前提条件なのである。
当然、アキノ政権も農地改革を最大の政治課題と位置付けたのである。「包括的農地改革計画」(CARP)と称せられ、農地改革省を中心に作業が進められ、1988年6月にアキノ大統領が署名して「包括的農地改革法」(CARL)が成立した。アキノ大統領は演説でCARLの目的が「大多数の国民の正当な土地所有によって、フィリピン農業の莫大な潜在的富を解放することにある」と語り、「主人と奴隷の時代は過ぎ去った。CARLは七○○万人の農民を貧困ラインから救うことになるだろう」と自信をのぞかせた。
しかし、残念ながら、CARLは失敗したのである。しかも、完全に、である。
まず、地主層が憲法に明記された「個人財産権」を盾に応じなかったのである。実は、CARLの隠された意図として、自作農の創設によって、地主達を大変に悩ませていた新人民軍という武装共産勢力の土壌を奪うという発想があったのであるが、それでも地主層はCARLに応じなかったのである。しかも、あろうことか、アキノ大統領の実家が所有している六四四九ヘクタールの土地が、CARLの「抜け道」を用いて解放されなかったとして、農民団体から糾弾されるという失態を演じているのである。農民に解放される土地は、仮にCARLが実現したとしても絶対的に不足していたのであるが、それはこの「抜け道」によるところが大きかったのである。地方ボス達の力は政界、官僚組織に隠然と浸透しており、それを背景として、上下両院、閣内、省庁間に鋭い対立が生じ、アキノ大統領在任中に農地改革省長官は六人も入れ替わった。
結局、CARLは農民を当初は怒らせ、最後は失望させただけに終ったのである。そして、アキノ氏は、それ以上有効な手を打てず、1992年に退任したのである。

確かに「二月改変」でマルコス政権という強権政権は崩壊したが、「農地改革」という実質的な民主化政策に失敗している以上、アキノ政権で”民主化が飛躍的に進んだ”とは、とても言えないのである。逆説的には、マルコス氏がもっと強権的であった方が、「農地改革」すなわち「民主化」が進んでいた可能性があったとも言えるのである。アキノ政権は、形の上では革命政権であり、エッドサの熱が冷めやらないうちに蛮勇をふるう手は確かにあったと思うのだが、彼女はその手法を選択することはなかった。

では次に、中国をみてみましょう。

上杉氏の主張を再度引用します。”日本軍の被害はアジア全域に及んでいるが、被害者が日本に対して訴訟まで起こしているのは韓国とフィリピンだけだ。これは、民主化が進んでいる、という共通項で初めて説明できる。中国の被害者が最近訴訟をはじめたが、民主化の遅れのため出国がままならないため、今も不安定な裁判になっている。”

これを素直に解釈しますと、(日本を除けば)アジア全域で最も民主化が進んでいるのは、韓国とフィリピンであり、次に進んでいるのが中国である、ということになります。

うーん、、、、。この国については説明の必要がありますか?
民主主義の必要条件と想定した「リーダーが定期的かつ公正な選挙で選出されているかどうか」(『手続き的な観点』)を、そもそも満たしていないし、共産党の指導者達には現在も将来もそのつもりはないのですから、それだけで民主主義としては落第である。ここで検証を終了してもよいのですが、あまりに素っ気ないので、少し中国という国を見てみましょう。

中国における、伝統的な政治体制は、聖人政治、すなわち、「民主主義」と対極にある「権威主義」である。儒教が聖人政治を正当化する論理として使われたことは間違いないが、これがプロレタリア独裁というものの考え方と非常に相性が良くて結び付いたといえるであろう。
極論すれば、中国の指導者達にとって民主主義などというものは、それこそ屁みたいなものである。テレビなどで、インタビュウを受ける共産党幹部達の表情をよく観察してみるがよい。「人権」とか「民主主義」という言葉を聞いても、眉一つ動かさないではないか。それどころか、冷ややかにインタビュアーを見下したりもする。まるで、「中国のことなど、何も分かっていないくせに」とでも言いたげだる。

そもそも、中国というものを一つの国民国家と考えること自体に無理があるといっていいのである。
中国を称して、分節社会という言葉を使う場合がある。これは、「遊撃戦」の思想に基づいて、毛沢東時代に意図的に残されたものである。遊撃戦は、相互に連絡がとれない中で、個々の小集団が戦闘しなければならないという状況を想定している。米国と対立し、次にソ連と対立するようになったが、これらの国が攻めてきてあの広大な国土が分断されても、戦闘を続けていけるような社会にしたいという考えが毛沢東にはあったのである。そういう小集団で統一的な行動ができるためは、認識が統一していないといけない。つまり、個々の「遊撃隊」の連帯を維持するためには、言い換えると、分節社会である中国という国を統治するためには、上に立つ「強力な指導者(聖人、権威)」がいないと駄目なのである。
そういう認識ないしは状況下では、共産党は自分の独裁を維持するのは当然の行為であると思っており、共産党以外の全国組織、ましてや共産党以外の利益を代表するような組織を作らせる筈がないのである。そんなことをすれば、国が非常な混乱に陥り、ひいては国が分裂しかねないのは、火をみるより明らかなのである。
要するに、「中国の民主化」とは「国家の分裂」を意味するといっても過言ではないのである。これは、別に突飛なことを言っているのでは全然なく、旧ソ連で起きたのが正にそれである。また、「権威」を喪失した後の共産国家がどうなるかは、チトー氏亡き後の旧ユーゴがよく示しているところである。
十二億という人間がいる国家で民主主義が成立するということは、ある意味、考え難い話なのである。人間の同質性がある程度保たれるのは、現在の中国でいえば省の単位が限度であろう。民主主義というものは、ある程度同質な集団があって、かつその中で意見が違い、その意見の違いを何とか話し合いで解決できるというくらいのところで最も機能するものである。それを中国にあてはめれば、現在の省を単位とした「連邦制」が、民主主義体制として最も現実的かもしれない。これは、天安門事件で米国に逃れた、政治学者である厳家其氏の考え方でもある。厳家其氏は中国を連邦制で分割するには、どうするのがよいのか、氏の著書で詳細な地図までつくって説明している。
ちなみに、1989年の「天安門」であるが、これを「民主化の黎明」として単純には歓迎しない方がよい。この運動の大きな欠点は、「高度のエリート性」である。中国の知識人に関してよく指摘されるのが、極めて少数の(大卒者で人口の1%ぐらい)大衆から浮いた存在、というより、むしろ知識人の側が大衆と俺とは違うんだというエリート意識を非常に強くもっているという点である。筆者も何人かの中国人の留学生(要するにエリート予備軍)と接したことがあるが、目上に対する礼儀が正しい反面、男女の別なく、皆、強烈なプライドの持ち主である。天安門事件を指導し、様々な要求文書を出したのは、勿論、これらの知識人であるが、労働者や農民に言及しているものは極めて少ない。しかも、団結して戦おうというスローガン程度にしか出てこないのである。その程度なら、共産党が常に言っていることである。これら知識人が一般民衆と遊離していたのが、この運動の大きな問題と指摘する者は少なくないのである。要するに、天安門とは、民主主義と権威主義の戦いというより、権威主義という枠内での一種の権力闘争との面が多分にあるのである。

中国では”民主化が飛躍的に進んだ”どころか、そもそも、そのままでは民主主義自体が想定し難い国であり、民主化とは国家の分裂に繋がりかねない危険性をはらんでいるのである。
以上より、上杉氏の”「民主化」が進んでいるからこそ「慰安婦問題」が惹起されてきたのだ”という帰納仮説は、中国での検証には耐えられないのは明らかだろう。

きりがないので、北朝鮮で最後にしよう。
北朝鮮では、1992年に二十一人の元慰安婦が証言に応じても良いと回答しており、実際に四人が証言を行っている(「世界」平成5年3月号、岩波書店)。しかも、一人は「日本の戦後補償に関する国際公聴会」(平成4年12月9日)に実際に参加して証言しているのである。
それでは、これらの方々は、1990年前後に北朝鮮の”民主化が飛躍的に進んだ結果、集会やデモが自由に行えるようになり、それまで口を封じられていた戦争被害者たちが周囲に訴えることが可能になった”のであろうか?
こんなバカバカしい問いには、答える必要もないであろう。

上杉氏の帰納仮説が、北朝鮮での検証に全く耐えられないのは、説明の必要もないであろう。

前述したとうり、帰納仮説というものは特殊例から導き出されるが、他の特殊例による検証に耐えて、初めて蓋然性ないしは一般性を有するようになるのである。
これを、上杉氏の所論に当てはめると、『「民主化」が進んでいるからこそ「慰安婦問題」が惹起されてきたのだ』という帰納仮説は韓国の例から導き出されたものであるが、他の国(フィリピン、中国、等)における検証に耐えて、初めてアジアの戦争被害国全体に応用できる、ということになる。
ところが、今回の上杉氏の帰納仮説は、そもそも、その源である韓国からして、その根拠が相当に怪しいのであり、フィリピンでは殆どダメ、中国や北朝鮮に至ってはお話にもならないのである。

前回と今回の投稿での検証により、上杉氏の『「民主化」の進行と「慰安婦問題」の惹起の関連性』についての帰納仮説というものが、根拠があまりに薄弱であることが明らかになったであろう。
上杉氏は、小林氏やゴー宣読者に対して”物事を表面だけ見る者には意味を持つかも知れないが、深く背後まで見通す洞察力のある者には通用しない”などと宣っておいでだが、ゴー宣の一読者である私から上杉氏に、この言葉をそっくりお返ししておこう。

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