本多勝一研究会では、これまでに様々な問題を取り上げて調査研究を進めてまいりました。以下に御紹介するのはその研究活動の一端です。
まず、1975年から1979年にかけて赤色クメールがカンボジア全土で行なったいわゆる「カンボジア大虐殺」をめぐり互いに鋭く対立する、次の三様の記述をお読みください。
論説A 『潮』 1975年10月号掲載 「例によってアメリカが宣伝した「共産主義者【赤色クメールを指す】による大虐殺」などは全くウソだった…」
「それを受けて宣伝した日本の反動評論家や反動ジャーナリストの姿はもっとこっけいだった…」
論説B 『潮』 1985年8月号掲載 「ひところ日本に「カンボジア虐殺はなかった」と根拠もなしに主張する学者やジャーナリストがいて、日本型“知識人”たちの退廃ぶりに驚嘆させられたものだが、パットナムはそこまで退廃してはいないので、大虐殺の事実についてはむろん疑問など全く抱いていない。」 論説C 1990年3月10日 改稿増刷単行本 「アメリカが宣伝した「共産主義者による大虐殺」によって全市民がただちに虐殺されたとも思われぬが、すべては鎖国状態の中にあっては事実そのものが全くわからず、噂や一方的宣伝ばかりでは軽々に論じられない。」
「「共産主義者による大虐殺」などは全くウソだった…」と全面否定するAの論が救いがたい妄説であることは、その10年後に同じ雑誌に掲載された論説Bが「日本型“知識人”たちの退廃ぶりに驚嘆させられた」と辛辣に批判するとおりです。(逆にAの立場から見れば、Bの論者は「こっけい」な「反動ジャーナリスト」に過ぎないことになります。)
このように1985年の時点で既に「大虐殺の事実についてはむろん疑問など全く抱」かず虐殺否定派を厳しく批判していた論者がいたのにもかかわらず、Cの論者がさらに5年後の1990年の改稿増刷においてなお「事実そのものが全くわからず」と態度保留を表明しているのも、不可解です。できることならこれらの文章を書いたお三方にお集りいただき、徹底討議していただきたいものです。
しかし、それは叶わぬ願いです。執筆者はみな今でも元気で御活躍なのですが、三者討論会を開くことは不可能です。なぜなら、AとCは同じ著者の著作であり、C(「事実そのものが全くわからず…」)はA(「「共産主義者による大虐殺」などは全くウソだった…」)を雑誌発表の15年後(単行本収録の14年後)に書き直したものだからです。
それならせめて、AおよびCの著者と、B(「「虐殺はなかった」と根拠もなしに主張する学者やジャーナリスト…の退廃ぶりに驚嘆させられた」)の著者の間で対決討論をしてもらえないものでしょうか?いや、それすらも不可能です。実はBの文章の著者も、AおよびCの著者と同一人物なのです。
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上記の「書き換え」を行なった著者に対して、その真意を質す公開質問状が1995年の暮れに送られました。
公開質問1.「1975年10月号の『潮』誌上、「カンボジア革命の一側面」で「アメリカが宣伝した「共産主義者による大虐殺」」という表現があります。 *具体的に*説明していただけないでしょうか?」
公開質問2.「問題の論文は…(1990年第9刷)ではタイトルや問題とされた表現を含め「改稿」されています。カンボジアの情勢が次第に明白になってきたため、あるいはカンボジア とベトナムとの険悪な関係が表面化したため、オリジナルの表現のままではまずいとの判断が働き「改ざん」したのだ、という批判に対してはどうでしょう?」
公開質問3.「「改稿」の事実を伏せたまま、1990年の段階で論文の最後に(『潮』1975年10月号)と記載するのは読者を騙す行為ではないでしょうか?」
公開質問4a.「…他の著作でも同様の「改稿」がなされているのでしょうか?」
公開質問4b.「また、今後もされるのでしょうか?」
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次の2つの論説はいずれも、カンボジア大虐殺に材をとったパットナム監督の映画『キリング=フィールド』を、インドシナ報道で著名な朝日新聞の二人の編集委員(当時)が評したものです。
本多勝一
「無知な人々だけが感動する『キリングフィールド』」
(『潮』1985年8月号)
「これは無知な人々だけしか感激できない愚作であり、政治的な詐術映画だ。同じように無知な人々をだました政治映画『鹿狩り』(原題『ディア・ハンター』)のようなしろものが、また一本できただけのことである。しかもいわゆる「芸術的」には『鹿狩り』以下だろう。大金をかけて、なんというもったいないことをしたことか。一発でこの映画の本質をいえば、これは差別映画である。」 井川一久
「米映画『キリング・フィールド』これでも語り尽くせぬポル・ポト派に殺された者の無念」
『朝日ジャーナル』1985年7月19日号
「約八〇〇人の在日カンボジア人はほぼ例外なくこの映画を観たがり、現に少なくとも五〇人は観た。その半数余りは、家族の全部または一部を殺されたサハコー生活の体験者(難民)だ。彼らは私に、あれは本当にあったことです、ディト・プランは私たちの分身です、と口々に語った。」
「日本では、この種の映画は一度も制作されず、制作が企画されもしなかった。米国でそれが可能だった、というところに、私は情報システムを含む米国の文化構造のすこやかな一面を見る。」
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以下は、日本におけるディベート教育の先駆者としての実績を買われ佐伯真光氏対山本七平氏の「宣誓論争」のレフェリー役の依頼を受けて「佐伯氏の勝ち」と判定した(判定文は本多勝一編『ペンの陰謀』に収録)ことでも知られる、松本道弘氏からいただいたお手紙からの引用です。
「当時を振り返ると、まさしく『ペンの陰謀』にしてやられたと苦々しい思いが残る出来事で、真意はいまだ、薮の中です。」
「なぜ、断りなく削除されたのかは、私自身が聞きたいです。【中略】本音を申し上げると、本多氏が『ペンの陰謀』内で、氏にとって有利なように引用されたために、私の審判が曲解されたくやしさは、今もしこりとなって残っています。」
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最終更新日2000/08/23 (Y/M/D).