松本道弘様(1999年4月22日
「宣誓論争」判定文書の件
時下益々ご清栄のこととおよろこびもうしあげます。
さて、私は豪州シドニー市に在住する佐佐木嘉則と申しますが、かつて佐伯真光氏と山本七平氏が交された「宣誓論争」を松本様が裁定なさった判定文書に関しておうかがいしたいことがございます。
ことは随分以前にさかのぼりますが、当時松本様の御著書を通じてディベートに興味をもちはじめていた私は、本多勝一氏編集『ペンの陰謀』(潮出版社;1977年5月初版刊)においてはじめてこの裁定文「勝負あった!佐伯/七平論争」を目にしました。書き換え等の但し書きも特にみあたりませんでしたので、これが松本様の裁定文書の全文なのだとその時は素直に信じておりました。ところが先日日本にいる知人から同論文が最初に発表された『人と日本』(行政通信社)1977年1月号のコピーを送ってもらったところ、
「積み木を重ねるごとく、論理的構築の形成に努めた佐伯氏に対し、山本氏はトウフを重ねるごとく、詭弁を弄した形に終わってしまった。残念なことである。」
(『人と日本』106ページ;『ペンの陰謀』125ページ)
にひきつづく、最後の4段落(次に引用)が全文にわたり削除されていることが確認されました。
『人と日本』1977年1月号106ページ
私は、この論争によって、これまで無敗を誇っていた山本氏にはじめて土がついたと世間が料断したとしても、これまでの氏の論文の価値をいささかでも減殺するものであってはならないと信じる。私は氏の直感的判断を今でも高く評価している。とりわけ“空気”の哲学は、あらゆる講演の機会を把えては賞賛しているものである。従って私の発言に矛盾はない。たしかに、日本人はマスコミを含め“空気”に弱い。“空気”に左右され、“空気”で動く。私の山本氏に対する黒星判定により、氏に対する世間的評価が一時的にたとえ低下することがあったとしても、それは日本的“空気”のなせる業と断念し、さらに本来真理の探究者が支払わねばならない代価であると、前向きに判断するならば、この際潔く敗北を認めるべきであろう。一敗を喫することが恥ずべきことではなく、むしろ敗北を隠微におおい隠そうとする態度こそ、学者にあるまじき恥ずべき行為であろう。
私は山本氏のカムバックを信ずる。氏の経験から、および天才的な直感力から得た数々の観察を、論理的に肉付けし、今後当然日本が直面せねばならない“善処しかねる”諸問題を論究するために、論壇に再登場を願いたい。
最後に、もう一度両論士に拍手を送りたい。
そして両論客が微笑をかわしながら握手できる日が来たらんことを祈る。
なお念のために知人にたのんで『ペンの陰謀』収録の佐伯氏の論文「山本七平式詭弁の方法」を調べてなおしてもらったところ、そこには
「本書には【『人と日本』に掲載された松本道弘氏の裁定文書の】全文が再録されている」(102ページ)
と明記されており、それに続いて、上記の『人と日本』収録の玉稿の最後の4段落から
「私の山本氏に対する黒星判定により、氏に対する世間的評価が一時的にたとえ低下することがあったとしても、それは日本的“空気”のなせる業と断念し、さらに本来真理の探究者が支払わねばならない代価であると、前向きに判断するならば、この際潔く敗北を認めるべきであろう。一敗を喫することが恥ずべきことではなく、むしろ敗北を隠微におおい隠そうとする態度こそ、学者にあるまじき恥ずべき行為であろう。」
という部分だけが引用されているとのことです。
上記の4段落があるのとないのとでは、読者が読後に受ける印象はかなり異なります。『ペンの陰謀』においてこの部分の削除が断わりなくなされており、しかも
「本書には全文が再録されている」
という但し書きまであることについて、正直申し上げて些か奇異な印象を禁じ得ない思いです。かの宣誓論争が論壇史に残る名論争・大論争であり松本様がその審判として後世に名をとどめる重責を果たされたことを考えると、その論争の概要を将来にわたって長く伝えることになる松本様の論文がどのような経緯を経て現在の形で『ペンの陰謀』に収録されるに至ったかについても読者の前に明らかにしていただき、以って日本論壇史上に有終の美を飾っていただきたくことを願うものでございます。
つきましては、削除にまつわる当時の事情をお教えいただけませんでしょうか。今日では山本七平氏の愛読者を自認する人達もふくめて多くが宣誓論争に関する情報を『ペンの陰謀』から得ていることを考えると、ぜひとも松本様の真意をおあかしいただきたく存じます。特に、次の4点をお教えいただければ幸いです。
(1)『人と日本』掲載の松本様の論文の最後の4段落が『ペンの陰謀』で削除されているのはなぜなのでしょうか。(松本様が山本七平氏に対する評価を改められたと解釈してよろしいのでしょうか。それとも、編集上その他の外的な要因による削除なのでしょうか。)
(2)『ペンの陰謀』には削除したことの断わり書きがみあたらないのですが、これはなぜなのでしょうか。
(3)裁定文の一部が削除されているにもかかわらず、佐伯真光氏の論文にはどうして「本書には全文が再録されている」と書かれているのでしょうか。
御多忙中まことに恐れ入りますが、よろしくご教示いただけたら幸いです。なお、あるいは松本様のお立場上“この種の質問には答えにくい”というなことがあるかもしれませんが、万一もしそういうご事情でしたらご返事がいただけるかどうかだけでお知らせいただけたらありがたく存じます。
また、この件につきましては私以外にも興味を持っておられる方々がおられますので、さしつかえなければいただいたご返事はインターネット等を通じて公開させていただきたいと考ております。もしそれがご都合にさしつかえるようでしたら、公開をお望みでない旨もあわせてお知らせください。
不一
佐佐木嘉則拝
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最終更新日 1999/11/01 (Y/M/D).