参考書架

本多勝一研究会辞書編集局編纂

本多勝一版 和語・漢語用例辞典

(略称:『和漢語用例辞典』)


編纂のねらい

『家畜語用例辞典』ではカタカナ外来語の用法をとりあげましたが、その姉妹編にあたるこの辞書では和語および漢語がどのような異なる文脈で使われうるものであり、場合によっては正反対の主張を補強するために援用されるかを例示します。使いやすさを考慮し、類語を一括して提示した箇所があります。


用例集


あ〜お

うそ/ウソ

【名詞】

用例1:

「例によってアメリカが宣伝した『共産主義者【赤色クメールを指す】による大虐殺』などは全くウソだった…」

(出典:本多勝一「カンボジア革命の一側面」、『潮』1975年10月号278ページ、後に『貧困なる精神4集』に収録→第9刷増刷時に一部書き換え(このくだりは削除))

【参考】:1991年発行の同単行本第9刷(書き換え後)では次のとおり。

「アメリカが宣伝した「共産主義者による大虐殺」によって全市民がただちに虐殺されたとも思われぬが、すべては鎖国状態の中にあっては事実そのものが全くわからず、噂や一方的宣伝ばかりでは軽々に論じられない。」

(63ページ)

用例2:

「「【赤色クメールによる】虐殺はウソだ」と、根拠もなく叫んでいる幼稚な段階の方たちには、とてもまともな相手はできません。」

(出典:本多勝一『検証カンボジア大虐殺』、420頁)

用例3:

「いかに文春がインチキであっても、「うそも千回いえば」式のナチと同じく、この大雑誌が書きまくるのだから“本当”だろうと思うように、日本の「主流」国民は信ずることになってゆくわけです。」

(出典:本多勝一「『文藝春秋』というインチキ御用雑誌」週刊金曜日(9/24発売284号)

噂(うわさ)

【名詞】

用例1:

「アメリカが宣伝した「共産主義者による大虐殺」によって全市民がただちに虐殺されたとも思われぬが、すべては鎖国状態の中にあっては事実そのものが全くわからず、や一方的宣伝ばかりでは軽々に論じられない。」

(出典:本多勝一「プノンンペン陥落の一側面」、『貧困なる精神4集』第9刷)

【参考】:1976年発行の同単行本第1〜8刷(書き換え前)では次のとおり。

「例によってアメリカが宣伝した「共産主義者【赤色クメールを指す】による大虐殺」などは全くウソだった…」

(63ページ)

用例2:

「そのころのシアヌーク殿下は、クメール・ルージュに対して強い弾圧政策をとっていた。ひどいとしてきいた例では、どこかにトラの谷間が用意されていて、逮捕した共産党員を崖から突き落とし、トラに食わせているという話さえあった。事実かどうかはわからないが、そんな象徴的なが出るように、ともあれ弾圧していたことに変わりはない。」

(出典:本多勝一「プノンンペン陥落の一側面」、『貧困なる精神4集』第9刷)

英語

【名詞】

用例:

「たとえば、在日スウェーデン大使館に電話する。交換手の娘さん(日本人)が、電話口に出るやいなや『Swedish Embassy』とくる。つまり、日本にあるスウェーデンの大使館が、日本人の私に対して、勝手に、いきなり、一方的に、イギリス語で話しかけてくるのだ。…手当たり次第にためしてみた結果──

フランス=日本語、大韓民国=朝鮮語、オランダ=日本語、イギリス=イギリス語、アメリカ合州国=アメリカ英語、アラブ連合=日本語、イタリア=日本語、インドネシア=イギリス語、南ベトナム=日本語、オーストラリア=イギリス語、パキスタン=イギリス語、…」

(出典:朝日文庫『しゃがむ姿勢はカッコ悪いか?』「在日外国公使館と日本人との関係」164〜166ページ--初出は『家庭画報』1973年6月号)

【引用者注記】本多氏が「イギリス語」でなく「英語」と書いた珍しい例文!「アメリカイギリス語」と書くのはさすがに変だと思ったのか?

欧米(おうべい)→「外国」を参照

男芸者→「芸者」を参照

女(おんな)/オンナ

【名詞】

用例1:

「米軍の潜水艦が熱海港で浮上し、日本側の検疫もなくボートで勝手に歓楽街に向かい、酒とオンナを楽しんで帰艦する…」

(出典:本多勝一「ルポルタージュの条件」『新聞労連』1968年5月30日付,朝日文庫『事実とは何か』1984年発行朝日文庫『事実とは何か』第11刷24ページ)

用例2:

「アメリカのスチュワーデスには無教養・無教育な娘が多く、日本人スチュワーデスに比べると質はガタ落ちなのだ。自分の国語としてのイギリス語以外には能力がほとんど無いようながスチュワーデスになると思えばよい。」

(出典:本多勝一「アメリカの日本人」『エイムズ』1970年4月号,朝日文庫『しゃがむ姿勢はカッコ悪いか?』)


か〜こ

外国(がいこく)/欧米(おうべい)

【名詞】

用例1

「文革のときの中国報道のことを言われましたね。これは当時の北京支局特派員をさしているのでしょうが、結論だけ言えば、私はあのときの『北京発』は報道してよろしかったと思います。ただし、それには条件がある。文革のような取材困難な中では、一方では北京原稿をどんどん使うと同時に、他方では香港支局やら外国通信社やら、その反対側の視点による情報があったら、それもどんどん使うこと。この後者が当時欠けていたのではないか。北京原稿よりもこの方が問題だったのです。」

(出典:本多勝一「朝日新聞労組の質問にこたえる」『滅びゆくジャーナリズム』第1刷、87ページ)

用例2

欧米の違った間尺の価値観をすべて上等と見させるのに貢献した大きな力は、基本的には明治以来の帝国主義体制だが、直接的には、知識人のレベルでは学者たち、大衆レベルでは新聞や放送であった。欧米の侵略者の説教を、無批判に、そのままか、ときには増幅して民衆に流したのだ。今 なおそれは続いている。その説教の最近の一例を、ジャーナリズムの分野に拾ってみよう。…欧米人(白人)のジャーナリストは、完全解放後のカンボジアをどうみたか。その典型は、たぶん『ニューヨーク・タイムズ』特派員シドニー・シャンバーグ記者のルポ(『朝日新聞』五月一二日朝刊)にみられる。一言でいえば、これはかれら欧米人記者の眼による救い難い偏見で充満していて、アジア人の生活も心も全く理解できない欧米人記者による不幸な記事といえよう。 」

(出典:本多勝一「欧米人記者のアジアを見る眼」、『潮』1975年7月号、後に『貧困なる精神3集』に収録→第8刷(1982年4月20日)増刷時に記事ごと削除)

用例3

「新聞協会賞のありかたを今後もし改めるとすれば、なにはともあれ「業界」内部での審査をやめることでしょう。外国人も含めた第三者の委員会にでもやらせてはいかがですか。…これら二作にしてもボーン国際記者賞その他「業界」以外から表彰されたのは、今回の調査報道会(アメリカ)と同様に象徴的でした。」

(出典:本多勝一『滅びゆくジャーナリズム』朝日文庫「新聞協会賞のばかばかしさ」25〜26ページ)

改竄(かいざん)

【名詞/サ行変格活用動詞】

用例:

「つまり板倉氏は、私が「改竄」したというのである。間違いならともかく改竄となると問題たらざるをえない。私への人格攻撃であり、著しい名誉毀損だが、もし事実として私が改竄したのであれば、私はこれを甘受し、ジャーナリストとして生きることをやめなければならない。他人に「改竄」などというためには、確証をにぎらねばならぬ点、殺人犯や強盗犯と変わるところはないであろう。私はこれまでの生涯で「改竄」というようなことは一度もしたことがない。間違いなら誰しもあるだろう。しかし改竄はない。」

(出典:本多勝一「自分が改竄しておいて他人に改竄を叫ぶ男」、『貧困なる精神 B集』 1989年6月10日 第2刷 p.30より)

【参考】

松本道弘氏は、『人と日本』掲載の同氏の論文が本多勝一編集『ペンの陰謀』収録時に改竄されたことについて、1999年5月12日づけのメールで次のように証言している。(太字による強調は引用者)

「私が山本七平氏に対する評価は全文が掲載されねば読者に伝わらないものです。それが、なぜ、断りなく削除されたのかは、私自身が聞きたいです。…本音を申し上げると、本多氏が『ペンの陰謀』内で、氏にとって有利なように引用されたために、私の審判が曲解されたくやしさは、今もしこりとなって残っています。」

解放(かいほう)

【名詞/サ行変格活用動詞】

用例:

「周知のように、ベトナム全土解放より一足先立って、カンボジア解放は四月一七日のプノンペン陥落で終了した。]

(出典:本多勝一「カンボジア革命の一側面」、『潮』1975年10月号275ページ、後に『貧困なる精神4集』に収録→第9刷増刷時に一部書き換え)

【参考】:1991年発行の第9刷(書き換え後)では次のとおり。

「周知のように、ベトナム全土統一より一足先立って、カンボジア内戦は四月一七日のプノンペン陥落で終了した。」(59ページ)

核(兵器)/水爆

【名詞】

用例1:

「念のために言っておきますが、私自身は米ソ中いずれに対してであれ反・反侵略・反戦・反覇権ですから、武装論者や御用評論家の言説にも部分的に共通する所がありますが、そんなことはこの会社の推進していることの主文脈とは無関係です。」

(出典:本多勝一「文春系「反核文学者」に教えを乞う」、『職業としてのジャーナリスト』288ページ)

用例2:

「日本の国会の「戦後50年決議」が全くふざけたしろものであることは、中国のいうとおりだ。しかし「だから」中国の実験が正しい、と言える時代では、もはやない。米ソ冷戦時代と同じ論理ではないのか。こんなことをやっていけば、日本の武装論者を勇気づけるばかりか、中国その他の日本が侵略した国に対する「謝罪」問題さえ、「もうよせ」と叫ぶ連中が一層ふえてくる。ただし日本人としては、中国の実験を批判する以上、同時に「アメリカのの傘」の問題をも真剣に検討しなければ、加害・侵略問題ぬきの被爆アピール同様、説得力はあるまい。」

(出典:本多勝一「中国の「正しい」核実験」、『貧困なる精神L集』168ページ)

用例3:

「右翼の方々は、中国こそ大変な軍事国家だという。ミサイルや水爆保持をはじめ、ほとんど国民皆兵だと。…「だから軍国主義は中国の方だ」という言葉をきくと、もうあきれはてて呆然としてしまいますが、しかし呆然としたままあきらまえるわけにはゆきません。こんな考え方を放置しておくと、また私たちが犠牲にされるんですから。…強力に武装していないからこそ、帝国主義や軍国主義に対して無力だった。もうどこから攻めてきても反撃できるだけの力を持とう。その結果が、今の「武装中国」です。ところが、そのように強力に武装した中国が、もし社会主義でなくて資本主義であり、毛沢東でなくて蒋介石だったらどうでしょう。…ひとつの国で美しい理想を原則とし、かつ実行する政権が、いつまでも保証されるとは限らない以上、これは留保しておかなければなりません。」

(出典:本多勝一「『中国の旅』と靖国神社」、『殺される側の論理』289〜291ページ)

聞く(きく)

【五段活用動詞】

用例1:

「「ああいうの【崩壊前後のソ連の内情】は、庶民の間に実際に入っていく以外ないと思うんですね。…ああいう時に、いろんな「指導者」や「代表」の意見をきいたってむだだと思いますね。」

(出典:本多勝一「にせ知識人とジャーナリズム」、『滅びゆくジャーナリズム』収録179〜181ページ)

用例2:

「つまりこの記者【シドニー=シャンバーグ:映画『キリングフィールド』のモデル】は、現実に虐殺など見たこともないし、解放軍【赤色クメール】の「報復はしない」という言葉を直接きいているにもかかわらず、どうしても虐殺があったことにしたいのだ。実はこれは「合州国ならばそれが当然のハズだ」と告白しているようなものである。」

(出典:本多勝一「欧米人記者のアジアを見る眼」、『潮』1975年7月号、後に『貧困なる精神3集』に収録→第8刷(1982年4月20日)増刷時に記事ごと削除)

虐殺(ぎゃくさつ)

【名詞/サ行変格活用動詞】

用例1:

「今となってはポル=ポト政権下での大虐殺を疑う者など、なにか特別なアナクロニズム的集団以外にはなくなりましたが、10年ひと昔まえにはこんなことで、“大論争”が行なわれていたものです。その雰囲気の一端は、本多勝一篇『虐殺と報道』(すずさわ書店)に見ることができるでしう。大マスコミに現われた一例として、朝日新聞1978年5月24日朝刊の「声」欄に出たある代議士の投書「カンボジアの実情よく写す」を挙げておきましょう。「大虐殺などあろうはずがない」「温和な顔に、自信をもって語るポル=ポト首相の言葉」といった論評です。事実に立脚しないジャーナリストや学者や評論家や政治家がどれほど多いか、それがどんなに空しいものかを、南京大虐殺をめぐる論争とともに、これもまた証明する典型的事件となりました。単に「空しい」だけであればまだしも、虚偽をもとに危険な方向に世論を導くのですから放置するわけにもゆかず、こんな調査報道もやらざるをえなかったのです。」

(出典:本多勝一『検証カンボジア大虐殺』、449〜450ページ)

用例2:

「本誌で随筆や評論を連載していたころのこと、1975年10月号で「カンボジア革命の一側面」と題して一文を書いたことがあります。かんたんに要約すれば、サイゴンで会った一人の若い中国人女性の体験の紹介が主たる内容ですが、その背景としての解説も加えられています。この中国人女性は、当時カンボジアから命からがらベトナムへ脱出してきた一人で、ポル=ポトをリーダーとする赤色クメール(カンボジア人民軍)によるひどい弾圧と虐殺政治の体験者でした。」

(出典:本多勝一「私のカンボジア報道について」、『潮』1999年10月号、398ページ)

用例3:

「例によってアメリカが宣伝した「共産主義者【赤色クメールを指す】による大虐殺」などは全くウソだった…」

(出典:本多勝一「カンボジア革命の一側面」、『潮』1975年10月号278ページ、後に『貧困なる精神4集』に収録→第9刷増刷時に一部書き換え(このくだりは削除))

用例4:

「邪推すれば、米軍は実はプノンペンを爆撃したかったのではないのか。カラッポにされてその意図を果せなかったのではないのか。そうであれば「大脱出」はまことに賢明な戦略でもあったことになり、多数の市民を米軍爆撃による虐殺から救ったことになる。…もちろん、合州国のキッシンジャー氏ら、ノーベル「平和」賞を受けた詐欺師たちは、プノンペンで解放軍による大虐殺が行なわれたというデマを言いふらした。それを受けて、シャンバーグ記者は書く。…つまりこの記者は、現実に虐殺など見たこともないし、解放軍の「報復はしない」という言葉を直接きいているにもかかわらず、どうしても虐殺があったことにしたいのだ。」

(出典:本多勝一「欧米人記者のアジアを見る眼」、『潮』1975年7月号、後に『貧困なる精神3集』に収録→第8刷(1982年4月20日)増刷時に記事ごと削除)

用例5:

「<第7刷からの追記>その後、ポル・ポト政権による虐殺の問題が表面化してきたが、その問題と本論とは質的に別問題である。(一九八〇年四月)」

(出典:本多勝一「欧米人記者のアジアを見る眼」『貧困なる精神3集』に収録→第7刷(1980年4月30日)でこの追記を挿入、第8刷(1982年4月20日)増刷時に記事ごと削除──削除した旨の記載はなし。)

用例6:

「それから数年後(1950年)、朝鮮半島で行なわれた大戦争によって、米軍を主力とする侵略軍は、直接間接に500万人近い朝鮮人を殺す。ここで米軍がどんなひどい住民虐殺をやったかは、たとえば北朝鮮に残されている記録映画が克明に伝えている【注1】。

注1 27ページ たとえば松本昌次「朝鮮の旅」(『未来』1972年12月号)など。」

(出典:本多勝一『殺される側の論理』朝日文庫初刷1982年1月20日発行収録「マイアミ連合からベトナムまでの合州国の道程」、引用は、第13刷(1991年6月10日発行)27ページより、初出は「文化誌・世界の国」第19巻『アメリカ合州国』講談社)

共同便所(きょうどうべんじょ)→「性的共同便所」を参照

区別(くべつ)

【名詞/サ行変格活用動詞】

用例:

「さて、右のようなことを知っている日本人は、一億余人のうち何人だろうか。なにしろラオスもカンボジアも区別がつかず、ましてベトナム革命とカンボジア革命の大きな違いなど全くわからない人が、たぶん人口の八割には達するだろう。ヨーロッパ人やアメリカ人などは九割以上だろう。」

(出典:本多勝一「無知な人々だけが感激する『キリング=フィールド』」『潮』1985年8月号『本多勝一集16 カンボジア大虐殺』1997年 P459〜464ページ)

芸者(げいしゃ)

【名詞】

用例1:

「たとえば「男芸者」というような言葉があります。こういうときタトエによく出される芸者という職業は、お呼びさえかかればどんな奴の前にでも無節操に出ていって芸を売る典型として考えられているようです。しかし少し厳密に検討してみれば、芸者の中には無節操どころか大変な反骨精神に満ちた人物がいた(いる)こと、いわば「非芸者芸者」の存在は明らかなのですが、世間的にはこれが無節操な職業の代表にされているのは、世に充満する偏見の中でも特にひどい例の一つといえましょう。」

(出典:本多勝一「あとがき」,朝日文庫『職業としてのジャーナリスト』)

用例2:

「松浦氏は、そのような男芸者になることをはっきり拒否している。こうしたホンモノの視点から見れば、ニセモノをたちまち見破れるのは当然である。大宅壮一だの清水幾太郎だのが、いかに男芸者と化していったか。マスコミ全体が天皇をめぐっていかに男芸者だったか。さまざまな具体的人物を含めて、これはホンモノ松浦氏によるニセモノ鑑別帳ということもできよう。」

(出典:本多勝一「男芸者になることを拒否したジャーナリスト--松浦総三著『天皇とマスコミ』書評--」『潮』1976年2月号,朝日文庫『職業としてのジャーナリスト』)

言論(げんろん)/出版(しゅっぱん)/報道(ほうどう)

 言論(げんろん)【名詞】

 出版(しゅっぱん)/報道(ほうどう)【名詞/サ行変格活用動詞】

用例1:

「権力は常に腐敗したがる。それを見張るべき最も強力な勢力が、言論の自由を背景にしたジャーナリストでなければなりますまい。」

(朝日文庫『職業としてのジャーナリスト』第9刷「危険な職業---ジャーナリスト」37ページ--初出は『あしなみ』1968年9月14日号)

用例2:

「これまでの人類史で言論の自由を最も進めたのはアメリカ合州国であろうが、そのことと、現在の優れたルポルタージュの基礎を固めたのが合州国のジャーナリストだったこととは、無関係ではあるまい。ソ連や中国・ベトナムなど、これまでの社会主義革命のあとの社会にルポルタージュの傑作が少ないのも、過渡期のものかもしれないにせよ、言論の不自由と無関係ではあり得ないだろう。むしろ革命に関するルポとしては「周辺諸国」のポーランドや背チェコの方に傑作があるのは皮肉だ。

日本にも、近年すぐれたルポやノンフィクションが続出している。革命をやろうとやるまいと、またいかなる種類の革命であれ、自由な取材によるルポの書けないような社会にはしたくないものである。」

(出典:本多勝一「ルポルタージュと表現の自由」257ページ、『事実とは何か』収録)

用例3:

報道の自由とは、あくまで権力を持っている「白人側のための」報道の自由にすぎない。あとの連中には「報道される自由」があるだけで、報道されるとき白人に都合よく取捨選択されることはいうまでもない。アメリカの「普通の町」は、だいたいこのセンスなのだ。…アメリカに出版の自由はなく禁書が多いことも、もし知らない人があれば常識のひとつに加えていただきたい。」

(出典:本多勝一「やはりアメリカを弁護できない」70〜71ページ、『殺す側の論理』収録)

用例4:

「地球はじまって以来、暴力なしの、丸ハダカの経済支配が成功したためしはないだろう。…中国その他のように、反対のプロレタリアによる権力でも、タブーとしては同じことが生ずる。すなわち、反革命や資本主義復活を推進させるような言論を、大っぴらに許すはずはないのだ。中国の権力、すなわち革命側にとっては、これはタブーであり、それを支えているのは、結局は人民軍というカウンター(迎撃)力である。そうであれば、もはや「タブー」という現象そのものは、本質的問題ではないことが理解されるだろう。このことは、たとえば「戦争が悪い」という言葉と似ている。近代から現代の「戦争」の多くは、侵略「した側」と「された側」とのケンカであって、悪いのは決して「戦争」という現象そのものではない。あくまで「侵略」が悪いのだ。侵略に対するカウンター暴力としての抵抗の結果、戦争という現象が見られるにすぎない。同様に、タブーもまた単に現象そのものであって、タブーそのものを正面に据えて論じてみても、あまり重大な意味を持つ成果をもたらさぬであろう。要するに当り前のことである。権力のあるところ、タブーは避けられない一現象にすぎない。」

(出典:本多勝一「報道と言論におけるタブーについて」時事通信社『講座・現代ジャーナリズム』第六巻「ジャーナリスト」収録(1974年発行)朝日文庫『事実とは何か』収録)

言論(げんろん)の自由(じゆう)→言論(げんろん)

国辱(こくじょく)

【名詞】

用例:

【ロン・ノル政府時代のプノンペン市在住のカンボジア人について】

「 多くは、女中だの下男だのといったいわゆる下働きを、それも主として外国人の下働きをつとめるにすぎない存在であった。でなければ売春婦やポン引きのような賎業である。つまり大ざっぱにいえば、プノンペンの町は外国人およびその“下僕”としての国辱的カンボジア人からなっていたと極論することもできた。」

(同、277ページ)

(出典:本多勝一「カンボジア革命の一側面」、『潮』1975年10月号、後に『貧困なる精神4集』に収録)


さ〜そ

しかたがない

【成句】

用例1:

「けれども、たんに「理解」するだけのことであれば、学者が研究対象を研究して「理解」するのと同様に、たいしてむずかしいことではありません。私たちはミツバチやカマキリの生態もよく「理解」できるのですから。……そうです。そのような、人間が昆虫を見るような目で「理解」するのは、つねに支配する側、侵略する側、殺す側の示す態度でした。かれらはまた、常に「寛容」を説き、ことの背景が「複雑」であることを嘆き、けっきょくは現状をしかたのないものとして認めさせようとします。しかし反対の「殺される側」にとっては、「理解」なんかしているヒマがあったら胸元に突きつけられた銃口をはずしてほしいし、自分を殺そうという相手に対して「寛容」にはなれないし、背景は殺されるか生きるかという「単純」な関係でしかありません。」

(出典:本多勝一『ぼくは報道する』ちくま少年図書館)

用例2:

「一方しかし、こうした混乱【ポル=ポト政権下のカンボジアの状況、たとえば華僑系住民への差別的扱い】もあるていど仕方のないものだとすれば、逆にベトナム革命がいかに巧みで輝かしい例かという証明にもなろう。」

(出典:本多勝一「カンボジア革命の一側面」、『潮』1975年10月号284ページ、後に『貧困なる精神4集』に収録)

出世(しゅっせ)/昇進(しょうしん)

【名詞/サ行変格活用動詞】

用例1:

「アンデルセンは貧しい靴職人の子だったけれど、それが大成功して富も名誉も手にしました。俗な出世をした男が、出世できないで呻吟している無数の「かつての自分」たちに「どうだアヒル(庶民)ども、オレみたいに白鳥(貴族)になれるかね」とふんぞり返るのと、本質はどこが違うのでしょう。」

(出典:本多勝一「『アンデルセンの不安と恐怖」『看護』1975年1月号,朝日文庫『殺す側の論理』60〜61ページ )

用例2:

「たとえば私の小学校6年生のクラスは、女子が20余人、男子が14人だった。…旧制中学に進んだのはその【14人の男子生徒の】中で3人だけだが、この3人は決して「14人の中でよくできる3人」(「できる」という意味が問題だが、ここではそれは措くとして)ではなかった。親の考え方と経済状態の反映にすぎなかった。従ってそのほとんどは『出世』したりはせず、平均的庶民として地域社会の中で地味な仕事についている。…みんなが精一杯に生き、それぞれが重要な仕事をしているのだ。そういう感覚のない成り上がりの俗物、自分が『出世』し、おたがい『出世』した奴同士といった下劣の心情を、あのニヤけきった顔から発散しているザマを見よ。これからあのページに出る奴らは、読者よ、そう思って眺めなさい。」

(出典:本多勝一「『遠縁近縁』と『同級生交歓』」『エイムズ』1970年5月号,朝日文庫『殺される側の論理』273ページ)

【参考】:上記の記事の前月号の『エイムズ』には次のような記述がある。

「アメリカのスチュワーデスには無教養・無教育な娘が多く、日本人スチュワーデスに比べると質はガタ落ちなのだ。自分の国語としてのイギリス語以外には能力がほとんど無いような女がスチュワーデスになると思えばよい。」

(出典:本多勝一「アメリカの日本人」『エイムズ』1970年4月号,朝日文庫『しゃがむ姿勢はカッコ悪いか?』)

用例3:

「私が編集委員になったのは1968年4月、36歳のときですから、この制度が発足してから2年たっています。南ベトナム(当時)を舞台とする『戦場の村』などの報道の翌年でした。私は大学生活が長かったので入社はおそいのですが、まだ若い時の抜擢であり、むろん昇進でもあります。…シカ管理職は、自らの記者能力の欠如に敗北感・劣等感を抱きつづけるために、大記者として自由にはばたくホンモノ編集委員に対して奥深い嫉妬心と復讐心を隠し持っています。「50点の人は8、90点の人が煙たくてしょうがないのです。」(深津健一氏)。」

(出典:本多勝一「第四権力の消滅」『滅びゆくジャーナリズム』224〜227ページ)

事実(じじつ)

【名詞】

用例1:

「一言でいえば、これ【朝日新聞朝刊に掲載された、シドニー=シャンバーグ記者のルポ】はかれら欧米人記者の眼による救い難い偏見で充満していて、アジア人の生活も心も全く理解できない欧米人記者による不幸な記事といえよう。紙面の大半を埋めたそのルポは、次のような書きだしで始まる。

「五年間にわたった内戦に勝利を占め四月十七日プノンペンに入城したカンボジアの解放勢力は、いま農民革命を推し進めて、カンボジア全土を大きな変動の渦に巻き込んでいる。三百万から四百万人にものぼるカンボジア人が都市から追い出されて、農村部の奥深くへと徒歩での大脱出を強いられたのだ。解放勢力側の説明によれば、これは農民として畑を耕させるためだという。例外は認められず、高齢者も小さな子どもも、病人もけが人も、一人残らず旅を強制された。その中には、とうていそんな旅に耐えられない人たちもいたのに」

「追い出され」といった表現の問題には、一応ふれないでおこう。しかしこの文章は、事実として噴飯ものだ。「高齢者」と「小さな子ども」と「病人」と「けが人」だけプノンペンに残して、あとみんなが「大脱出」したらどうなるのか。 」

(出典:本多勝一「欧米人記者のアジアを見る眼」、『潮』1975年7月号、後に『貧困なる精神3集』に収録→第8刷(1982年4月20日)増刷時に記事ごと削除)

用例2:

「侵略者が、かれらの物の考え方で、かれらの価値観で、かれらの文化の間尺で、いわゆる「事実」を報道する。それが日本の新聞でも大々的にまかり通る。かれらのことを「アメリカ人記者」といわず「欧米人記者」としたのは、同じ『朝日』でいえばフランス人ベルナール・ゴード氏などを引用した次のようなAP電が出ていたからである。

「中には、病院からベッドのまま街中を迦び出される病人もいた。『これを見る兵士の目には、あわれみがあった。しかし、彼らは、何もできなかった。彼らは鉄の手で管理されていたのだから』とゴード氏はいう」

パックス・アメリカーナ(合州国の平和)が侵略と虐殺を意味していたように、その反世界としての「アジアの平和」は、どんな人間的なものであっても、無知な欧米人記者の目には「野蛮」としか見えないのである。私にとってカンボジアの農村は、ぜひ訪ねて報道したいところのひとつとなった。」

(出典:本多勝一「欧米人記者のアジアを見る眼」、『潮』1975年7月号、後に『貧困なる精神3集』に収録→第8刷(1982年4月20日)増刷時に記事ごと削除)

【参考1】:「いわゆる事実」という言い回しは、次のくだりにも登場する。

「再検討の結果明らかになったのは、いわゆる事実──絶対的事実というものは存在しないということです。真の事実とは主観のことなのだ。主観的事実こそ本当の事実である。客観的事実などというものは、仮にあったとしても無意味な存在であります。…そして主観的事実を選ぶ目を支えるもの、問題意識を支えるものの根底は、やはり記者の広い意味でのイデオロギーであり、世界観ではないでしょうか。…新聞記者とは、この主観的事実で勝負するものでなければなりますまい。」(20〜21ページ)

(出典:本多勝一「ルポルタージュと表現の自由」257ページ、『事実とは何か』収録)

【参考2】:本多記者は、次のように「一般民衆の声」をきくことの重要性を強調している。

「いっぽう私自身としては、前著『殺される側の論理』の跋文でも書いたように、こうした「論客」知識人や用心棒知識人の声にではなく、「殺される側」としての一般民衆の声に、これまで同様、学んでゆきたいと思います。」

(出典:本多勝一「『初版跋文」【単行本発行時のもの】,朝日文庫『殺す側の論理』朝日文庫284ページ)

用例3:

「アメリカが宣伝した「共産主義者による大虐殺」によって全市民がただちに虐殺されたとも思われぬが、すべては鎖国状態の中にあっては事実そのものが全くわからず、噂や一方的宣伝ばかりでは軽々に論じられない。」

(出典:本多勝一「カンボジア革命の一側面」、『潮』1975年10月号、後に『貧困なる精神4集』に収録→第9刷増刷時に一部書き換え)

【参考】:同書第1〜8刷(書き換え前)では次の通り。

「例によってアメリカが宣伝した『共産主義者による大虐殺』などは全くウソだった」

用例4:

「ですからカンボジアの解放区取材に潜入した記者たちも、まさか殺されるとは思わずに次々と消えていきました。ところがカンボジアの赤色クメール(ポル=ポト派)は、ベトナムとは似ても似つかぬものであることが、少しずつわかってくるわけです。これを虐殺政権とみる人々と、それは誤解であり、ベトナムでみられたような米軍側の捏造による宣伝とみる人々(いわゆる中国派が多かった)とで論争する時代がかなりつづきました。私はジャーナリストとして、とにかくまず事実を知ろうと努力しました。」

(出典:本多勝一「私のカンボジア報道について」『潮』1999年10月号、399頁)

用例5:

「『虐殺があったか、なかったか』を私としても最も重視したのは、この点で共通認識がなかったら、そのあとの一切の議論が無意味になってくるからです。とにかくこの事実の有無をまず確定しなければならない。そのためには一切の国際的エコヒイキを捨てて、冷静にファクト(事実)を拾わなければならない。」(419〜420ページ)

(出典:本多勝一『検証カンボジア大虐殺』)

用例6:

「今となってはポル=ポト政権下での大虐殺を疑う者など、なにか特別なアナクロニズム的集団以外にはなくなりましたが、10年ひと昔まえにはこんなことで、“大論争”が行なわれていたものです。その雰囲気の一端は、本多勝一篇『虐殺と報道』(すずさわ書店)に見ることができるでしう。大マスコミに現われた一例として、朝日新聞1978年5月24日朝刊の「声」欄に出たある代議士の投書「カンボジアの実情よく写す」を挙げておきましょう。「大虐殺などあろうはずがない」「温和な顔に、自信をもって語るポル=ポト首相の言葉」といった論評です。事実に立脚しないジャーナリストや学者や評論家や政治家がどれほど多いか、それがどんなに空しいものかを、南京大虐殺をめぐる論争とともに、これもまた証明する典型的事件となりました。単に「空しい」だけであればまだしも、虚偽をもとに危険な方向に世論を導くのですから放置するわけにもゆかず、こんな調査報道もやらざるをえなかったのです。」

(出典:本多勝一『検証カンボジア大虐殺』、449〜450ページ)

自称(じしょう)

【接頭辞】

用例:

「こうした他国の言語政策については、本誌(『言語生活』)で他の適任者が詳細に語るであろうから私はかんたんにしておくが、中国や北ベトナムというと自称「社会主義国」であることから、もうそれだけでアレルギーを起こすという人も、今の日本には多いであろう。」

(出典:本多勝一 「日本語と方言の復権のために」『実戦・日本語の作文技術』第4刷

【参考】:この論文が書き換えられる前の『言語生活』1975年2月号掲載「世界語と日本語と共通語と方言との関係」(書き換え前)では次のとおり。

「こうした他国の言語政策については、本誌で他の適任者が詳細に語るであろうから私はかんたんにしておくが、中国や北ベトナムというと社会主義国であることから、もうそれだけでアレルギーを起こすという人も、今の日本には多いであろう。」

自然(しぜん)

【名詞】

用例:

「プノンペンの市民の総入れ替えといった思い切った政策は、こうした彼【キュー=サムファン】の態度も反映しているのかもしれない。そして、石油も農薬も一切拒否して、自然のままの、まずしくとも平和な生活を自主路線として求めているとしたら、あるいはこれは近代文明の悪を見抜いたインテリの哲学を実践しているのかもしれない。」

(出典:本多勝一「カンボジア革命の一側面」、『潮』1975年10月号285ページ、後に『貧困なる精神4集』に収録→第9刷増刷時に一部書き換え)

嫉妬(しっと)

【名詞/サ行変格活用動詞】

用例1:

「私が編集委員になったのは1968年4月、36歳のときですから、この制度が発足してから2年たっています。南ベトナム(当時)を舞台とする『戦場の村』などの報道の翌年でした。私は大学生活が長かったので入社はおそいのですが、まだ若い時の抜擢であり、むろん昇進でもあります。…シカ管理職は、自らの記者能力の欠如に敗北感・劣等感を抱きつづけるために、大記者として自由にはばたくホンモノ編集委員に対して奥深い嫉妬心と復讐心を隠し持っています。「50点の人は8、90点の人が煙たくてしょうがないのです。」(深津健一氏)。」

(出典:本多勝一「第四権力の消滅」『滅びゆくジャーナリズム』224〜227ページ)

用例2:

「山口氏の文章が発表された時、まだ知らずにいた私に、ある女性編集者が電話をかけてきて言った——「男のシットって、こわいわネ!」
シットか。なるほどこれは一面を鋭くついた一言かもしれない。それにしても、嫉妬されるような身になったのだろうか。やりきれない話だ。嫉妬されるべき理由もない者が、不当に嫉妬されるなんて、マンガではないか。嫉妬なら、億万長者や財閥の息子にすればいいのだ。女のコにもてるプレイ・ボーイにすればいいのだ。せめて学者なら、大学者の才能でも嫉妬することだ。自分も啓発される。たしかに嫉妬というもの自体は存在するだろう。私なども、たとえばエドガー・スノーという大新聞記者には、まったく嫉妬を覚える。しかしそれを山口氏のように次元の低い方法で解消するのは、まずいやりかただとおもう。私にとっては、スノー以上の仕事をすることでしか、嫉妬を解消する方法はない。私はしかし、山口氏がああいうことで墓穴を掘るもっと基本的原因は、何度も言ったように、過剰な自己顕示欲にあると見ている。去年ハラキリをして破滅した一小説家も自己顕示欲の異常に強い男だったが、山口氏の場合は、まだあれほど重症ではないから、あそこまでゆく心配はないだろう。
この自己顕示症というのは、まことに困った病気だ。これにかかると、世間の自分に対する評価が、自分の思っている評価よりも非常に低いと思いはじめる。そのギャップを異常に拡大してゆく。この拡大されたギャップを埋めようとして、世間から不当に高く評価されている(と思いこんだ)者に対して、八つ当りを始める。」

(出典:本多勝一「殺す者の眼」、『殺す側の論理』すずさわ書店第4版第4刷(1988年発行))

用例3:

「【石原慎太郎は】大江以上に卑劣な性格ですからね。堀江謙一のヨットの冒険に嫉妬して、無寄港世界一周を根拠もないのにウソだとけなしたりして。だから今度の件でも自分の失敗をごまかして、めちゃくちゃなことをやった。」

(出典:本多勝一「にせ知識人とジャーナリズム」、『滅びゆくジャーナリズム』収録169ページ)

修正主義(しゅうせいしゅぎ)

【名詞】

用例1:

「<注12>… この宣伝隊【労働者毛思想宣伝隊】はプロレタリア文化大革命中に各地で組織され、修正主義追放に重要な役割をたした。」

(出典:本多勝一『中国の旅』朝日新聞社、300ページ)

用例2:

「【注12】… プロレタリア文化大革命中に各地で組織され、「修正主義追放」に重要な役割を果たした。」

(出典:本多勝一『中国の旅』朝日文庫、266ページ)

すり替える(すりかえる)/訂正(ていせい)する

 すり替える【下一段活用動詞】

 訂正する【サ行変格活用動詞】

用例1

「石原慎太郎は不勉強だから、これまでの論争の到達点を知らなかったのね、あの「中国人のウソ」発言をした時。だから全否定したわけですよ。後で「これはしまった」と気がついて、『文藝春秋』に書いた時はコッソリ部分否定にしたんです。「数がそんなに多くないんだ」と、すり替えたわけですよ。しかし、前の全否定は間違いだったとそこでちゃんと謝っていれば、知識人のはしくれに入れてやってもいいんだけど、もともとそんなことのできる人物ではありえない。大江以上に卑劣な性格ですからね。堀江謙一のヨットの冒険に嫉妬して、無寄港世界一周を根拠もないのにウソだとけなしたりして。だから今度の件でも自分の失敗をごまかして、めちゃくちゃなことをやった。」

(出典:本多勝一「にせ知識人とジャーナリズム」、『滅びゆくジャーナリズム』収録168〜169ページ)

用例2:

「そして現場取材による決定的検証ルポとなったのが『カンボジアの旅』(朝日新聞で一九八○年秋に二六回連載=翌年に単行本)です。本誌の一九七五年七月号から五年かかったわけですが、この間における私の認識の過程は、前述のようにすぺて明らかにされています。一部は本誌(一九八一年四月号・一九八五年八月号)でも書きました。したがって、これらの過程を知る読者であれば、最終的にまとめた前述の本の中で、わざわざ本誌での当初の論評、のちに私自身のルポによって自ら訂正したものを掲載するはずもないことを理解されましょう。右の「欧米人記者の…」も、収録していた単行本『貧困なる精神・第3集』の重版からは削除してあります。」

(出典:本多勝一「私のカンボジア報道について」『潮』1999年10月号、399頁)

性的共同便所(せいてききょうどうべんじょ)

【名詞】

用例:

たとえばまた、米軍の潜水艦が熱海港で浮上し、日本側の検疫もなくボートで勝手に歓楽街に向かい、酒とオンナを楽しんで帰艦する事実(296ページ)を知れば、主権侵害はもちろん、50万の米兵の“性的共同便所”にさせられているサイゴンその他政府側支配地区のベトナム女性を思い出させれられる。」

(出典:本多勝一「ルポルタージュの条件」『新聞労連』1968年5月30日付,朝日文庫『事実とは何か』1984年発行朝日文庫『事実とは何か』第11刷24ページ)

賎業(せんぎょう)

【名詞】

用例:

(ロン・ノル政府時代のプノンペン市在住のカンボジア人について)

「 多くは、女中だの下男だのといったいわゆる下働きを、それも主として外国人の下働きをつとめるにすぎない存在であった。でなければ売春婦やポン引きのような賎業である。つまり大ざっぱにいえば、プノンペンの町は外国人およびその“下僕”としての国辱的カンボジア人からなっていたと極論することもできた。」

(同、277ページ)

(出典:本多勝一「カンボジア革命の一側面」、『潮』1975年10月号、後に『貧困なる精神4集』に収録)


た〜と

退廃(たいはい)/堕落(だらく)

【名詞/サ行変格活用動詞】

用例1:

「パットナムという人は、カンボジア大虐殺について見聞したことがあるのだろうか。それを舞台にした映画を作るというのだから、まさか虐殺の報道や記録を見なかったとは考えられない。ひところ日本に「カンボジア虐殺はなかった」と根拠もなしに主張する学者やジャーナリストがいて、日本型“知識人”たちの退廃ぶりに驚嘆させられたものだが、パットナムはそこまで退廃してはいないので、大虐殺の事実についてはむろん疑問など全く抱いていない。となると、次のような映画表現をしたパットナムは、何を考えてのことなのか。」

(出典:本多勝一「無知な人々だけが感激する『キリング=フィールド』」『潮』1985年8月号『本多勝一集16 カンボジア大虐殺』1997年 459〜464ページ)

用例2:

このような特殊都市【プノンペン】に住むカンボジア人は、例外的な金持ちと特権階級にすぎない。サイゴンやハノイとは本質的に異った性格の都市なのだ。東京や大阪の中心部が、外国人の金持ちだけで占められ、日本人は例外的成金と、外国人のもとで女中や門番として使われる者だけ、といった都市だったら、どういうことになるだろう。こんな危険な都市は、反革命の拠点にいつなるかわからない。そのため、搾取のない農村経済のもと、みんなが正しい意味で働きながら、まず自給を確立することから自立しようと【赤色クメールが】考えたとしても、まことに自然なことではないか。合州国の退廃文化(帝国主義文化)でダラクさせられた都市の人々も、それによって健全なものに立ちなおるだろう。…もちろん、合州国のキッシンジャー氏ら、ノーベル「平和」賞を受けた詐欺師たちは、プノンペンで解放軍による大虐殺が行なわれたというデマを言いふらした。それを受けて、シャンバーグ記者は書く。…つまりこの記者は、現実に虐殺など見たこともないし、解放軍の「報復はしない」という言葉を直接きいているにもかかわらず、どうしても虐殺があったことにしたいのだ。

(出典:本多勝一「欧米人記者のアジアを見る眼」、『潮』1975年7月号、後に『貧困なる精神3集』に収録→第8刷(1982年4月20日)増刷時に記事ごと削除)

単一民族(たんいつみんぞく)

【名詞】

用例1:

「「日本は単一民族国家である」といった無知のかたまりのような妄言を、かなりの知識人でも平然と口にするほど、それほどアイヌ民族の文化は徹底的に抑圧され、無視されてきた。」

(出典:「世界語と日本語と共通語と方言の関係」、『言語生活』1975年2月号、18ページ)

用例2:

「すなわち、ほとんど単一民族からなり、異民族による直接の侵略・支配をつい最近まで受けなかった国は、世界でもまず日本だけと言うことさえ可能な、たいへん珍しい国が日本なのです。」

(出典:本多勝一『ぼくは報道する』ちくま少年図書館)

著作集(ちょさくしゅう)

【名詞】

用例1:

「もう二十余年も前の古い話で恐縮なのですが、本誌で随筆や評論などを連載していたころのこと、一九七五年十月号で「カンボジア革命の一側面」と題して一文を書いたことがあります。

…最近、この記事を見たらしい読者から、この後者の部分(背景説明)がその後の収録本から削除されているのはおかしいのではないか、という指摘のお便りをいただきました。本誌に掲載された一文をめぐる件ですので、この場を借りてご説明いたしましょう。

本誌のあの一文だけを読んだ人であれば、右のように思われる人もあるかもしれませんが、その後の活動を全くご存じないのだな、と改めて残念に思いました。と申しますのは、このあと最終稿としてまとめた本(たとえば著作集第16巻『カンボジア大虐殺』とか文庫版『検証・カンボジア大虐殺』=いずれも朝日新聞社)までの間に、取材を通じて私の認識が変化してゆく過程が、ルポや対談・インタビューなどのかたちですべて明らかにされているからです。

最初のそれは、「カンボジア革命の一側面」より三カ月前の本誌一九七五年七月号に書いた「欧米人記者のアジア人を見る眼」で、これはプノンペン陥落直後の執筆にあたります。これが最も「カンボジア革命」を擁護する内容でしょう。ついで「…一側面」(十月号)となり、問題が出はじめたわけですが、まだ擁護的解説がついています。

…私はジャーナリストとして、とにかくまず事実を知ろうと努力しました。そして現場取材による決定的検証ルポとなったのが『カンボジアの旅』(朝日新聞で一九八○年秋に二六回連載…翌年に単行本)です。本誌の一九七五年七月号から五年かかったわけですが、この間における私の認識の過程は、前述のようにすぺて明らかにされています。一部は本誌(一九八一年四月号・一九八五年八月号)でも書きました。したがって、これらの過程を知る読者であれば、最終的にまとめた前述の本の中で、わざわざ本誌での当初の論評、のちに私自身のルポによって自ら訂正したものを掲載するはずもないことを理解されましょう。右の「欧米人記者の…」も、収録していた単行本『貧困なる精神・第3集』の重版からは削除してあります。」

(出典:本多勝一「私のカンボジア報道について」『潮』1999年10月号、398〜399頁)

用例2:

「そのコラムは、まず私の著作集が全30巻という「長大シリーズ」だとし、そのうち8巻までは「小学生時代の作文・マンガから京大時代に書いた文章、かけ出し時代の新聞記事など」と紹介してから、次のように述べています。

「大作家でも、これほどの待遇を知らない。超破格の扱いである。小学生時代の作文をのせるほど本多氏は大家なのか。もし大家としても作文に価値はあるのか。」

…「だれしも」小学生のときの作文を収録する意味はあるのです。『選択』のコラムの匿名筆者も含めて。私の場合にしても、戦争中の小学校の実態や、子供が当時何を考えていたのかがよくわかって「痛快な」資料になっています。匿名筆者氏も、もし小学校時代の作文が残っていたら貴重な資料ですからぜひ刊行してください。」

(出典:本多勝一「こんなデマを流された」、朝日新聞社『貧困なる精神L集』90〜91ページ)

デマ

【名詞】

用例1:

(ベトナムに逃れ出たカンボジア難民を取材した経験について)

「もちろん誇張したり、話の中にはデマもはいってきますけれども、それは質問によってかなり訂正できる。いろいろな角度から質問していきます。嘘をいえばばれるような方法で「検算」しながらやって行きます。具体的なことから、例えば部屋がどういうふうになっていたかとか、ウソをいえば矛盾が出てくるようなことを細かく聞いていくのです。」

(出典:本多勝一『ルポタージュの方法』朝日文庫、第5刷、227ページ)

用例2:

「もちろん、合州国のキッシンジャー氏ら、ノーベル「平和」賞を受けた詐欺師たちは、プノンペンで解放軍【赤色クメール】による大虐殺が行なわれたというデマを言いふらした。」

(出典:本多勝一「欧米人記者のアジアを見る眼」、『潮』1975年7月号、後に『貧困なる精神3集』に収録→第8刷(1982年4月20日)増刷時に記事ごと削除)


な〜の


は〜ほ

売春婦/売春夫(ばいしゅんふ)

【名詞】

用例1:

【ロン・ノル政府時代のプノンペン市在住のカンボジア人について】

「 多くは、女中だの下男だのといったいわゆる下働きを、それも主として外国人の下働きをつとめるにすぎない存在であった。でなければ売春婦やポン引きのような賎業である。つまり大ざっぱにいえば、プノンペンの町は外国人およびその“下僕”としての国辱的カンボジア人からなっていたと極論することもできた。」

(出典:本多勝一「カンボジア革命の一側面」、『潮』1975年10月号277ページ、後に『貧困なる精神4集』に収録)

用例2:

「問題は、誤りを犯したこと自体よりも、その後の対応にある。詳細はいずれ発表するが、こうした手合いは、講談社の飼い主にカネで雇われた番犬・狂犬の類であって、よく卑しい職業の例にあげられる売春婦よりも本質的に下等な、人類最低の、真の意味で卑しい職業の連中である。」

(出典:本多勝一「現実の被害者として」『週刊金曜日』1997年10月3日号)

用例3:

「考えてみれば、この戦争推進会社の出している芥川賞・直木賞・菊池寛賞・大宅壮一賞その他の八百長賞が、モノカキという職業の人々を売春夫へと堕落させるのにどれほど大きな役割を果たしてきたことだろう。私が(ニューギニアへ行っている留守中に)受賞させられたこの菊池寛賞にしても、思えば菊池寛そのものが戦争中に次のような役割を担っていたのだ--。」

(305ページ)

(出典:本多勝一「菊池寛賞をあらためて拒否しなおす」『潮』1983年11月号,朝日文庫『職業としてのジャーナリスト』収録)

用例4:

「こんな賞(ショー)を拒否する小さな勇気さえ持てぬ男など、今後絶対に知識人のうちに数えることはしまい。良い場合で「文学タレント」、悪ければ「文学売春夫」にすぎないということだ。」

(306ページ)

(出典:本多勝一「菊池寛賞をあらためて拒否しなおす」『潮』1983年11月号,朝日文庫『職業としてのジャーナリスト』収録)

はず

【形式名詞】

用例1:

理念として社会主義は「人民の権力」のハズなのだから、そこでは「良い社会」が見られるハズだ。だから取材ができなくてもベタボメすべきだ──ということは、おかしいのではないでしょうか。…結論を保留しておいて、しかしジャーナリストとしては放置できませんから、可能なあらゆる方法で事実に近づくということでしょうか。本質を解明するための事実に。これは、いわば「ハズ社会主義」への訣別でもあります。

(出典:本多勝一「ハズ社会主義への訣別を」253ページ、朝日文庫『事実とは何か』第11刷(1994年5月30日)収録、同書第1刷は1984年1月20日)

用例2:

「革命後、【北ベトナムの】少数民族は自治区になるとともに、たとえばヌン族ならヌン族が義務教育の教科にとりいれられ、ヌン語の文学作品や伝統芸術が高く評価されるようになった。…文化革命後の中国は、少なくともタテマエとしてはこれをもっとすすめている。各民族が教育の現場で右のように実行しているのはもちろんだが…。言語政策もそれを反映しているハズだ。」

(出典:本多勝一 「日本語と方言の復権のために」『実戦・日本語の作文技術』第4刷(1998年3月20日)収録、同書第1刷は1994年10月1日)

【参考1】:この論文が書き換えられる前の『言語生活』1975年2月号掲載「世界語と日本語と共通語と方言との関係」には次のとおり。

「革命後、【北ベトナムの】少数民族は自治区になるとともに、たとえばヌン族ならヌン族が義務教育の教科にとりいれられ、ヌン語の文学作品や伝統芸術が高く評価されるようになった。…文化革命後の中国は、これをもっと深くすすめている。各民族が教育の現場で右のように実行しているのはもちろんだが…。言語政策もそれを反映していることはいうまでもない。」

なお、この一文を書くに先だって1971年の夏に本多記者がはじめて中国を訪れた際には、雲南省、四川省、青海省、チベット自治区、シンチャンウイグル自治区など少数民族が高い人口比率を占める地域に足を運んだ形跡はない。(『中国の旅』掲載旅程表および行程地図より)

【参考2】:

「西側での宣伝に対して私が確信をもって反論するためには、私自身が自由に現場へゆき、その周辺の人々から自由に話をきく必要がある。そうでなければ、「当局によれば」として「発表モノ」をそのまま報道するにとどまる。それはそれで意味があるものの、私自身の直接的ルポとするわけにはゆかない。」

(出典:本多勝一「新生ベトナムと取材の自由」、『事実とは何か』第11刷(1994年5月30日)収録、朝日文庫231ページ(第1刷は1984年1月20日)、同記事初出は『朝日ジャーナル』1977年5月6日号)

反革命(はんかくめい)

【名詞】

用例1:

このような特殊都市に住むカンボジア人は、例外的な金持ちと特権階級にすぎない。サイゴンやハノイとは本質的に異った性格の都市なのだ。東京や大阪の中心部が、外国人の金持ちだけで占められ、日本人は例外的成金と、外国人のもとで女中や門番として使われる者だけ、といった都市だったら、どういうことになるだろう。こんな危険な都市は、反革命の拠点にいつなるかわからない。そのため、搾取のない農村経済のもと、みんなが正しい意味で働きながら、まず自給を確立することから自立しようと考えたとしても、まことに自然なことではないか。合州国の退廃文化(帝国主義文化)でダラクさせられた都市の人々も、それによって健全なものに立ちなおるだろう。」

(出典:本多勝一「欧米人記者のアジアを見る眼」、『潮』1975年7月号、後に『貧困なる精神3集』に収録→第8刷(1982年4月20日)増刷時に記事ごと削除)

用例2:

「地球はじまって以来、暴力なしの、丸ハダカの経済支配が成功したためしはないだろう。…中国その他のように、反対のプロレタリアによる権力でも、タブーとしては同じことが生ずる。すなわち、反革命や資本主義復活を推進させるような言論を、大っぴらに許すはずはないのだ。中国の権力、すなわち革命側にとっては、これはタブーであり、それを支えているのは、結局は人民軍というカウンター(迎撃)力である。そうであれば、もはや「タブー」という現象そのものは、本質的問題ではないことが理解されるだろう。このことは、たとえば「戦争が悪い」という言葉と似ている。近代から現代の『戦争』の多くは、侵略「した側」と「された側」とのケンカであって、悪いのは決して「戦争」という現象そのものではない。あくまで「侵略」が悪いのだ。侵略に対するカウンター暴力としての抵抗の結果、戦争という現象が見られるにすぎない。同様に、タブーもまた単に現象そのものであって、タブーそのものを正面に据えて論じてみても、あまり重大な意味を持つ成果をもたらさぬであろう。要するに当り前のことである。権力のあるところ、タブーは避けられない一現象にすぎない。」

(出典:本多勝一「報道と言論におけるタブーについて」時事通信社『講座・現代ジャーナリズム』第六巻「ジャーナリスト」収録(1974年発行)朝日文庫『事実とは何か』収録)

反動(はんどう)

【名詞】

用例1:

「ここに彼女の体験を報告するが、決してこれはカンボジア革命を否定するためのものではない。こうした体験者の話を過大に増幅して書き立てる反動側の文筆家がいることを知っているので、それに対するひとつのカウンター・ブローとして、こうした報告をしておく必要にせまられたためだ。」

(同、278ページ)

(出典:本多勝一「カンボジア革命の一側面」、『潮』1975年10月号、後に『貧困なる精神4集』に収録)

用例2:

「それ【赤色クメールの大量殺戮報道】を受けて宣伝した日本の反動評論家や反動ジャーナリストの姿はもっとこっけいだった」

(出典:本多勝一「カンボジア革命の一側面」、『潮』1975年10月号、後に『貧困なる精神4集』に収録→第9刷増刷時に一部書き換え(このくだりは削除))

便所(べんじょ)→「性的共同便所」を参照

放送(ほうそう)

【名詞/サ行変格活用動詞】

用例1:

「ディレクターにせよニュース=キャスターにせよカメラマンにせよ、何をとりあげようが必ず主観的選択をせざるをえない。すべてを「公平に」扱うことなど物理的に不可能であり、オカルト以外には絶対にできない。これは誰しも理解できる当然の理屈であろう。…全人類が偏向している以上、すべての放送も偏向しているのは当然として、それならば放送も活字と同じように完全に自由にしてしまえばいいではないか。」

(出典:本多勝一「今の放送法は戦前の「新聞紙法」ではないのか」、『滅びゆくジャーナリズム』朝日文庫、292〜297ページ)

用例2:

「だが、思えばニクソンの本質など、最初からわかっているのだ。ある意味ではもっと腹の立つのは、このような「ニクソンのターニャ」を平然と自国民にテレビ放送させたソ連政府である。ソ連は、たしか社会主義国だったはずだし、アメリカ帝国主義打倒を叫んでいたはずだったんだが……」
(出典:本多勝一「ニクソンのターニャ」、『殺す側の論理』すずさわ書店1972/10/20第1版第1刷;1982/5/15第4版第2刷)

【参考】このくだりは、文庫版では次のように改変されている。

「だが、思えばニクソンの本質など、最初からわかっているのだ。ある意味ではもっと腹の立つのは、このような「ニクソンのターニャ」を平然と自国民にテレビ放送させたソ連政府である。ソ連は、少なくとも自称は社会主義国だったはずだし、「アメリカ帝国主義打倒」を叫んでいたはずではなかったか。」

(出典:本多勝一「ニクソンのターニャ」、『殺す側の論理』朝日文庫収録(1984/5/20初刷;1996/5/10第12刷、(27〜28ページ))


ま〜も

末端(まったん)

【名詞】

用例1:

「クメール・ルージュの場合、たとえば敵国アメリカの人間がつかまると、すべてのアメリカ人は、アメリカ人であることによって敵とみなされ、処刑したことが多いようだ。日本も、佐藤政権がアメリカの政策を支持したとき、日本は敵と判断すると、日本人すべてを、日本人であることによって処刑の理由とする没階級的な判断をした例が報告されている。ある技術者の処刑はその典型だったらしい。もちろん、クメール・ルージュの指導者がそのような指導をしたとは思われない。末端まで指導が徹底していなかったのであろう。」

(出典:本多勝一「カンボジア革命の一側面」、『潮』1975年10月号278ページ、後に『貧困なる精神4集』に収録→増刷時に書き換え)

用例2:

上記のくだりの最後の文が、1991年発行の第9刷では次のように書き換えられている。

「クメール・ルージュの指導者がそのような指導をしたのか、あるいは末端まで指導が徹底していなかったのかはまだ分からない。」

(63ページ)

用例3:

「スーさんの体験は、以上のようなものであった。革命の過程での、いわば被害者としての華僑スーさんの説明には、あるいは誇大なこともあるかもしれない。また、たとえば米の配給量を差別したことなど、あるいはクメール・ルージュの中央の方針ではないのかもしれない。末端の誤りなのかもしれない。」

(出典:本多勝一「カンボジア革命の一側面」、『潮』1975年10月号284ページ、後に『貧困なる精神4集』に収録→第9刷増刷時に一部書き換え)

民族自決(みんぞくじけつ)

【名詞】

用例:

「カンボジアはいずれ必ず、門戸を開くであろう。もちろんそれは、民族自決の上での、かれらの方式による、かれらのための開放であろう。それはもはや外国人がでかい顔をして歩くことのできないときであろう。当然である。」

(出典:本多勝一「カンボジア革命の一側面」、『潮』1975年10月号285ページ、後に『貧困なる精神4集』に収録→増刷時に書き換え)

【参考】:1991年発行の第9刷では次のとおり。

「これらの結果がどうなるか予断はできないが、鎖国をいつまでも続けられるものではないことは確かであろう。」

(77ページ)

無知(むち)

【名詞/形容動詞】

用例1:

「アジアの平和」【赤色クメール支配下のカンボジアのこと】は、どんな人間的なものであっても、無知な欧米人記者の目には「野蛮」としか見えないのである。私にとってカンボジアの農村は、ぜひ訪ねて報道したいところのひとつとなった。」

(出典:本多勝一「欧米人記者のアジアを見る眼」、『潮』1975年7月号、後に『貧困なる精神3集』に収録→第8刷増刷時に記事ごと削除)

用例2:

「たとえば1982年8月号の福田恆存氏の一文など、その非論理性と無内容・本質的無知がよく出ていて、福田氏を理解する上にも有益」

(出典:本多勝一「文春系「反核文学者」に教えを乞う」、『職業としてのジャーナリスト』287〜288ページ)


や〜よ


ら〜ろ

理解(りかい)

【名詞/サ行変格活用動詞】

用例1:

アメリカ合州国の世界政策の代弁者であることは、べつに「悪い」ことだとは申しませんが、同じ代弁者なら、読者にかんたんに見破られるような方法をとらない方が有効かと思います。いうまでもなく、ブレントさん自身は代弁者だと思っていないでしょうし、善意に満ちているのですが、一般的アメリカ人でいつも問題なのは、この「善意」というもの──ブレントさんはしばしば「理解」という言葉で置き換える──なのです。一方的善意。独善。「意味する者」の論理による「意味される者」への押し付け…。ブレント氏が「差別する者」の側にあることは、その全文章が明示しています。しかし当人は決して気づかないのが、この種の現象の特徴です。…ブレント氏の「理解」は、常に「寛容」を求める意味で使われているのです。征服者の説く「寛容」のバカらしさ。支配者が黒人やアメリカ先住民に説く「寛容」や「諦め」のバカらしさ。」

(出典:本多勝一「ソンミ事件をめぐるアメリカ人宣教師との公開討論」、『殺される側の論理』119〜123ページ)

用例2:

カンボジアに大規模な侵攻をやったり、北爆を再開したりしたニクソン氏が、4月30日(1970年)の夜行なった演説や、5月8日の記者会見の発言については、すでに全文が報道されています。その中で私がおもしろいと思ったことのひとつは、ニクソン氏の論理とブレント氏の論理の、あまりに似ている点でした。次の一節など、ブレント氏そのものです。

「私は彼ら(反戦者たち)が欲しているものを理解しているし、彼らも私が欲しているものを理解しようと努めてほしい」「私はこうした人々の望みを理解できる。私は彼らが私の望みをいくらかでも理解していることを望みたい」(『毎日新聞』1970年5月9日夕刊。傍点本多【このサイトでは太字で表示】)

権力者が、弾圧された側に対して「オレはオマエのことが理解できる。だからオマエも理解せよ」という論理。北ベトナムの一般市民の都市を完全に焦土と化しておいて、「理解せよ」。日系米人に対する差別は「弁解しないが理解できる(従ってオマエらも理解せよ)」。B52の絨毯爆撃を「理解せよ」。ナパーム弾による幼児や老人のバーベキュー製造を「理解せよ」。原爆で数十万の日本人市民を昆虫のように消したことを「理解せよ」。アメリカ人宣教師が、無茶苦茶な差別思想を抱く自国の多数の一般的ワスプを、真のキリスト教徒に導こうとせずに、日本にやってきて説教していることを「理解せよ」。」

(出典:本多勝一「ソンミ事件をめぐるアメリカ人宣教師との公開討論」、『殺される側の論理』131〜132ページ)

用例3:

「背景は少しも「複雑」ではないし、侵略側の事情を「理解」して弁護することはない。…日本のマスコミュニケーションの大勢も、いつでも「殺す側」に立つ用意ができていることを教えてくれた。」

(出典:本多勝一「殺す側の発起人たち」299〜300ページ、『殺される側の論理』)

用例4:

「けれども、たんに「理解」するだけのことであれば、学者が研究対象を研究して「理解」するのと同様に、たいしてむずかしいことではありません。私たちはミツバチやカマキリの生態もよく「理解」できるのですから。……そうです。そのような、人間が昆虫を見るような目で「理解」するのは、つねに支配する側、侵略する側、殺す側の示す態度でした。かれらはまた、常に「寛容」を説き、ことの背景が「複雑」であることを嘆き、けっきょくは現状をしかたのないものとして認めさせようとします。しかし反対の「殺される側」にとっては、「理解」なんかしているヒマがあったら胸元に突きつけられた銃口をはずしてほしいし、自分を殺そうという相手に対して「寛容」にはなれないし、背景は殺されるか生きるかという「単純」な関係でしかありません。」

(出典:本多勝一『ぼくは報道する』ちくま少年図書館)

用例5:

「そのような背景をもつカンボジアが…かつてない民族主義的色あい【=赤色クメールの排外政策とクメール族中心主義のこと】が出てくることも理解されよう。ときには「行きすぎ」に走ることもあるだろう。」

(出典:本多勝一「カンボジア革命の一側面」277ページ、『潮』1975年10月号、後に『貧困なる精神4集』に収録)

用例6:

「さきにのべたような背景を理解すれば、【赤色クメールが】そうした誤りを犯す感情もよく理解できるけれども、これはやはり克服しなければ、帝国主義勢力に対する幅広い国際統一戦線にとってマイナスに作用するだろう。」

(出典:本多勝一「カンボジア革命の一側面」278ページ、『潮』1975年10月号、後に『貧困なる精神4集』に収録)

用例7:

「だが、冒頭にのべたようなカンボジアの背景を考えるとき、論理的にはたしかにそうであっても、全外国人を追い出してしまいたいというカンボジア人たち【=赤色クメールのこと】の怨念は、やはり理解する必要があると、また思いなおしてしまうのだ。 」

(出典:本多勝一「カンボジア革命の一側面」285ページ、『潮』1975年10月号、後に『貧困なる精神4集』に収録)

用例8:

「欧米人(白人)のジャーナリストは、【赤色クメールによる】完全解放後のカンボジアをどうみたか。その典型は、たぶん『ニューヨーク・タイムズ』特派員シドニー・シャンバーグ記者のルポ(『朝日新聞』五月一二日朝刊)にみられる。一言でいえば、これはかれら欧米人記者の眼による救い難い偏見で充満していて、アジア人の生活も心も全く理解できない欧米人記者による不幸な記事といえよう。 」

(出典:本多勝一「欧米人記者のアジアを見る眼」、『潮』1975年7月号、後に『貧困なる精神3集』に収録→第8刷(1982年4月20日)増刷時に記事ごと削除)

労働(ろうどう)

【名詞/サ行変格活用動詞】

用例:

【プノンペンの住民(「国辱的カンボジア人」)が、銃剣のもと否応なく農村に追い立てられ、それ以来日曜日も休まず連日の重労働を夜明けから日没ごろまで強いられたことに関して】

「 「労働」というものの意味を社会主義的に考えるかぎりでは、これはいわゆるドレイ労働ではないのだろう…。」

(出典:本多勝一「カンボジア革命の一側面」、『潮』1975年10月号281ページ、後に『貧困なる精神4集』に収録)



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最終更新日2000/08/03 (Y/M/D).