本多勝一研究会重要文献解題

和田俊

「粛正の危険は薄い? カンボジア解放側 アジア的優しさもつ」

朝日新聞1975年4月19日夕刊2面

文責:佐佐木嘉則

解説

朝日新聞の和田俊記者は、井川一久氏の後任としてプノンペン駐在となった。その和田記者が、クメール=ルージュによるプノンペン「解放」(1975年4月17日)の二日後に書いたのがこの記事である。

ここに注目!

ひたすら楽観的な観測記事に感嘆!

読みどころ

赤字による強調は引用者による)

「カンボジア解放勢力のプノンペン解放は、武力解放の割には流血の跡がほとんど見られなかった。入場する解放軍兵士とロン・ノル政府軍兵士は手をとりあって抱擁。政府権力の委譲も、平穏のうちに行われたようだ。しかも、解放勢力の指導者がプノンペンの〃裏切り者〃たちに対し、「身の安全のために、早く逃げろ」と繰り返し忠告した。これを裏返せば「君たちが残っていると、我々は逮捕、ひいては処刑も考慮しなければならない。それよりも目の前から消えてくれたほうがいい」という意味であり、敵を遇するうえで、極めてアジア的な優しさにあふれているように見える。解放勢力指導者のこうした態度とカンボジア人が天性持っている楽天性を考えると、新生カンボジアは、いわば「明るい社会主義国」として、人々の期待に応えるかもしれない。」

「カンボジア王国民族連合政府は自力で解放を達成した数少ない国の一つとなった。民族運動戦線(赤いクメール)を中心とする指導者たちは、徐々に社会主義の道を歩むであろう。しかし、カンボジア人の融通自在の行動様式から見て、革命の後につきものの陰険な粛清は起こらないのではあるまいか。」

ここが知りたい


基礎研究室へ
ホームページへ戻る


最終更新日1999/11/01 (Y/M/D).