基礎研究室
重要著作・文献の解題
目次
著作物の引用にあたって
著作権法より
著作改竄問題
本多勝一「自分が改竄しておいて他人に改竄を叫ぶ男」
『潮』1986年10月号
カンボジア虐殺否定問題
和田俊「粛正の危険は薄い?--カンボジア解放側 アジア的優しさもつ」
1975年4月19日
フォード米大統領記者会見録
1975年5月6日
"'Blood Bath' in Cambodia"
, 『ニューズウイーク』1975年5月12日号
和田俊「プノンペン解放一ヶ月」
『朝日新聞』1975年5月17日
シドニー・シャンバーク「プノンペンの2週間--陥落から脱出まで」
『朝日新聞』1975年5月12日
本多勝一「事実の料理法と報道の関係」
『潮』1975年6月号
本多勝一「欧米人記者のアジアを見る眼」
『潮』1975年7月号
永井清陽「難民が伝えるプノンペンその後」
『読売新聞』1975年7月3日
"Tales of Terror and Upheaval"
『タイム』1975年8月4日号
本多勝一「カンボジア革命の一側面」
『潮』1975年10月号
「カンボジア革命の一側面」書き換え比較対照表
永井清陽vs.本多勝一:1975年のカンボジア難民記事比較対照表
本多勝一「カンボジア国境紛争」
『朝日新聞』1977年9月19日
本多勝一「無知な人々だけが感激する『キリング=フィールド』」
『潮』1985年8月号
井川一久「「地獄の平和」知らぬ日本人」
『朝日新聞』1985年6月24日夕刊5ページ「深海流」
井川一久「米映画『キリング・フィールド』」
『朝日ジャーナル』1985年7月19日号
「シンポジウム・映画『キリング・フィールド』の真実」
『朝日ジャーナル』1985年8月16日号/23日号
本多勝一『検証カンボジア大虐殺』
1989年11月20日発行
山田寛『記者が見たカンボジア現代史25年』
日中出版1998年発行
2000年5月26日追加
出版慣行関連資料
「台湾沖航空戦・レイテ沖海戦報道」
『朝日新聞』1944年
と学会座談会「この「ハルマゲドン本」がすごい!」
『別冊宝島30』1995年10月号
2000年6月29日追加
文化大革命礼賛発言
『中国の旅』
本多勝一「世界語と日本語と共通語と方言との関係」
『言語生活』1975年2月号
刈間文俊「≪絶響≫解説」
『NHKテレビ中国語講座テキスト1989年8月号』
Valerie Strauss & David Southerland "Mass death in Mao's China"
『ワシントン・ポスト』1994年7月17日号
熊坂隆光、毛沢東治世下での死者数8000万人と伝える記事
、産經新聞1994年7月18日
本多勝一「朝日新聞労組の質問にこたえる」
朝日文庫『滅びゆくジャーナリズム』収録(1996年9月15日発行)
女性・職業差別発言
本多勝一「現実の被害者として」
『週刊金曜日』1997年10月3日号
本多勝一「ルポルタージュの条件」
『新聞労連』1968年5月30日付
本多勝一「菊池寛賞をあらためて拒否しなおす」
『潮』1983年11月号
本多勝一「男芸者になることを拒否したジャーナリスト--松浦総三著『天皇とマスコミ』書評--」
『潮』1976年2月号
本多勝一「アメリカの日本人」
『エイムズ』1970年4月号
本多勝一「『遠縁近縁』と『同級生交歓』」
『エイムズ』1970年5月号
「宣誓論争」判定文書改竄問題
松本道弘「勝負あった!佐伯/七平論争」
『人と日本』1977年1月号掲載
松本・佐伯論文書き換え対照表
反人権・反民主的発言
本多勝一「報道と言論におけるタブーについて」
『講座・現代ジャーナリズム』第六巻収録、1974年発行
参考書架
本多勝一研究会編纂
『本多勝一版:家畜語用例辞典』
ホームページへ戻る
Copyright (C) 本多勝一研究会
最終更新日
2000/06/29 (Y/M/D).