本多勝一研究会重要文献解題

刈間文俊

「『絶響』解説」

『NHKテレビ中国語講座テキスト1989年8月号』

文責:佐佐木嘉則

解説

中国映画の専門家・刈間文俊氏(東京大学講師)が、映画を通してみた中国の言語政策を解説する。

ここに注目!

文革の主要課題の一つは普通話(北京語)の強要と地方語の抑圧であった。これを読めば、文革期の言語政策について本多勝一記者が書いたヨイショ記事(「世界語と日本語と共通語と方言との関係」)における

「共通語と方言(または少数民族言語)との間に階級差別のない関係」

云々がいかに大間違いであるかがわかる。

読みどころ

赤字による強調は引用者による)

「中国は広い。乾いた北中国と亜熱帯の広東では,人情の機微も微妙に違ってくる。当然,地方ごとに特色のある映画が登場してもいいようなものだ。しかし,それは決して容易なことではない。

映画を大衆教育の手段とするのは,現在の共和国ができて以来,一貫して当局の側に流れている考え方といってよい。例えぱ,映画で話されている言葉ひとつを見ても,必ず「普通話」でなけれぱならず,文革のときなどはアナウンサーのような「きれいな発音」がスクリーンの上を飛びかっていたものだ。もちろん共通語の普及はおろそかにはできない。しかし,大衆が現に話している言葉を無視し,あえて人工的な言葉を映画にまで押しつけた,そう言ってもよい状況だったのである。言語の統一は,中央政府の強力な国家意志の象徴という側面を常にもっている。

もっとも文革前の規制が緩んだ一時期には,蘇州話の喜劇「ご満足ですか」(原題≪満意不満意≫・1963年・厳恭監督)や広東話喜劇の傑作「雑居アパート大騒動」(原題≪七十二家房客≫・1963年・王為一監督)などが隙間を縫うようにして作られてはいる。だが,それも文革でつぶされ,文革が終了しても地方の独自性を主張する映画はなかなか作られなかった

張沢鳴監督の「絶響」が85年に登場したときには,だから新鮮な驚きがあった。実に久しぷりに広東語圏の世界を強烈に主張した作品が現れたからである。確かにこの作品ならば,広東映画と言ってよい。」

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最終更新日1999/11/01 (Y/M/D).