『言語生活』(言語専門家の雑誌で、現在は廃刊)に文革賛歌を送ったのがコレ。
1975年『言語生活』版のひたすら脳天気な文革賛美と、奥歯にもののはさまったような1994年『実戦・日本語の作文技術』版の違いにご注目ください。文革期の言語政策の実態については、刈間文俊氏の「『絶響』解説」を参照。チベットや東トルキスタンで現地の民族語が弾圧されていたことも常識である。
(赤字および太字による強調は引用者による)
出典 | 『言語生活』1975年2月号 | 『実戦・日本語の作文技術』第4刷 |
表題 | 「世界語と日本語と共通語と方言との関係」 | 「日本語と方言の復権のために」 |
抜粋 |
「共通語と方言(または少数民族言語)との間に階級差別のない関係とは、つまり本当の二本だてとはどういうことか。私がこれまでに訪ねた国の例でいえば、中国と北ベトナムが参考になるだろう。…革命後、【北ベトナムの】少数民族は自治区になるとともに、たとえばヌン族ならヌン族が義務教育の教科にとりいれられ、ヌン語の文学作品や伝統芸術が高く評価されるようになった。…文化革命後の中国は、これ【北ベトナムの少数民族尊重政策のこと】をもっと深くすすめている。各民族が教育の現場で右のように実行しているのはもちろんだが…。言語政策もそれを反映していることはいうまでもない。こうした他国の言語政策については、本誌で他の適任者が詳細に語るであろうから私はかんたんにしておくが、中国や北ベトナムというと社会主義国であることから、もうそれだけでアレルギーを起こすという人も、今の日本には多いであろう。」 (25〜26ページ) |
「共通語と方言(または少数民族言語)との間に階級差別のない関係とは、つまり本当の二本だてとはどういうことか。私がこれまでに訪ねた国の例でいえば、中国と北ベトナムが参考になるだろう。…革命後、【北ベトナムの】少数民族は自治区になるとともに、たとえばヌン族ならヌン族が義務教育の教科にとりいれられ、ヌン語の文学作品や伝統芸術が高く評価されるようになった。…文化革命後の中国は、少なくともタテマエとしてはこれをもっとすすめている。各民族が教育の現場で右のように実行しているのはもちろんだが…。言語政策もそれを反映しているハズだ。こうした他国の言語政策については、本誌(『言語生活』)で他の適任者が詳細に語るであろうから私はかんたんにしておくが、中国や北ベトナムというと自称『社会主義国』であることから、もうそれだけでアレルギーを起こすという人も、今の日本には多いであろう。」 (200〜201ページ) |
ただし「日本語と方言の復権のために」の末尾には一応
「『言語生活』1975年2月号の「世界語と日本語と共通語と方言との関係」を改題加筆」
と記載してあります(もっとも、具体的にどこを加筆・削除したかという説明はなし)。とはいえ、
(「旧北ベトナム」でも「北ベトナム(当時)」でもなく)「北ベトナムが参考になる」
というからには、読者はこの論文を、両ベトナムの武力統一(1975年4月)以前における本多さんの見解を表明したものと解釈するのが自然でしょう。その文脈の中に後年の時流の変化による判断の変針を潜り込ませているのには奇異な印象をぬぐえません。
1978年発行のすずさわ書店刊『カンボジアはどうなっているのか』「あとがき」で「ハズ社会主義への訣別を」とよびかけた(私が参照したのは朝日文庫『事実とは何か』第11刷収録のもの)ご本人が、1990年代になってからまたぞろここで
と書いているのも“アレ〜ッ?!”と言いたくなってしまいます。「言語政策もそれを反映しているハズだ。」
「もちろん誇張したり、話の中にはデマもはいってきますけれども、それは質問によってかなり訂正できる。いろいろな角度から質問していきます。嘘をいえばばれるような方法で『検算』しながらやって行きます。具体的なことから、例えば部屋がどういうふうになっていたかとか、ウソをいえば矛盾が出てくるようなことを細かく聞いていくのです。」
(朝日文庫『ルポタージュの方法』第5刷、227ページ)
1971年に中国に行った時はまだ相手のウソを見抜くような取材技術を身につけていなかったのでしょうか?それとも、“「人民の政府」がウソを言うはずはない”と信じていたので「検算」をしなかったのか?まさか、“ウソと知りながら活字にした”ということはないですよね。
最終更新日1999/11/01 (Y/M/D).