『中央公論』の「遠縁近縁」と『文芸春秋』の「同級生交歓」が気に入らん、とかみつく記事。
『エイムズ』1970年4月号の「アメリカの日本人」で職業差別発言をしてのけた本多氏が、その同じ雑誌の翌月号で「みんなが精一杯に生き、それぞれが重要な仕事をしているのだ。」とお説教を垂れるケッサク。
(赤字による強調は引用者による;引用は朝日文庫『殺される側の論理』第13刷から)
「たとえば私の小学校6年生のクラスは、女子が20余人、男子が14人だった。…旧制中学に進んだのはその【14人の男子生徒の】中で3人だけだが、この3人は決して『14人の中でよくできる3人』(『できる』という意味が問題だが、ここではそれは措くとして)ではなかった。親の考え方と経済状態の反映にすぎなかった。従ってそのほとんどは『出世』したりはせず、平均的庶民として地域社会の中で地味な仕事についている。…みんなが精一杯に生き、それぞれが重要な仕事をしているのだ。そういう感覚のない成り上がりの俗物、自分が『出世』し、おたがい『出世』した奴同士といった下劣の心情を、あのニヤけきった顔から発散しているザマを見よ。これからあのページに出る奴らは、読者よ、そう思って眺めなさい。」
(273頁)
最終更新日1999/11/01 (Y/M/D).