本多勝一研究会重要文献解題

本多勝一

「アメリカの日本人」

『エイムズ』1970年4月号,朝日文庫『しゃがむ姿勢はカッコ悪いか?』

文責:佐佐木嘉則

解説

アメリカ帰りの日本人客が機内で日本人スチュワーデスに横柄な口の利き方をした、ということからお得意の人種論がはじまる。

ここに注目!

これまたすごい職業・学歴差別発言。人種差別に反対するつもりで、自分の側ももう一つの差別を持ち出すというやりかたは、まさに「いつもの調子」である。しかも、そう書いた『エイムズ』の翌月号掲載「『遠縁近縁』と『同級生交歓』」では「みんなが精一杯に生き、それぞれが重要な仕事をしているのだ」とお説教しているのだから、ますますケッサク。

読みどころ

赤字による強調は引用者による;引用は朝日文庫『しゃがむ姿勢はカッコ悪いか?』より)

「この『トーキョーッ』と【日本人スチュワーデスに】答えた男も、もし相手がアメリカ人(白人)のスチュワーデスであったら、こんな態度はとらないであろう。卑屈なまでに丁寧に答えるであろう。(実はしかし、アメリカのスチュワーデスには無教養・無教育な娘が多く、日本人スチュワーデスに比べると質はガタ落ちなのだ。自分の国語としてのイギリス語以外には能力がほとんど無いような女がスチュワーデスになると思えばよい。)」

(187頁)

「もし相手がアメリカ人(白人)のスチュワーデスであったら、こんな態度はとらないであろう。」という断定に何の根拠も示されていませんが、それはさておくとして。この一文を書いているご当人は一部日本人男性の白人女性羨望(あるいは畏怖?)に対するアンチテーゼのつもりなのでしょうが、内容は明白な職業差別です。第一、全米に何万人もいるスチュワーデスの多くが「無教養・無教育な娘」であることをどういう取材によって確認したのでしょうか?

「無教養・無教育な娘」に対して丁寧に答えてはいけないのか?そんなことがいえるほど新聞記者ってえらいのか?入社十年以内で朝日新聞の編集委員(「大記者」)になるって、そうやって他人を見下すほどの「出世」なのか?

「私が編集委員になったのは1968年4月、36歳のときですから、この制度が発足してから2年たっています。…私は大学生活が長かったので入社はおそいのですが、まだ若いときの抜擢であり、むろん昇進でもあります。」

(朝日文庫『滅びゆくジャーナリズム』、224頁)

「みんなが精一杯に生き、それぞれが重要な仕事をしているのだ。そういう感覚のない成り上がりの俗物、自分が『出世』し、おたがい『出世』した奴同士といった下劣の心情を、あのニヤけきった顔から発散しているザマを見よ。」

(朝日文庫『殺される側の論理』収録「『遠縁近縁』と『同級生交歓』」、273頁)

第一、アメリカ人スチュワーデスといっても白人だけであるはずはなく黒人や東洋人も多数います。(例えばハワイのアロハ航空やハワイアン航空では日系人やハワイアンのスチュワーデスを数多く雇用している)。そういう非白人スチュワーデスに対してもこの発言が侮辱になることがわからないのかな。

余談ながら、スチュワーデスの研修って緊急脱出誘導訓練やらなんやら結構たいへんなんですよ。長距離国際線勤務、特に東西方向は時差適応を含めて肉体的にもかなりの激務でもあります。確かに飛行機依存交通社会たるアメリカでは、スチュワーデス(特に国内線勤務)として就職すること自体は必ずしも超難関でないだけにその職種イメージも日本のバスの車掌嬢(都市バスのワンマン化で、最近さっぱり見かけなくなりました)を大きく上回らないかもしれませんが、車掌嬢達を十把ひとからげに「無教養・無教育な娘」、「〜に比べると質はガタ落ち」、「日本語以外には能力がほとんど無いような女」と決めつけるような発言を保守党の大臣がしたら、『金曜日』はここぞとばかり攻撃することでしょう。

日本ではスチュワーデスは短大卒業以上の学歴が相場であるのに対して、アメリカの場合高卒にも道は開かれているようで、学校での「偏差値」もおしなべていえば日本人スチュワーデスの方が高いでしょう。上の「無教育」という文句もそのことをいっているのかと思われます。(本多さんが多数のアメリカ人スチュワーデスを個人的に知っていたり、あるいは相手の教養や教育の程や“イギリス語以外の能力”の有無がわかるまでじっくり話をきいて取材したという記録は見当たりません。)何のことはない、これでは本多さんはホンネでは学歴/偏差値差別論者ではありませんか。

ここが知りたい


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最終更新日1999/11/01 (Y/M/D).