本多記者が朝日新聞を定年退職する数ヵ月前に、朝日新聞労働組合青年部・女性部主催のフリートーク「本多勝一さんを囲んで」という会合(1991年7月3日)が開かれた。この席で、本多記者は参加者の質問に答えた。
自分のことをたなにあげて、“文革期に「北京発」情報だけを流したのはいかん、反対側の視点の情報も使うべきだった”とお説教を垂れるケッサク。
(赤字による強調は引用者による;引用は『滅びゆくジャーナリズム』第1刷より)
「文革のときの中国報道のことを言われましたね。これは当時の北京支局特派員をさしているのでしょうが、結論だけ言えば、私はあのときの『北京発』は報道してよろしかったと思います。ただし、それには条件がある。文革のような取材困難な中では、一方では北京原稿をどんどん使うと同時に、他方では香港支局やら外国通信社やら、その反対側の視点による情報があったら、それもどんどん使うこと。この後者が当時欠けていたのではないか。北京原稿よりもこの方が問題だったのです。」
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最終更新日1999/11/01 (Y/M/D).